実習準備

 行動は夜半過ぎまで待つことにして、おれたちは村人の救出計画を立てた。


 ノヘゥルメたちも人並みに睡眠はとるということなので、うまくいけばやつらの寝こみに乗じ、囚われた村人たちを解放できるかも知れないからだ。


「だめだ、見張りはふたりもいる」


 村の出入り口それぞれに出した斥候たちは戻ってくると口々に同じ報告をした。

 巨怪はふたりずつ組みになり、村の両側をしっかり封鎖しているらしい。

 侵入にも脱出にも対応できるように備えているようだ。

「なんとかやつらを分断できないかな……ひとりずつ相手にしなければ、絶対に勝てない」

 小声でそう訊ねるおれに、マチウスは自分の考えを述べた。

「最優先は、村人の救出だ。やつらの相手はそれから考えよう」

「それはわかってる。だが逃げるためにだって、やつらを引き離す方法は必要だろう?」

「ふむ……」彼は暫時考え込む。


「マチウスさま、たき火のまわりにひとりいました」

 広場に送った斥候だった。

 おれたちの話に割りこみ、最新の情報を簡潔に伝えてくる。


「じゃあ村長の家にはひとりか」すかさずおれは言った。

 村長の家を偵察に行った斥候はまだ戻らなくとも、単純な計算で割り出せる。

 マチウスは燭台を手元に引き寄せ、食卓上の図面を照らし出した。

 村の家屋の配置とノヘゥルメたちの位置を革紙に書きこんだだけの簡易なものだ。

 民家の窓は布きれで厚く目張りしてあり、外部に光の漏れることはない。


「問題となるのは、デュルケスの出方だ」


 彼は腕組みをしながら首をかしげる。

 あの刺青の巨怪は変らず、ゴルエ側の出口に陣取っているらしい。

「……さっきからやつを気にしているが、そんなに大した男なのか?」

 マチウスは顔を上げ、面白くなさそうな表情でおれに答えた。

「伝承では……彼は優れた『竜減』だったと聞く。ディトワを除くと、それまで退治した竜の数は一番多かったそうだ」

 戦闘力の高い優秀な人材は、怪物化しても変らないということだろうか。

「……城でおれの戦った巨怪は、人間だったときはどの程度のやつだったのかな?」

 おれの質問に、彼は首をかしげた。

「さあな……一般的なドゥーリガン遣いだとは思うが。……『竜減』になれる剣士はほんのひと握りだ。たとえばディトワは、たったひとりでゴルエを百年護ってきた。デュルケスは八十年くらい護ったらしい」


 内心かなり驚く。


 たしか、今朝そんな話もあった。

 まさか事実だとは。


「長期間、一敗もしていないことがその強さの証だ。だからデュルケスもディトワと同じくらい強いと見ていい」

 次々と無理難題を突きつけられた気分になる。

 もともと強いうえに、巨大化していてはその体力も膂力もケタ違いだろう。

 ひとりでまともにやりあって、とうてい勝てるはずもない。

 これから戦いに臨むというのに、場の雰囲気はすっかり負け戦のように悲痛なものになっていた。


 マチウスは村人たちを鼓舞しようと、自分の考えを開陳する。

「みなの報告を聞いて面白いことに気づいた。……配置からすると、やつらは籠城に近い防御態勢をとっているようだ。出入り口にそれぞれ強い守りを複数置き、交代で守っている。たき火のある宿営や本陣と考えられる村長の家の見張りは手薄だ。……ようするに、より外敵に備えた陣形だということだ」


 マチウスは図面のまわりに室内の人間を呼び集めた。

「そこでだ。やつらの夜目の利かないという欠点を利用して、おとりを仕掛ける。はじめに広場の中央にいるやつを狙い、火矢で襲う。見張りをしているやつらが集まりはじめたら、周囲の家に火を放ち、闇に紛れて散開する」


