実地研修
昼食は小屋の外でとることになった。
午前中、ディトワと座学をしている間、マチウスとヒルガーテはグマラシ車に残った荷物を下ろし、小屋のかたづけをしていたらしい。それで昼食はもともと小屋にあった干し肉や干しマジューなど、調理の必要ない簡易な食事となった。
「小屋にはおれたちの囲む食卓もないから、いずれ作らんとな」
そう言ってマチウスはほこりと汗で薄汚れた顔のまま、マジューにかぶりついた。
おもにサナト麦で作った丸パンを天日で乾燥させた保存食だ。
噛むとさくさくとした食感を楽しめる。
干し肉はなんの肉なのかわからないものの、とてもうまい。
火で軽くあぶれば、旨味のある脂が溶け出し、さらに美味だろう。
塩気で喉は渇くのに、おれはかまわず皿にのった肉を次々に平らげ、手桶の水をごくごく飲んだ。
「おいおい、そんなに食べると午後の作業に響くぞ」
マチウスにあきれたような顔をされる。
午後は巨蟲の死骸を始末する予定だった。
「水は川に汲みに行ったのか? この分じゃマーガルに全部飲まれちまう」
ディトワは訊ねた。
ヒルガーテは彼の方に首を向け、返事をする。
「水浴びのついでに汲んだわ」
ひとより早く食事を終えたマチウスは座っていた丸太から腰を上げ、みなに告げた。
「午後の作業を手伝えなくて済まないが俺はドゥルフェンに行く。」
村に残してきた例の木箱を取りに戻るという。
「いいさ。作業なら、ここに元気のいい若者もいる。ゴナシェは元気にしてたか?」
「ああ、変わらず」
「そうか、村のみんなにもよろしく言ってくれ」
マチウスがディトワと交わすそんな軽いやりとりの中にさえ、どこか信頼しあう仲間同士の絆を感じて、おれはほんの少し、彼らをうらやましく思った。
食事の終わるころ、マチウスの乗った一頭立てのグマラシ車は出て行った。
「さて、食器をかたづけたら、厄介な作業にかかるか……マーガル、動けるのか?」
おれは皿に残った最後の干し肉をほおばっていたのでしゃべれず、首を縦に動かして返事をした。
彼は苦笑いのような表情になり、感想を述べる。
「やれやれ。若い時分の食欲ってやつは、手に負えないな。……そういやヒルガーテ。おまえはマジュー以外あまり食べなかったな。同じ年頃だろうに、男女差ってやつか?」
彼女は不満そうな声を出した。
「竜の肉は苦手なの」
おれの喉はぐぅと音を立てた。
「好き嫌いはするなよ」
「におい」
「マーガルみたいにそれを旨いと感じるやつもいる」
「それこそ『男女差』だわ」
商家の食卓で言い争う家族のようなその会話を聞きながら、おれは必死で口の中の肉片を飲み込もうとしていた。
なんであれ、少なくとも食料なら、口に入れた以上は最後まで食べる。
しかたなく吐き出すときには人目を避ける。
そういう教育を受けた自分をきょうばかりは呪いたくなった。
「い……いまなんと」
やっとの思いで丸呑みし、自分の聞き違いであることを願いながら、ヒルガーテにそう確認した。
「男女差」
彼女は冷たい目つきでおれを見る。
「ちがう、その前だ」
「におい……?」勘が悪いのか、おれをからかっているのか。
「肉のことを言ってるんじゃないのか」
ディトワのことばに思わずうなずく。
彼は目を細め、愉快そうに言った。
「たぶん、そうなるんじゃないかと思って、言わなかったぜ。……でも、旨かっただろ、竜の肉は。……いま食べたのはたぶん肋骨あたりの肉だな」
腹にたまったものは胸のつかえに変わる。
おれは口を押さえて脇の草むらに駆け込みたい衝動に駆られた。
「去年の冬のやつか、ここにあるのは。その時期の竜はいちばん脂も乗って旨いんだ。いつも現れるわけじゃないから保存用に塩漬けして、干してある。内臓は喰えんがね」
その話で、きのう洞窟にあった大きな骨はまちがいなく竜のもので、この男が食用としてさばいたあとの残骸らしいということが分かった。
しかも、まずいことにその想像は、おれの肉体に大きな影響を及ぼした。
両手で口を押さえ、こみ上げるものを必死で押さえながらも耐えきれず、おれはそばの草むらへ駆け込んだ。
洞窟の空気は、ひんやりして冷たい。
きのうはそんなことに注意さえ払わず、無我夢中で戦っていた。
だだっぴろい広場のような洞窟内をぐるりと見渡して見ると、人手を介さない天然の岩室としては相当大きい場所であることも分かった。
天井部分にある岩の亀裂の遥か上から淡い陽光が差し込んでいて、ちょうど天然の照明となっている。
薄明に照らされたマコロペネスの死骸は黒々しく大きな存在感を示し、きのうの戦闘は幻覚などではなく、実際にここで行われたということを、無言ながら雄弁に主張していた。
「吐いてスッキリしたろ?」
からかうような調子でディトワは言う。
