第二章 試用

試用確認

 おれたちの住む国々は、もともと天承時代と呼ばれる神話の時代、英雄『剣王ドゥール』の名を冠したひとつの国だった。

 その後、土地はドゥールの五人の子に相続され、ウーケ、ミーナス、ウーラ、キスル、ケネヴという現五カ国に分割されたと伝えられている。


 もとをただせば兄弟同士のはずなのに、この五ヵ国は互いに仲が悪く、長年いさかいの絶えることはなかった。


 近年ようやく一致団結し『護国連合』という国家共同体を名乗りはじめたのは、土地争いや、勢力争いなど、五ヵ国内部のいざこざを減らすためばかりではなく、周囲を取り巻く異国の脅威に対抗し、新たに外敵に備える必要も生じてきたからだった。


 剣士需要はそういった事情からますます高まるばかりだったし、剣王ドゥール自ら書き遺したと伝えられる『剣士の十法』は、その極めて高い理想と志とに、剣士の守り行うべき規範と認知され、剣士の社会的地位を向上させていたから、剣士は平民階級にも人気の職業となっていった。

 ヨツラ情報だから真偽の程は定かではないのだが、どうやらそれは異国をも含めた全世界的傾向でもあるらしい。


 いずれにせよ、戦場という活躍の場には事欠かず、社会的地位や名誉も得られるとあって、若く健康な男子ならだれもが剣士にあこがれて、だれもが剣士を志す、いまはそんな時代だ。


 

 巨怪との戦闘から一夜明けた。


 いま思い返して見ると、伝説や昔話、おとぎ話に出てくるような正真正銘の怪物と戦ったなど、まるで幻覚でも見ていたかのように感じる。

 ただ、身体に残る戦闘の後遺症に、それは現実だったと信じるしかない。


 打撲の痛みはなかなか背中から引かず、身体を起こすにも、激痛を我慢してどうにか、という具合だ。

 従者ふたりは、手厚く介護をしてくれた。


 いまもそのひとり、女従者ヒルガーテは、寝台の上で横向きになったおれの下着をまくり上げ、背中の湿布を取り替えてくれている。自家製の秘伝薬らしいから早期の治癒を期待しているが、ひどいにおいのする薬だ。


