事後研修
残るふたつの鉄杭を打ちこむことで、おれは多少ながら鉄槌を扱うコツをつかんだようだった。
その作業の終了を待ち、しっかり石床に固定されたことを確かめると、ディトワは大きな歯車についた握りを両手で持ち、身体全体の力を使ってまわす。
たるんでいた太綱はみるみるぴんと張り、台車はきしみ音を立てた。
岩壁の滑車めがけ、マコロペネスの巨躯は少しずつ、ゆっくりと引きずられていく。
「替わってくれ、俺はもう一匹のほうにかかる」
重い死骸を岩壁まで三分の一ほどの距離まで動かすと、彼は歯車の握りをおれに譲った。
額からは大粒の汗がしたたり落ち、服の首まわりは、流れ落ちしみ込んだその汗により、もともとの暗色からさらに黒々しい色へ変わっていた。
おれもその握りを両手で持ち、まわそうとしたが、少々の力ではびくともしない。
渾身の力を込めると、歯車は少しだけまわり、それでようやくわずかに巨蟲の死骸も動く。
「固いだろ。コツは腰だ。腰を落としてやってみるんだ」
これもなにかの修行だと言わんばかりに、ディトワの声は洞窟内に響いた。
壁際にはいくつもの滑車が設けられていた。
それはどうやら、広場の奥に続いている通路入り口まで重たい荷――今回は巨蟲――を運ぶために順々に並べられているようだった。
おれたちはそれから数回ほど、異なる場所にある滑車を使い、引っ張る方向を変え、綱を何度もつけ替えしながら、巨蟲をそこまで引き寄せていく。
やっと目的の場所までマコロペネスの死骸を運びきったとき、ディトワはそのそばにしゃがみ込んだ。
「ここからは綱をつけ替える手間はない。この先はまっすぐだから、奥の滑車ひとつで持って行ける。ふう……その前に少し休むか」
ふたりとも息は上がり、汗だくになっていた。
おれも彼の横に並ぶようにしゃがみ込み、すぐにべったり尻を降ろしてしまう。
石床の冷たさを布越しに感じて、ぞくりとした悪寒が背中を走った。
しばらくおれたちはことばを交わさず、聞こえるのはただお互いの荒い息づかいだけになった。
岩壁はきのうと同じように夕陽に赤く染まっていた。
「こうしているときにまたあいつらが現れたら結構やばいかもな」
「連続では出てこない。どういう事情かは知らんが手駒不足なんだろう、向こうも」
ディトワの冗談におれは薄く笑い、ついでに昨日のことを思い出した。
「なあ、そういえば蛮族の正体を見せるって……こいつらが『蛮族』なのか?」
おれはそう切り出した。
ディトワは応えない。
「よく考えたんだが……こいつらはこの地上の生物じゃない。どこから来たかは」
「そうだな」
おれの話を最後まで聞かず、いきなり立ち上ると、彼は歯車から太綱をはずす。
さらに、予備の太綱をおれに持つように身ぶりで示した。
「ディトワ、最後まで聞いてくれ。……まじめに質問してるんだ」
「ああ、だから、知っていることを教えよう。ついてきてくれ」
太綱を持ち、ディトワは通路の暗がりに向かって歩き出した。
渋々おれも立ち上がり、その後に続く。
突然、青白い光が前方に現れた。
集光石の光だ。
ディトワはそれを懐にでも入れていたらしい。
太綱を左手に、右手に持ったそれを頭の上にかざし、どんどん奥へ入っていく。
通路はかなり大きかった。
あの巨蟲が数匹並んでも充分余裕で通れる幅と天井の高さをもっていた。
進行方向から、かすかな風を感じる。
通路の向こうは、やはりどこか外界につながっているのか。
奥へしばらく歩くと、予想はたちまちはずれてしまった。
進行方向のずっと先に、青白く岩壁が照らされている。
つまり通路はこの先、行き止まりだということだ。
「先は行き止まりなのに、なぜ風が吹いてくる」
ディトワへの質問と感想を兼ねてそう言った。
「行き止まりじゃない。先を見てみろ」
さらに奥へ進むとその理由も判明した。
通路の行き止まり、その床面には大きな穴が空いていた。
巨蟲なら十匹でも同時に通れそうなほど広い。暗くて底も見えない深い穴だった。
ディトワは手に持つ集光石を掲げ、穴の縁からのぞき込むような格好をする。
「見えるか?」
手招きされ、もう一度、穴の縁からよく下を見た。
凹凸の激しい固そうな壁面だ。底は変らず漆黒の闇……妙だ。
「なんだ……あれは?」
集光石の光に照らされ、穴の奥に黒い霧のようなもやの存在を目にとらえる。
「蒸気?」……でもなさそうだ
