実習完了
一度は覚悟を決めたものの、確実にやられると分かっていて正面から堂々と勝負を挑む気にはなれない。速さと重さを調和させるということの意味を、身をもって体験したいまはなおさらだ。
ひたすら逃げに徹するおれをデュルケスは遠慮なく追い回してくる。
とうとう広場に面した家の壁際に追い込まれてしまった。
背後には逃げられない。
正面に出て行けば間合いをはずされた上に、超速の打ちこみが待っている。
左右に飛んでもおそらく横なぐりの二撃目で仕留められてしまうだろう。
ここに留まり、やつの打撃をおとなしく受けるのはまっぴらだが、いずれにせよおれの命運もここまでらしい。
呪いにより不死身の身体になっていても、身体をつぶされて無事でいられるとは思わなかった。しかし、死の不安はない。死ねるとすれば遠い将来こいつらのような化け物にならないだけ、まだマシな死に方かも知れないじゃないか。
デュルケスは一度大きく息継ぎをし、自作の木剣を構えた。
やつも次撃で勝敗を決めようと思っているのだろう。
――が、せめて悪あがきはさせてもらう。あんたの一撃と同時に、前に飛び込んで……
おれは背中の大剣を抜き、ドゥーリガンと持ち替えた。
最後くらいは使い慣れた両手剣を使おうと考えていた。
家の梁に使われていた丈夫な木材を貫けるかどうかはわからないものの、初めてノヘゥルメと戦った際に使った手なら、ひょっとすると通用するかも知れない。
常に炎を背にして闘うデュルケスの表情は、陰におおわれ良く見えない。微細な表情の変化や視線により相手に自分の意図を探られないようにしているのだ。
そういう位置取りのうまさも、やつがかつて一流の剣士だったことの証しだろう。
やつの身体から出る殺気だけ、びんびんと伝わってくる。
刺青の巨怪は木剣を天高くかざした。
空気を裂く甲高い音とともに数本の矢が飛来し、いきなりデュルケスに命中した。
やつは気をそがれ、かすかに側面を向く。
その好機をおれは見逃さない。
一足飛びに正面へ出てその懐深くはいりこんだ。
やつは木剣を振り下ろすが、矢で打ちこみの呼吸ははずれ、打撃はすっかり勢いを殺されていた。
おれはそれを夢中でかわす。
「だ、あっ!」
渾身の力を込めた両手突きは、デュルケスのへそあたりに命中した。
大剣はやつの腹筋を突き抜け、吸い込まれるように握りあたりまで深々と埋まる。
「マーガル!」
側面からの攻撃はマチウスたちのものだった。
デュルケスは飛来する矢を打ち落とそうと、木剣を振り回しながら後退した。
上半身に今度は闇の中から飛んできた火槍もつぎつぎ刺さり、盛大に発火する。
火を怖れているのか、やつはかつての名剣士らしからぬ悲痛な悲鳴を上げた。
あわてた様子に身体へ突き刺さった火槍を抜こうとする。が、数本抜いたところでふたたび新たな火槍が飛来し、やつの努力を無にした。
「大丈夫か!」
走りよってきたマチウスは、満身創痍の姿をしていた。
衣服は引き裂かれたように破れ、その周囲には例の黒い体液のようなものが乾いてこびりついている。中にはまだ乾かず、たき火の炎を反映してぬめぬめと赤黒く照り輝く部分もあった。
「ああ、そっちは?」
ほっとしたせいか、状況をおもんぱかる余裕まで出てきた。
やはり味方は心強い。
「ひとり逃がした。火槍にびびっちまったようだ」
マチウスは悔しそうに舌打ちした。
ノヘゥルメの中にも臆病なやつはいるらしい。
「マチウスさま!」
あの最年長の村人、セオバルトだ。
続いて弓矢を持った村人もふたり、矢をデュルケスに射かけながら、おれたちに合流した。
「火槍はもうなくなりました!」
「見ろ、復活するぞ!」
彼らは変動する現況を口々に叫びつつ、矢立から素早く次の矢を弓につがえ、発射する。デュルケスはなにかをわめきながら、滑稽な仕草で残る火槍を身体から抜き出していた。
いまのうちになんとかしなければならない。
おれの大剣はやつの腹部に突き刺さったままなので、急ぎ、さっきの壁際に置き捨てたドゥーリガンを取りに戻った。
身をかがめてそれを拾おうとしたとき、短く鋭い声が飛んだ。
「マーガル!」
その直後、背後から強く突き飛ばされ、おれは家壁に激しく身体を打ちつけた。
背後に鼓膜も破れそうな破砕音を聞く。
「マチウスさま!」
最年長の村人は悲鳴を上げた。
状況をよく知ろうとふり返る。
すぐ横の地面は大きくえぐられ、深く掘り起こされていた。
そこに民家の壁をぶち破り、大きな梁が斜めに突き立っていた。
壊れた壁と巨怪の得物でもあったその大梁の隙間から……
ひとの足が一本生えている。
デュルケスは手製のドゥーリガンをおれに向かって投げつけ……マチウスはおれを突き飛ばし、身代わりとなってその飛剣の直撃を受けたのだった。
それは怒りというより冷たさ、炎ではなく氷に近い感覚だった。
――やつ、めぇ!