おれは聞こえぬふりをして、巨蟲の体躯にまわした太綱を結んだ。
その綱の端を持ち、岩壁に近づく。
いつごろ設置されたのか、岩壁には太い鉄釘でしっかり固定された滑車がいくつも設置されていた。
複数の綱をそれに巻きつけてひっぱり、動かす方向を変えるためのものだ。たぶん、こういったことは以前から行われているのだろう。
「あそこからここまで、櫓を組んでグマラシを通そうとは考えないのか?」
広場の出入り口からこの広場に降りる岩壁沿いの坂は、人手により丹念に岩を削りこんだ労作ではあるものの、グマラシを通すほどの幅はない。
丸太で組んだ骨組みの上に板でも渡し、直接ここにグマラシ車で乗りつけられるような坂を作れば荷物も搬入しやすくなるうえ、こういう死骸の始末も楽になるのではないかと考えたのだった。
死骸の反対側でおれと同じ作業をしていたディトワは手元で綱を結びながら、面倒くさそうに答えた。
「何回も作った。けど、そのたびに壊された。外の小屋ももとはここにあったんだぜ。やつらは洞窟内に人工的な設備や施設のあるのを好まないらしくてな、現れてすぐ壊しにかかるんだ」
「……変な習性だな」
「習性じゃない。明確な意図を持ってやってる」
「……蟲だぞ?」
言いながら、ふとマコロペネスの死骸をどうするつもりなのかと気になった。
「ディトワ」
「ん、なんだ?」
「ところで、蟲はどこへ運ぶんだ?」
「……こいつらの来たところだ」
その答えを聞いて、おれはこいつらについて、本質的なことはなにも尋ねなかったし、知らないということを思い出した。
そういえば、こいつらはいったいどこから来たのか。
「来たところ……って」
「あっちだ」
彼は洞窟のずっと奥を指す。
昼間の陽光も届かずさっきまで単なる暗がりだと気にも留めていなかったそこに、奥に続く道の存在を視認できた。
広場の薄暗さに目も慣れたらしい。
「奥に続いてる……山脈の向こうにつながっている?」
「そうじゃない。……よし終わった。運ぶぞ」
綱を結び終えたディトワの不可解な返事に、ダメ出しをしてやりたかった。
一度マコロペネスを離れると、彼はグマラシ車からマチウスの運んできたとおぼしき、例の未開封の木箱が積み上げられた壁際に歩いていった。
石壁脇にある大きな木製の台車をこちらに運んでこようとしている。
台車の上には大ぶりの歯車と、その歯車を回すための小さな歯車の多数組み合わさった大型巻き上げ機が据え付けられていた。駆け寄ったおれもその作業を手伝う。かなり重い。
「グマラシ車を入れなくとも、これひとつでなんとかなる」
そう言いながら巨蟲の死骸の脇に台車を停め、ディトワはその四隅に装着されている鉄杭を大きな鉄槌で打ち込み始める。
金属同士は激しくぶつかり、洞窟の広場内に反響して、きーんと耳障りな音を立てた。
「まあ、こんな要領でやってみてくれ」
ひとつ目の鉄杭を深々と石床に打ち込むと、彼はおれに鉄槌を預けた。
そのあとマコロペネスにくくりつけた太綱を岩壁の滑車経由でふたたびこちらに引いてきて、巻き上げ機の小さな歯車に巻きつけた。
おれの作業はというと、彼のようにはうまくいかなかった。
槌の打面で力いっぱい鉄杭の後端を叩けども、思うように石床にめり込んでいかない。作業を終えたディトワは背後に立っておれの様子を見ているようだ。
気配で分かる。
人に見られている焦りと緊張感とで、さらにうまくいかない。
「マーガル、もっと柄の先を持てよ」
とうとう我慢しきれなくなったのか、背後から彼は言った。
しかし、柄の先を持てば遠心力を用いた強烈な打撃を期待できる反面、先端の重量に手を取られてねらいは甘くなり、鉄槌を杭の後端に当てにくくなる。
「握りに力をこめるのは、杭に当たるほんの一瞬前でいい。それまで手の役割は、槌のあたる方向と角度を調整することだ。力はいらん。手を軽くそえて振るような感じだ」
そのことばに、これもドゥーリガン修行のひとつかも知れないと気づかされる。
考えてみると、鉄槌の形状はあれにそっくりじゃないか。
ディトワが巨蟲の甲殻にドゥーリガンを打ち込んだときのことを思い出し、おれは槌を寝かせて構え、腕で弧を描くように、それを大きく振り上げた。
全身の力をこめつつ、腰を入れて槌の先端を鉄杭に打ちつけた。
思ったほどに、大きな音はしなかった。
杭は一気に石床へめりこみ、台車自体、その衝撃にぐらりと動いたほどだった。
「こりゃすごい」
ふり返るとディトワは腕組みをしながら、いまの一撃をそう評価してくれた。
「が、残念ながらめりこみすぎた。抜くとき苦労するぞ」
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