実務初夜
ノヘゥルメの死骸もまだ片付けられていない広場には、ルフ城から来た衛士隊と数台のグマラシ車が到着していた。
牽引車に曳かれる客車には、ヴァイゼルヴェルト王家の紋章らしき浮き彫りも施されている。
客車の後方に続くグマラシ車を見て、村人たちは口々に叫び声を上げる。
そこには大きな荷台の上にノヘゥルメが縛られ横たえられていた。
頭部にはめられているのは弧円だろうか、ずいぶん大きい。
しかも、それをはめられているためか、やつは『死せる生者』のように固まったまま身動きもしなかった。
「まだいたのか」
「昨日逃げたやつです。ほら、矢があんなに」
うめくおれにセオバルトの解説もはいる。
たしかに上半身のあちこちに、見たような矢と、燃え尽きた火槍らしき棒も突き刺さっていた。
武器を持っていないことに不安を抱いた。
「おれのドゥーリガンを持ってきてくれないか」
そうささやくとセオバルトはうなずき、側の村人に指示を出す。
「マーガル! 剣士マーガル!」
すでに村を見回っていたらしい政務執行官シグルトは、遠くからおれの姿を見かけたらしく、人垣をかき分け、大きな声を出してこちらに向かってくる。
素早く頭を垂れたセオバルトの姿を見て、おれも渋々家士の礼をとった。
「マチウスは気の毒だったが、貴殿は素晴らしい働きを見せたと聞く」
近づいてくるなりシグルトは調子よく、おれをそう持ち上げてきた。
「なんでもひとりで四匹も斃したそうだな。赴任後もう大手柄を立てるとは、さすが天才と謳われるだけのことはある。貴様の言ったとおりだな、ヨツラ」
聞きたくもないその名をまさかここで聞くとは思わなかった。
それに、斃した巨怪の数はふたりだ。
ひとりは不意打ち、もうひとりは助太刀のおかげで、やっと斃せた。
「よお」
政務執行官の背後からにやにや笑いの吟遊詩人が現れた。
手柄を水増しされるのは好まなかったが、それをただす間もなく、シグルトとヨツラにどうでもいい話をされる。
やつらの息継ぎする隙間に、口を挟んだ。
「一昨日、城からの使いという人間が村を訪れたそうですが」
「そうそう、その話だった」
ヨツラはちょうどよい話題を振られたと言わんばかりにふたたびしゃべりだした。
「なんでも報告によれば、ここの村長はシグルトさまの申し出を拒否したとか。おまけに」
「どうも怪しい輩で。……この惨状も彼らの仕業かと」
セオバルトがすかさず口を挟んだ。
ヨツラは話を遮られ、不満そうに彼を見る。
シグルトはヨツラを制し、誰何する。
「……貴様は?」
「申し遅れました。……この村の世話人を務めるセオバルトと申します」
「ふむ、城の使いを捕らえ、監禁したと聞くが、して、なにか手違いでもあったのか?」
シグルトはあらためてセオバルトに問いただす。
彼から事の次第を聞くと政務執行官はうなずき、捕らえた使いを連れてくるように命じた。
やがて、後ろ手に縛られ、腰を縄でつながれたもと農道盗賊団たちは広場のおれたちのもとに引き出されてきた。
「縄を解け」
おれは耳を疑った。
シグルトの次のことばはさらに信じられないものだった。
「いかに怪しかろうと、ヴァイゼルヴェルト王の命を受けた使者を監禁するとは、王への反逆にも等しい行為。ノヘゥルメに蹂躙されたのも天罰として至極当然のことかも知れぬ」
「……シグルトさま! お、おことばですが、われらは……」
弁明をはじめようとするセオバルトにも構わず、やつは容赦なく通達を下した。
「ドゥルフェン村はしばらくわれらの監視下に置く。長年、その役割といままでの功績により、徴税を見逃され、ほかにもさまざまな特典を施されてきたが、今回ノヘゥルメを取り逃がし、危うく城下に混乱を招くところだった。その失態は重い。また、使者を追い返すとは、反逆の意思もかいま見える」
「お待ち下さい!」
セオバルトの顔色は蒼白となる。
「一方的ないいがかりじゃないか」
シグルトは話に割り込んだおれを無表情な目で見返してきた。
「剣士マーガル。貴殿には関係のない話だ」
「……おれも選王に雇われている剣士。もうルフの人間だろう?」
強く断定され、一瞬気圧されそうになるものの、なんとか食い下がる。
「では言い直そう。これは貴殿の雇われる前からの問題だ。いかな『後継者殿』といえども、ルフの民でないものには分からない事由だ。それに、雇われているというなら、新参の雇われ剣士風情が口出しできることでもない。これは勅命なのだ!」
そう言われては黙るほかはない。
「マチウスさまなら……」
セオバルトの口惜しそうな小声に、おれも唇を噛んだ。
