試用終了

 養生部屋を出ると、おれたちは城内の通路を巡り、細長い階段を地下へ降りていった。前回のあの地下闘技場とは反対方向へ向かっている。

 集光石の数もめっきり少なくなり、あたりはどんどん薄暗くなった。

 彼がなにを見せるつもりなのかよくわからないものの、おれは不安とためらいの入り交じった複雑な心境ながら、この状況に興味を惹かれていた


 城内に、警護の衛士は驚くほど少なくなっていた。


 もとは八十有余名ほどいたという衛士たちも五十名以上はケガや死亡で任務から離れている。残りの人員からも退職者は続出しているそうだから、まともに城内警備などできるはずもない。


「なあ、マーガル。あんた、不思議に思わなかったかね? このルフには、剣士団がないってことにさ」

 突然の質問に、おれはとっさにヨツラから聞いた話で返した。

「……選王が吝嗇家で、剣士団は解散させたと聞いた」

「どケチ……ねえ。なるほど、噂ってのはそういう広がり方をするのか」

 マチウスは勝手に納得してしまった。


 なにがなにやらさっぱりわからない。


 けれども、確かにそう言われてみれば、この規模の領地に剣士団ひとつないというのは解せない。

 解散させたにせよ、それに代わる人員となんらかの組織化は必要だろう。

 剣士であっても、軍隊経験のないおれのような素人でもそのくらいは分かる。

 国境は異国の蛮族に狙われているそうだし、ましてやあのノヘゥルメのような怪物までいるのだ。

 腕の立つ剣士を多少雇ったところで、まったく話にならないのではないか。


「ま、解散っていうのは字義通りの意味でなら、事実だがね」

 マチウスの口ぶりでは、真相はどうもそうではないようだ。


「その扉だ」

 たどりついた場所には小窓のついた鉄製の大扉があった。

 集光石の薄青い光に照らされて、扉の鉄肌はやけに冷たそうな鈍色をしている。

 こちら側に取っ手は見あたらない。

 室内からしか開けられなくなっているのだ。

「ここはルフ城地下の最深部で、滅多にひとは訪れない場所だ。……呪われているからな」

 言うとマチウスは扉を数回拳で叩いた。

 扉の小窓は開き、室内のだれかは、おれたちにすばやく視線を走らせる。

 続けてマチウスは小声でひとことふたことなにか言うと、小窓は閉められた。解錠される音の後、大扉はゆるやかに開く。


 室内はかなり暗かった。

 ところどころの壁に集光石らしき輝きも見えるものの、部屋全体の大きさから、それらは中を隅々まで見通す役には立っていない。


 暗さに慣らそうと眼を細め、周囲を見た。

 やがてじわりじわりと陰は視界から剥げ落ち、おぼろげに部屋の輪郭を感じられる程度になる。


 予想に反し、かなり広大な空間らしい。


 部屋は細長く奥に続いており、先は暗すぎて見えなかった。

 目の前の金属製の手すりに近づくと、もう一段下に本来の床のあることも分かった。この入り口は部屋の高所にあり、さらに下層へ降りなければならないのだ。

 階下を眺めると、うっすらとなにかが規則的に、部屋全体に並べられているように見えた。


「そこのハシゴで……俺はケガのせいで下に降りられないが、番人に案内させよう」

 マチウスの指示に、さきほど小窓から眼だけを出したこの部屋の番人は、無言でそのハシゴを降りていく。

 おれもその後に続き、足を踏み外さないように用心しながら、段をゆっくり降りていった。

 階下は更に暗い。

 暗がりに目の慣れてきたはずなのに、動くのを一寸ためらうほどだ。


 先にハシゴを降りた番人は、手に持った杖の覆いを外し集光石をだす。

 たちまち淡い青い光は周囲に漏れだし、部屋の一角を照らした。

 光に浮かび上がった光景を見て、おれは息を呑む。


 ひとだ。

 大勢いる。


 人々は木の台の上に横たえられ、大人ひとりやっと通れるほどの間隔をあけ、部屋の中にぎっしり、整然と並べられていた。

 部屋全体ではどれほどの木台があるのか想像もつかない。

 手前の木台をよく見ようとかがんだ。

 番人は気を利かせ、おれの正面を照らしてくれた。


 横たわっていたのは若い男だ。

 すっぽりと頭まで敷布に覆われ、顔の部分だけ露出している。

 頭部には金属製の冠をかぶっていた。

 集光石の青い光に照らされ、それは鈍色に輝く。死体のようにも見える。

 そう確信してなにげなく男の頬に触れたので、指先に感じた予想外のぬくもりに、思わず声をだしてしまう。

「あ! 生きてる?」


「ええ、ここにいる人々はみな生きている」


 奥の暗がりから聞こえる声に向け、番人はあかりを頭上に掲げた。


 あの女従者だ。


「……ヒルガーテよ。知っていると思うけど」

 黙って彼女を見ていたので、忘れられているとでも思ったか、ヒルガーテは改めて名乗った。

 おれは首肯し、横たわっている人々に視線をもどす。

 彼女はまるでひとりごとのように低い声を出した。

「ここにいるのは呪いを受け、決められた日数を延ばしきれなかった人たち」

