着任挨拶
ノヘゥルメのとき同様、打ち壊した巨蟲の急所からも呪いの白煙は立ちのぼった。
違ったのは脳裏に響くだれかの託宣だった。
それは一方的に日数を告げて終わるものではなかった。
――『汝、我をよく討ち果たした。汝の日数はこれで十と八日延びる。だが忘れるな、我はふたたび汝と相まみえ、汝を討ち滅ぼすものなり』
正直なところ、これだけ苦労してたった十八日しかくれないのかと、不満を感じた。しかし、おれのその思いを呪いのむこうの『だれか』は感じ取ったらしい。
――『汝よ。日数の少なさを嘆くことはない。それは我の宿る生物の質に応じて決まる。マコロペネスでは長くともせいぜい二十日。しかし我はその日数を待たず、汝のもとに現れるだろう。それまでせいぜい残された日数を大事に暮らすがよい』
最後はあきらかな高笑いとともに、声は意識から消えた。
思考に返答のあったことで、おれは少なからぬ衝撃をおぼえた。
呪いそのものに、生命あるだれかの明確な『意思』を感じたからだった。
マチウスとヒルガーテはディトワをはさみ、介抱している途中だ。
高所からの落下により、彼の両足は通常とは異なる方向へ折れ曲がっている。
これではなんとか治癒しても、一生まともに歩けるようにはならないだろう。
両手の親指も逆方向へ骨折していた。
たぶん、ドゥーリガンを巨蟲の固い甲殻へ思い切りたたきつけたときに負った傷らしい。
「よう、浮かない顔だな。とどめは刺したんだろ?」
おれの顔を見てディトワはそう言った。
なんとも申し訳ない気持ちになり、詫びる。
「……済まなかった。おれが足手まといなばかりに」
「なんのことだ?」
「ケガのこと」
ヒルガーテはおれの心を読んだように、そう告げた。
「ケガ? ……たしかにマコロペネス程度にこのケガはないな」
ディトワは強がって見せたいのか、おどけたように言う。
「マーガル、何日だ? 呪いに言われたんだろう?」
マチウスは首をかしげ、まじめな顔つきで質問してきた。
「十と……八日」
「上出来だ。おれは十二日。まあ、こっちはメスで、最初から少ないのはわかってたが」
ディトワは気楽そうだ。
でもそのせいで、かえってこちらの気持ちは沈んでしまう。
「日数は伸びてもその状態では、もう……」
その気重さに、考えもなく口走ってしまう。
「もう? なんだ? ……ああ、ケガのことだったな? 治るから心配するな」
怪訝そうにそう言うと、ディトワはおれ以外のふたりを交互に見た。
「おい、なんだよ? それも話してないのか?」
マチウスはばつの悪そうな顔になり、おれを見た。
ヒルガーテは困惑したように話し始めた。
ふだんの彼女には似合わず、それは言い訳めいていた。
「いきなりでは信じられないと思うし、いずれわかることだし……」
ディトワはため息をついた。
「最初だろうと後だろうと事実は変わらない。なあ、マーガル?」
「な、なんだ?」
「おれたちはな……呪いを受けた人間は、不死身になるんだ」
言われていることを理解するには、少し時間がかかった。
「……なにを言っているのか、よくわからないが」
「おまえ、死んでたぜ、さっき」
「え……?」
「マコロペネスに蹴られてたろ?」
「いや……かすっただけだ。だがそれであんたの手をわずらわ」
「ここに鏡はないからな」
おれのことばにかぶせて、彼は話を紡ぐ。
「あいつの棘で額をえぐられてる、普通の人間なら……いまはもう治ってるが」
「そんな……」
バカなことはない。あるはずもない。
とっさに頭へ手を当て、ぬぐう。
粘りけのある感触だけで、傷らしきものの感触はなかった。
その指を眺めてみても、付着しているのは、洞窟内のほこりが汗や皮脂と混じった粘着質の黒っぽい汚れのみだ。
だいいち頭をえぐられていれば大量の……
ディトワはその疑問を予期したかのように答える。
「そうそう、血なんかでないぜ、おれたちはな」
「……どういうことだ?」
「おれたちの身体に流れてるのは、その手についている黒いどろどろした、赤い血以外の『なにか』だ。ヒルガーテの胸元を見てみろ」
ヒルガーテの貫頭衣には、大小様々の沁みが黒々とついていた。
助けられたときについたのだと言いたいのか。
それが自分の身体から出たものだとは、どうにも信じられない。
「信じなくったっていい、いまだけだ。そのうち理解できる」
そう言って、ディトワは両足をマチウスに差し出す。
マチウスは手を伸ばし、折れ曲がったその足を真っ直ぐになおした。
折れた骨のこすれる音だろうか、その足から聞こえるごりごりとした不快な音に、思わず身をすくめそうになる。
ディトワは涼しい顔で言った。
「こういうときには、痛みを感じないってことに感謝したくなるぜ」
「彼もそうなの」
ディトワの左足を押さえながら、ヒルガーテは告げる。彼はいわくありげにおれを見た。
「そうか。……それで今の時期……なるほど」
続けて洞窟の天井を仰ぎ見るように首を上げ、言う。
「来るぜ、近いうちにな。やつ自身、はっきりそう言いやがった」
脳裏に響いた託宣のことだろうか。たしかに『声』はそんなことを言っていた気もする。
「……いったいなにが来るんだ?」
