実習詳細
「やはり来てくれたか」
開口一番、マチウスは確信のこもった声を出す。
「マチウス……助けを呼びには行かなかったのか」
たぶんおれのことばには多少あきれたような調子もあったのだと思う。
彼は困ったような顔となり、弁明した。
「伝令をゴルエに出す間もなかった。あっという間に出入り口を押さえられ、男衆のほとんどと女子どもは村長の家に連れて行かれたらしい」
おれも今までに見た情報を彼らに伝える。
「これまでに四人見た。広場に三人、ゴルエに向かう村の出口にひとり」
「たぶん、もうふたりいる」
マチウスは残念そうに返答する。
なるほど、全部で六人。
絶望的な数だな。
「どうするつもりだ、こんな人数じゃ、とてもじゃないが、村人の救出なんてできない」
「だが逃げるわけにも行かない……やつらは雑食だ」
その意味するところは。たったひとつしかない。
村長の家に集められている人々は、いずれやつらの食料になるということだ。
「人食いの化け物か……」
「……雑食と言った。なんでも食べる。おれたちと同じだ」
率直なおれの感想に、思いもかけぬきつい調子でマチウスは食いついてくる。
「マチウスさま」
傍らにいた村人の男は、おれの抱えている布包みを指さした。
下からドゥーリガンの先端がのぞいていた。
「……持ってきたのか」
「ヒルガーテに渡されて。おれはあんたに渡そうと思って」
「彼女も一緒か。いまどこに?」
「やつらに見つかり二手に別れた。捕まってなければ、ディトワを呼びに戻ったはずだ」
彼はおれのことばを聞いて、苦々しげな表情になる。
「それはないな。……ディトワはここには来ない」
耳を疑うようなことを言う。
「たとえこの村が廃墟になろうと、村の民が全滅しようと、ディトワはゴルエを離れることはない。絶対に」
おれは反射的に反論していた。
「あそこの護りは大事だということもわかる。だが、いまは火急の……」
「わからないか。彼の不在中『かの地』の侵入を許したら、村ひとつでは済まされない」
いつもは気さくなマチウスの厳しいことばに、ディトワの仕事とその使命を、彼がどれほど重大に考えているか知った。
考えてみれば、いつ来るか分からない敵を待ち、あそこをひとり護ることの意味や価値、その過酷さに、これまでおれはまったく思い至らなかった気もする。
「……だから、ヒルガーテもゴルエに助けを呼びに行くはずはない。まだこの村に潜伏しているか、捕まったか……あるいは死んだか、だ」
あえてその可能性を、先の報告には含めなかった。
彼女の死は連想したくなかったし、なぜかそうあって欲しくないという気持ちも大きかった。
「ノヘゥルメはヒルガーテの逃げた方向に向かっていた。おれはそれを追っていた」
手元の布包みをマチウスに押しつける。
彼は両手を下ろしたままそれを眺めた。
「これはあんたが使ってくれ。やはりおれじゃまだ使いこなせない」
おれがそう言うと、彼はようやくドゥーリガンを受け取った。
「村長の家に、もうひとふりある。これより軽くて、たぶんそれなら……」
首肯した。
いずれにせよ、背中にある大剣ではやつらには勝てない。
もうひとふりあるというなら、おれでも多少は戦力になれるかも知れなかった。
そのまま隠れ家になっている民家を出て行こうとすると、腕をつかまれた。
「村長の家に行くつもりか」
おれは答えなかった。
「夜まで待て。やつらは夜目が利かない。暗闇が苦手なんだ。 ……もしヒルガーテが死んでいれば、いま出て行こうと結果は変らないし、生きて捕まっていれば、夜闇はみなを救い出す絶好の機会になる」
息を潜めながら夜を待つというのは、これほど忍耐心の要求されることだったとは知らなかった。
巡回をしているのか、おれたちの潜む民家の横をときおりノヘゥルメは大きく足音を立てながら、通り過ぎていく。
家屋の中にいる村の男衆は、武装はしているものの、表情は一様に暗く、巨怪の通過するたびに、びくりと肩を震わせていた。
おれは自分の好奇心を抑えきれず、またはぐらかされるのを承知で、マチウスに小声で質問した。
「マチウス、いったいあいつらはどこから来たんだ。それも一度に六人も」
その場にいるマチウス以外の人間は一斉にこちらを見た。
彼らの視線に、怯えと戸惑いと、どうしてか非難のようなものを感じ、おれは不審に思った。
マチウスはためらいながらも、かぶりを振って拒否を示した。
「マーガル、その話はまた……」
やはりな。
「分かったよマチウス。生き延びたらゆっくり……」
心中のいらだちを表に出さぬよう返事をしかけたとき、きつい調子で声がかかる。
「あんたたちが持ち込んだんだよ」
男衆の中でも若く、気の強そうな村人だった。
「よさねえか。マチウスさまになんてことを!」
場の最年長者らしき男は、すぐにその若者をたしなめた。
若者は土間につばを吐き、憎々しげにおれたちと、その村人をにらむ。
「本当のことだからしょうがねえだろ」
「こいつ! まだ!」
「いいんだセオバルト……たしかに。おまえたちに迷惑をかけて済まぬ」
「マチウスさま!」
恐縮するセオバルトを遮り、マチウスは、村人たちに深々と頭を下げた。
その展開に、思考はついて行けず、おれはたどたどしくことばを発した。
「どういうことだ……持ち込んだって、なにを?」
「村に木箱を置いてっただろうが! なにが『後継者』だ。そんなことも知らねえのかよ!」
若者はじれったそうに、今度はおれをなじる。
――木箱?