「マチウスさま、帰ってきました。最後のひとりです」

 村長の家を見てきた村人だ。すばやく扉を開け室内に潜り込んでくる。

「みんなは無事です」

 彼のことばに、数人の村人は安堵のため息をついた。

「……やつは壊した家の破片で、囲みのようなものを作り、村人はその中に座らされています。夜の冷え込みは赤ん坊や年寄りにはきつい。食事も満足にとれていないようだし」

「ノヘゥルメはひとりか」

「基本的には……ただ、時々もうひとりが来て交代します」

「たぶん、たき火のところにいるやつでしょう」

 セオバルトは横からそう補足した。

「猶予はならないか……武装の状況はどうなっている?」

「いま、あちこちの民家から集めさせています……火槍はもう少しあるといいのですが」

「ひやり? なんだ?」

 おれの問いにマチウスは土間で作業する数人の村人たちを指し示し、説明してくれた。

「この村独自の装備で怪物用だ。当たると火を噴く」

 どういう仕組みかわからないものの、彼らは細長い二本の木筒を組み合わせ、注意深く、中に色の違う二種類の液体を流し込んでいた。

 火を噴くということは、油かなにかだろう。

 細い方の木筒の先端には金属製の刃もつけられていて、どうやら投げ槍の一種のようだ。

 やがて準備も整い、おれたちはマチウスの指示により、いくつかの組に分けられた。


 おれと村人のふたりは村長の家に行き、囚われている人々を解放し、脱出を誘導する役割を与えられた。

「くれぐれも無理をするな。危ないと思ったらすぐに逃げるんだ」

 マチウスの静かな、しかし重々しいことばに、場の全員は神妙な顔でうなずいた。

 いよいよ作戦開始の直前、マチウスはおれのもとへやって来た。

 こんなときにはなんと挨拶するべきか困惑し、結局無言のまま軽く頭を下げる。

「すまんな」

「?」

 マチウスはなぜか謝罪のことばを述べる。

「俺たちはやつらに勝てないかも知れない。あんたなら本来、もっと剣名を上げて、ほかで立派な強い剣士になっただろうに」

「……よしてくれ。買いかぶりだ」

「いや……才能あるあんたを、本当はこんな場所で死なせたくはないんだ」

「……死ぬことを前提に作戦を立てたのか?」

 マチウスは苦笑しながらおれの肩を軽くはたいた。

「わかったわかった。……じゃああんたは生き残って、最高の剣士を目指してくれ」


 外に出ると、燃え残った民家のかすかな炎は闇の中に浮き上がり、火災特有の臭気もまだあたり一面に漂っていた。

 おれたちは三人ずつ全部で四つの組に分かれ、それぞれ与えられた役割により、めいめい別な方角へ散開した。


 おれの組で先導役は、あの気の強そうな年若い村人が務めた。

 おれとそう変らない年頃にも見える。

 彼は弓矢をかつぎ、民家の合間を黙々と進んだ。

 その後をおれ、遅れてもうひとりの村人が続く。


 ところどころの家屋はまだ完全に燃え尽きておらず、ちろちろとまだ小さな炎を出していた。そのため、村全体はまったくの闇に包まれているわけではなく、うっすらと黒々しい家の輪郭を浮かび上がらせている。

 マチウスの話によれば、ノヘゥルメの目は夜盲症に近く、暗闇ではまったくその機能を果たさないのだそうだ。

 それはまたやつらとの戦いにおいて、唯一考えられる勝機でもあった。


 おれたちはみな、足音を立てないように裸足で行動している。

 地面の湿った土は、その冷たさを足もとから伝え、歩を進めるにつれ凍えるほどだ。ただ、ささくれた木片や固い小石を踏みしめてもおれの足は痛みを感じず、ほかのふたりより多少は恵まれているのかも知れなかった。

 急に、この呪いはかえって役立つじゃないかと、くらい、自虐的なおかしさがこみ上げてきた。

 ヒルガーテの胸元についた、いやらしい黒いしみを思い起こす。


 おれの赤い血は、あいつらと同じ粘り気のある、黒い体液に変質し、この身体に流れているのだ。

 呪いにかかっていることを、ようやく現実的に捉えられるようになる。


 だが、もしはじめから自分の行く末を知っていたとしたら、おれは自分の運命を受け入れていただろうか。

 肉体の変質を知り、生きながら人外のものに変っていく恐怖に囚われたり、残酷で不可避な呪いにかかったことを悲嘆し、絶望に支配されなかっただろうか。


 ないとは言えない。


 気持ちとしては、呪いの情報は小出しにせず一気に知らせて欲しかったものの、マチウスたちがそうしなかったことを責める気はない。

 彼らの婉曲な表現や隠し事の多さは、まだまだ若く、未熟なおれへの配慮とも言えるのだ。

 そう考えると、ヒルガーテの不器用なことばづかいも、新参者に対する反感というより、彼女なりの気遣いのあまり、だったのかも知れない。


 少なくともそれを一度は確かめておいたほうがよいだろう。


 だから、彼女にはぜひ生きておいて欲しかった。


「やつめ、寝てるぜ」

 例の気の強そうな若者は吐く息も白く、そう言った。

 おれたちは目的地に一番近い家屋の軒先から首を伸ばし、道向こうに広がる農地の先を見ていた。村長の家はそこにある。


 庭にはかがり火のように、いくつかの松明も掲げられ、夜闇の中では結構な明るさを保っていた。

 板を乱雑に積み上げたらしい即製の囲い柵の内側に、大勢の村人たちもいた。

 ノヘゥルメは柵の外側に座り込み、大きな庭木に寄りかかってぴくりとも動かない。かすかに聞こえてくるのは、やつのいびきか。


「いまなら、少しずつみなを逃がすこともできそうじゃないか」

 おれの後ろでもうひとりの村人は、余計な知恵を働かせた。

「だよな……」


 役割分担や緊急時の対応方法など、現場での対応を多少なりとも打ち合わせたかったが、村人ふたりはおれの意見を聞くこともなく、勝手に農地へ入り込んでいく。

 地理に不慣れなおれは、黙ってそのあとについていくほかなかった。


 全体での打ち合わせでは広場の巨怪に攻撃を仕掛けて騒ぎを起したあと、村の各地にいる巨怪をおびき寄せて散開し、やつらの目標を分断する手はずだ。

 たとえ斃せなくても、夜目の利かないというやつらには、十分通用する手と考えられた。

 おれたちは広場の方で騒ぎが起こってから動くように指示されている。


 もしこちらで先に騒ぎが起これば、はじめに注目されるのはこちらだから、後になってほかの場所で騒ぎを起しても、ノヘゥルメの何人かは、ここを守護しようとやってくる可能性もある。

 けれど、騒ぎの前に少しでも村人を逃がす機会があるならば、それに越したことはない。

 それに、おれ自身は別な目的も持っていた。

 まず村長の所有するというドゥーリガンを入手し、巨怪と戦える用意をしておかなければならない。


 庭先にいるあいつは、なんとかおれが、ここで斃すつもりだった。

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