第四章 赴任
赴任初日
ドゥルフェン村を出て半日ほどでゴルエについた。
縄を張っているわけでもないから、土地を厳密に定める境界線というのは目に見えず、実はどこからどこがその土地なのか、一般にその判断はあいまいだ。
しかしゴルエは明らかによその土地とは違った。
いちばん顕著なのは植生だろう。
常緑の木や草の多いウーケの他の森のようではなく、ここには葉の落ちる落葉樹と一年生の草が多い。そのため、枝だけになった裸の木々と、落ちて朽ちた葉の色により、土地そのものがどこか寂しく、荒廃しているような印象さえ受ける。
「寂しい感じもするだろ? 雪が降ればどこもかしこも白一色になるから、そんなことも感じなくなるが、冬前のこの時期、ここはいちばん荒涼として見えるんだ」
マチウスは御者台の向こうからヒルガーテ越しにそう怒鳴った。
同じ山脈のふもとにありながら、周囲の森林地帯とこうまで植生に隔たりのあるのは、なにか特別な理由があるとしか考えられない。
もしかすると、この土地も呪われているのかも知れない。
安易な推測だが、ある意味、それならしっくりこの土地の不思議を理解できる気もした。
グマラシ車は葉を落とし裸になった木々の間に設けられた道を通り、まっすぐ前方の山に向かう。
頭を限界まで上に向けないと、その頂上付近を見られないほど山脈に近づいている。左右を見ても山脈の端はすでに見えなくなっていた。
半時ほども走り裸木の森をぬけると、ちょっとした平地にたどり着いた。
落葉した葉は風に飛ばされ平地全体に広がり、黄色と赤と茶褐色のじゅうたんでも敷きつめられているように見えた。
端々では、平地を取り巻く木々との境界に、風溜まりが落ち葉による壁状の堆積を作り出している。
ヒルガーテは平地の最奥部、山脈にいちばん近い場所へグマラシ車を停め、大きな杭をふたつ、それぞれ離れた場所の地面に打ち込んだ。
二頭のグマラシの太い手綱をめいめいそこに引っかけるためだった。
おれとマチウスは彼女の作業の間に、牽引車と荷車との接続をはずし、二頭立てのグマラシ車を一頭立ての荷車に換装する準備をした。
この先は道も狭く、グマラシを手曳きして目的地に連れて行かなければならない。
ヒルガーテは御者台の下にある密閉炉の火を消し、オド香が万一漏れ出し、グマラシが異常興奮しないようにしてから、慎重にその口籠をはずした。
「こちらの用意はいい。グマラシを分けるぞ」
マチウスはおとなしくなった二頭のグマラシを念を入れて注意深く観察し、危険のないことを確認すると、二匹の猛獣と車体とをつなぐ長柄から、個別のグマラシに装備させている首当てと皮腹帯の金具をはずした。
手綱を曳くと、そのグマラシはのっそりと立ち上がり、おとなしくマチウスのあとをついていく。
たび重なる馴致の賜物だろう。
生家では幼い頃から見慣れた光景であり、小売りの商人に食品を運ぶためいつも手伝わされていたから、マチアスの連れてきたグマラシの革腹帯をふたたび繋ぎ直すのにそう時間もかからなかった。
「手慣れているな、マーガル。……そうか、商家出身だったか」
そう言われるのがいやで、できるだけ自分の姓や出自は隠しておきたいのだ。
「ヒルガーテを手伝ってやってくれ。この作業だけは苦手らしい」
言われるまま、もう一頭の方へ向かう。
「こっちは大丈夫」
言いながらも、彼女の手は何度も金具同士をこすり合わせるだけで、一向にはまらない。少しだけそれを見ていたおれは手を伸ばし、金具に触れた。
「触らないで。大丈夫だって言ってるでしょう」
感情の読み取れない平坦な物言いだ。
少なくとも昨日のように怒っているわけではなさそうだ。
おれはそれを無視し、黙ったまま金具をつかんだ。
なにかを言われるかもしれないと予期したのに、ヒルガーテは黙って場所を空け、おれの作業を見ている。
「この金具をはめるにはコツがある」
「知ってる」
ウンチクを語っていい格好をするつもりはない。
それに、知っているというわりに、彼女はおれの手先を食い入るように眺めていた。
「こうやって金具同士を使ってテコにすると、ほら」
力を入れずに素早くはめる方法だ。
おれは二度ほど金具の脱着を繰り返すと、それをはずしたまま放置した。
彼女は意外そうにおれの顔を見上げた。
「やってみれば一発で覚える」
そう言って、彼女に場所を譲る。
ヒルガーテは瞬間、むっとしたような表情となった。
しかし、おずおずと手を伸ばし、いま見た方法を試す。
金具は抵抗もなくするりとはまった。
きっと、いままでの苦労がウソのように思えただろう。
「簡単ね。……ありがとう」
礼は期待していなかったので、おれは口元のみ笑顔を作った。
二両に増えた荷車は、山脈方面に向けて坂を下っていく。
傾斜はゆるやかで、手曳くグマラシの扱いにもそれほど苦労することはない。
目的とする場所は平地を抜け、森に挟まれたせまい道を下ると、そのすぐ先にあった。
「あの建物だ。ついたぞ」
マチウスの指す先に古びた小屋を見つけた。
こんなに大量の補給物資を必要とするほど大勢の剣士が、そこに滞在しているとは思えない。
せいぜい三人程度泊まれる大きさの山小屋だ。
「ヒルガーテ、そっちの物品は小屋に」
「わかった」
「マーガル、彼女を手伝ってくれ」
先に小屋の中へ入っていく彼女の姿を横目に、おれは質問してみる。
「こっちはいいのか?」
「ああ、こっちの荷は小屋じゃなく、ゴルエへな」
奇妙なことを言い出す。
「ここはゴルエじゃないのか?」
マチウスはおれに説明した。
「……そうだったな、わからないのも仕方ないか。ゴルエってのはもともとこのあたりの古いことばで『祭壇』って意味なんだ。ほら、あそこに大きな穴が空いているだろう?」
その視線をたどると、小屋の先を少しのぼった山腹に、大きな裂け目があった。
「まあ、あの中に祭壇はあるってことさ。荷下ろしを終えてから見に来ればいい。じゃあ、先に行くぜ」
なるほど、するとこの小屋はどうも倉庫らしい。
つまり、あの山腹の裂け目の中に、ほかの剣士たちも宿営しているということか。
素晴らしい。
守るに易く攻めるに難い山腹なら、天然の要害とも言えるだろう。
マチウスはきつい傾斜をのぼらせるのに苦労しながら、そこまでグマラシを曳いていく。
猛獣をなだめすかせ、叱りとばす彼の声を聞きながら、おれとヒルガーテは、荷台の荷物をつぎつぎ台車で小屋内へ運び入れていった。
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