実務真相
「ドゥルフェン村とはどういう関係なんだ」
山裾の森に台車で木箱を運び入れながらも、おれの質問は続いていた。
「……もともとルフ郡は、ドゥルフという小国でな。実は五ヵ国の建国以前から、人知れずゴルエを護る一族の住む土地だった。しかし、護国連合の締結時、ドゥルフは滅ぼされ、武の国ウーケに組み込まれてしまった。ルフ郡と、名前まで変えられた。城は乗っ取られ、生き残ったドゥルフの民に割り当てられた土地がドゥルフェン村含むこのゴルエ一帯だ。マチウスは村の初代村長に抜擢された」
ディトワによれば、そもそもドゥルフという国名は、剣王ドゥールの妾腹で、伝説の英雄ドゥルクの息子にちなんで名付けられたという。
幼いころよく聞かされた英雄ドゥルクの昔話では、剣王があちこちの土地で種まきをした結果、生まれた自分の血縁百人をつぎつぎに殺したうえ、自分を跡継ぎにしろと剣王に迫る冷酷で凶暴な男として描かれている。
実父のドゥールに恐れられ、疎まれたドゥルクは捕らわれた後、最果ての辺境の地に追いやられてしまう。結局ドゥールは正妻との間に生まれた五人の子に諸州を遺し、それが今の護国の元になっているというわけだ。
「まあ、その辺境というのがこのあたりさ」
森の中を先に進みながら、ディトワは数奇な運命をたどった小国について話す。
「……最果てにしちゃ随分近場な辺境だな」
ディトワは薄く笑みを浮かべ、すぐ真顔へ戻った。
「おれたちの一族に伝わる話は、一般に知られているのとは違うのさ。ドゥルクはドゥールに遠ざけられたのではなく、むしろ、彼の正当な後継者となったんだ」
今は亡き小国ドゥルフは、護国建国の祖、剣王ドゥールの密命により興された国だった。
おれたちのよく知る剣王ドゥール伝説――つまり、護国一統国教の聖典『剣王ドゥール正統紀』における一般常識的な護国建国史――によれば、一介の剣士に過ぎなかったドゥールはある日、彼のあがめる『名のない神』からの啓示を受け、同時に豪剣『ドゥーリガン』をも授かった。
彼はそれを用い、勇敢な仲間や部下たちを率いて、竜どもや悪しき魔法、妖術を使う悪鬼たちをつぎつぎ討ち滅ぼしていった。
彼は世界を平和に導いた救世主だった。
ただ、『正統紀』に妾腹ドゥルクの名はない。
ドゥルクに関する記載があるのは、異記とされる『ドゥルクの記』という外典だ。
外典は聖典ほどの信憑性はないとされていて、暴虐なドゥルクの行動を劇的に感じるからか、歌奏専門の吟遊詩人たちはむしろドゥルクの話を脚色し、好んで歌う。おれが幼いころに聞いた吟遊歌は、そのひとつだ。
「剣王ドゥールは、化け物どもをこの世界から退けた。……おまえもゴルエで見た、あのもやの向こうへな」
洞窟内で見た異界へ通ずるあの黒々しいもやの奥の、さらに深い闇を思い起こす。
ディトワは立ち止まった。
そこは繁茂する木々の間にちょっとだけできた隙間、空き地だった。
高くそびえる樹木の上空から、葉の落ちた枝の間を縫い微細な筋となった陽光は、地表に積もった落葉を明るく、暖かい色に染め上げていた。
「昔……マチウスはよくここで稽古をしていた」
見ると、空き地を取り巻く樹々の表皮に、木剣でつけたらしい古い傷が無数に残っている。
ある傷は長く広く、またある傷は深々と、当時の稽古の凄まじさや、傷をつけた当人の非凡さを物語るような痕だった。
ディトワは空き地の中央を鍬で掘り始めた。
掘りながら話を続けた。
「ドゥールは……自分の正妻に生ませた五人の子どもに満足しなかったらしい」
「諸州を治める跡継ぎとして……ってことか?」
穴を掘り広げながら、質問した。
「そうじゃない。土地や財産なら受け継ぐのは普通の人間でもいい。だがドゥールの関心は、そういう世事にはなかったようだ。……彼は神から授かった使命を受け継ぐ者を探していたんだ。のちに諸州を興した五人の子はいずれも彼の基準には達しなかった」
「……神の……使命?」
