食事休憩

 小屋に戻ると、晩餐の用意はすっかり整い、室内は夕餉のいい匂いで充満していた。丸太と板とで組み合わされた簡易なテーブルと丸太を寝かせただけの長椅子は、ヒルガーテの手になるもののようだ。


 おれたちの作業中、彼女はひとりでそれを設置し、組み合わせたのだった。

「すっかり手間取った。すまんヒルガーテ」

 ディトワは機嫌良さそうに彼女へそう声をかけた。

「……まだ戻ってない」

 浮かない顔をしていたヒルガーテはひとことそういうと丸太の長椅子へ腰かけ、テーブルにほおづえをついた。

「マチウスか? まだ戻ってないのか」

 彼女はディトワを横目に見る。

 返事のつもりらしかった。

「……おおかた村長に引き留められて地酒でも飲んでるんじゃないのか」

 そう言いながらディトワはいそいそと丸太の長椅子に座り、食卓を見回した。

「さあ、マーガル、座れ。……おれたちは腹が減ってるんだ」

「温め直すわ」

 立ち上がると彼女はテーブル中央の大鍋を持ち、部屋の隅のかまどまで運ぼうとする。

「なに、いいさ。冷や飯もうまいもんだ」

「せっかちね。美味しい方がいいでしょう? かならず文句を言うくせに」

 ふたりは、おたがいずけずけと遠慮なく話しているのに、その会話の様子は心の交流のある人間同士の、ちょっとしたお遊びのようでもある。

 おれはふと、死んだ祖父のことを思い出した。

「まあ、そう言うな。とりあえず頭数はそろうだけそろったんだ。いいから座れよ」

 ヒルガーテは大きくため息をついて、大鍋をテーブルの端に載せ直し、丸太に座った。

 おれも黙って腰かける。


 ディトワは頭を垂れ、祈りだした。

「名もなき神よ。与えられた食卓を感謝します。われらのひと日の疲れをいやし、この場を祝福で満たしてください。あなたのご随意に」

「ご随意に」

 ヒルガーテもそう唱和したので、しかたなくおれも声を合わせた。

「みんな意外に信心深いんだな。食事時の祈りなんて、じつは子どもの時以来だ」

 多少からかい気味にそう言った。


 昨日から彼らは食事時には必ず祈るのだ。


 すかさずテーブル上のあぶり肉を手に取ったディトワは、それをほおばりながら答える。

「なんだ、いまは祈らんのか? 信仰は大事だぞ。おれは百年前から信者だ」

 大げさな与太話につきあうつもりもなく、おれは適当に話を濁した。

 宗教の話はどうも苦手だし、興味もない。


「こんなに遅いのはおかしい」


 湯気の立った大鍋をふたたびテーブル上に置き、ヒルガーテはそう漏らす。

「あいつの唯一の欠点は酒好きだってことだな。今晩は泊まりかも知れない」

「……あの荷を運ぶのに、そんなにのんびりするはずない」

 おれはテーブル上のマジューをとって、山ゴリのあぶり肉と野菜をはさみながら彼女の不満げな声を聞いていた。


 例の木箱の中にはいったいなにがはいっているというのか。


「その皿からはとらないで」

 思わぬ厳しい声に、手も止まる。

 おれを見るヒルガーテの厳しい目に、わずかながらたじろいだ。

「ごめんなさい……それはマチウスにとっておこうと思って。おかわりならまだあるから」

 大きな声を出したからか、彼女の顔に狼狽にも似た表情が浮かんだ。

 空になったあぶり肉の皿を取り上げると、勢いよく立ち上がり、走るようにかまどへ向かった。

 ディトワは興味深そうな顔をして、にやにやと口の端に笑みを浮かべている。

 その口の周囲は、大鍋からとって食べたばかりのシチューの、赤々しい色に染められていた。

「マーガル。ヒルガーテをどう思ってるんだ?」

 小声で低くうなるような声を出す。

「どう……って、彼女は従者だろう? 一応」

 質問の意図もわからず、とっさに思いついたことを口走る。

「まあ、そうなんだろうがね」

 意味深なことばを発し、彼は服の袖で口のまわりをふいた。

「似合いの年頃なのにな、おまえら」

「どういう意味だ?」

 ディトワはおれから目をそらし、肩をすくめた。


 ――交際させようとでも思っているのか。


 それは声に出せなかった。

 

