蛮族撃退
ぎりぎりで発射した大矢は巨蟲の腹に突き刺さった。
だが矢じりは背中側の丈夫な外殻を突き通さず、矢の後端はかなり長く腹部から突きだしたままとなった。
それはちょうど巨蟲の身体と石床との間でつっかい棒のようになり、そのため、やつは完全に着地できず、体躯を斜めにのけぞらせていた。
その不安定な格好のまま、巨蟲は宙に浮いた上半身の下にある棘だらけの短い脚を激しく動かし、床をひっかくようにもがく。
「マーガル! こいつの急所は頭だ! オスなら突起もあるから、そこを叩け!」
たしかに絶好の機会だ。
巨体のわりに素早い動きもするから、近づけるのはいましかないだろう。
だが、頭部を高く持ち上げているこいつにどうすれば剣を届かせられるのか。
「甲殻の隙間に剣を突き立てろ、後ろからのぼっていくんだ!」
わずか逡巡したおれの心を読むように、マチウスは追加の指示を出してくる。
床に置いた剣を取り、うねうねと動く巨蟲の後部に急いで近づいた。
気になってディトワの方を見ると、回り込みながら攻撃をかわし、巨蟲の右側の脚を片端から切り落としていた。
なるほど、うまい手をつかう。
おれも目の前でせわしなく動く巨蟲の後ろ脚を切り落としてやろうと考えた。
大剣を振り上げ、力まかせの一撃をくらわした。
――なに!
おれの剣は巨蟲の太い後ろ脚の半分程までめり込み、そこで止まってしまった。
おまけにその脚の怪力で、手から剣をもぎ取られてしまう。
「なにやってる!」
マチウスの叱責が聞こえてきた。
彼は洞窟の壁に設置された、もうひとつの弩のもとへ走り寄っていた。
思わず言いわけめいたことばを出しそうになり、唇を噛む。
マチウスひとりの作業では、大矢の発射態勢をとるまでに時間もかかるだろう。
これはおれ自身の失敗だ。自分でなんとかしなければ。
落ちていた弩の残骸をとり、棘つきの脚に食い込んだままの大剣をとろうとがんがん叩く。うまく剣は脚から外れ、巨蟲の足もとに落ちた。
剣へ手を伸ばしたとき、べきべきと木の裂ける音を聞いた。
地面とのつっかいになっていた大矢が、巨蟲の重量と、その動きに折れはじめたのだ。
――まずい、すぐだ!
石床に落ちた大剣の柄をつかみ、蟲の足下から引き出そうとしたとき、動き回るやつの脚のひとつがおれの頭をかすめた。
たったそれだけで、棍棒で殴られたような衝撃を受ける。
痛覚のないのは幸いだが、意識は飛びそうになった。
大剣を地面に突き立て、なんとか転倒をこらえた。
「どけ!」
意識の朦朧としたおれは、背後からの大声にふり返ることもできなかった。
蟲の腹部からばきっという大きな音が聞こえ、のけぞっていた巨蟲の身体は、石床に地響きを立てて着地した。
とうとう大矢が折れたのだ。
「だあっ!」
ディトワは、おれの脇をものすごい勢いで駆け抜け、巨蟲の背に飛び乗った。
それを感知したのか、蟲は急激に身体を転回させる。
その反応ぶりと対応の的確さは、とてもこの蟲自体の判断と思えない。
まるでだれかに指示を受けているようだった。
「マーガル、下がれ! まきこまれるぞ!」
どこからか聞こえるマチウスの必死な声に、なんとか身体を動かそうとしても、不思議なくらい、それはうまくいかなかった。
ディトワはドゥーリガンを固い甲殻に叩きつけた。
カギ状になった峰側の剣先は巨蟲の背中の装甲を突き破り、杭のようにそこへ刺さる。剣の柄をしっかりとつかみ、彼は巨蟲の背中に立ち上がった。
巨蟲は背中のディトワを振り落とそうと、ますます激しく動く。
おれの目の前に、みるみる棘だらけの脚が迫ってくる。
――くそっ、このままじゃ……
そう思うのと同時に、真横からいきなりだれかに飛びつかれた。
引き倒され、石床で身体を打つ。
痛みはない。
視界の隅に、いまおれのいたあたりへ棘だらけの脚が数本、激しく空を切るのをとらえた。
「なにしてるの!」
ヒルガーテはおれの顔の真上で声を荒げた。
「あ、ああ……すまん」
間の抜けたような声で謝罪するおれの服をつかみ、彼女はおれにまたがったまま勢いよく身体を横に倒した。
その反動を使って石床を転がり、危険域から脱出するためだった。
二、三回転したところで彼女は立ち上がり、まだふらついているおれを支え、洞窟の壁際まで後退させた。
そのときようやく、羞恥と屈辱と、なにかそのほかにも説明しようのない感情がおれの心中にわき上がる。
ざらざらした岩肌に手をついて身体を支えながら、背後の戦闘を見ようとふり返った。
巨蟲は自分の背中に屹立するディトワを乗せたまま、近くの壁に突進していくところだった。
わざとそこへ衝突し、その衝撃で背中の邪魔者を振り落とそうとしているかのように見えた。
先ほどの反応ぶりといい、そんな知能まで備わっているとは信じがたい。
だが実際に見ている以上、認めるほかない。
こいつらは単に身体の大きいだけの化け物ではないらしい。
巨蟲が壁にぶち当たる寸前、その背中に立ったままだったディトワはドゥーリガンの先端を甲殻からはずし、自分から壁に向かって走った。
――!