 もうひとりの従者マチウスは用事でもあるらしく、席を外すと言って、さきほど部屋を出ていったばかりだった。


「右の肩胛骨のあたりと、右肘周辺も変色している。右半身から先に落ちたということね。骨折していないのは奇跡的」

 右腕に包帯を巻こうと、ヒルガーテは背後から正面に移動した。

 ようやく間近に彼女を見る。


 どこか武人然とした女だった。


 漆黒の黒髪を肩上で短く切りそろえている。

 面長で彫りの深い顔立ちに、意志力を感じさせる太めの眉毛、睫毛の濃い、黒炭で縁取られたようにくっきり目立つ大きな目をしていた。


 黒髪に碧い瞳は珍しい組み合わせだ。


 筋の通った鼻の先は少しふくらんで丸い。

 一般的な美醜の判断からすると少々欠点とも言えるそれは、整った顔立ちをうまく中和し、かえって親しみやすさを作る役割を果たしていた。

 薄く形の良い唇はきれいな朱色をしていて、色白な顔肌を引き立てている。


 美しい、という賛辞の似合う、大人びた顔立ちだった。

 年齢はおれより少し上、二十歳前後というところか。

 寝転がっていて、相手の正確な背丈まではわからぬものの、小柄な成人女性の標準的な背丈と思われた。

 灰褐色の貫頭衣とこれまでの素っ気ない物言いは、マチウスとそう変わらないが。


 もののついでに少しだけ質問してみる。

「あの巨怪について教えてほしい」

 包帯を巻く手は止まった。

「……ノへゥルメ」

 多少困惑ぎみの表情を浮かべ、ちらりとおれを見る。

 少しだけ目も合った。

「それは聞いた。……そんな名前だったか? あれはなんだ。なぜこの城に」

「答えられない」

 言うとヒルガーテは視線をおれの右腕にもどし、再び手を動かし始めた。

 大人びた物腰に似つかわしくない、幼い物言いに感じた。


 答えられない、か。


 答える権限を持たないのか、知らないのか、いったいどちらなのか。

 そういえば、この女とまともに口を利いたのは初めてだった。



「おう、おう、マーガル! いい格好じゃねえか」

 いきなり騒がしくなった。

 うっとうしいやつが来た。

 扉の方に顔を向け、横向きになっていたから、否応なしにヨツラの顔を見る羽目となる。

「女従者をはべらせて、よろしくやってるな? いい身分だな、おい! そうそう、もう知ってると思うが、おまえ、ここの選王に気に入られたようだぞ」


 治療中である、ということなどは目に入らないようだ。

 マチウスはヨツラの後ろにいた。うんざりした表情を浮かべている。

 おしゃべりな吟遊詩人相手にそうなる気持ちは、おれにも痛いほどよく分かる。


「あの化け物を退治したのはすごかった! あんなに興奮したのは久しぶりだ。さすがマーガル、おれの見こんだとおり、おまえはやはり百人力の天才剣士だよ」


 かつて剣士になりたいとヨツラを訪ねたとき、こいつは即、おれを見こみ無しと判断し、自分の相棒に育成と斡旋の仕事を押しつけたのだが。


「でな、契約料を倍にふっかけようと考えてる。おまえが望むなら、もうちょっとつり上げてもいい」

 腰をかがめ、おれの耳に口を近づけると、ヨツラはそうささやく。

 早く正式な雇用契約を結ばせ、契約金から自分の紹介料、仲介料をせしめたいという気持ちを隠すこともない。

 契約はおれの回復を待って行われるらしいから、気の早いこいつとしては、早めに自分の取り分を確保しておかないと落ち着かないのだろう。

「……あんたにまかせるよ」

「そうそう、そういってくれると……なんだか、におうな?」

 ヨツラはなげやりなおれの言い方に気づくこともなく、二度三度と宙を嗅いだ。


「……たぶん、湿布薬のにおいだろう」

 やつの背後でマチウスは解説した。

「湿布? ひでえ薬使ってんじゃねえのか? こんなど田舎じゃ変な民間療法もあるからな」

「代々伝わる調合薬よ。ひどいこと言わないで」

 抑揚のない声でヒルガーテは抗議する。

「ふん、そうかよ。……ま、こいつはいまじゃルフ郡にとっても大切な身体だから、ちゃんと治療してくれるかどうか、見ててやんねえとな」


 そう言っておれの横に居座ろうとするヨツラは、治療の邪魔になると、たちまち養生部屋を追いだされていく。




 数日後、なんとか普通に歩けるようになり、おれはいよいよ選王ディラスと面談することになった。

 いわゆる『雇用の儀』と呼ばれる儀礼的式典のためだ。

 剣士の行動規範である『剣士の十法』に基づき、雇用者である選王と被雇用者である剣士とが、互いに誠意を見せ合い、公に契約を宣言するのだ。


 背中を特定の角度に曲げるとまだ鋭い痛みを感じる。

 用意された礼服に着替えるのにもひと苦労だ。

 おれを迎えに来たヨツラは、どこで調達したのか、華美な礼服に身を包んでいた。


「なんだよ、まだこのにおいしてるじゃねえか。香水くらい振りかけようって気も回らねえのかよ? 今日はマーガルにとっちゃ晴れの日だぜ」

 ヨツラの文句にヒルガーテは苦々しい顔で答えた。

「……ふたつ混ざると、こんなものでは済まなくなるわ」

「そんなことあるか、においを消すのが香水だろうが!」


 ヨツラはそう言って、おれに自分の香水を振りかけた。

 止める間もなかった。




「加減はもう良いようじゃな」

 選王のことばに恐縮し、自分の頭を更に下げる。

 ぬかずいたままの姿勢は、実は一番背中に負担のかかる体勢だ。

 苦痛だが、もう少し辛抱しよう。


 雇用の儀を終えれば、いよいよこの城へ剣士として就職したことになる。


 本当の王の間は、やはり城の最奥部、最上階に位置していた。

 マチウスも従者として任命されるのか、おれたちの背後にぬかずいている。


 立って並んでみると、彼はおれよりも頭ひとつ分ほど大きく、思ったよりも大柄だった。首をかしげたような姿勢は変わらず、おれはそれが彼の特徴的な姿勢だとようやく気づいた。


 ヒルガーテの姿はない。


 選王ディラスは先日の車椅子ではなく、部屋に据えつけられた正規の玉座に鎮座ましましていた。

 玉座の両脇には向かって右にゲールト、左には衛士長も立ちならんでいる。

 いつも王の右にいるゲールトの本当の肩書きはなんだろうか。


 そのゲールトから頭を上げるように命じられた。

 よかった、ようやく楽な姿勢をとれる。


 選王ディラスは感心したように語った。


「ノへゥルメの趣向……あの戦闘での働きは素晴らしく見事であった……。実は、新人であれと戦って生き延びたものはおらぬ。貴殿以外にはな」

 とんだ趣向だ。

 雇い入れる者の実力を知るためだとしても、相手があれではちょっとひどすぎる。


 その嫌悪の気持ちでも伝わったのか、選王は言い訳めいたことを言う。


「もちろん、あれと引き合わせるのは、相応の実力を持っている、と目利きした者だけだ」

 そのことばに右横のゲールトはわずか首肯した。

 嫌悪感は更に大きくなる。


 つまり、これまでの剣士たちはみな、あの『趣向』の犠牲になったということだ。


 選王は、二度ほど鼻を鳴らした。

「……さぞ無体な話と思うだろうが、ノヘゥルメに後れを取るような剣士では……いったいさっきからなんのにおいかな?」


 とうとう我慢できなくなったらしい。

 いらだった表情で両脇に立つ部下のにおいを嗅ぐ。

 ゲールトや衛士長らもつられてあたりを嗅ぎだした。


「恐れながら、おそらくマーガル殿の湿布の悪臭……臭気、と存じます」

 おれの後ろでマチウスは申し訳なさそうな口ぶりでそう告げた。

「ふむ……ヒルガーテの調合薬……なのか?」

 ディラスはつぶやいた。

 聞こえたはずなのに、今度はマチウスも無言のままだった。

 選王はさらにもう一度くしゃみを重ね、鼻をかむと先を続けた。


「さて……そういうわけで、貴殿を雇い入れたいと考えている。だが、まず先に貴殿にその意思があるかどうかを再確認したい」

 正直なところ迷い始めていた。

 よく考えてみると、この就職はおれにとって非常に不利な条件ばかりではないか。

 そんな気もした。


「も、もちろん、無氷の剣士に異存はなく……」

「控えよ、吟遊詩人! 選王さまはマーガル殿に直接訊ねているのだ」

 話に割りこもうとしたヨツラはゲールトに一喝され、あわてて首をすくめた。


「蛮族はみな……あんなバケモノばかりなのでしょうか?」


 おれの口をついてでたのは、自分でも意外な質問だった。

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