第六章 実習
潜入実習
風上を避け、ヒルガーテの先導で密かに村へ通ずる抜け穴を通る。
緊急時の避難路ということなのか。
村にはいると、人の気配はまったくなかった。
風下にいるため、煙の臭気も耐えず押し寄せてくる。
おれは気分が悪くなり、左手の袖で口もとをかばいながら彼女の後を追った。
彼女は村の地理に詳しく、巨怪たちに気づかれぬよう村の家々を一軒一軒のぞき込んでいった。逃げ遅れた村民を見つけるつもりなのか、それともちょうどいい隠れ家を探しているのか。
「ここがいいわ」
すでに空き家となった民家にはいりこむと、彼女は中を抜け、窓際に注意深くしゃがんだ。
そこからは広場の様子を一望できた。
大きなたき火を囲む巨怪たちは、ときおり、意味不明のことばを発しながら、ぐっぐっと奇妙な笑い声を立て、会話を楽しんでいるようでもあった。
「なあ、なぜ三人もいるんだ。あれは……あいつらはゴルエから出てくるんじゃないのか」
ささやくようなおれの問いに答えることもなく、彼女は怪物どもを凝視している。
「ディトワが仕留め損なったやつら、ということか?」
「ちがう……」
ふり返ると彼女は力なく言う。
「じゃ、なんだ。もとからこの地に住んでいるとでもいうのか」
あいまいに彼女は首を振った。
悲痛な表情となり、いまにも泣き出しそうに口を歪めた。
「食べてるわ……あいつら……」
彼女の肩越しに巨怪たちの様子をよく見てみると、確かになにかを食べている。
その手に握られた骨付きの大きな肉片と、その正体を知ると、おれは窓から身を離し、壁に背中を預けた。
ヒルガーテの悲しみも当然だった。
やつらはマチウスの連れて行った、彼女のオスグマラシを食べていたのだった。
「一度戻ろう。村の人間はもう避難したようだし、ディトワの指示を仰ごう」
おれの誘導に、彼女はふらふらと立ち上がった。
空き家を出て、来た道を戻る。
今度はおれが先頭になり、身をかがめながら家々の合間をひた走った。
「村の出口からのほうが早い」
ヒルガーテに背後から声をかけられ、ふり返ると、別方向に走る彼女の後に続いた。たしかにこちらの方が早い。
グマラシ車をつないだ、ゴルエまで直通のあの路の方角だ。
しかし、ひたすら走り続け出口に近づいたとき、おれたちは判断の過ちを悟ることとなった。
出口前にもノヘゥルメがいた。
さっき見たのとは違うやつで、これで四体目だ。
身体にわずかばかりまとわりついた、裂けた細切れのような布の下には、人間だった頃の名残か、全身に入れていたらしい刺青のような模様も見え隠れする。
手には得物として、解体した民家の梁をしっかり握っていた。
「デュルケス!」
種類の違いか、固有名詞かわからぬものの、彼女はやつをそう呼んだ。
しかも、そいつはおれたちに気づいたようだ。
大声でなにかを叫ぶ。
背後から、それに呼応するような怒声が聞こえた。きっと広場のやつらたちだ。
眼前のノヘゥルメは家屋の梁を手に構え、大股に走り寄ってくる。
「走れ!」
「二手に!」
東方向へ走ろうとするおれを尻目に、ヒルガーテは別方向へ走った。
「なんとかディトワに知らせてくれ!」
その後ろ姿に声をかける。
届いたかどうかは不明だ。
目前の巨怪に追いつかれる前に、おれは手近な家に飛び込んだ。
その直後に、地響きのような衝撃をうけ、背後の石壁は崩された。
やつに体当たりされたのだ。
屋根の崩落する前に窓から飛び出し、次の家屋をめざす。
幸いにもすぐ近くに納屋らしき小屋を見つけた。
怒号のようなうなり声は、いま出てきた家の反対側から聞こえる。
わずかの迷いを振り切ると、おれは横っ飛びに転がり、そこへ入り込んだ。