結局、その日シグルトたちは村に駐留した。
村をうまく逃げ出せた盗賊の報告で、急遽ノヘゥルメ討伐隊が組まれたということだが、そもそもノヘゥルメや村人の目をかいくぐり、村を抜け出して報告したやつは本当にいるのか。
あまりにも手際がよすぎる。
まるでそうと知っていたかのような動きじゃないか。
村で起こったことやマチウスのことをディトワに知らせたいとはやる気持ちはあっても、ヒルガーテのグマラシはデュルケスとの戦いにより安静を必要としていたので、おれとヒルガーテはもう一晩この村に泊まることになった。
実際、おれだけでも歩いて戻ろうと考えたが、ゴルエまでは夜通し歩き続けようやく翌朝到着するほどの距離だ。
全速力で走るグマラシ車なら早朝に村を出発しても昼前には到着するから、到着の時間はそう大きく違わないうえ、疲労をとるためにも泊まってくれとセオバルトに懇願された結果のことだった。
確かに彼の言うとおり、それならマチウスの遺骸も一緒に持って行ける。
もっとも、別の視点で勘ぐるなら、セオバルトは、取り逃がしたノヘゥルメや、いわれのない理由で村に居座るシグルトたちのいるいま、頼りになりそうなおれたちを少しでも長く村に留めおきたいと考えたのかもしれないが。
案内された家屋は村人の供出してくれた一軒家。そこが宿がわりだ。
室内の暖炉にはたっぷりの薪で火がおこされていて暖かい。
食卓には湯気の立った豪勢な食事と、この村特製の地酒も用意されていた。
村は半壊状態なのに、おれを手厚くもてなす村人たちの心情を推し量ると、胸に熱い感情もこみ上げてくる。
それは単に彼らの親切に感動したということだけではなく、自分の無力さを痛感した申し訳のない気持ちの混ざったものだった。
昨日からまったく寝ていないので、食事もそこそこに、ふかふかの寝具へ倒れ込むようにして潜り込む。
どれくらい熟睡していたのか。
薪のはぜる音で、おれの意識はまどろみの状態に戻った。
かすかな息づかいの響きを聞く。
自分のものではない。
寝具の片側に傾きを感じた。
急激に戻りかける意識の中、枕脇に置いた短剣へ手を伸ばした。
「な……なんだ!」
そこにやわらかな毛髪の感触を得て、ついにおれは目覚めた。
あわてて飛び起きる。
おれの傍らに横たわっていたヒルガーテは、おれをまぶしそうに見上げた。
寝具から飛び出したおれの動きで、寝台の毛布は床にずり落ちた。
寝床に横たわる彼女は、一糸まとわぬ全裸だった。
暖炉の赤い火に上半身のふくらみや下半身の翳りは、まるで浮かび上がるように目に飛び込んでくる。
あわてて顔を逸らし、おれは怒鳴った。
「いったい、きみは!」
眠気は完全に吹き飛び、頬に血も上ってくる。
のろのろとした動きで落ちた毛布を床から取り上げ、身体を隠す彼女を目の端に捉え、おれは首をもとに戻し、ようやく相手を直視できるようになった。
ヒルガーテのほうはおれを見るでもなく、首をかしげ、うつむき気味にうまく視線をずらしている。
黒髪で顔半分は隠れ、その表情はよく分からない。
「女従者だから……というのでは説明にならない?」
わずか首を上げ、彼女は上目遣いにおれを見た。
広く喧伝されるわけではないにせよ、もともと女従者にそういう役割もあるとは知っていた。しかし、これまでの言動から、彼女にその役割が課せられていたとは思いがたい。
「疲れているの? でも、若いから大丈夫でしょう」
恥じらうような表情を浮かべつつ、ことばはその手の商売に従事する女であるかのように誘う。
その落差はかえっておれを無口にさせた。
無言で佇むおれにいたたまれなくなったのか、彼女は再度誘いをかけてきた。
「私ならいいの。……する、の? ……しないの?」
今度はことばの端のわずかなふるえを聞き逃さなかった。
これは彼女の本意ではない。
なにか別に理由のあることなのだ。
「やめてくれ。本心からなら……いや、たとえ本心だとしても、こんなしかたじゃ、おれも……きみ自身も傷ついてしまう」
ヒルガーテはおれの顔を見つめた。
胸元に毛布を引き寄せ、小ぶりで形のよい乳房を完全に覆い隠す。
見開いたその目から涙があふれ、毛布の上につぎつぎとこぼれ落ちていった。
「時間がない。早くしないと手遅れになる……」
「竜が現れると言うんだろ? だが……まだ日数はあるはずだ」
彼女は涙をぬぐうこともせず、かぼそく声を出した。
「……来るのよ。私には分かる。もう間もなく」
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