おれの質問に答えはなかった。
マチウスはかすかにうなずいたようだった。
ディトワは折れ曲がった両手の親指を歯で噛み、勢いよく元の位置に戻す。
ばきばきと音を立てて、それはあるべき正常な位置に戻った。
しかし、それはぶらんと力なく垂れ下がったままだ。
やがて、外見上はまともな姿にもどった彼は、石床に横たわったままおれたちに指示を出す。
「治るまで少し寝る。わるいが、祭壇に弩と張りワナだけは用意しててくれないか」
おれとマチウスは巨蟲に破壊された弩の残骸を片付け、洞窟の外につないだグマラシ車から木箱をいくつも運んできた。
中身は当然、弩と大矢だった。
洞窟内には壁ぞいに上下九カ所、広場の石床には三カ所に弩を設置できる場所があり、広場のものを除けば、それぞれ弩と脚架はすでに備え付けられていた。
洞窟の壁ぞいに、石壁を削ってつくられた細い道をのぼり、大矢を運ぶ。
「広場のは何回も壊される。やつらにとっても弩は恐ろしい武器だからな」
マチウスはそう言いながら壁の高所に設置された弩の弦を張った。
そこに大矢をつがえ、眼下の石床に狙いをつける。
石床にはいくつか円状に穿たれたくぼみがあり、あらかじめそこに照準を合わせ、敵をおびき寄せて大矢を射るという。
一カ所あたり予備に五、六本の大矢を転がし、九カ所の弩に矢をつがえ終わると、広場の壁は血塗られたように赤く染まっていた。
洞窟をおおう岩の亀裂からはいってくる夕陽の光によるものだった。
ようやく作業も一息つき、壁の上方から洞窟内の広場を眺めてみると、あちこちの壁ぞいに奇妙なものをいくつも発見した。
大きな骨のようなものだ。
――グマラシか……、いやそれより大きい
おれの胴体ほどもある、四肢のどこかのものらしい骨片、折れ果てた肋骨部分など、遠目には一見、洞窟の鍾乳石のように見え、しかしその形状はどこから見てもやはり動物の骨としか思えない。
「竜の骨だ」
おれの視線の先に気づき、マチウスはそう言った。
「竜? ……竜って、あの竜か? 昔話に出てくるような?」
「竜は竜だ。……昔話に出てくるのも、骨になる前のも、同じ竜だ」
広場へ降りた。
巨蟲にずたずたにされた縄は片づけられ、新たな太縄が石床に張り直されている最中――作業しているのはヒルガーテと――ディトワだ。
「ディトワ!」
驚きのあまり声を出してしまう。
その声にふり返った彼は、床に張っている途中の太縄の束を置き、立ち上がってこちらへ歩み寄ってくる。
足取りは至ってふつうに、さっきまで再起不能なほどの大けがをしていたとは信じられないほどだ。
太縄を張る作業をしていたことからすると、骨折していたはずの両手も回復しているのだろう。
身じろぎもしないおれを見て、彼は言った。
「そんなに珍しそうな顔をするな。治ると言ったろ」
不可思議な事柄の連続に、正直、おれはすっかりことばも失っていて、目の前の元ケガ人に、やっとひとことだけ訊ねることができた。
「あんた……何者なんだ、いったいここでなにをしてる」
デュトワは不敵に笑みを浮かべた。
「何者かと言われてもな。……ここでの役割は、さっきのような怪物からこの世を護る、たぶん、最後の『
誇大で大仰なことばにも、疑念はわき上がってこない。
実は、言われたことばの意味すらよく理解していない。
それに、もうそんなことはどうでもよかった。
ひとつ明らかなのは、この男はおれのこれからの人生に、なんらかの影響を与える人物だろうということだ。
「ゴルエにようこそ。よろしくな。剣士、マーガル」
おれは差し出される彼の手を、暫時見ていた。
しかし、すぐに右手を上げ、握り返す。
「あらためてよろしく、剣士デュトワ。……ドゥーリガンを学べば、おれもあんたのように、……その『
ディトワは返答の代わりにおれの手を固く握った。
折れたはずの彼の親指はおれの手の甲にしっかりと、力強くかかった。
全員で洞窟の石床に仕掛けワナを張り終えたとき、外はすっかり闇に包まれていた。
マチウスのともしたたいまつの火で、周囲の岩肌に写るおれたちの陰影は、ゆらゆらと、かげろうのように揺らめいている。
巨蟲マコロペネスの死骸処理をめぐっては、ディトワとヒルガーテの間にちょっとした対立もあったものの、結局、冬前のこの時期なら腐臭を放つ前に処理できるのではないかというマチウスの助言により、きょうのところは外の小屋に戻ることになった。
みなへとへとになっていた。
小屋にたどり着き、むさぼるように小屋内の食料をあさる。
近くを流れるという川で汗を流そうと考えることもなく、食事を終えるとみな一様に小屋の床へ横たわった。
眠りに落ちる間際、洞窟の隅に未開封の木箱がいくつも積み上げられていたことを思い出す。
昼間の作業時に運んだ覚えはない。
となるとマチウスだ。
ここに着いてすぐ、それを運びこんでいたのだろう。
だが、中身はなんだ。
弩や大矢のはいる大きさではない。それなのにどこかで見覚えはあった。
――ああ、村に置いた……
思い出したことに安心したのか、おれは泥のように眠りに落ちていった。
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