「マーガル、よく見てろ」
その声に見ると、ディトワは小ぶりの岩を拾い上げ、ちょうど穴から落とすところだった。
それは、まっすぐ下に落ちて、黒いもやにはいり、すぅっと消えていった。
いくら待っても底に達した音はしない。
「……どういうことだ?」
「あの黒いもやにはいると消えちまう。……その綱を貸してくれ」
肩にかついだ太綱の束をおろし、綱の端をディトワに手渡す。
彼はそれをふたたび穴の中に投げ入れた。みるみるうちに束はほどけ、穴に落ちていく。
もやは、綱の通過するわずかな風圧にかき乱される様子もなく、ただぐるぐると、対流しているような動きを超然と続けているだけだった。
おれはそれを見て、ようやくある事実に気づいた。
さっきから身体に感じる微風はこの穴の底から吹いてきているのに、もやは穴の一定の場所に留まったままだ。つまり、あれは霧や煙のような物理的な現象ではないということになる。
ディトワはほどなく太綱を足で押さえ、穴に落ちきってしまうのを防いだ。
集光石を地面に置き、今度はそれを両手でたぐり寄せた。
「ほら、な」
太綱を最後まで巻き戻し、彼はそう言った。
なにが、ほら、なのかまったく理解できない。
「……底なしの穴ってことか?」
「分からないか? ……切れてるだろ」
太綱の断面は鋭利な刃物ですっぱり切られたようになっていた。
「……岩にあたって切れたとか」
どう見てもそうは思えないのに、われながらマヌケなことを口走ってしまう。
「信じたくなければそれでもいい。だが、綱を引っ張りあげるとき、ひっかかったか?」
たしかにそうだ。綱を引き上げる途中、ディトワの手は一度も止まったり、滞ったりした様子はなかった。
「あの、黒いもやのような部分はこちらの世界と『かの地』との境界になっているんだ」
「……かの地、とは?」
「……俺たち以外のものの住む世界、という意味だ」
「マコロペネス……あんな化け物の住む世界?」
「そうだ。蟲やら竜やら……化け物たちだ」
この短いやりとりの中に、おれはひどく単純で恐ろしい事実を読み取った。
化け物どもは、この穴から地上へ這いだしてきているらしい、ということだ。
「……あいつらを斃したとき、俺はいつもここから死骸を送り返すことにしている。石やこの綱みたいに、途中で無くなってるかもしれんし、向こうへ届いているかどうかわからんが、せめて、いくらこちらへ来ようと無駄だ、と、向こうのやつらに分からせたい」
「穴の……向こうにもひとが?」
「知らん。行ったことはない。だが、たぶん俺たちに呪いをかけたやつは、向こうに住んでいるんだろう。こんな呪いはおれたちの世界のものじゃない」
そうかも知れない。
占いやらまじないは日常的にどこでも見かけるし、その多くはうさんくさく、いんちきなでたらめだ。
これほど特異で、しかも実効性ある超常現象はこの世のものとも思われない。
「ここから……向こうの世界から、近々なにが来ると言うんだ」
きのう回答してもらえなかったことを再度質問する。
「……たぶん、竜だ」
「竜?」
「やつらはより強いものに取り憑いてこっちの世界にやって来る」
これまでに同様のことでもあったのか、ディトワはきっぱりとそう宣言した。
「さて、休憩は終わりだ。とっとと蟲どもを穴に落としちまおうぜ。もうすぐ日も暮れる」
おれたちは互いに、いまだ重い身体を動かし、来た道を戻った。
大穴の両岩壁に設置された滑車へ、持ってきた太綱をまわし、それを巻き上げ機から延ばした太綱と結び合わせると、おれたちふたりは、大穴と広場をつなぐ通路へ巨蟲の死骸をつぎつぎ運び入れていく。
ディトワは大きな歯車をまわし、おれは死骸を押す役だ。
蟲の甲殻はぬめぬめしていて押しづらく、やむをえず袖の一部を割くと手に巻き、手袋がわりに使った。
大穴の縁から巨蟲を落とすと、縁の岩をわずかに崩しながら、その巨躯は例の黒いもやの対流する渦を少しも乱すことなく、音もなくその奥へ消えていった。
「あと一匹。晩飯までに終わりそうだな」
洞窟内はもうかなり暗く、ほぼ日は落ちかけていた。
作業慣れしたのと、メスの死骸はオスに較べ小さく、体重もいくぶん軽かったので、おれたちの負担はさらに少なくなりそうだった。
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