蛮族襲来

「マーガル、おまえ、いくつだ」

 丸太のような腕を組み、ディトワは質問してきた。

 会ったばかりでおまえと呼ばれる筋合いもないから、おれは黙っていた。

「若いってのはいい。未熟なのもありだ。だが、その手の勘違いは他人にも害を及ぼすもんだ」

 そう言ってきびすを返すと、彼は小屋の一角にある扉を開けた。

 武器用の戸棚らしく、中からあの奇剣を取り出す。


 彼専用のものだろうか、それはマチウスの剣とは若干違う外見をしていた。

 先端のくさびは両側が尖らせてあって、剣峰側の切っ先はカギ状になっている。


 ディトワはそれを片手で上に掲げ、振り仰いだ。

「確かに……こうしてみるとふつうの剣とは違うな。けど、用の美ってもんはある。実用的な美しさってことさ。そいつがわからないとはね」

「用の美ならわかる。だけど、そいつは実用にならないから美しくないんだ」

 いらいらしながら反論した。

「おまえじゃまだ使いこなせないさ。それだけでこの剣が実用にならないとは言えない」

「いまのおれにそれを使いこなせないのも知ってる。……わからないかな。使いこなせないなら、『おれには』実用的な道具じゃないんだ」

 伝え方が悪いとも思えないのに、どうしてこんな簡単なことも理解できないのか。

「そうか、そういう意味なら、おまえの言ってることもわからないではない。それじゃ、これを使いこなす訓練をする気はあるんだな」

「ないね。いまのところそれにも必要性を感じていない」

 マチウスに言ったのと同様、この男にもはっきり自分の考えを知らしめておくことが重要だろう。

 こんな剣とも言えない得物を扱う気にはなれない。

「おいおい……ガキか、おまえ」

 そう言ってディトワは軽蔑の表情にも似た薄笑いを口もとに浮かべた。

「ノヘゥルメひとりで調子に乗ったのか? あいつらはな」

「ディトワ!」

 ヒルガーテが大声を出した。

「まだよ。すぐにわかるから……」


 限界だった。

 おれの心の中でなにかが音を立てて切れた。


「いい加減にしてくれ!」


 大声を出して怒鳴ったのは、ずいぶん久しぶりだ。

 剣士訓練に出かける当日、心変わりでもしたのか、おれを引き留めようとするふた親を怒鳴って以来のことだ。

「思わせぶりな話はもうたくさんだ! いったいなにを隠してる? おれはもうルフの剣士になった仲間じゃないのか? その金槌みたいなばかばかしい剣を扱えなきゃ、なにも教えてもらえないのか? え、ヒルガーテ?」


 ヒルガーテは目を丸くし、身を固くして、怒るおれを見ていた。

 彼女のそんな表情を見たのは初めてだったし、おれの方も内心、彼女の怯えたような表情に、逆に驚いた。

「あの巨怪の正体やら、呪いやら、地下の墓地やら……祭壇の話やら、いったい、この地にはなにがあるんだ!」

 おれの声は小屋内にかすかに残響し、みるみる中空に拡散していった。

 わずかの静寂。

 やがてディトワは口を開いた。

「分別のついたらしく無口を気取ってるよりは、いまみたいに感情むき出しの方が年相応って感じもして好ましく見えるぜ、俺にはな」

 ディトワをにらみつけた。

 彼はそれを意にも介さず話を続けた。

「十八から二十歳ってとこだろおまえ? たぶん他人と一緒に戦った経験なんざほとんどない。で、いまのおまえの質問に応えるなら……そうだ。この剣を扱えなきゃ俺たちの仲間にはなれない。仕事仲間ってのは一人前同士がなるもんだ。剣士なら相手の実力に信頼を持てなきゃ、背中は預けられないってこった。当然、その中には武器の選択も含まれるのさ」

 ディトワの話に少し冷静さを取り戻し、おれは自分の考えを話す。

「ふつうの剣でも、充分に戦える。おれは『蛮族』と戦ってみて、そう思ったんだ」

「蛮族……? ノヘゥルメのことか? あれは蛮族なんかじゃないぜ。いいかマーガル、本当は蛮族なんていない。いやしないんだ。全部外向きの作り話だ。……そうでも言わないと、事態を収拾できなくなる」