「ああ。一度は完全に退けた化け物どもがいずれ戻ってくると知っていたんだろう」
ディトワはいったん手を止め、額に流れ落ちる汗を袖でぬぐう。
「剣王は、妾腹のドゥルクにその可能性を見いだしたんだ」
それは奇妙な、けれども真実だけが持つ、力強さを感じる話だった。
剣王ドゥールは妾腹の子ドゥルクを、自身の使命を受け継ぐ真の後継者とし、彼の豪剣を譲り渡した。
――この地上に仇なす勢力から、人知れず人々を護る。
誰にも知られず、したがって誰の評価も称賛も得られず、名声とも報酬とも無縁の使命だ。
それは、つらく、苦しく、この世では決して報われぬような、犠牲と奉仕を強いられる任務なのだ。
「……刑罰だったんじゃないのか? 兄弟殺しの」
まともに考えれば、そんな仕事は血縁はもとより、実際は他人にだって強いることを躊躇するだろう。
「俺なら……自分の最も大切な使命は、最も信頼できる人間にまかせるだろうな」
「ドゥールはドゥルクをそこまで信頼していたと……」
ディトワはおれをふりかえる。
「ほかの誰にも任せられないことを委ねる。それを命がけで受け取る。よほどの信頼と絆がなければ成立しないことだ。形はどうあれ、剣王ドゥールと英雄ドゥルクの間には、余人には理解できないほど強い、父子の愛情があった。……俺はそう思うな」
彼の視線はおれを素通りし、背後の木箱にあった。
その関係をマチウスとのそれに置き換えようと考えているのかも知れなかった。
「はじめは、護国の農業国キスルあたりに住んでいたらしい」
作業を再開しながら、ディトワは話す。
「ドゥルクがか?」
「そうだ。そこでドゥルクは自分と共に闘う人々を集め、鍛え上げたらしい」
かつて見たことのあるのんびりした様子のキスル人から、化け物たちを相手に闘う手練れの剣士の姿を想像することは困難だった。
「やがて、最強の軍隊ができあがった。彼らはすぐに、この場所へ移住してきた」
「……それが、小国ドゥルフの基となった」
ディトワはうなずくかわりに、顔を上げておれの目をまっすぐに見た。
「そうだ。俺たちの一族は生まれながらに『かの地』からの侵略と闘うことを宿命づけられている」
やがて『竜減』をはじめとし、小国ドゥルフは奇剣ドゥーリガンの遣い手である強力な剣士を多数擁するようになっていった。
それはこの地上を悪しき力から護り抜くために必要な武力だったのだが、周辺他地域の人間は、ドゥルフのその強大な力ゆえ攻め込めず、また攻め込んでも来ない不可思議で不気味な国家と考えていた。
ドゥルフの存在は彼らにとっては大いなる脅威だったのだ。
「剣王は死ぬ間際、諸州を治める五人の子らに、ドゥルフに触れてはならないと言い遺した。その存在を秘して関わらぬようにせよと命じたわけさ」
以降、小国ドゥルフに関わるすべては、諸国の禁忌となったのだった。
「ドゥルフとのつながりを秘匿するため、結果として『ドゥルクの記』は聖典に加えられなかった。異記とし、異端とすることで『かの地』の侵略のことも、おれたちに関することも歴史の闇に隠してきたのさ」
「だが、どうして? 異界の侵略なら、世界中の人間と協力してあたったほうが」
「そう考えたこともあった。けどな、マーガル。考えてみりゃよくわかることさ」
穴を掘りながら謎をかけられても、集中できない。
おれは黙っていた。
「……世界中の人間へ、化け物どもの呪いと恐怖が広がるのと、だれかが代表して呪いを受けるのとでは、どちらがより幸せかってことだな」
聞いたこともない理屈。
「全世界の安寧のために、身代わりとなって呪いを引き受けろ、だなんて」
「仕方ないだろう。事実、剣王ドゥールその人がそういう戦いを始め、おれたちの始祖はその使命を受けちまったわけだし」
ディトワはおどけたように肩をすくめた。
「だからといって……」
「まあ、そんなわけで、長年聞かされてきた北方の『蛮族』のうわさってのは、実は俺たちのことだった。ここらに近づく者を牽制し、ドゥルフの存在と名が公にならないようにしていたわけさ」