 ことばの端に関心を持ち、確認してみた。

「日数……延ばせる……?」

「運次第では」

 マチウスの話にはない情報だった。


 ヒルガーテは身を翻らせ、木台の合間を部屋の奥へと向かう。

 集光石のついた杖を掲げたまま、番人は彼女の後を追い始めたので、おれも彼女らと同じ方向へ進んだ。

 しばらく歩くと、木台上の人物たちに些少の変化を認めた。


 さきほどの若者のように敷布をまとわず、服を来ている。

 変わらないのは鈍色に輝く冠だけで、そう気づいて見ると、どうやらそれは横たわる人々全員に共通の装備だった。

 もうひとつ気づいたこともあった。

 ここにいるのは、みな男ばかりのようだ。


 部屋の奥へ進むに従い、人々の服装は少しずつ古くさくなっていく。


 おれの前方手前に横たわる中年男は、壁画で見るような古色蒼然とした衣裳を着ていた。まるで大道芝居の役者みたいな格好だ。昔の礼服の様式らしく、親戚の葬儀で似たような格好をした参列者を見た覚えもある。


 そのときと違うのはこの男の顔にはびっしりと、細かい線の――おそらく刺青だろう――特徴的な文様の描かれていることだった。


「どこまでいく」

 ずんずん先に進む彼女と番人は、おれの声に立ち止まった。

「そうね、これ以上行っても無駄ね」

「すごい数だ。まだ奥はあるようだし……」


 この部屋の状況に、素直に畏怖と恐怖を感じていた。

 自然、彼女を牽制するような言い方となる。

 ヒルガーテはそれを気にする様子もなく、ぽそりとことばを発した。

「建国前からあるのじゃないかしら」


 それはちょっと信じがたい話だった。


 護国の建国前というと数百年以上前の、神承時代にまで遡る。

 その時代は吟遊詩人のよく歌う古詩にもあるように、『名のない神』の命を受けて諸国を経巡り、世界を統一していく『剣王ドゥール』神話の舞台なのだ。


 おれの視線をたどって、自分の脇に横たわる刺青の中年男を見ると、彼女は優しげな手つきで彼の襟元をなおし、悲しそうな表情になった。

 襟に積もった埃は舞い上がり、青白い集光石の光に照らされて、その男の魂の一部が漏れでたようにも感じられた。


「ここにいる人たちは、みなルフの剣士たち。呪いですべての感覚を喪ったの」

 彼女はおれに向きなおると、唐突に告げた。

「新しく呪いを受けることができれば、そこに示された日数だけ先に延ばせるそうよ。……つまり、呪われている生物を斃し続け、その呪いを身に受け続けるの」

「もし……」言わずもがなのことを言いかけ、飲み込んだ。

 ヒルガーテはことばを繋ぐ。

「呪いの期日を過ぎれば、見ているとおり完全に意識もなくなって……この通り」

「延ばせるなら……解く方法もある?」

「そうね。それができたら、この部屋はいまごろ空ね」

 ヒルガーテは木で鼻をくくったように言い放つ。

「みんなずっとこのまま。いつまでも変わらない」

「ずっと……死なない?」

「ええ」

「……年も取らず、ただ生き続ける、か」


 ヒルガーテは闇に包まれた部屋の奥を指さした。


「最初のひとりは、もっとずっと奥にいる。……このひとたちは、呪いによって永遠の生命を授かった、この世で最も自立した存在。糧を得たり、だれの助けも、世話も必要としない。でも……鳥のさえずりも聞けず、愛するひとの姿も見られず、草花の香りを嗅ぐことも、おいしい食事を味わうことも、だれかとふれあうこともできない。それは、はたして生命ある、生きている状態、と言えるのかしらね」

 彼女は少しだけ声を荒げた。

 生き続ける、というおれのことばに反応したらしかった。


 生命はあっても、それを自分も他人も実感することのできない状態。ノヘゥルメの呪いは、生きながら永遠の死者になるという悲惨をもたらすのだ。


「何日残されているの」


 彼女はすぐに抑揚のない、いつもの口調にもどった。

「二百八十……正確には二百と七十八日だと思う。けどまだ半信半疑だ。感覚を喪っていく実感もないし」

「そんなはずはない。呪いを受けた直後から感覚の喪失は始まる。ある人は味覚、ある人は嗅覚と、個人によって喪う感覚や、その程度は違うらしいけれど」

「残念ながら、見えるし聞けるし、においも味もする」

「……あの湿布、してないのね? マチウスの従者に頼んでいたのに……」

 彼女はいま気づいたように、ほこりくさい室内の空気を嗅いだ。


「ああ、断った。悪いが、もう必要ないんだ。すっかり治ったから」

 あのにおいがいまも続くなら、第一に嗅覚を喪いたいと願ったかもしれなかった。

 ヒルガーテは顔を床に向け、そのまま言いにくそうに厳然たる事実を告げた。


「自分で見られないから分からないのも仕方ないけれど……あなたの背中は、そんなにすぐ回復するような状態じゃなかったのよ」


 おれはとっくに痛覚を喪っていたのだった。

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