試用末節
おれを発見するなり、巨怪は大声で怒鳴りはじめた。翻訳できなくとも、ことばの調子でなにを言っているか見当はつく。自分に刺さっていた大剣をまっすぐおれの胸元に向け突きだすと、にやりと凄惨な笑い顔を作った。
笑うというのは高度な思考力を持つ生き物しかできない。
そういう意味ではこいつも、おれたちとそう変わらない生物の一種らしい――ケタ外れに大きい身体をしていて、なかなか死なないことを除けば――というあり得そうもない結論に陥りそうだった。
巨怪は左手に持った大剣を投げ捨てた。
それは裏庭の石畳に激突し、大きな火花を散らしながら、跳ね返って地表を滑っていく。鎖を斬ったり、他にもいろいろな用途に使われたらしく、刃先は折れ飛び、刀身は折れ曲がり、くず鉄にはちょうど程よい状態になっていた。
「大事に使え!」
愛用の品だった大剣の惨状に、思わずやつを怒鳴りつけた。
やつはその大声に反応し、うおーと吠え、こちらへ向かってくる様子を見せる。
どうやら城を抜けだすのは後回しにしたらしい。
優先順位の第一番目は、因縁の清算に変わったようだった。
おれは回れ右をし、ふり返りもせず一目散に駆けだした。
広場を横切って、巨怪から少しでも離れようとする。
背後の甲高い風切り音は、足に繋がれていた鎖を手に持って巨怪が振り回す音だ。
完全装備の鎧を着用していないおれに、それが一発でも当たれば即死するだろう。
棍棒のときとは間合いも対処方法も違う。
距離をとって様子を見る必要もあった。
走る途中、強烈な殺気に思わず振り返る。
やつは鎖を振り回しながら、恐ろしい速さでこちらへ突進してきていた。
あわててきびすを返し、迫り来る巨怪の足もとに潜りこむ。
間一髪、鎖の一撃は、おれのいたあたりの地面へぶち当たり、猛烈な白煙をだして石床を割った。
「マーガル殿! こっちへ!」
ゲールトに呼ばれた。
裏門の前で大剣を構えている。
いまの攻撃を避ける際、前転した勢いで再び背中を打ち、絶息しかけていた。
背中も相当痛む。けれど動きを止めるわけにもいかない。
よろめきながらゲールトのいる方向へ走った。荒々しい声と、激しい息づかいを後ろに聞き、巨怪は再びおれを追いかけてきたと知った。
「いけーっ!」
背後の唐突な大声。
続いて歓声。
生き残りの衛士たちが集まって、一斉に攻撃を仕掛けたようだ。
「こっちにおびき寄せねば意味はない!」
そう叫ぶゲールトに頭を下げ、謝意を表わした。
まさかにおいに気づかれ、おれひとりを追いかけてくるとは思わなかった。
「来たぞ!」
マチウスの声だ。
上方から聞こえた。城壁の隙間のどこかに隠れているらしい。
巨怪はあっという間に衛士たちをなぎ倒すと、ふり返ってふたたびこちらに向かってきた。鎖は振り回していなかった。
おれたちは裏門の城壁を背にしているので、鎖で縦や横からなぎ払っても壁のどこかに当たって狙いを外す可能性は高い。ましてやその先端部で目標を捕らえるのはさらに難度も高いからだろう。
相当賢い。
巨大な身体の利点を生かし、やつは両手を大きく広げ、おれたちを壁際に押しこむように、ゆっくり迫ってくる。
「マーガル殿、同時に足もとへ飛びこむ、体勢を崩し、やつの頭部をマチウスに向けたい」
ささやくゲールトにうなずき返し、攻撃する方法をすばやく思案する。
「いまだ!」
その合図に、おれは素早く巨怪の足もとに飛びこんでいった。
目の前の大きな左足に、渾身の力をこめて斬りつける。やつは痛みと怒りの入り交じったような声を出した。
急いで背後に回りこみ、裏からやつの左足の腱を斬る。
たまらず巨怪は片膝を着き、だが、鎖を持った右腕を振り回し、当てずっぽうで背後のおれに当てようとする。
