剣技実習
柵の中の村人たちは、夜の冷気から身を守るように身体を寄せ合っている。
全部で三十人ほどいる彼らの多くは微動だにせず、眠っているようにも感じられる。
あちこちで乳飲み子のぐずる甲高い声がしていた。
ノヘゥルメのいびきはその声のするたび若干途切れるものの、ほとんど熟睡しているようだった。
一緒に来たふたりの村人は、ノヘゥルメが村長の家を崩して作ったらしい柵に、なんとか通れるほどの隙間を見つけた。
「後継者さま、こっちだ」
ささやき声の方向に向かう。
いつの間にかおれは『後継者』と呼ばれていた。
ある程度その意味に予想はつくものの、それを確認するため彼らに問いただす時間はない。
もう柵の向こう側にいるふたりの手招きに応じ、音を立てないよう注意深く柵の隙間を抜けようとする。
だが背中に吊った大剣の柄は木材の縁にあたり、思わぬ大きな音を立てた。
おれは総毛立つ。
ノヘゥルメはその音になんの反応も示さなかった。
幸いそれ以上何事もなく、柵内への侵入は無事成功する。
「この隙間から全員逃がすのは難しいぞ」
つぶやくようにそう感想を述べると、ふたりの村人は無言のままうなずいた。
はじめにやるべきことは村長を捜すことだった。
気配に勘づいた何人かの村人は起きて声を上げそうになったので、おれたちは必死で手を振り回し、それを抑えた。
あの気の強そうな若者は彼らに身ぶりで助けに来たことを伝え、村長の居場所を聞き出そうとする。
中のひとりは首を振り建物の後部を指し示した。
村長の家は半壊していた。
後半部分は崩れた壁と落ちてきた梁の積み上がった無惨な状態になっている。
身ぶりの意味は、あのがれきの下に村長もいるということなのだろう。
可哀想に。これで例の剣を入手できる可能性は著しく低くなった。
「……マーガル?」
小声の主にいきなり袖をつかまれた。
大声を出しそうになる。
ヒルガーテだった。
「よかった、生きてたか」おれはため息まじりの小声で安堵する。
「大げさよ。……すぐ捕まった。短剣じゃ勝負できない」
心配されたのが多少でもうれしいと見え、かがり火で見る彼女の緊張した表情は少し緩んだようだった。
「ドゥーリガンは」
彼女はおれの背中から突きだしている大剣の石突きを見て、尖った声音になった。
「マチウスに渡した」
「じゃあ……」
「彼は無事だ。広場でほかのやつらを陽動してくれる手はずだ」
ほっとした様子のヒルガーテへ、自分の目的を話す。
「村長のドゥーリガンを探してる。だが、村長は……」
「たぶん、家の中にあるはず。一度見たことはあるから、家の中にさえはいれば」
「しっ!」
例の若者は短く呼気を発した。
広場方向から夜のしじまに巨怪たちの声が響いてくる。
とうとうマチウスたちの攻撃は始まったのだ。
庭木に寄りかかっていたノヘゥルメは、ぐぐぅ、とうなり、目を覚ました。
驚くほど素早い動きに立ち上がる。
寄り添っていた村人たちも起き出し、事態の急変を敏感に察した赤子は大声で泣き始めた。
ノヘゥルメは柵の向こうから、村人たちを威嚇するように怒鳴ると、傍らの大きな木材を手に取った。
柵を作るために破壊した、村長の家の柱のようだった。
「気を逸らしてる。剣は居間の梁に飾ってあったわ。……これを」
懐から出した小さな巾着を、彼女はおれの両手を握るようにして渡してきた。
巨怪は手に携えた得物を肩に載せ、広場の方角を凝視していた。
「なんだ?」
「集光石。……早く行って!」
その声で押し出されるように、おれは柵へ走り寄った。
だが、夜目の効かないノヘゥルメは敏感にその動きを悟ったらしく、ゆっくりと身体を回し、柵内を注視するような動きをする。
――まずい! まだ、身体が……
柵の細い隙間を半分しか抜けていない。
こんな無防備な姿勢では、攻撃を受ければひとたまりもない。
「ノヘゥルメ! ノヘゥルメ! なにしてる!」
妙な調子をつけた女の声だった。
木ぎれでも打ち鳴らしているのか、カチカチと音を立て、ヒルガーテは大声ではやし立てはじめた。
村人たちの声もそれに続いた。
「やーい、やい! ノヘゥルメ、ノヘゥルメ!」
みんな、気でも狂ったかのように声を出し、必死で脱出を手助けしてくれている。
当のノヘゥルメは仲間の怒号の聞こえる広場の様子を気にしながら、柵の中でわめくヒルガーテたち、その喧噪を受けていっそう甲高い声で泣く赤子たちにいらだち、うなり声を上げた。
おれはやつの視線が柵から外れるのを待ち、ちょうど良さそうな頃合いに、その隙間から飛び出した。
一気に走り続け、村長の家の裏側に回る。
気づかれた形跡はなかった。
後半部分を破壊された村長の家は、侵入するにはある意味ちょうど良かった。
庭のかがり火の届かない室内は真っ暗だったので、おれは足音を潜めつつ、ヒルガーテに渡された集光石の小さなかけらを手で包み込み、居間の方角へ進んでいった。
崩れた家の残骸によって足場は悪く、木ぎれや漆喰の大きな塊に足を取られそうだ。
本来であれば裸足ではとても歩けないような場所だ。
痛みはなくても漆喰の尖った破片や木片のささくれが足の裏にずぶずぶ刺さってくる感触もあり、気色悪い。
大きな破片はいちいち手で抜かなければ、歩きにくくて仕方がなかった。
骨組みの大きく歪んだせいか、家屋の天井はかしぎ、壁は崩れかけていたにもかかわらず、居間はなんとか原形をとどめていた。
ただし、ほんの数日前、マチウスとここで村長のもてなしを受けたとは信じられないほどの変りようだった。
青白い光が窓から漏れないように注意深く、覆い隠した手の隙間を壁に向ける。
漏れ出た出た光を頼りに梁の上を探すと……ない。
あの特徴的な形状をした奇剣は四方の梁のどこにも見当たらなかった。
――まさか、村長が持ち出した?