すかさず小屋の土間にうつぶせると、がらがらと家屋の崩壊したらしい大きな音とともに、大量のちりとほこりが扉のない小屋の入り口から大量に入り込んでくる。
咳き込みそうになり、口を手で必死に押さえ、息を殺した。
やがて大きな足音は複数となり、巨怪たちは小屋の間近で大声を出しあう。
なにかを話し合っているかのようだ。
周辺に舞いまわるほこりは煙幕の役割をはたし、とりあえずは、やつらの視界を遮っていると思われた。
おれは慎重に身体をおこし、かがんだ姿勢のまま、部屋奥にすばやく移動する。
そのとき、小屋は大きく揺れた。
唇を噛み、なんとか声を出さずに済ませ、窓際の暗がりでしゃがみこむ。
身体を伸ばし、窓の縁から少しだけ頭を出して外の様子をうかがった。
巨怪たちは周辺家屋の屋根やら壁を叩いたり蹴ったりしていた。
侵入者を脅かし、追い出そうとでも考えているのか。
小屋の入り口付近に気配を感じた。
あわてて身をすくめ、身体を凝固させる。
村の出口で見張りをしていた、刺青のあのノヘゥルメだった。
やつは中を覗き、首と目を動かして、小屋のあちこちを見回した。
おれは小屋奥の壁隅にぴったりと身をつけ、入り口の巨怪を注視する。
小屋内のこの暗さでは向こうからおれの姿は見えないと判断したものの、こちらを見るその灰色の目と目を合わせたときには、緊張に冷や汗をかいた。
入り口の幅ぎりぎりの大きな頭だ。
顔にも刺青を入れている。
だれが彫ったのか、自分で彫ったのか。
どこか遠くから声が響いてきた。
別の場所にいるノヘゥルメの合図らしい。
うおぅとひと声叫ぶと、刺青の巨怪は身体を起し、小屋入り口から身を離した。
去っていく足音を待ち、小屋の窓から覗いてみると、やつは村の別方向へ向かっていく。他の巨怪もその後に付き従い、この場を立ち去った。
ヒルガーテの走り去った方向のようだ。
まさか、見つかってしまったのか。
あたりに気を配りつつ小屋から出た。
家屋の陰を渡り、見つからないようにこっそり巨怪たちの後をつける。
やつらの向かう先は、広場を少し外れた村長の家の方角だ。
巨怪たちは我がもの顔に人気のない村の小径を歩いていく。
その前方を見て、おれは途方に暮れた。
路の両側は農地に挟まれている。
後ろからついていこうにも、家屋ひとつなく、身を隠すことはできない。
一度でもふり返られたらおしまいだ。たちまち追いつかれてしまう。
直接やつらの後をつけるのを断念し、家屋伝いに回り込むしかない。そう決め、迅速に動いた。
それにしても、村民たちはどこへ行ったのか。マチウスはどうしたのか。
常識的に考えれば、村民たちを避難させたあと、ルフ城に増援要請をしに行ったと考えるのが……違う、巨怪に対抗できるのは彼自身と、ディトワしかいない。
助けを求めるなら、ゴルエに戻るはずだろう。
足となるグマラシはやつらの食事になってしまったから、マチウスは徒歩だ。
途中ですれ違っていたとしても、おれたちは気づかなかったのだ。
なにしろヒルガーテの操るグマラシ車は猛烈な速度だった。
「マーガル!」
いきなり声をかけられ、思考はぶち破られた。
家の物陰からおれの腕をつかみ、屋内におれを連れ込んだのはマチウスだった。
中には村の男衆と思われる人間たちもいる。
めいめい手に弓矢や、槍代わりの先を尖らせた木の棒を持っている。
全部で十人ほどもいた。
「……マチウス、ここにいたのか」
おれの予想はまったく役立たずで的外れだった。
彼は村に居残っていたのだ。
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