第三章 配属

雇用の儀

 おれは商業国家ウーラの商家生まれで、剣術とは直接関係のない環境に育った。


 若くして食品の卸売り問屋を起業した、まじめ一辺倒の父親とは異なり、祖父は酔うと盛んに剣士として従軍したときの話をしてくれた。

 隣国ウーケやケネヴとの小競り合いの話を飽きもせず真剣に聞いていたのは、孫うちでもおれだけだったので、祖父はときおり棒きれを剣代わりに、稽古をつけてくれたりもした。


 祖父の指導で始めた棒きれ千回の素振りは日課となり、おれはチャンバラなら近所では負け知らずの腕白小僧として知られるようになった。


 大好きだった祖父も亡くなり、ある程度の年齢になると、教育だけは兄弟分け隔てなくきちんと受けさせるという、両親のありがたい方針のおかげで、おれは国営の平民学校に通わせられた。

 普通ならそこを卒業したあとは職業訓練を受け、商売人になるための第一歩を踏みだすわけだが、おれの場合は少々違った。

 末っ子の四男坊では、それほど大店でもない店の後継ぎになれるはずもなかったし、かといって長兄の下で家業を手伝うつもりは、さらになかった。


 そもそも問屋という仕事に一生を預けるほどの魅力を感じていなかったのだ。


 得物は棒きれから木刀に昇格し、いい年をして競う相手もいないのに、どういうわけか素振りの日課だけは続けていた。

 おれは学校を卒業し、将来なにをするのか、なにをしたいのか、自分の中に明確な志望のないまま、ある日、剣士募集の触れこみで各地を回っていた吟遊詩人の一座に遭遇した。

 そこに例のヨツラ・テイルと、その相棒センギュストもいたのだった。


 護国連合内での内戦は沈静化しつつあった。


 祖父の昔話にあるような血なまぐさい戦争は少なくなっていたが、有事への備えのため、各国各地で大量に剣士を増員するという噂もあった。

 有能な剣士は各地の諸侯が競り合う売り手市場になっているという話を聞き、両親は剣士育成と斡旋の専門家である吟遊詩人たちに、おれの将来を委ねた。


 最終的に決め手になったのは、『剣士は食いっぱぐれのない公務員です』というヨツラのことばだ。

 以前と比べれば命のやりとりをする場面は減り、安定的な職なら、今後、家業に奉公するつもりのない四男坊を心おきなく手放すちょうど良い機会になる。

 学校を卒業させ、親としての義務はすでに果たしたとも考えたらしかった。


 これ以上親元にいても退屈な生活が続くだろうし、木剣の変わりに真剣を扱えるのは面白そうだったから、ふた親の許可をこれ幸いと、おれは剣士になってみることにした。

 ただ、いざ契約の段になると、経験もない若者を剣士に仕立てるためには、意外に費用もかかると分かり、両親とヨツラたちとの間で少々剣呑なやりとりもあったらしい。

 当の本人はそんなことも知らず、おれの才能を高く買ってくれたヨツラの相棒――剣士育成専門の吟遊詩人センギュスト――が、かつて凄腕の剣士だったと知り、彼に稽古をつけてもらうのを楽しみにしていた。


 基礎的な訓練を含めると、だいたい二年くらいは修行していたように思う。


 ただ、実際に剣士修行を開始すると、センギュストはいつまでたっても、自らおれに稽古をつけてはくれなかった。

 だから才能はあると言われ続けるのも、だんだんウソくさく思いはじめた。

 本当に才能を認めているなら、認めた本人自ら稽古をつけてくれるべきだろうと、いつも不満を感じていたのだ。


 彼の提唱する稽古はみな、妙なものばかり。

 ルフに到着する前に出会った、あの『農道盗賊団』みたいな追い剥ぎ連中を退治させてみたり、中年の退役剣士ダミオロデに剣の指導を任せてみたりと、その指示はすべておれの期待したものではなかった。


 ヨツラはと言うと、これまで鼻も引っかけてこなかったくせに、ダミオロデを三ヶ月で負かしたと知るや、相棒をだしぬき、おれをどこかに斡旋したいとしつこく迫って来る始末。


 やつのたび重なる勧誘は面倒くさくもあったし、指導教官の後釜に連れてこられたのは、腕は立つとの話でも、会うと自分とそう変わらない年代の男で、これ以上センギュストのもとで修行する気を無くしていたおれはつい、ヨツラに『任せる』と返事をした。

 剣士になることを人生の目標にしていたわけではない。

 そのときは、ここらあたりで一度就職してみようか、程度の気持ちだった。


 よく考えてみると、そんな軽い動機でのこのこルフまでやってきたおれの身には、ここ数日、常識では考えられないことばかり起こっている。

 それなのに、おれはいま、身の危険どころか命さえも危うい状態でこの地にとどまろうとしていて、不思議に剣士となることになんの迷いもないのだ。


 呪いを受けた身には必然的にそれしか選択肢はなさそうだから、そう覚悟を決めたのだろうとも思う。

 いや、あまりにも現実離れした出来事の連続に事態を分析する間もなく、ひたすら状況に流されるままなのかもしれない。



「汝、マーガルヘルト・コディン。通り名に従い誰何する。貴殿こそ『無氷の剣士マーガル』に相違ないか?」

「左様にございます」

 返答した後、長々としたおれの経歴と実績の朗読が始まる。


 マーガルヘルトはおれの実名。ふだんは略称を使っている。

 コディンはおれの生家である商家の屋号をとったものだ。

 すぐ出自を特定されそうで、できれば他人にあまり知られたくない姓でもある。


 マチウスに調達してもらった鞘入りの大剣を胸に抱き、おれは王座の直前に片膝をついていた。


 ヨツラ・テイルはここにいるだれよりもこの儀式を喜んでいることだろう。

 その証拠に、儀式のはじめからずっと、口の端にいやらしい笑みを浮かべている。


 ディラスの脇に佇む二人の衛士は、選王とおれとの間に儀式用の槍を交差させていた。華美な装飾のついたその槍は、雇用側の貴族と被雇用側の剣士との越えられない身分差を表わす壁の代わりであり、また、万が一の事態への備えでもある。

