実務継承
翌朝早く、おれたちはマチウスの遺骸のはいった木箱を積み、ゴルエに向かい出立した。
見送りはセオバルトと、あの気の強そうな若者だけだった。
「ディトワさまにくれぐれも……」
「ああ、シグルトの一件は伝える」
おれの返事に彼らは頭を深く下げる。
ヒルガーテはオド香の踏板を軽く二回踏んだ。
グマラシ車はゆるやかに動き出す。
ベイラの具合は良さそうだ。
村のゴルエ側出口に近づくと、ヨツラの姿を発見した。
釈放されたガリエリら農道盗賊団の残党も一緒にいる。
やつらは一様に薄ら笑いを浮かべていた。
「マーガル、あとで遊びに行くぜ!」
背後にそう叫ぶヨツラの声を聞いた。
行きとは異なり、帰りの道中、おれたちは互いに無言だった。
昨夜の件で気まずい思いは当然あるが、おれは彼女の行為そのものよりも、その後聞いた話に気をとられ、考え込んでいたのだった。
一昼夜安静をとったとはいえ、メスグマラシのベイラは巨怪との戦闘でかなりやられていたらしく、走る速度は上がらなかった。
結局ゴルエに到着したのは午後になってしまった。
ディトワは荷台にひとつだけ置かれた木箱を不審そうに見て、おれたちに尋ねた。
「なにがあった? マチウスはどうした?」
丸二日以上も連絡なく、村から帰還しないのでは、心配して当然だった。
ヒルガーテはことば少なく、かいつまんで事情を説明した。
「……そうか。わかった」
聞き終わると、眉間に深いしわを刻んだディトワは、いまやマチウスの棺となった木箱に近づき、荷台から降ろそうとした。
「……一瞬だったんだな」
ぽそりと言う。
おれも彼を手伝い、棺の端を抱えた。
「おれたちは……不死身であって、不死ではない。肉体の基幹となる部分を一度に失えば……こうなることもある」
抑揚に欠ける平坦なその言い方に、彼の悲しみの大きさを感じた。
「……マチウスは強かった。ひとりでノヘゥルメを三人も斃した」
「……そうか」
「おれのせいだ。おれをかばって……」
なんと言えばよいかわからず、ことばは途切れたようになった。
「彼は使命に殉じた。……そう考えてくれ」
ディトワは自分を納得させるかのように言う。
「使命、なんのだ? あんたの後継者なら、彼がなるべきだったんじゃないのか?」
思わず言い返していた。
昨夜おれとヒルガーテとの間にはなにもなかったが、衝動的にも感じられたその行動の背景について、多少は聞き出すことに成功していた。
おれにはディトワの後継者として『竜減』を継ぐ使命が持たされているのだそうだ。
村人にそう呼ばれるから、うすうす想像もついていた。
けれど、本人の了解や同意を得ないまま、勝手に話を進められるのは困る。
この際、ことの真相を洗いざらいぶちまけさせるつもりだった。
「後継者か。……結局、呪いは彼を選ばなかった。マチウスはそういう身体のつくりではなかったんだ」
やはり、細かく聞いていかなければ。
ただ話をされてもその意味はよくつかめない。
木箱を台車に載せ替えた。
どこへ埋葬するつもりなのか。
「呪いが……選ばない、とは?」
ディトワは顔を上げておれを見る。
充血した赤い目をしていた、
「呪われて痛覚を無くす、ということが、『竜減』になるための第一条件だ。マチウスはその条件を満たせなかった」
簡単に言うと、この呪いの本質は、呪いを受けた人間を、あの巨怪たちのような、別な生物に造り替えていくというところにある。
血液が黒くどろどろとした液体になったり、感覚を喪うのは、その変化、変質する過渡期の出来事らしい。
不死身性を獲得するのは呪いの初期現象で、その後、残された日数により剥奪される感覚の種類や数は増えていく。
痛覚は生命を保持するために具体的に身体の動きを制限し、恐れを抱かせることで、自分の身体にそれ以上の損傷を受けるのを防ぐ、重要な生体機能だ。
だが、それは戦闘時にはある意味不必要な感覚でもある。
人外の巨大生物を相手にするためには、怪我にも致命傷にも耐えられる不死身の肉体は都合がいい。ただし、不死身であることと、身体の痛みに耐えられるということは同義ではない。
手を失おうと、足をもがれようそれを気にせず戦い続けられなければ、やつらには勝てないのだ。
つまり最強の守護剣士『竜減』となるには、まず、呪いの初期段階で痛覚を喪失しているということが必須なのだった。
