追加実習

 村民の避難は彼女に任せ、革長靴を村人から調達すると一路広場をめざした。

 たったいま命がけの攻防に勝利したことで、痺れるような昂揚感も身体の内側からあふれ出るようだった。

 走る足に自然、力も入る。

 この勢いのまま、残るやつらを一匹でも多く斃すつもりだ。


 広場には巨怪がふたり転がっていた。

 彼らは無数の矢を受け、身体に何本も、例の『火槍』を突き立てられていた。

 それは炎を噴き出し、刺さった部分を中心に、周囲の体組織を燃やしている。あたりには肉の焦げる臭いも漂い、その臭気でおれは吐き気を催した。


 村人も三人ほどたき火の周囲に斃れ伏していた。

 無惨な死骸を炎の橙色にさらしている。

 どうやらここでの死闘は終わったらしい。死んだ村人には気の毒だが、やつらふたりに犠牲三人というのは非常な善戦とは言えまいか。


 東方向に別なノヘゥルメの怒声を聞く。


 そちらに向かおうとしたとき、いきなりノヘゥルメのひとりは息を吹き返したように動き出した。

 マチウスはとどめを刺す前に、移動せざるを得ない状況になったのだ。


 おれはドゥーリガンを構え、上体を起こそうとするやつの頭頂部を、巻き上げ機の杭を打つ要領でしたたかに打つ。やつはふたたびばたりと地面に伏し、絶息した。

 巨怪の急所から立ちのぼる白煙は、燃えている身体から出る黒煙とはあきらかに異なっている。臭いもなく、よく見ると風にも影響されていない。つまりこれもゴルエで見た大穴と同じ種類の現象なのだ。


 脳裏に『かの地』のだれかの声が響く。

 今夜二度目。

 まだ呪いに慣れないせいなのか、ご託を聞かされているあいだ、軽いめまいを感じ、同時に身体もふらついてしまう。


 自分の手にある得物をあらためて検分した。


 マチウスのものよりも若干細く、したがって軽く、たしかに使いやすい。

 見よう見まねで振っても、なんとか通用した。

 刀身は先端の塊に向かい優美な曲線を描き出し、ほかのドゥーリガンよりも洗練されているように感じる。


 新たな得物を腰の革帯に刺し、次の戦場めざして歩を進めようとしたとき、ふいに強烈な悪寒に見舞われた。

 足を止めて身構える。

 不思議にも原因や、その正体もはっきり予感できた。


 背後にものすごい殺気をはらんだ、あの刺青の巨怪がいるのだ。


 やつと相対するために身体全体をゆっくりまわし、後ろを向いた。


 かつての『竜減』。

 守護剣士デュルケスだった巨怪は、たき火をはさみ、おれの真向かいに佇んでいた。特徴的な刺青のある顔をたき火の色に赤く染め、灰色の目でおれの一挙一投足を、まるで値踏みでもするように注視している。

 正直、こいつにおれひとりで勝てる気はしない。

 村長の家でノヘゥルメに勝てたのは、実力ではなく、立地と状況に助けられたようなものだ。まともに向き合ってはまったく勝負にならないだろう。


 と、デュルケスは知らぬことばでなにか言い始めた。

 周囲に斃れ伏す仲間の死骸を指し、人差し指をおれに突きつける。


 ――ああ……すっかり勘違いされたな


 仲間ふたりはおれに斃されたのだと考えているらしい。

 状況的にはそうとしか考えられない態度だった。

 デュルケスは陰惨な笑い顔を作り、手を上げて自分の得物を示す。


 ――ドゥーリガン!


