派遣業務

「抜けたわ」

 ヒルガーテの声に、続く思考を止め、おれは前方に注意を向ける。

 植生の違うゴルエを抜け、ドゥルフェン村に続く路へはいったのだ。

「はやいな」

 率直な感想だ。

 彼女の横顔はわずか緩んだ。

「この子、今日は調子いいみたい」

 前方で荷車を曳くグマラシをほめられたと思っているのか、彼女とのやりとりでは珍しいことに、弾んだような声になる。

 この猛獣を相当可愛がっているらしい。

「ずっと面倒を見ているのか?」

「ええ。……マチウスが連れて行ったのはビュグヴィル。この子はベイラ」

 二匹はつがいで、こっちのはメスだそうだ。

 それからグマラシの一般的な話題で、少しばかり会話も続いた。

 話題もなくなりかけたとき、おれはなにげなく質問を加えた。

「ところで、マチウスも『竜減ドラゴレス』のひとりなんだろう?」

「……なぜ、そう思うの?」

 ヒルガーテは少し間をおき、逆に質問してくる。

「なぜって……ドゥーリガンを使いこなしているからさ」


 思い返せば、城でノヘゥルメを頭上から攻撃した技は、ディトワのそれに酷似している。きっと彼からドゥーリガンの扱い方を習ったに違いない。

 おれにとっては兄弟子というわけだ。

 たぶんおれよりも実力や経験のある剣士なのに、なぜ彼はディトワと協力して、洞窟の護り手にならないのか。


 ――ルフ城……の護り手か


 城の護りは本来、衛士の仕事であっても、ノヘゥルメひとりにあれほどの被害を出すのでは、そう考えて差し支えないだろう。

 城に待機している理由も、万一ディトワが敗れ、怪物たちに攻められたときの備えとしてなら十分理解できる。

 いや……そうなると、おれの従者になったことを説明できない。

 なぜ、選王は従者として、彼をおれにつけたのか。

「ドゥーリガンの使える剣士をみな『竜減』と呼ぶわけではないの」

「そうなのか」

 先ほどまでのグマラシの話題とはうって変わり、ヒルガーテの表情はひどく固くなっていた。


 どうやらこの話題に変えたのは失敗だったようだ。


「……はじめから呪いを受けさせるつもりはなかった」

 彼女は進行方向を向いたまま、ひとりつぶやくように言う。

「え?」

 向かいから吹いてくる風の音にかき消されそうなそのことばを確かめようと聞き直した。

「マチウスは、決まるまでゆっくり時間をかけていいって言ったのに。その時間はなくなってしまった。……あなたがそうだとして、でも、心の準備もできていないの」

 いったいなんの話をしようとしているのか。

「ヒルガーテ、よくわからないよ」

 彼女はそれには答えず、話を別な方向に持っていく。

「彼はあなたに賭けた」

 彼、とはマチウスのことだろうか。

「あなたなら『竜減』になれるかも知れない」

「かいかぶりだ。だいたいおれはここに来たばかりで」

「ディトワも言ったわ」

「おれは聞いてない。……そう言われるのは正直うれしい。けど」

 彼女はおれの返事を最後まで聞かず、次々ことばをかぶせるように話す。

「マチウスは男の子を欲しがってたわ」

「は?」どういう展開なんだ、これは。

「ドゥーリガンはだれにでも伝えていいものではない。マチウスにもし男の子が生まれていればあなたの力を借りることもなかったはずよ」

 彼は妻帯者か。

 ヒルガーテの話から推測できたのはそれくらいだ。

「まるであの剣……剣技は一子相伝みたいな言い方だ」

「そう。自分の子孫……一族だけ。でも仕方ないのよ。受け継ぐ人間はもういないから。才能さえあれば、目上に対する口の利き方も知らない他人にだって、伝えなきゃならないの」

 それがおれへの当てつけであることだけは分かった。


 たぶん、おれよりも年上だからそう思うのだろう。

 けれども、そう言う彼女自身、あきらかに年長のマチウスやディトワへの敬語の使い方はなっていない。


 そんな反発心は口に出さなかった。


「とにかく、あなたはやらなきゃならない。みんなから期待されているし、呪いだって受けてしまったし、早くドゥーリガンを扱えるようにならなきゃ」

 ようやく一連の発言の真意を少しだけ理解できた気もする。

 彼女なりに、おれを励ましているつもりなのだ。

「……ああ、そうするよ」

 おれの同意に、ヒルガーテの横顔は、口の端だけで微笑んで見せた。


 しばらく走ると前方の空に黒々とした雲の広がりを見つける。

「雨雲かな?」と、つぶやいてみた。

 さらにグマラシ車を走らせると、ドゥルフェン村の方角に、幾筋かの黒煙らしき軌跡が垂直に立ちのぼっている。

 雨雲などではなかった。

「あれは!」

 ヒルガーテは村に向かい、いったんは速度を上げたものの、すぐに手綱を引き絞り、バル香の踏板を何度も忙しく踏んでメスグマラシを鎮めた。

「どうした。なぜ停める」

 おれの質問に、眉間に深い溝を作ったまま、彼女は答えた。

「なにかおかしい。……このまま村へ乗り込むより、まず様子をうかがいましょう」


 妥当で冷静な判断だ。


 おれたちはグマラシ車を降り、ヒルガーテはグマラシの手綱を延ばして路脇に立つ木の一本にそれを結びつけた。

 荷台から細長い布包みを取って、おれに渡してくる。

「あなたが持ってて」

 マチウスのドゥーリガン。

 それは手にずっしりと重かった。

 念のため自分の大剣も背中に背負う。

 無言ながら非難がましい目つきで、ヒルガーテの視線は、それに突き刺さる。

「万が一、ってこともある」

 言いわけめいた自分のことばに後ろめたさを感じながらも、彼女にそう断りを入れた。


 おれたちは路を外れ、木立を抜けて村を囲む森をめざした。


 木立は登り斜面になっていた。

 村の東側にある高台に続いているそうだ。

 ヒルガーテの先導で、まだ陽も高く、それなのに薄暗い木々の間を小走りに抜けていく。

「森を抜けたら、身を低くかがめて」

 従者とも思えぬ、命令にも近い口調で、彼女はおれに指示を出す。

 言い返してやろうかと口を開いたとき、周囲の変化に気づいた。


 ――なんだこの……


 焦げた臭気は、おれたちの鼻腔を刺激する。

 煙は木立の合間を漂い、幾重にも層を作っていた。

 さっき見た黒煙といい、周囲のこの状況といい、村で大火事でもあったのか。


 森を抜け、高台の上から村全体を眺める。


 黒煙を大量に吐き出し、数軒の家は炎に包まれていた。

 風にのって、その煙と臭いがここまで流れてきたのだ。

 ほかの何軒かの家は、火は出していないものの、破壊され、崩れ落ちていた。


 先日おれたちの訪れた村の中央には、壊れた家の残骸で大きなたき火もおこされている。

 その炎を囲む者たちを見て、おれは愕然とした。


 ノヘゥルメだ。


 それも、三人いる。

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