配属開始

 明け方の気温は凍えるほど寒く、この地域に冬の到来を予感させていた。


 結局一睡もできず、おれは前夜の疲労を残したまま、城門前に繋いであるグマラシ車に自分の荷物を放り込んだ。

 城の家士たちはその荷台に重そうな木箱をいくつも載せ始める。

「マーガル」

 聞き慣れた声にふり返る。

「いよいよだな。まあ元気でやれよ」

 ヨツラは変わらず華美な衣裳に身をつつみ、眠そうな顔でおれにそう告げた。

「世話になった。……センギィによろしく言ってくれ」

 こいつはともかく、こいつの相棒には考えればいろいろ世話になったと思う。

「ああ、心配はいらねえよ。センギュストにはちゃんと言っとく」

「……きょう城を出るのか?」

 最後くらいまともな会話もできそうだと油断し、世間話のつもりでそう言った。

 やつの返事は予想とは違った。

「いや。まだここにいるつもりだ」


 斡旋専門の吟遊詩人は担当する剣士を就職させるところまでを仕事とする。

 斡旋料は手にしただろうし、これ以上城にいても、益はないはずだ。


「新任のシグルトに用事があんのさ。おまえとはここまででも、この郡とはこれからまだまだつきあいを深めていかねえとよ」

 ゲールトの後任に座った政務執行官を抱き込み、やはりなにかを企んでいる様子だ。ろくでもない計画には違いないだろうが、いまやルフ郡は剣士としておれの護るべき土地でもある。こいつの勝手にさせるわけにはいかない。

「……なにを企んでる」

「おいおい、旅立ちの日だってのにそう顔をしかめんなよ。もうちょっとひとづきあいも上手になりゃ、そのうちおまえにもいい目を見させてやる。……それじゃあな、あばよ」

 最後にあのいやらしい笑顔を浮かべ、もとおれ担当の吟遊詩人は城内にもどっていった。


 出立前のあいさつは、昨夜の宴のようによく知らない大勢の人間の出席もなければ、やとわれ歌人の派手な音楽も退屈な演し物もなかった。


 いま城の中庭にいるのは、選王と新任の政務執行官、衛士長の三人と護衛役の衛士たち数名、さらに護国連合の宗主国でもある聖主国ミーナスのルフ郡担当派遣祭使だけだった。

 おれとマチウス、ヒルガーテの三人は彼らの前でおれを先頭に、ふたりは背後に立ち、祭使の祈祷を聞いた。

 急いでいるわけでもないのに祭使の祈祷は短く、護国一統国教の唯一神『名のない神』へおれたちの道中の祝福と無事を願い、すぐに終わった。


「剣士マーガル。いきなりの赴任、大義である。ゴルエへの赴任は実力を認められた剣士でなければ果たせぬ激務。心引き締め、しっかり勤めよ!」

 決まった言い回しなのか、政務執行官シグルトは新任のくせ、淀みなくことばを発する。

「……は!」

「マーガルよ。余は貴殿に期待しておるぞ」

 選王ディラスは寒いらしく、少々ことばを震わせながら声をかけてくれた。

 おれの気持ちは少し前向きなものに変化していた。

 返事も自然大きな声になる。

「はっ!」

「では行け! 時間もない。護国を死守するのだ!」


 シグルトは大げさな身ぶりで、大仰にもそう叫んだ。



 おれたちのグマラシ車は通常の運搬車を改造し、幌と広い御者台を据え付けたものだった。

 幌のかぶった荷台には大きな木箱がいくつも載せられ、蝋引きの厚い布でおおわれたもう一台の荷車も、後部の連結器に接続してあった。

 車輌は二台だし、両方に載せられた荷物もかなりの重量物と見え、グマラシは二頭立てになっている。

 荷台も隙間なくぎっしり荷物だらけで、どうりで御者台も広いわけだった。

 二頭のグマラシを御すのはマチウスではなくヒルガーテだというので、驚いた。


 ひとたび怒らせると手の付けられない凶暴性と怪力を発生するため、『猛獣』と冠はつけられていても、グマラシは基本的におとなしい動物だ。

 体長は十二から十五ファブトと、成人男性二人分ほど、体高は七ファブトから十ファブト程度と大人がかがんだ程度の大きさをしている。

 全身毛におおわれ、全体的に丸みを帯びた体つきだ。


 一番の特徴となるたてがみは、グマラシの太い首を取り巻いていて、その剛毛は毛先が槍のように鋭く尖っている。

 興奮するとそれを開いて周囲を威嚇するばかりか、ときには槍毛を前に倒して突進し、目標に突き立てたりするので、飼育には相当な注意も必要とされる。そのため、グマラシの使役には一般的にオド香とバル香が使われていた。