 またもや謎か。もういい加減にしてくれ。

 かすかに金属のこすれ合うような音を耳にした。

 室内のどこからか聞こえてくる。

「おれたちの相手は……待て、どうやら……」

 鈴らしき金属音はちりちりという音をだんだん大きくし、ついには小屋内に響きわたった。

 小屋外でも、そちらは鳴子のがらがらという音をけたたましく発していた。

「マーガル、おまえは運がいい。赴任早々『蛮族』とやらの正体を見られるぜ」

 ディトワは緊張した面持ちながら、愉快そうにそう告げた。


 小屋を出遅れたおれは、グマラシ車の御者台に置いた自分の大剣を取り、『ドゥーリガン』を携えたデュトワと、そのあとに続くヒルガーテを追った。


 彼らは山腹に空いた例の大きな亀裂に向かっている。


 走りながら大剣のさやを背中にくくりつけ、傾斜した路面をのぼった。

 見た目よりさらにきつい坂で、革長靴の革底はずるずるとすべりそうになる。

 そのせいで地形になれているらしい前方のふたりになかなか追いつけない。


 大きな亀裂は山腹にちょっとした平地を作りだしていて、そこに設置してある太い杭にマチウスの曳いていたグマラシ車も繋いであった。

 グマラシは興奮しかけていた。

 たてがみの槍毛を開き、落ち着きなげに足踏みしながら、ぐっぐっと低い唸り声を出している。

 このまま放っておくわけにもいかない。

 ヒルガーテは御者台の近くにいて、なにやら作業をしていた。密閉炉に火を入れ、バル香の吸引でこの猛獣を落ち着かせようとしているのか。


 ディトワは亀裂の奥に入っていったようだ。

 見るとそこは洞窟状になっていて、不思議に奥はうっすらと明るかった。

「彼は! 中だな?」

 返事の有無に関係なく彼女にそう声をかけ、そこへ足を踏み入れていく。

 背後で彼女はなにかを言ったようだったが、洞窟内から聞こえてくる音にかき消され、よく聞こえなかった。


 奥から、重たい物をひきずるような擦過音が聞こえてきた。

 背中の大剣を抜き、歩きながら先へ進む。

 音をよく聞き分けると、その音のほかに、大勢の人間の靴音のような音と人間の怒声に混ざり、大量の空気を吹き出すような音も合わさって、不気味に調和していた。


 突然視界が開け、広場のような洞内に行き当たる。


 おれの立っているところはその広場に面した崖状の高所になっていて、洞窟内部を一望できた。

 岩の天井に裂け目があり、そこから差し込む淡い光は本来真っ暗なはずの洞内を薄明に照らし出している。


 石床の一角に、黒々とした大きな塊を発見し、息を呑んだ。


 ――なんだあれは


 そいつは、広場の地面に縦横無尽に張られた太綱に引っかかり、もそもそと身動きしていた。

 よく見ると二匹いる。

 身体の上面は甲冑の自在装甲にも似た、分割された十ほどの甲殻に覆われ、無数の棘状突起のついた短い脚が左右から八本ずつ生えていた。

 甲虫の一種なのか。


 巨大な蟲だった。


「マチウス! 弩は!」

「まだだ!」

 眼下で怒鳴っているのはマチウスとデュトワ、見知ったふたりの人物だけだ。

 ほかにひとの姿はない。

 あきれたことに、ここを守護する剣士は、デュトワひとりしかいないということに、ようやく気づいた。

 気を取り直し、上方から彼ら人間たちと対比してみると、蟲の大きさに見当もついた。表にいるグマラシよりも大きい。


 ――化け物め


 あんな巨大な蟲を見たことはなかったし、話さえ聞いたこともない。

 おれはふたりの加勢をしようと下に降りる方法を探した。左方を見ると、広場へ続く道を見つける。走り出した。


「やばい、綱が切れはじめた!」

 駈け寄ったとき、マチウスはそうディトワに怒鳴ったところだった。