瞬時にわき上がる明確な殺意に戸惑う間もなく、おれは目の前の奇剣をひっつかみ、なにかで弾かれたように立ち上がる。
デュルケスは、矢を射る村人たちを素手でなぎ倒し、先ほど自分の破壊した家屋から、自分の手にちょうど良さそうな大梁を引き抜きはじめた。
おれはその隙を狙い、やつの足もとに駈け寄った。
側面から渾身の力ですねを打つ。
骨の砕ける音とたしかな手応えに加え、急に自分の左肩から力の抜ける感覚もあった。過度な衝撃に耐えきれず脱臼したのだ。
痛みを感じなくともそれくらいのことは分かる。
巨怪の足は奇妙な角度に折れ曲がり、片足の支えを失った巨体はがくりと膝をつく。だがやつは、引き抜いた得物を反撃のために振り上げ、背後にまわったおれへ向き直ろうとした。
首がこちらを向く前に、その股間をくぐり抜け正面にまわる。
ドゥーリガンを右腕一本で支え、右肩にかけた。
そのまま、思い切り前方に跳ぶ。
「っ、喰らえ!」
宙で寝かせた身体に回転を加えつつ、片膝をついているデュルケスのその膝頭に、遠心力で威力を増した一撃を打ちつける。ドゥーリガンはやつの膝蓋骨を割り砕き、その奥へまでめり込む。
同時にやつも梁を真一文字に薙いだ。
おれは空中で真横からの反撃を受け、打ち飛ばされる。
落下して地表に激突し、そのまま起きることもできなかった。
やつにしてみれば、片膝をつき腕の力に頼った一撃だから、斬撃としては弱いのだろう。しかし、か弱い人間にとって大型木材の直撃は、それなりに悲惨だ。
片側の肋骨は確実に全部折れただろう。
口内から噴き出す苦い味を感じ、右手の甲で口もとをぬぐってみると、べっとりと例の黒い体液がついていた。
内蔵にも損傷を受けたらしい。
両足を折りよつんばいになったデュルケスを横目に見ると、這うような動きでおれに向かってきていた。
このまま起き上がれないようでは、本当におしまいだ。
にわかに耐え難い頭痛に襲われた。
左肩と脇腹、身体の内部をまさぐられるような違和感をもつ。
――これは……
実際に聞こえるはずもないのに、体組織の蠢動する音を聞いた。
肩の肉はうねり、盛り上がりはじめた。
まるで離れた骨と骨の隙間を埋めるように、新しい筋肉はそこで作られていくように感じられた。
肋骨や腹腔内にも同様の動きを感じた。
損傷を被った体組織は急激に自己再生をはじめたのだ。
――やはり化け物だな、おれは……
超回復とでもいうのか、身体の各部に少しずつ力もみなぎってくるようだ。
――ということはやつや……マチウスも?