時は過ぎ、数少ないドゥルフ開国の真相を知る人間たちはすっかりいなくなった。
地域同士の離合集散を繰り返しながら諸国は力をつけ、おそらく、小国ドゥルフの存在とその使命とは完全に忘れ去られていったのだ。
その後、悲惨な兄弟国同士の争いを緩和しようとして考案された五ヵ国の連合締結時、公には秘されている小国ドゥルフの存在は邪魔になったようだ。
というのも、連合化の中心となったのは、五ヵ国に隠然たる宗教的支配力を持つ聖主国ミーナスであり、彼らの報ずる聖典『剣王ドゥール正統紀』にドゥルフの起源は記載されていなかったからだ。
歴史を同じくする兄弟国の一致という歴史的意義のある政策に、そもそも妾腹ドゥルフの興した小国のはいる余地は存在しなかった。
そればかりか諸国は、とうとうドゥルフの武力を恐れ禁忌を破った。
密かに蛮族討伐の名目で連合軍を組み、攻め入り、小国を人知れず解体してしまったのだ。
だが、ほどなく各国は、ドゥルフの排除がとんでもない過ちだったと気づく。
「初めてノヘゥルメやマコロペネスを見たときのやつらの顔は見物だったぜ」
ディトワは最後の土くれを穴の底から外へ放り出し、不敵な笑みを浮かべた。
「やつらは結局俺たちを生かしておくしかなくなった。化け物の相手をずっとやらせようって魂胆だ。それでも、俺たちの中からディラスみたいなお飾りの選王を立てて、実質は各国から持ち回りで衛士や政務執行官を出す程度しか協力しない。おまけに……ゴルエを護る以外の、ドゥーリガンを使うまっとうな剣士は諸国との戦いでみな死んでしまったから、剣士の血筋は年々細くなっていくというのに、何の手だてもないんだ」
「……いっそ、やめてみたらどうだ」
木箱の端を抱え、引きずりながら、穴の中のディトワに手渡す。
「……そうだな、この世に化け物があふれ出しちまうけどな。みんな化け物退治に必死で、くだらん人間同士の争いはなくなるかも知れん」
掘り終えた穴はマチウスのはいった木箱にぴったりの大きさだった。
「そうなれば、ドゥーリガンを学びたいやつが大勢村に来るぜ。婿養子になれるとあれば、巷にあふれる農家や商家の次男坊、三男坊からよりどりみどりだろうさ」
ふてくされたようなおれの軽口にディトワは声を出して笑った。
「痛覚を喪ったと分かった時点で、おれの選択肢はおまえを鍛えて『竜減』とし、一族に迎え入れることしかなくなった。けどな……マチウスは最初から、おまえを気に入っていたらしい。いまは俺もそうさ」
「……それも、おれをここに留める手のひとつかい?」
余計なことばを発し、する必要もない後悔をする。
「そう言って留まってくれるなら、この先、何度でも言うさ」
ディトワは笑顔を崩さなかった。
かれの必死な思いをその表情の裏に感じ、おれはそれ以上しゃべらず、木箱を埋める作業を続けた。
「墓標は?」
埋葬を完了させ、少し盛り上がった地表を見ながら言う。
普通はその剣士愛用の剣を墓標代わりにそこへ突き立てるものだ。
「必要ない。マチウスはここで死んだわけではない。……亡骸はここでも、彼はここにいる」
そう言ってディトワは自分の胸を指す。
その同じ指でおれの胸元をも指した。そうしてその場に座り込む。
彼は祈りのことばを口にした。
おれも立ったまま黙祷を捧げる。
「だが……そうは言っても血を分けた息子に先立たれるのは、親として悲しいもんさ。……悪いが、ひとりにしてくれ。しばらくここにいる」
祈り終えたディトワは、言いにくそうな顔でそうおれに頼んだ。
その場を立ち去ろうとして、彼をふり返る。
最後の質問をした。
「なあ、竜はいつ来るんだ?」
「すぐさ。だからそのときまでに、おまえを少しでも強くしなけりゃならん」
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