おかしい、両足を斬りつけられたにしては、姿勢の変化に乏しい。
右足側に目をやると、その足もとでゲールトは頭部から血を流し倒れていた。
斬りつける前に攻撃を受けたのか、斬りつけて反撃されたのか、ぴくりとも動かない。
やつの右足は無傷だ、と予感した。
その証拠に巨怪は右足で踏ん張り、鎖を振り回しておれを狙っていた。
とっさに予定を変え、壁側にもどるつもりで、やつの股間をすり抜ける。抜けぎわに右足の膝裏を斬りつけた。浅い。が、巨怪はとうとう右膝も折った。
体勢を崩したため、やつは裏門の城壁に手をつき、なんとか自重を支えようとする。そのため、頭部の位置がずいぶん低くなった。
「りゃあっ!」
どこに隠れていたのか、鋭い呼気とともにマチウスは城壁の上から跳躍した。
異形の剣の槌状になった先端でやつの頭頂を打つ。
骨の砕けるぐしゃりという音は、おれの耳にまで聞こえた。
これまで聞いたことのない声をだし、巨怪は一気に転倒する。
不幸なことに、倒れる巨怪の腕は、地表に着地したマチウスにぶち当たった。
吹き飛ばされた彼のもとに駈け寄ると、脇腹を押さえ苦しげな呼吸のまま、おれに向かって自分の取り落とした奇剣を指さした。
「あ、浅かった……止めを刺さねば、また復活する」
事態は好転せず、大変な事態はまだ続くのだと理解できた。
「急所は頭の上だ。あれで!」
彼の指示に、おれは急いでその奇剣を取った。やけに重い。
巨怪は仰向けに倒れたまま荒い息をし、いまにも死にそうな様子になっていた。
短い薄い毛のびっしり繁茂する頭頂部を見ると、その中央周辺はマチウスの打撃による陥没痕になっており、傷口から黒色の液体もしみだしている。
こいつの血なのか?
「急所を! はやく!」
マチウスは悲痛な声をだす。肋骨でも折れたらしく、よほど痛むのだろう。
おれはためらっていた。
このまま放っておいても良さそうだ。すぐに息絶えるだろう。
なのにあえて止めを刺す必要はあるのか。
それに、いくら醜悪な怪物だとしても、相手が無抵抗な状態で再度急所を狙うのは、剣士として抵抗感もある。
手に持った異形の剣にも違和感をおぼえていた。
こんなに重心の悪い剣は握ったこともない。
戦槌状の先端部は、大きく重く、まともに構えられないほどだ。
おそらく遠心力を使った強力な打撃力を得るためだろうが、扱うには非常なる握力と膂力も必要で、実用的ではない。
――待て……この剣をマチウスはむしろ軽々と扱っていたぞ
「マーガル! 見ろ!」
危機感の含まれたその声に、たちまち我に返る。
見ると、巨怪は少しずつ身体を起こしはじめていた。
とても信じられない。呼吸も正常な速さにもどってきている。
マチウスは叫ぶ。
「は……やく!」
ようやく自分の愚を悟り、おれは異形の剣を振り上げ、頭部の急所にぶち当てた。
巨怪は大声で吠え、おれのいる辺りへ両手を伸ばす。
素早くその手をかわし、数歩後ろに下がった。まだ浅いのか。
やつは寝返りを打つように身体を回した。
石床に片肘をつき、ゆっくり起き上がる。
「剣を回せ! 思い切り振れ!」
その助言にしたがい、おれは渾身の力をこめ剣を振り回した。身体を回転させながら、頭頂部の傷痕めがけ、再度、剣の先端を思い切り叩きつける。
全身から一気に力の抜けたように、今度こそ巨怪は地に斃れ伏した。
叫び声や吠え声も一切ない。
瞬時に絶息し、果てたのだ。枯れた木の倒壊するような印象だった。
そのときおれは陥没して割れた巨怪の急所から、白い、煙のようなものの立ちのぼるのを、はっきりと目撃した。
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