試用開始

「……ノヘゥルメ……が、蛮族か……と? はっくしょん!」

 選王は激しいくしゃみを間断なく連射した。

 それはなかなか止まらない。

「すまぬがマーガル殿、もう少し離れていただけぬか。その、貴殿はひどい臭いなのだ」

「薬が、でございましょう」

 失礼な衛士長の物言いに、おれの背後のマチウスが低い声で訂正を入れてくれた。

 ゲールトの指示により、おれとヨツラは大人ふたりの身長分ほど、玉座から遠ざけられた。その結果、意思の疎通に思わぬ大声を必要とするようになってしまった。


 ようやくくしゃみの止まった選王は赤く腫らしたような鼻となり、質疑を再開した。

「残念ながらノヘゥルメについては、まだ明らかにすることはできぬ! 仮に貴殿があの存在に脅え、わが城を去ったとしても、他言無用に願いたい! もし、その話がどこからか漏れ伝わった場合、貴殿とそこなる吟遊詩人からと考え、不本意ながら、その生命により、責を負ってもらうことになろう!」


「……冗談じゃねえや……追っ手でもかけるつもりかよ」

 ヨツラはディラスの発言に対し、小さな声でつぶやいた。


「さあ、無氷の剣士マーガル! いかがか! まずは貴殿の返答を!」


 たてつづけに大声で言われると詰問された感じになり、なんだか急にやる気もなくなった。別にこの城で剣を振るわなくたって構わない、そんな気にさえなる。


 それにもう、あの化け物の相手もゴメンだ。


 ――恐れながら……辞退いたしたく存じ上げます。


 内心の反発をなるべく表わさないように、努めて丁寧な口調を心がけた。

 ヨツラを横目に見ると、あんぐりと口を開け、信じられないという顔でこちらを見ている。


「なんと申した! 良く聞こえぬが!」


 ディラスは大声で叫ぶ。

 うんざりしつつ、おれも大きく声をだしてやれと、腹に息を溜めた。


「恐れながら! 選王さまにご報告であります!」


 おれのことばより早く、背後に大音声を聞いた。

 振り返ると城の衛士が慌ただしく駆け込んできた。


「なにごとだ! 選王さまはただいま公務中でいらっしゃる!」

 衛士長は怒鳴った。

「申し訳ございません!」

「構わぬ! 申してみよ!」

 ディラスは続きを促す。

 伝令役の衛士は直立し、顔を上げて絶叫した。

「は! ノヘゥルメが脱走いたしました!」

「なんと!」

 大きく身を乗りだし、あわや玉座から転落しそうになったディラスの身体を、とっさにゲールトと衛士長は両側から支えた。

「どういうことだ!」選王を支えながら、ゲールトも怒鳴る。

「は! 足の鎖を繋ぐ金具を断ち切り……」

「断ち切るだと! ばかな、不可能だ!」

 衛士長は吠えた。

「胸元に刺さっていた大剣を使ったようです!」


 先日胸に突き刺した俺の剣のことか。

 信じられない。数日もそのまま放置していたのか?