自分の考えの甘さに愕然とした。
気づくと窓の外も騒がしい。
村人たちだ。
みな口々になにかを叫んでいる。
後継者? ヒルガーテの声も……おれのことか!
突然轟音とともに天井が崩れた。
床に身体を投げ出し、降りかかる天井や壁の破片から間一髪身を避ける。
集光石が着地の衝撃におれの手を離れた。
小さな光は室内の陰影をかげろうのように揺らめかせながら、床を転がっていく。
その輝きに照らされた室内の様子で、屋根を支える梁が天井板をぶち抜いてきたとわかった。
――いったい……
見上げるとノヘゥルメは、自分で開けた屋根の大穴から居間をのぞき込んでいた。
用心していたにもかかわらず、光は外に漏れだしていたらしい。
やつは目を細め、その視線は室内のあちこちに移動していた。
幸い目の焦点は床を移動した青白い光の方向にあるようだった。
まだおれの姿を直接目には捉え切れていない。
床を這うおれは、集光石の向こうに、鈍く光を反射する物体を発見した。
――ドゥーリガン!
まぎれもなくそれだった。
家屋の崩れた際、床に落ちていたのだ。
巨怪は急に吠え声をだした。とうとうおれも見つかったか。
急いで上体を起し、その剣めがけ前転気味に飛び込む。
頭上に大きな破砕音を聞く。
やつの第二撃だろう。
天井を支える大きな梁も、今度はその攻撃に耐えきれず、完全に下まで落ち、床に突き刺さる。
支えを失った柱はきしみ音を立てた。
屋根材と屋根裏とに長年積もった大量のほこりが室内に落下し、煙のようにあたりへ充満する。
おれの手はなんとかドゥーリガンの柄を捉え、しっかりと握っていた。
どんどん崩落してくる材木や漆喰の破片を身に浴びながら、片側を床に落とし、斜めに天井まで屹立している大梁をめざした。
走りながら飛び乗り、勢いを殺さぬよう屋根まで一気に駈け上がる。
大梁はおれの体重に耐えきれず、みしりと大きな音を立て、崩落するかすかな兆候をみせた。
すかさず梁を蹴り、屋根に開いた大穴の縁に飛びついた。
面前へ急に現れたおれを見て、ノヘゥルメは驚いたのか、大口を開けたままとなった。
「いけぇえええ!」
屋根の斜面で思い切り助走をつけ、縁から空中へ飛んだ。
――高く
より高く、少しでも高くやつの頭上へ。
両手に持ったドゥーリガンを上段に掲げつつ、意識はそのことばに支配されていた。
巨怪は頭上を振り仰ぐが、おれの姿は空中で闇にとけ込んでしまったらしい。
目はあらぬ方向を見ていた。
落下した後のことはまったく考えず、自分の全体重を剣先にすべて預け、思い切りやつの頭頂部へドゥーリガンの一撃を見舞った。
頭蓋の砕ける湿った鈍い音とともに、ぐしゃりと気味の悪い手応えを感じる。
おれの身体は強烈な打撃の反動でふたたび宙に浮いた。
仰向けに斃れていくノヘゥルメの背中が地表に到達するのと、落下したおれがやつの腹部に激突したのとはほぼ同時だった。
巨怪の肉体は石床と較べ柔らかだったので、背中から落ちた衝撃は少ない。
背負っていた大剣のおかげかも知れない。
もっとも、痛みを感じないのでは、どこまで自分の感覚を信じていいのかわからないが。
ノヘゥルメは完全に息絶えていた。
意識内に例の託宣を受けている最中、村人から歓声もあがった。
「……あなた、すごいわ」
駈け寄ってきたヒルガーテは目を丸くし、そう感嘆した。
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