第七章 実務

実務協定

「呪われた者は不死身なんだろ!」

 日の出を間近にひかえた家の一室で、木箱を前におれの声は奇妙にしわがれて響いた。

 その場のだれもが無言だった。

「なぜ回復しない。なぜ起き上がってこないんだ」

 木箱の中にはマチウスの残骸が布に包まれて横たえられている。

 彼の肉体から出たどろどろの黒い体液がしみだし、もとは白い布のほとんどを、いまは黒一色へ塗り替えてしまっていた。


 デュルケスの投げた木剣はマチウスの半身を粉砕し、壁との間でおしつぶした。

 人としての原型をとどめないほどの悲惨な状態だった。


「おれをかばったんだ」


 それ以上ことばは出てこなかった。

 出会ってまだそれほど経ってもいない。完全に気を許したわけでもない。

 なのにマチウスの不在はおれの心の中に大きな穴を開けていた。

 初めての戦友だからなのかも知れない。


 数人の村人はすすり泣いている。

 マチウスは村人にも相当慕われていたのだ。


 ヒルガーテは木箱の前でうなだれ、両手で顔をおおっていた。

 自然に出る嗚咽を意思の力で抑えようとしてかなわず、その肩は小刻みにふるえている。


「後継者さま……」

 あの最年長の男セオバルトは背後からおずおずとおれに声をかけてきた。

 物言いもこれまでとは異なり、ていねいなことばへ変っている。

「マチウスさまはお気の毒です。……ですがあの方がお亡くなりになったいま、ご相談する方は後継者さま以外おられませんので」

 そうことばを切って、こちらの出方を待つつもりか、おれを見る。

 沈痛な面持ちを薄明に浮かび上がらせているくせに、この男はこんなときになにを相談しようと言うのか。


「……マーガル」やっと、絞り出すような声で応えた。

「はぁ?」

「おれの名前だ。……後継者と呼ぶのはやめてほしい」

「これは……失礼いたしました。それでは改めまして。私はセオバルトと申します。これまで村の世話役をいたしておりました」


 腰を折って深々と辞儀をする彼の、もともとのこの村での役割がどういうものなのかよくわからない。

 まだくすぶり続ける家屋の消火や、マチウスの死骸をここまで運ばせたりする指示の出し方からすると、崩落した自家の下敷きとなった村長に次ぐ人物のようだ。過去形で言うところを見ると、いまは暫定村長にでもなっていると考えているのか。

 おれは村の新たな責任者にとりあえず頭を下げた。

 セオバルトは部屋の隅におれを誘う。


 彼の話というのは、村を訪れたルフ城からの使いに関することだった。

 マチウスやおれの名を出し、例の木箱を持ち去ろうとしたらしい。

「……むろん、断りました。……というのも、あの木箱の中身についてほとんどなにも知らないようでしたので」

 おれもつい数刻前に知ったばかりだ。

 セオバルトはいっそう小声となった。

「捕らえてあります」

「え?」

 いったんは引き下がったが、そいつらは諦めきれず、村へ戻ってきたというのだ。


「さきほど、空き家に隠れているのを見つけて……どうやらこの騒ぎのもとはその者らのしわざらしいのです」

 悲しみにふける村人たちをそのままに、おれたちは連れ立って静かにそこを離れた。



 村はずれの納屋には男が三人縛られていた。

 足もとに、鈍色に輝く金属製の輪も六つ置かれている。

 城の地下で『死せる生者』の頭にはめられていた冠。

 マチウスから聞いた『弧円』とはこれのことらしい。


「後継者さま」

 あの気の強そうな若者はおれの姿を見ると、深く腰を折る。

 おれに見せていた、先のような猛々しい態度はすっかり改まっていた。


「様子はどうだ」

「変らずです」

 セオバルトの決まりきった質問は、若者の月並みな返事で返された。

 窓もないから、夜明け頃といってもまだ暗い室内には、壁の架台に載せられた松明がひとつ掲げられている。

「明かりを」

 セオバルトの指示に若者は架台から松明を取り外し、捕縛されている男たちの顔を照らし出そうとその正面にしゃがむ。

 炎を彼らに近づける。

「後継者さま、どうぞ。検分をお願いします」


 マチウスならともかく、雇われたばかりで城の人間の顔など覚えてもいない。

 そう伝えると脇のセオバルトは顔を曇らせ、ここへおれを連れてきた真意を話す。


「……ご存じなければそれでもいいのです。城の人間であれ、どうであれ、この災厄をもたらした者には、相応に償ってもらうつもりですから」

 私刑でも行うつもりか。

「じゃあ……おれの来た意味はないな」

「いえ、身元確認は別です。決まりですから。ご覧いただければそれでいいのです」

 見ていたとなると、しらは切れない。


 罪悪感の共有、共同正犯になれということなのだ。


「顔を見せるんだ」

 荒々しいことばと手つきで、若者は被疑者の毛髪をつかみ、無理矢理おれに顔を向けさせた。


 城の人間の顔は知らなくても、そいつの顔だけは覚えている。


「……ガリエリ」

 自分の名を呼ばれ、やつはこちらを見上げた。

 おれに気づくと驚いたように声を上げる。

「あ、あんた! マーガル! ……さま」

 