 昼間手に持っていた梁をどうやってか加工し、それは戦槌のように、特徴的な形状に仕上げられていた。

 やつは眉間にしわを寄せ、おれの得物を指さした。

 なにかを言う。

 たぶんドゥーリガン同士で勝負しろとでも言っているのだろう。


 仕方なくそろそろと自分の得物を腰だめに構えた。

 デュルケスも手製の木剣を肩に載せ、構えをとる。


 真っ向から全力で打ち下ろす気なのだ。


 体格差さえなければ、それなりにこの対峙もさまにはなるだろうが、圧倒的不利はこちらの方だ。まともに相手をするつもりはない。だがそう簡単には逃げさせてもくれまい。


 先に動いたのはデュルケスのほうだった。


 一気にたき火を飛び越え、頭上から攻撃を仕掛けてくる。

 どこに身をかわしたとしても、やつの着地までにその攻撃の範囲外へ逃げることは不可能で、まさに必殺の一撃だった。

 だからおれは、迷わず目の前のたき火に飛び込んでいった。


 ――痛みを感じない身体なら、火傷も気にならないはずだ

 ――大ケガもすぐに治癒するというなら、その火傷も完治するはずだ


 瞬時にそう考えた結果の行動だった。


 自分の身体が炎に包まれた直後、背後に大きな地響きを感じた。

 やつは着地したのだ。

 なにかわめいている。悪態でもついているのか。

 まさか炎の中に飛び込む人間がいるとは思わなかったのか。


 全速力でたき火の炎を抜け、広場に隣接する家々の手近な民家へ走る。


 デュルケスはすぐに追跡を開始したようで、背後に大きな足音も迫ってきた。


 走りながら火の燃え移った上着の袖を引きちぎる。

 身体のことはともかく、炎は暗闇に目立ち、自分の位置を検知されやすい。

 頭髪や眉毛を焦がす炎は走るうちに消えた。

 たき火を通過するときに吸い込んだ煙と熱気とで、痛みはなくとも、鼻腔はじんじんと痺れ、不快な焦げ臭さを感じる。

 どうにかして、やつの頭上を取れるような位置までいかなくては勝てない。

 その意味で目前の家屋の屋根は、その目的にもっとも適した場所だが、やつの猛追を受けていては、そうやすやすと登れそうにはない。


 おれは家屋の陰にはいると壁に背中をぴたりとつけ、なんとか追跡をやり過ごそうとした。

 デュルケスの足音は止まった。

 家壁の向こうから不機嫌そうにうなるやつの声が聞こえる。

 家々の周囲を行ったり来たりしている様子もわかった。家屋の背後にはたき火の光はほとんど届かない。


 夜目の利かない特徴は、ノヘゥルメである以上、やつも変らないということだ。


 屋根に登ろうとドゥーリガンをふたたび腰の革帯に刺し、暗がりの中、手がかりを探した。窓枠に手をかけ、体重を支えようとしたとたん、家屋全体に強い衝撃と振動を感じ、おれは地面に転がってしまった。


 ――なにごと


 刺青の巨怪は手製ドゥーリガンで家を破壊しはじめていた。

 巨大なそれで屋根をぶち破り、横なぐりの一撃で柱を真っ二つに折った。

 おれの姿を隠す家屋はわずか数撃でめりめり音を立て、つぶれてしまう。

 もうもうと吹き上げる土煙にせきこんだおれは、逃げることも忘れ、その場に立ちつくしていた。


 ――こいつはいったい……


 デュルケスはぺしゃんこになった家屋のむこうに立っていた。その背後に煌々と燃えさかるたき火も見える。

 単に周囲を明るくするだけなら家に火を放てばいい。

 どうせここらにある家はやつらの住処にはならないのだ。

 松明代わりにたき火の燃えさしを持ってきてもいい。

 そうしなかったのは、その間におれを逃がす可能性もあるからだ。


 だからやつは最も時間のかからない方法で、周囲の見通しを良くするためにこの家を倒壊させたのだ。

 留意すべき点はもうひとつある。

 家屋を破壊されれば、空でも飛ばない限り、おれはやつの頭上をとれない。


 デュルケスの表情は光の加減でよく見えずとも、退路も攻撃の手段も一瞬で断てたことに満足し、微笑みを作っていることだろう。


「……よくわかったよ『竜減』。おれが間違っていた」


 逃げ回らず、やつと戦う覚悟を決めた。


 適わぬならそれでもいい。

 せめて堂々と正面から勝負してやろう。

 かつては同胞の優秀な剣士で、大先輩にあたる男だ。

 未熟ながら自分の全力を尽くして敗れるなら、それもおれの運命なのだ。


 革帯からドゥーリガンを抜き出し、戦槌をかつぐように構えをとる。

 自然にその格好となった。理由は特にない。いまはそれがいちばん身体から力の抜けた姿勢のように感じられたからだった。


 デュルケスは、自分のドゥーリガンを地面に突き立て、顔を両手でなでた。

 聞き取れないほどの早口でなにかをつぶやく。呪いか、呪文なのか。

 言い終わると得物を再度持ち上げ、腰だめに構えをとった。


 やつとの体格差は二倍以上、単純に考えれば間合いも二倍以上となり、圧倒的におれの不利となる。

 武器でも適わない。

 ドゥーリガンに似せたやつの得物は、基本的に建造物の梁を加工した木剣だ。

 丈夫なうえに固く、重い。

 破壊力はおれの持つドゥーリガンの比ではないだろう。


 だが実際にやつがそれを振る姿を見ると、速さに欠ける大振りしかできていない。

 そこにおれのつけ入る隙もありそうだった。


 ――速さと重さは調和しない、か


 ディトワの話を思い出した。

 本来、ドゥーリガンはそのふたつを調和させる剣技らしいが、デュルケスはそんなことも忘れているかのように、自分の手に余るほど超重量の武器を使っている。

 あの大振りなら見極められるかも知れない。……おれは自分から先に仕掛けた。


 つぶされた家屋の残骸を迂回すると、刺青の巨怪に走り寄る。


 デュルケスは腰だめの姿勢から、木剣を大きく上段に振りかぶり、接近するおれに向かって素早く打ち下ろしてきた。


 力任せの一撃。

 大きな木剣の打撃は地面を深くえぐり土砂を飛散させる。

 わずかの差でその攻撃をかいくぐった。

 やつは体勢を立て直すために一歩下がり、今度は横なぎに攻撃を繰り出してきた。

 すかさず前に飛び込み、かわす。

 木剣は頭上をものすごい勢いで通過していった。

 思った通り、武器のあまりの重さにやつの身体は引きずられているようで、剣の返しは遅かった。あと少しでやつの足もとまでたどり着ける。

 身を起こしながらそう思う刹那、突如、背筋に悪寒が走った。


 ――誘い!


 そう直感し、斜め後ろに飛びすさる。

 巨怪の木剣は上空から空気も焦がすほどの勢いで打ち下ろされた。

 おれの足先をかすめ、その攻撃は爆発にも似た衝撃をもたらし、地表に大穴を開けた。先ほどの打ち下ろしとは比べものにならないほど速く、重い強烈な打撃だった。


 爆散する土砂を身に受けおれは吹き飛ばされた。

 体勢は大きく狂い、情けないことに地面に尻もちをついてしまう。


 ――いま連続で攻撃されれば、確実にやられる


 跳ね起きるおれを見て、デュルケスはぐっぐっと愉快そうに笑い出した。

 屈辱に下唇を噛む。


 ――なんてやつだ


 先ほどまでの攻撃はすべておれを誘うためのものだった。

 やつはわざと緩く木剣を振っていたのだ。

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