「マチウスは、最初に嗅覚を失った。触覚も失いつつあったらしい」
呪いによる感覚の喪失には個人差や程度差もあるとヒルガーテから聞いた気はする。
「それじゃもうひとつ。ヒルガーテを……おれの従者としてよこしたのはなぜだ?」
いささかためらいながらディトワは語る。
「子孫を得るためだ」
「なんだと?」
「『かの地』の生物に対抗するためには、ドゥーリガンの剣と剣技でなければならない。だが、ドゥーリガンは一子相伝の秘伝だ。一族以外には伝えられない」
「おれは違うぜ? 雇われの身で、しかも他国人だ。あんたたちとは縁もゆかりもない」
「分かってるさ。……マチウスの話に、だから俺は乗り気じゃなかった」
彼らの話を鵜呑みにするなら、おれの住む護国の建国期から、彼ら一族は人知れずここで『かの地』の侵略を食い止めていた。
いまやその一族の血統もわずかとなり、やむを得なく、外部から『婿養子』を迎えようとしていたのだ。
流れる血は違っても、家族の一員となるならば、ということだろう。
古びた掟に沿うための、最大限の譲歩とも言える。
御者台に座り、こちらに背中を向けているヒルガーテに目をやった。
彼女は肩を落とし、うなだれている。
「……彼女は昨晩、おれのところにきた。……その、……それが目的だったんだな」
「マチウスの死に、つい、あせっちまったんだろうな」
ディトワの軽薄そうな言いぐさに、とうとうおれは怒鳴ってしまった。
「いいかげんにしてくれ! 後継者だとか子孫だとか、ひとをなんだと思ってる!」
一方的に利用されていたことに腹が立つ。
それ以上に、人の気持ちや感情をまったく無視したやり方に嫌悪感をおぼえた。
「そんなに後継者が欲しければ、あんたたち同士でなんとかすればよかったじゃないか! 男ふたりに女ひとり、うまくいけばふたりも子孫ができたはずじゃないか!」
「やめて!」
ヒルガーテは御者台上から、非難の声を上げた。
「それはできない……」
ディトワはあっさり否定した。
「どうしてだ? どうせ彼女の気持ちだって関係ないんだろう? 掟のため、一族のため、世界のためなら、なんでもやればいいじゃないか」
「マチウスはヒルガーテの父親だ」
「なんだって?」
「ちなみに俺はマチウスの父親だ」
思いがけない展開に頭は寸時混乱した。
「あまり似ていないのは呪いのせいかもな。俺たちは年齢も実は相当離れている。年をとりにくいのも呪いの効果のひとつなんだ」
見た目三十歳前後のディトワが実は齢百を越えているらしいことはマチウスの話から知ってはいたものの、そのマチウス自身、外見上は二十代後半に見えて、すでに五十歳を越えていたということだった。
「近親者交配というのは最後の手だった。おまえが現れなければそうなったかも知れない」
おぞましい話をこれ以上聞く気にはなれなかった。
「やめてくれ、もうたくさんだ! おれはやめる! ここを出て行く!」
「呪いはどうするつもりだ」
――そういうことか
「仕組んだんだな、すべて。……おれをここへ引き留めるために」
ディトワは困ったような顔をした。
「いろいろ仕組んでいたことは事実だが、すべてその通りにはいかなかったよ」
「そうだろうさ。マチウスは死んだしな」
意地悪そうな声音でうそぶき、すぐ自己嫌悪に陥る。
「おまえが先にノヘゥルメを斃してしまったというのが、そもそもの見当違いさ。そうでなければ、村娘の誰かでもよかった。優秀な剣士の血が一族にはいるなら、それでも構わないとな」
ドゥルフェン村の挑発的な娘たちを思い起こした。
……にしても、ますますひどい話だ。
「だったら、マチウスやあんたでもいいじゃないか。一族であっても血縁じゃない」
話の穴を突く。
ディトワは首を振った。
「おれたちは……呪われている」
「おれも呪われているんだぜ?」
いまひとつ納得のいかない回答だ。
「ああ、だからおまえももう村娘じゃだめになった。呪われた者との間に子どもができると……子を産んだ女は必ず死ぬんだ」
「え? ……だが……じゃあ……」
おれの思考が完全にまわりきる前に御者台からヒルガーテは答えた。
「覚悟の上で、そう決めた」
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