 二、三のやりとりで、ガリエリたちは木箱を持ち出すよう依頼されたことだけはしゃべった。

 しかし依頼者の名はいくら訊いても明かさない。

 彼らなりに仁義はあるらしい。


「中になにがあるかは知らなかったもんで、おっかなびっくり中身を見たんでさ」

 仁義はあっても、さすが盗賊。

 その行動は卑しく、やはり信用はならない。

「仲間が、死体のくせに冠なんかもったいねぇって、それを外しちまって」

 ガリエリの視線は床に移る。

 あらためてそこにうち捨てられた『弧円』を眺めた。


 おれの目には、たいした値打ちものにも見えない。

 しかし、丸くて光るものには興味を示す。

 それが盗賊の習性というものなのだろう。


 つまり、鳥並の脳みそしかないということだ。


「気がついたら、うしろにあの化け物が……ありゃいったいなんですか、旦那?」

 ガリエリは媚びるような口調で尋ねてくる。

 旦那呼ばわりも迷惑だ。

 それに、おれには依頼者の正体も想像はつく。


 これ以上こいつらと話すことはなかった。

 立ち上がるとセオバルトに言う。

「……済まないが、手荒なことは控えてほしい。背後にいる人間の目的を調べたい」

「村のものは納得しないでしょう」

「村人を抑えることも指導者の……次期村長の重要な資質じゃないのか」

 セオバルトはなにか考えを巡らすように首をかしげた。

「あなたの要請を断れば、指導力はないと城に報告されるのでしょうね」

「そうは言ってない」

「お若いのに、よくこういったかけひきをご存じだ」

 彼は感心したようにつぶやく。

 生家で商売上の生臭いやりとりを日常的に見ていたせいか、この程度の交渉ならわけもない。

 それに商人はもっとあざとい手を使う。


「いいでしょう。……みなにはよく言って聞かせます」

 あっけなく彼は合意した。

 


 納屋を出ると朝日に照らされ、周囲はすっかり明るくなっていた。

 夜通しの戦闘と事後処理に身も心も疲れ果てていることに気づいた。


 陽の光に見る村の様子は、想像以上にひどい。

 いく筋もの黒煙はいまだ村のあちこちから上がり、消火の遅れを明示している。

 崩壊した家屋から家族総出で家財を引っ張り出そうとしている人々。

 地面に横たわった遺骸の上に泣き崩れている、未亡人となったらしい若い女。

 だれもかれもが自分や家族、家屋のことに精一杯で、おれを顧みるものはひとりもいない。


 マチウスをいれた木箱のある家に戻った。

 室内にはだれもいなかった。


 おれは壁際に立てかけてあった粗末な木製の丸椅子に腰かけると、壁に背中を預けて目をつぶる。


 どこか、小さな衣擦れの音を聞いた。


 目を開けると、木箱を挟んだ差し向かいの部屋奥にヒルガーテの姿を発見した。

 彼女はその暗がりで土間にべったり座りこみ、両膝を抱えたままじっと木箱を見つめている。

 外界の変化には一切興味のない様子で、その眼は一点を凝視していた。


 なんと声をかけるべきか迷ったすえ、おれは黙ったまま彼女と同じに、マチウスのはいった木箱を眺めた。

 互いに身じろぎもせず、ただ家の外から聞こえる人の声や作業の音だけが、部屋の空間にうつろな反響を作り出していく。


 知らず知らずのうちにおれはヒルガーテを眺めていた。


 といっても、目の焦点を合わせず、表情のないその顔を中心に、彼女の全身をぼんやりと視界に捉えているだけだった。

 どのくらいそうしていただろうか。

 彼女はおれの視線に気づいたらしく、何度もこちらをちらちらと伺うように頭を動かす。


 どちらからともなく、目が合った。

 遠目に見ているため、互いに相手の心情を推し量ることはできない。

 だが、おれたちは互いに視線を外すことができず、そのまま見つめ合っていた。

 

 やがてヒルガーテは口を開き、なにかを言った。

 小声でよく聞き取れない。

「え?」

 片耳を彼女の方へ向け、聞き取れなかったことを示す。


「後継者……マーガルさま!」

 いきなり家の扉が開き、セオバルトが闖入してきた。

「ルフ城から衛士たちが!」

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