「まだ抜いていなかったのか! 馬鹿め!」

 同様に感じたとみえ、ゲールトは伝令を怒鳴りつけた。

「ゲールト、あれを城の外に出してはならぬ!」

「御意! 衛士長、ディラスさまを!」

 選王の指示にうなずき、同僚への指示をすると、ゲールトはこちらを向いて叫ぶ。


「マチウス!」


「は!」背後に彼の立ち上がる気配を感じた。

「そして……すまぬがマーガル殿、一緒に来てくれぬか!」


 とうてい断れる雰囲気ではない。玉座の間を出て廊下を駆け下りていくゲールトの後を、マチウスとふたり、無言で追った。

「マチウス! 武器だ! ドゥーリガンを忘れるな!」

「は!」

 昔話でよく聞く『剣王ドゥール』が天から授かったという伝説の豪剣。

 まさか実物とも思えないし、そう聞こえただけかも知れない。


 マチウスはゲールトの指示に、城内の違う方向へ走り去っていった。




 ルフ城の裏手は、ちょっとした広場になっていて、地面には地下に続くような階段と、その先に門もあった。

 あの地下闘技場のような場所への出入口だろうか。

 門の扉は壊れ、外に向かって大きく開いている。


 例の巨怪は壊れた門の真正面にいて、衛士の群れに囲まれていた。

 身体の至る所に矢や槍も突き立っている。体液や血液などの流出もない。

 やはり不死身の怪物なのか。


 巨怪は自分の足を繋いでいた鎖のものらしき切れ端を右手で振り回し、衛士たちを牽制していた。

 左手に持っている金属の棒は、どうやら先日の闘争時、胸部深く刺しこんだおれの大剣のようだ。位置的には確実に心臓を貫いたはずなのに、致命傷にもならず、さらにその大剣を自分で抜いて使うとは。人の姿はしていても、やはり巨怪はまったくおれたちと違う身体の構造をしているらしい。


「動きを止めろ、槍を刺せ!」


 指揮官の命令で衛士たちが槍を突き刺さすたび、痛み、もしくは衝撃でも感じるのか、巨怪は大きく叫び声を上げ、大きく鎖を振り回して反撃する。

 鎖は数人の衛士をなぎ倒し、彼らはまるで風に吹かれた木の葉のように、鎧の破片を空中に巻き散らしながら、次々に吹き飛ばされていった。


「いかんな、これでは逃げられてしまう」

 状況を把握したゲールトは、そばの衛士に向かい指示を出す。

「もっと矢を放て! 目を狙うのだ!」

「は、しかし!」

「なんだ!」

「衛士長殿の指示がまだ!」

「馬鹿者が、指示がどうのという場合か!」

 城防衛に関しては、他者の指揮権を認めない衛士のかたくなさに、ゲールトは激昂した。

「遅くなりました!」

「マチウス!」

 従者マチウスは細長く大きな革包みを背負い、両手に大剣を携えている。

「マーガル殿、本調子ではないだろうが、力を貸して欲しい!」

 その悲痛で必死な様子に、仕方なくうなずいた。

「ふたりでなんとかノヘゥルメの動きを止めるのだ」

 無茶な話と、ゲールトに再確認した。

「あれを止める?」

「そうだ。マチウスが急所を狙う」


 なるほど、一応急所はあるのか。


「マチウスは城壁伝いに上から急所を狙う。貴殿と私でその位置までおびき寄せる」

 ゲールトの信頼の篤さからすると、やはりマチウスはただの従者ではなさそうだ。


 大剣を受け取り、打ち合わせとも言えない数語のやりとりだけで、巨怪に相対することとなった。

 衛士たちはいまや相当数蹴散らされていて、抑止力としてはかなり弱体化している。増援の衛士は遅れている。


 ノヘゥルメは裏門の間近に迫りつつあった。


「いくぞ!」


 ゲールトの合図でおれたちはめいめい巨怪に走り寄っていく。

 マチウスは革包みの中から奇妙な武器を取りだし、それだけを再び背負った。


 戦槌のような形状をし、先端は異様に太い。

 あれが『ドゥーリガン』なのか。

 おれは巨怪の真後ろから気づかれぬうちに急襲し、その足首の腱を狙おうと考えていた。 


 側面の城壁に目を走らせると、マチウスは壁によじのぼりはじめている。

 あのまま巨怪の上部から飛びかかるのだとすると、急所は巨怪の上半身にあるということだ。

 頭部か、首あたり、背中かも知れない。


 ともかく、伏兵の存在に気づかれないようにしなければ。


 背中の痛みはまたぶり返してきたようだった。

 腰をかがめ、低い姿勢で走り寄っているせいだろう。もう数歩近づけば自分の剣の間合いに入ると思った瞬間、巨怪の歩みはぴたりと止まった。


 瞬時におれはその場にしゃがみこみ、息を潜めた。


 いきなり巨怪はこちらに向きなおり、素早く鼻を数回すすり上げる。

 まるで外界の空気を嗅いでいるような様子だ。


 ――まさか、そんなところまで届いているはずもないだろう。


 そんな、願望にも似た思いは、すぐに覆された。

 巨怪はぴたりとにおいの元を嗅ぎわけ、まっすぐおれを見おろす。


 心中でヨツラに呪いのことばをありったけぶちまけた。

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