 オド香はウーケやキスルの高山地帯に生息するオディルという草花を加工したもので、栽培や採取に手間もかかり、大量の花から少量しか製造できない、希少で高価な品だ。

 一方、バル香は医療にも使われる鎮静化作用のある香で、こちらはどこにでもある一般的な香だから、さほど高価ではない。


 御者台下の密閉炉で常に焚かれるオド香の煙は、御者の足もとの専用踏板を踏めば、ふいごの作用によってグマラシの口籠内に噴出されるようになっている。

 車体から前方に出ている長柄に中空の金属筒が取りつけられていて、その中を煙が通り、グマラシの曳き具経由で口籠へ送られるのだ。


 オド香を嗅ぐと、グマラシは興奮し非常な力で走り出すから、踏板を踏む量と回数とで興奮の程度を調節しなければならない。


 一方、バル香の密閉炉も御者台の下にあり、その踏板はオド香のそれの左隣に位置している。

 オド香同様の仕組みでそれを口籠内に噴射すれば、香の鎮静作用で興奮を抑制し、走るのをやめさせられるのだった。


 むろん、即効性はあっても、香によりグマラシを完全に停止させるには多少時間も必要だから、御者はその時間差を把握しつつ、周囲の状況に合わせてふたつの踏板を交互に踏み分け、うまくグマラシを操らなければならない。

 さらに走行中、興奮した猛獣を指示通り回頭させるためには、グマラシのくつわにつながる手綱さばきも重要になる。


 要するにグマラシ車の御者は、能力や経験の高度さを要求される、精神的にも、肉体的にも大変な仕事だった。


 そういうわけでおれは、実際に走り出すまでは、男でさえ数刻で音を上げることもあるグマラシ車の制御を、ヒルガーテにまかせて大丈夫なのかと心配していた。


 だが、それはひとりよがりな杞憂だったようだ。


 ルフ城を北の山脈に向かうグマラシ車は快適に平野を疾走していく。

 彼女の繰術にまったく不安定なところはない。

 むしろいまの心配事は、御者台上にあった。

 ふつうの御者台より広いとはいえ、御者のヒルガーテを中央に、両側を男ふたりではさんでいるから、少々窮屈だ。


 座席の端にある転落防止の柵ぎりぎりまで尻を位置させても、おれの肩はヒルガーテの身体に触れてしまう。

 体格のいいマチアスは上半身をねじ曲げ、繰術の邪魔にならないよう左肩を進行方向に垂直に向け、不自然な格好をしていた。

 あれでは相当腰に負担をかけるだろう。


 ヒルガーテはたえず中腰姿勢で足もとの踏板と手綱を扱っていて、運動量もかなりのものらしく、額から大粒の汗を流していた。

 その肉体の熱気は、グマラシ車の揺れによって触れ合う彼女の身体から服を通じて伝わるので、おれはなんとも名状しがたい気分になる。

 ふと、風に吹かれてよい匂いの漂うのに気づく。

 彼女の香水だ。

 例の湿布の匂いとは全然違う。


 おれは数日前の出来事を、ひとり愉快に思い出した。

 ――それにしても、ヨツラのやつがよけいなことをしてくれたおかげで……


 あれはこの世の物とも思われない悪臭だった。


 と、突然、あることに思い当たる。


 ――あいつ……


 一瞬だけなので、確証を得たとは言い難いものの、昨晩、地下室前でほのかに香ったのは、湿布と混ざる前の、あの香水の香りのように思えた。


 ――まさか、城に残るというのはそのためか


 あの農道盗賊団の頭目が訪ねて来た日にヨツラの探ろうとしていたことと総合すると、昨夜地下にいたのはやつ以外には考えられない。


 城内の夜間警備に大きな穴もあったとはいえ、あの場所を見つけだしたのはさすがと言うべきだろうが、死せる生者のことを知って、いったいどうするというのか。


 彼らはあの男にどんな利益をもたらすのだろう。


 そればかりはどれだけ考えてみても、見当もつかなかった。

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