 雇用の儀はいよいよ終盤にさしかかった。


「無氷の剣士マーガル、剣士の十法に二心なく、その使命に殉じる覚悟ありや否や!」

 ゲールトに代わる政務執行官はやけに甲高い声で、剣士の十法を朗読した。


――ここに剣士の十法あり

――人の世は常に戦渦と悲惨に満ち、非道と非業は地を覆う

――殺めるのも剣なれば、守護するのもまた剣によるなり

――故に、いくさに臨む者よ、己が義と技とを剣に託し、汝の信のあかしとせよ


 一、汝の剣は己の鏡と知れ

 一、汝の剣を己が欲に捧げてはならない

 一、汝の剣を義なきいくさに仕えさせてはならない


 一、暴虐を働く者は、汝の剣によって討たれなければならない

 一、非道を働く者は、汝の剣によって討たれなければならない


 一、剣持つ者と戦い、剣なき者のために汝の剣を振るえ

 一、虐げられた者のために、汝の剣を使うのをためらうな

 一、信義ある者のために、汝の剣を振るえ

 一、義なき復讐を汝の剣で行ってはならない

 一、斃された者の義を遂げるため、汝の剣で復讐の誓いをたてよ


――もし汝と汝の剣が、この十法にあらざれば、

――汝は必ずや他の剣をもて、討ち滅ぼされる運命と知るべし

――故に、いくさに臨む者よ、己が義と技とを剣に託し、汝の信のあかしとせよ


 センギュストから何回も聞かされ、諳誦しろと言われていた剣士の律法だ。

 こうやって儀式の席で聞くと、なにかすごくありがたいことばのような気もする。少なくとも、脳裏に響いたあの呪いの託宣よりはるかにマシに聞こえた。


「剣を前へ!」


 政務執行官のキンキン声を合図に、玉座の両側にいる衛士は、交差させていた槍を手元にもどし、身体の脇にぴたりとつけた。

 槍の石突は王の間の床に当たり、耳障りな音を立てる。

 それを合図に、おれは両手で持った大剣の柄頭を選王ディラスにうやうやしく差しだした。


「頭を下げよ!」


 ささやいたつもりなのか、政務執行官は無声音で大きな声をだす。

 あわてて頭を下げ、王の間の床を眺めた。


「よい、頭を上げよ」


 ディラスは逆の指示をだす。

 儀式なのだから、はっきりどちらかに決めておいて欲しい。

 急いで顔を上げ、玉座からおれを直視していた選王と目を合わせた。


「剣士マーガル。貴殿の力を余に貸して欲しい」


 ひとつひとつの発音を区切るようにそう言うと、彼は自分に向けられている剣の柄頭を両手で握り、鞘から大剣をゆっくりと抜きだしていく。

 大剣の鞘を抱くおれの両手にも力が入った。

 確か練習ではおれの方からもなにかを言わなければならなかったはずだ。


 ――ああそうだった


「つ、つしんで、謹んでお貸しいたします」

 慣れない言い回しのせいか、どもる。

 恥ずかしさのあまり、頭に血の上る気配を感じた。

 大剣を半分程度まで抜くと選王はそこで手を止め、王の間に列席している人間たちへ顔を向け、高らかに宣言した。

「ここにマーガルヘルト・コディンをルフ郡の剣士とし、余、ルフの選王ディラス・ヴァイゼルヴェルドとの間に雇用の盟約を結ぶ。異議ある者は、大胆に応えるべし!」

 部屋にいるすべての人間は、異議無し! と大声で応えた。

 ディラスはひとりうなずくと、大剣を最後まで抜き放ち、その切っ先をおれの顔の真ん前に突きだす。

「ここに誠意ある盟約を共に結ぶ。汝が余に言われなき刃を向けるとき、剣士の十法の定めにより、余は汝を討ち滅ぼす!」

「御意」

 おれの返答を聞くと、選王は満足げな表情を浮かべ、剣を鞘にもどした。


「剣士マーガル、剣を持て!」


 政務執行官の指示に従い、自分の剣を床に置き、衛士から新たな剣を受け取る。

 事前にマチアスから習ったとおり、鞘から抜いたその剣の切っ先を選王ののど元に向け差し上げた。


 刃はなく、先も丸い儀式用の剣。


 謀殺や暗殺などの危険性を考えれば仕方ないと理解もできるが、若干の不公平も感じる。

 おれは真剣を突きつけられたのに、ディラスはそうではない。

 いわば、これが身分差というものなのだろう。

 選王は大声に言う。


「また……仮に余が汝に言われなき待遇をもって処した場合、余は汝の剣により討ち滅ぼされるであろう!」


 卸問屋をしているおれの生家では、雇う側と雇われる側に立場の逆転することなどあり得ない。

 市井の人間でさえそうなのだから、雇われた剣士に潔く討たれる不実な選王など存在するはずもない。

 儀式だから主従の理想的関係を表現したにせよ、これは茶番すぎる。 ……だが、


「御意」


 現実的なことや個人的考えはどうあれ、おれはそう答え、儀式のもう片方の主役を最後まで滞りなく勤めた。

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