「マコロペネスはひとりじゃきつい! なんとか弩で片方の動きを止めろ!」

 片側の巨蟲と対峙していたディトワは肩越しにふり返り、そう指示を出す。

「マチウス! マーガルだ! ふたりでもう一匹を……」

 ふり返った刹那おれの姿を認めたらしく、ディトワがそう言いかけたとき、空気を吹き出すような音を激しく立て、巨蟲は太い脚を動かした。

 その脚の棘状突起は、ちょうどのこぎりのような役割を果たし、自分にからみついている太い綱を次々に切断する。

 綱から一部解放された巨蟲は身体を大きくもたげ、彼に襲いかかった。

「ディトワ!」

 おれの横でマチウスは叫ぶ。

 ディトワは身体を転がし、上からのしかかろうとする蟲の巨躯を避けつつ、素早くその側面へ回った。

「はやくしろ!」

 絶叫しながら、彼は手に持った異形の奇剣『ドゥーリガン』で、巨蟲の脚を打つ。

 その部位は破断され、棘の破片を振りまきながら洞窟の石床に落ちた。


「マーガル!」


 組み立て途中だったらしい弩に駆け戻り、マチウスはおれを呼んだ。

 もう一匹の巨蟲は脚ばかりではなく胴体も綱にからめとられていて、必死にもがいていた。

 しかし巻きついた綱はずたずたに引きちぎれ、そいつの解放は時間の問題だった。


 マチウスの指示により、弩を組み立てる。

 脚架はすでにこの広場の石床に据え付けられていたらしく、上物として巨大な弓部をはめ込み、大釘で留めるだけだ。

「ドゥーリガンは持ってきたのか?」

 作業中、マチウスはそう訊ねてきた。

 おれは無言で首を振った。


 石床をひっかくガリガリという音に振り返ると、巨蟲は自分のまわりを動き回るディトワに身体の正面を向けようと、右往左往していた。

 最初、大勢の靴音と思ったのは、巨蟲が石床の上で足を滑らせる音だったのだ。


 ディトワはやつの何本目かの脚を打ち飛ばし、背後に背後にと回り込んでいく。


 矢は成人男子の太ももほどある丸太で作られていて、まるで銛のようだ。

 巻き上げ機で弦を引き絞る。

 思ったより力のいる大変な作業。

 そうして巨大な矢を弩につがえる。

「見ろ!」

 マチウスの声にもう一匹の巨蟲を見ると、とうとう太縄をすべて引きちぎり、仲間と戦っているディトワの方へ向かいはじめた。


 かちりという音とともに、弦は金具に引っかかり、発射の準備は完了した。

 おれたちは大矢をつがえ、急いで照準をその巨蟲へ向ける。

 やつはこちらに横腹を向けていた。

「いけーっ!」

 マチウスはかけ声とともに、弦の固定金具をはずす発射棹を引く。

 弦の収縮音はぎゅんと空気を震わせ、長大な、銛のような矢は、巨蟲の脚の密集した場所へ突き刺さる。

 命中した瞬間、さすがのその巨躯も衝撃にわずか持ち上がった。

「いいぞ!」

 弦を巻き上げ、二発目を準備した。

 矢を撃ち込んだ巨蟲はこちらへ回頭する。

「見ろ、マチウス! くるぞ!」

 おれは注意を促した。

 巨蟲は脇腹にくらった大矢を物ともせず、おれたちめがけ進んでくる。

 マチウスは落ち着いて狙いを定め、二発目を発射した。

 矢はその頭部に命中したものの、表皮の装甲を滑るようにして巨蟲の背後に逸れていった。

「角度が悪い! もう一度!」

 急いで弦を張り直す。

 蟲はもう目の前に迫っていた。

 矢をつがえ終えたときと、巨蟲が攻撃姿勢を取り、頭をもたげたのは同時だった。


 狙いを付ける余裕もなく、マチウスは発射棹を引いた。

 その瞬間、巨蟲はおれたちにのしかかる。

 せっかく組み立てた弩はその重量におしつぶされバラバラになった。

 おれとマチウスはめいめい脇に飛び、なんとか難を逃れた。

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