あの木箱か。
そう言えば村にいくつかの木箱を預けてある。
マチウスはそれを取りに来たのではなかったか。
ゴルエの洞窟にも似たような木箱が……いったいあれは、
「マチウス……?」
とうとう彼は観念したように話し始めた。
「あれは……ノヘゥルメは木箱の中に入っていた。正確にはあんな状態になる前の状態で」
「ノヘゥルメとなる前の状態……やつらは本当はもっと小さい? 巨大化したと?」
木箱の大きさを思い起こしながら、おれは考えたことをそのままつぶやいた。
いろいろな記憶の断片同士は離れたりくっついたりして、おれの心象になにかの実像を結ぼうとしている。
――木箱。ひとひとり入るほどの、まるで棺桶のような……死者……生者
突然城の地下の風景と、昼間見た光景の中に共通点を発見した。
――刺青のあいつ!
小屋をのぞき込むその頬の刺青は、城の地下で見た『死せる生者』の頬に刻まれていた特徴的な文様とまったく同じだったように思う。
ノヘゥルメの正体は、呪いを受けた人間の末路の、その先にある姿だったのだ。
「彼らは……城の地下にいたんだな……それをここまで運んできた」
おれのことばに、マチウスは一瞬脅えたような顔となる。
すぐにその表情は隠れ、いつものような平静なことばつきになった。
「直感……なのか。マーガル、どうしてわかった?」
「地下で見た人々の中に、昼間見たノヘゥルメと同じ刺青を彫った人間がいた」
「なるほど……剣士デュルケス。もう百年以上も前の剣士だ。……たしかに特徴的だな、あの刺青は」
「……最後はノヘゥルメとなるのか、おれは」
この目で見たことと、聞いた話から推論した結果だ。
「あんただけじゃない。……俺もだ」
夕闇の迫る時刻になっていた。
マチウスの目は窓の隙間から差し込む夕陽をかすかに反映させ、妖しく光を帯びている。
肋骨を骨折しても平気で動き回っていたし、ヒルガーテの湿布にも顔ひとつしかめないことから、嗅覚を失っているのじゃないかと、ある程度予想はしていた。
とはいえ、本人の口からはっきり呪われていると聞いたのは初めてだ。
「あいつら……彼らは、ルフの剣士たちなんだな」
「そうだ。いまは記憶も魂もなくなり、呪いの影響で巨大化した怪物だが」
ルフに剣士団の存在しない理由と意味もこれではっきりした。
昼間ヒルガーテに聞いた話によれば、呪いを持つ生物に唯一通用するドゥーリガンは、一族にのみ世襲的に伝えられるらしいから、そもそも守護剣士となる人材は少ない。おまけに呪いの結末はあんな怪物となるわけだ。
まともな親ならだれだって自分の子どもにそんな負債を追わせたくないと思うだろう。他方、剣士『団』を構成したとしても、いずれ自分も同僚も怪物になるのだとすると、いつかは仲間同士で殺しあわなければならなくなる。
それほどの凄惨な状況に耐えなければならないなら、当然、なり手も少なくなるはずだった。
「村の人間は、みんなそのことを知っていた。だから木箱にあんなに脅えていたのか」
「脅えてたんじゃない、迷惑だったんだ!」
例の若者はおれを怒鳴りつける。
その大声にあわてて横の村人が彼の口を押さえた。
「だが、なぜだ。そんなに危険な代物を村に置いたんだ?」
マチウスは、その問いに首を振った。
「危険はないはずだった。……ふつうであれば彼らの頭に『弧円』さえあれば、変化しない。……だが、俺が村に着いたときには、すでにノヘゥルメに変っていた。」
「コエン……?」
「城の地下で見たろう? 彼らの頭についていた輪だ」
あの鈍色の冠。
呪いよけとは知らなかった。
「弧円をはずさなければ、最終段階には至らない。……はずなんだ」
「村のだれかがはずした、とか」
「バカを言わんでくれ。村の人間はノヘゥルメの恐ろしさをだれよりも知っている。大人から幼子にいたるまでひとり残らず、な」
セオバルトは憤慨しつつ、おれに抗議してきた。
しかし、室内にいるだれひとりとして、なぜその『弧円』が厳重に封印された木箱の中で一斉に外れノヘゥルメとなったのか、知るものはいなかった。
彼らはみな、ノヘゥルメの出現時には村の外におり、異変を知って戻ってきた者たちばかりだという。
「そういえば、きのう城から使いが来てるって話を聞いた」
だれかがおずおずと、思い出したようにそう言った。
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