石壁と巨蟲の巨躯との激突は、洞窟内の空気を震わせ、ずん、と、まるで地響きのように響いた。
ディトワはそれより一瞬早く跳躍し、両足で壁を蹴ると、さらに高く跳び上がる。
そのまま剣を両手で高く掲げ、真下の巨蟲に向かい落下していった。
おれの目にその動きはひどくゆるやかに見えた。
巨蟲の頭部へ落ちる間際、ディトワは身体を丸め、空中でくるりと回転する。
その回転の終わりかかるところが落下の終点だった。
凝縮した呼気を飛ばしながら、ディトワは自分の身体ごと巨蟲の頭部にドゥーリガンのくさび状の先端を打ち込んだ。
大きな音。
頭部を守る甲殻は割れ、爆発したかのように四散した。
おれはその破片の向こうにディトワが落ちていったのを見た。
巨蟲は一度だけ棘だらけの脚で石床をこすると、ぴょんとひっくり返り、痙攣しながら身体の内側に脚を折りたたんだ。
もう動かなかった。
「まずい、じかに落ちた」
石床へ直に叩きつけられたディトワを助けようと、ふらつく身体で走り出しそうとした。
「マーガル! まだだ!」
マチウスの声。
その声に顔を上げ、もう一匹の巨蟲の生存を確認する。
右側の脚を全部失い、左側の脚だけで石床をぐるぐる回りながら、こちらに近づいてこようともがいていた。
おれの危機にディトワはあいつにとどめを刺さず、こちらへ来てくれたのだった。
「いけーっ!」
マチウスは弩を発射した。大矢は巨蟲の脇腹に突き刺さった。
甲殻のきしんだような音を立て、巨蟲は回転するのをやめた。
「マチウス、ドゥーリガンよ!」
背後に響くヒルガーテの声。
あの剣を持ってきていたらしい。
「マーガルに渡せ」
「でも!」
「渡すんだ!」
「無理よ、使えない」
そのことばに、おれは激した。
「かせ!」
彼女に近づき、その手にある剣をつかむ。
渡すまいとして懐に抱え込もうとするのも構わず、力ずくで奪い取った。
「やれるの?」
ヒルガーテはぎらぎらした目つきで、そう念を押す。
おれは黙ったままにらみ返すと、巨蟲に向き直り、走り寄っていった。
片側の脚をすべて失い、動き回ったところに大矢で射止められたせいなのか、巨蟲の動きはかなり弱々しくなっていた。
ディトワに斬り飛ばされた脚の切り口からは、黒々とした体液が薄くにじみ出し、そこからもどんどん体力を体外に失っているようだった。
巨蟲は近づいたおれを威嚇するように、しゅうと空気を吹き出すような音をさせた。その音もはじめて聞いたより、ずいぶん迫力に欠けている。小さな吐気だ。
頭部の甲殻に目立つ突起を発見する。
マチウスの言っていたのはこのことだろう。
とすると、そこが急所で、こいつはオスなのだ。
おれはドゥーリガンを肩にかつぎ、どう攻めようかと考えた。
巨蟲はもう体力もなくなったか、もがくのをやめ、弱々しく口吻をかちかちと打ち鳴らした。
頭部を下げて急所をおれに差し出すようなまねをする。
まるで観念でもしているように見える。
――結局、おれは中途半端だ
ノヘゥルメのときもそう。
今回もそうだ。
だれかの多大な労力や手助けのあと、とどめを刺すという役割にしか就けない。
肩からドゥーリガンをおろし、両手で構えた。
先端の重さに剣先はゆらゆらと定まりない動きをする。
手に重く、支えるのも大変だ。
――この剣
先ほど見た、ディトワの剣技に身震いした。
この剣をあれだけ扱えるようになるには、いったいどのくらいの修行を必要とするのか。
見よう見まねで剣先を下げ、腰だめに構える。
――これ以上の失態はたくさんだ
この剣は、遠心力を使い、重い剣先の威力を何倍にも高めるという原理で扱うらしい。だが、その原理をよく理解したとしても、この重い剣を扱えるだけの体力と筋力も必要だろう。
ディトワの丸太のような腕は、剣の威力を最大限に発揮するためのもので、すぐ手に入れられるというものではない。
それでも、まずはここから始めるしかない。
――だれが呼んだか無氷の剣士
ヨツラのあの歌の歌詞を思い起こした。
「……天才マーガルここにあり、か」
自嘲気味にそうつぶやくと、おれは剣先に威力をのせるため、勢いよく身体を回転させる。
巨蟲の頭部にある突起を狙い、ドゥーリガンを打ち下ろした。
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