同じ化け物ならデュルケスも徐々に回復しているだろう。
上半身を起そうと全身に力をいれ、踏ん張る。
「ん、ぐぅ」
口からはしたなく声を漏らしつつ、なんとか上体は起き上がった。
気づけばデュルケスはすぐ間近までにじり寄って来ていて、しかも片足で立ち上がるところだ。
回復はおれより早いらしい。
絶体絶命の状況は、戦闘開始時といくらも変わってはいない。
むしろ悪いくらいだ。
「う、動け、動け!」
口から恥も外聞もなく、自分を叱咤することばが出た。
片足だけにせよ、やつはほとんど立て膝の状態で身を起こす。おれを見おろし、にやりと笑いながら手を伸ばしてきた。
顔と首をおおうほど巨大な手のひらで頭部をつかまれ、そのまま持ち上げられてしまう。
「ぐぅ、う!」
窒息しそうになり、おれは声にならない声を出した。
やつの手に力が加わる。
このまま頭を握りつぶす気か。
「いけぇーっ!」
夜闇さえ切り裂くような絶叫だった。
真後ろから聞こえた。
がらがらという音の響いた瞬間、どん、と強い衝撃を受ける。
デュルケスになにかがぶち当たったらしい。
顔をすっぽりやつの手に握られているので、状況判断はできない。が、明らかに巨怪は押され、ずるずると後退しているようだ。
その間に身体のあちこちは急に軽くなる。
ようやく回復したのだ。
やつの手首に足を巻き付け、丸太のような指を顔から引きはがそうと試みる。
その矢先、もう一度、新たな衝撃を受けた。
今度は後退するデュルケス自身がどこかへぶつかったようだった。
たぶん、広場を取り巻く家屋の壁だろう。
やつの手は大きく振れ、おれはふたたび虚空に放り出された。
着地時に身体を丸めて転がり、落下の衝撃を弱める。
最初に目に飛び込んできたのは槍毛を前に向け、巨怪の腹部に真っ正面からそれを突き立てているグマラシの姿だった。
デュルケスはその猛獣に押し込められ、押し戻そうともがきながらも、家屋の壁にめり込んでいる。
――メスグマラシ! たしかベイラといったか……
荷車の御者台にヒルガーテらしき姿を確認する。
ここからは黒髪の後頭部しか見えない。
おれを離し自由になった両手で、デュルケスはメスグマラシを引き離そうと必死になっていた。
前方に突き出し、周囲に大きく広がる槍毛の状態は、グマラシの過度の興奮時にしか見られない珍しい光景だ。
ひとりと一匹は、ともに荒々しい息づかいで、一進一退の攻防をくりひろげている。
「この子が押さえているうちにはやく!」
ヒルガーテはおれをふり返り、必死の顔で訴えた。
自分のドゥーリガンを探しても、どこに飛ばされたか見つからない。
左方の家屋にまだ壁と大梁に挟まったマチウスの足を捉えた。
その近くの地面に、たき火の炎を反映し鈍色に輝く彼の得物を発見する。
急いでそこへ向かった。
――あれじゃ回復にも時間はかかるだろうな
無惨なマチウスの姿を見て、そんな漠然とした思いを抱いたまま、彼のドゥーリガンを手に取った。
変わらず重い。
「はやく!」
悲鳴まじりとなったヒルガーテの声にふり返ると、デュルケスは無数の槍毛に貫かれるのも厭わず、グマラシに腕を回し、その首をへし折ろうとしていた。
――今度こそ!
恐ろしいことにおれの身体は、もう全速力で走れるほど回復している。
得体の知れない、気味の悪い呪いの力の大きさに、心のどこかは屈服しそうになっていた。
その気持ちを振り切ろうと、歯を食いしばり、ドゥーリガンの柄を握りしめる。
デュルケスはグマラシの首を小脇に抱え、身をのけぞらせるようにして持ち上げた。猛獣の二本の前足は宙に浮き、じたばたと中空を掻くように動く。
ついに後足二本で直立した格好にさせられてしまった。
「やめて! やめてぇえ!」
ヒルガーテの悲痛な叫び声を耳横に聞きながら、おれは巨怪の腹部に刺さった大剣の柄へ跳び乗った。
そこを足がかりに、一気に頭上高く跳ぶつもりだった。
興奮状態のグマラシを抱きかかえているため、デュルケスの両腕や体側面は無数の槍毛に刺し貫かれ、結果として両手の自由度をかなり制限していた。
おれの意図に気づいたか、やつはうなり声を出す。
自分のうかつさを悔やむようにも聞こえた。
ドゥーリガンの折れ曲がった先端をやつの鎖骨上部にぶち当てて引っかけると、その反動で肩口上方に跳ぶ。
続けてそこを踏み台に、さらに頭上高く跳び上がった。
デュルケスは顔を上げ、弱点である頭頂部への打撃をずらそうとした。
皮肉なことにその動きでやつの頭部は、真下に剣を振り下ろすおれに絶好の角度を作った。
強烈な打撃を喰らわせる刹那、ほんの一瞬だけやつと目が合う。
灰色の瞳を見て、おれの心中にかすか、もの悲しさの漂う気もした。
マチウスのドゥーリガンは、かつての『竜減』、いまは怪物となりはてた守護剣士デュルケスの頭頂部を貫き、呪いのありかを完全に粉砕した。
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