 朝の食事どき、帰らぬマチウスを心配して、とうとうヒルガーテはディトワに懇願した。

「様子を見てくる。どう考えてもおかしい」

「やっぱり泊まったんだろう。酔って夜道をグマラシ車でこないのは、慎重なあいつらしいさ。心配も過ぎると……」

「……違うと思う」

 あからさまに否定され、珍しくヒルガーテは立ち上がり、テーブルを叩いて感情を表わした。が、すぐ意気消沈したようになる。

 ふてくされた様子で丸太椅子に座り込んでしまった。


「行って、見てくるだけならいいんじゃないか?」


 おれの発言に、彼女は顔を上げ、驚いたような表情でおれを見る。

 別に助け船を出そうと思ったわけではない。

 ただ、彼女ひとりならグマラシ車を素晴らしい速度で走らせ、あっという間に行って帰ってこられると思ったのだった。

「やれやれ、行き違いになるぞ」

 ディトワは渋った。

「ここまでは一本道のようだったから、その心配はないと思う。それに、途中で会ったら会ったで、無事でなによりじゃないか」

「わかったわかった。マーガル、それじゃ条件を出そう。おまえらふたりで行ってこい」

 真意不明の条件つきながら、おれたちはドゥルフェン村行きの許可をもらった。


 城を出てから四日、赴任してからまだ三日目。

 にもかかわらず、もうひと月以上も経つように感じる。

 それだけ密度の濃い時間を過ごしているということかもしれない。


 ドゥーリガンの型を披露してもらう機会を先延ばしにされたことは残念に思っているが、昨日、一昨日の出来事に疲れを感じてもいた。


 傍らの女従者は、一頭立てとなり軽くなったグマラシ車を飛ぶような速さで走らせている。

 危険すれすれの速度と思われるのに不思議と安定感もあり、御者台で腰を浮かせていなければならないことを除けば、それなりに快適ささえ感じた。

 おれは城で新調された鎧具足に身を包み、御者台上で、これまで起こったこと、知ったことについて考えを巡らしていた。


 ――あの穴


 その向こうにはどんな世界が広がっているというのだ。

 醜怪な甲虫や巨怪たち、まだ見ぬ『竜』の跳梁跋扈する風景は想像もつかなかったし、加えてそれらの怪物たちに『呪い』を施せる存在とはいったいどんなやつらなのか。

 脳裏に響いたことばからすると、彼らもおれたちのように言語を持っていることは明らかだ。

 それに、異なることばを変換し理解させるという超常的な力は別として、ことばの示す意味や内容から判断すると、思考もそう変らぬようだった。


 おれたちと同じように考え、語る、『かの地』のだれか。


 ディトワは『取り憑いている』と言っていたから、怪物たちは彼らのしもべのような存在であり、呪いの依り代として使われているのだろう。

 そこまで考え、素朴な疑問を持つ。


 ――では、この呪いはいったいなんのためだ


 怪物を屠るものを脅かし、手を出しにくくさせるためか。

 いや、延々と続く呪いの縛鎖は、たしかにその末路への恐怖をもたらすものの、かえって次の呪いを受けようとする強い動機となるから、怪物退治をやめようと考えることはないはずだ。

 そもそもこの世界への侵入を最大の目的とするなら、呪いなどなくともこと足りる。やつらの侵攻を防いでいるのは、いまは驚くべきことにたったひとりの守護剣士であり、いかに強かろうと、物量で攻められれば防ぎきれないだろう。


 ――そうか


 ひとりで戦うディトワのことを考えたとき、急にその本質に気づいた。


 呪いは、周囲の人間へ脅威をもたらすのだ。


 おれたちは死者を怖れる。

 この世で最も安全で安心なはずの、もの言わぬその姿に、いずれ自分にもかならず訪れる『死』そのものを感じずにはいられないからだ。

 埋葬は、死の予感をもたらす忌むべき存在を自分から遠ざける行為でもある。

 ところが呪いの結果たる『死せる生者』は、おれたちに『死』をなまなましく連想させるのに、死者として扱われることを拒否する。

 生命の保たれている限り、彼らは生者と変らぬ待遇を、無言のうちに要求してくるのだ。

 それも永遠に。

 身の回りの世話は要らずとも、葬儀も埋葬もできず、かといって放置したまま、忘れ去ることもできない。


 いつまでも生者の目の前に存在し『死』を強烈に表現し続ける『疑似死者』たち。


 彼らは、呪いを受けた者にも、そうでない者にも、呪われた人間の末路を見せつけ、その結果と向き合うことへの恐怖を感じさせた。

 そうして永き歳月を重ねながら、ゆっくり確実に敵対するものの力を削いでいったのだ。


 城の地下で『死せる生者』の群れを見たとき、おれはこの呪いへの言いしれぬ恐怖と不気味さを感じた。

 あの姿を見れば、だれでもそう感じるだろう。

 ヒルガーテによれば彼らはみなルフの剣士だったという。


 なまじ呪いを先に延ばせるかも知れない、という期待のあるために、それが適わぬと知ったときの彼らの恐怖、無念さ、諦観は想像するに余りあった。

 その苦悩の姿は、きっと周囲の人間にも大きく影響を与えたに違いない。


 ――それが、この呪いの本当のねらいか


 かつてはあれだけ大勢の剣士がゴルエを守っていたのに、いまはディトワだけになったというのは、長年見せつけられてきた呪いの末路におびえ、呪われた守護剣士たちだけではなく、とうとうそのなり手も尽き果てた、ということなのだ。


 そう考えると、なぜルフ城には剣士団は存在しなかったのか、剣士団もないのに、剣士を外から雇おうと考えたのか分かるような気もする。


 ――それも優秀な剣士を選別して


 非道を承知で最初からノヘゥルメと対戦させるやりかたも、納得はしていないが、理解はできる。

 あれは、実力ある剣士を選別し、同時に怪物の存在が外部へ漏れるのを防ぐ、口封じも兼ねた一石二鳥の手段なのだろう。


 選別に残った自分は、本当にそれほどの実力者だろうか。

 単に運に恵まれていただけじゃないのか。

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