就職試験

 いっぱしの剣士ならだれでも、相手と自分の体格差により、戦法や技法を変化させて対応する。それはどんな剣術も基本的に対『人間』を想定して組み立てられているからだ。


 結論から言うと、そのせいで、おれはかなり苦戦している。


 いま相手にしているのは、体格の良い『大きな人間』などではなく、正真正銘の『怪物』だからだ。どんなに手を高く伸ばしても、おれの剣先は相手の胸元にすら及ばない。これまで習い覚えた剣術のほとんどは、こいつには通用しないし、役に立たなかった。


 それでもおれは手の届く範囲で巨怪を斬りつけ、一度二度は充分な手応えを感じている。


 ……はずだった。

 けれどやつはそれをものともしない。


 どんな生物でも手や足を斬られれば多少はひるんだり、動きも制限されたりするはずなのに、この怪物ときたら、それを気にする様子もなく、強烈な攻撃を次々仕掛けてくる。不可解なことに出血はなく、身体の構造自体おれたちと違うのではないか、と思えるほどだ。


 対して相手の持つ丸太は一度でもおれに直撃すればよかった。

 そうなればたちまち全身を砕かれ、あっという間に決着はつくだろう。


 棍棒を必死で避けながら、自分の圧倒的不利を理解するにつれ、こいつに勝てれば剣士百人力と言うゲールトの比喩もあながちでたらめではないと感じていた。


 巨怪の動きは思ったよりも機敏で、なかなか懐に入りこめない。

 おれはやつの周囲を逃げ回り、転げ回りながら、なんとか胸元まで潜りこもうと隙を狙っている。

 向こうもおれの動きに警戒しているのか、変わらず意味不明のことばを口走りながら、棍棒を振り回してそれを防ぐ。

 知能は高いようだ。懐に入りこまれるのがどういう不利益を自分にもたらすのか、ちゃんと分かっている。

 だがもうそろそろ、勝負を急がなくてはならない。


 巨怪とおれとでは、体格だけでなく体力も違うらしい。


 戦闘を始めてから、そう時間も経っていないと思われるのに、おれ自身、体力をかなり失っていることに気づいた。

 息もそろそろ上がりそうで、剣を持つ手に力も入りにくくなっている。始終走り通しで足も疲れてきた。


 おれは相手から大きく離れ、選王たちの見物している石段の縁近くまで下がった。その位置まで巨怪はこられない。足の鎖はぴんと張ったままになっている。

「臆したか!」

 背後でゲールトは怒鳴った。

 言い返すのもばからしい。しかし腹は立った。

「お、おいマーガル! なにしてやがる、あんな化け物、はやくやっちまえ!」

 ヨツラに至っては応援にすらなっていない。


 攻撃を何度も仕かけ損なったおかげで、やつがどう動くか、その間合いや拍子はつかめたように思う。

 ゆっくり息を整え、ふたたび相手に向かっていく。


 おれ同様、少しの休息をとっていた巨怪は、その接近に対し、棍棒を振り上げ、大きく雄叫びを上げた。やつもそろそろ勝負を決めたいのだろう。


 小走りで速度を上げる。相手の真正面だ。

 巨怪は棍棒を両手で構え、真っ向から打ち下ろしてきた。


 それが頭上に落ちかかる寸前、おれは走りながら素早くしゃがみこんだ。

 剣刃を真上に向け、大剣を床へ垂直に立てた。剣を棍棒に刺させるつもりだった。


 大きな賭けだ。


 もしこいつが棍棒を力の限り全力で撃ちこんできたら、たちまち剣ごと粉砕されるだろう。

 しかし、こちらの思惑通り、やつはおれの無防備な正面攻撃を警戒してくれたようだった。知能の高さゆえ、なにか裏でもあると判断したのか、その打ちこみは牽制程度の力加減に思えた。


 生木を裂くような音。


 巨怪は得物を持ち上げようとしてうまく上がらない。

 棍棒に突き立つ剣の柄を、しっかり両手で握りしめたおれがぶら下がっていたからだった。それに気づくと、やつは両手を使い、おれごと棍棒を高々と頭上に振り上げる。そのまま石床に叩きつけようとでも考えたらしかった。


 空中で棍棒に足をかけ渾身の力で大剣を引き抜く。

 その勢いを活かし、眼下に見える巨怪の身体めがけ飛びこんだ。


 大剣を逆手に構え、ななめ上方から一気に刺し貫く。飛びこんだ勢いと体重とで、剣は深々と刃の根もとまで、やつの胸元に突き刺さった。

 巨怪は怒号を上げながら棍棒を投げすて、胸元に刺さった剣にしがみつくおれを両手で必死に引きはがそうとする。


 ものすごい握力。

 たまらず剣から手を放す。

 そのまま投げ飛ばされた。


 空中では姿勢を変えることもできず、おれは石床に勢いよく落下していく。


 落ちる際、頭だけは両腕で抱えこみなんとか保護したものの、背中をしたたかに打った。その衝撃に絶息し、意識も飛びそうになる。


 視界はじわりと黒ずみはじめた。

 視野の一部に、胸元におれの剣を深々と刺したまま、弓矢と槍とで衛士に追い立てられている巨怪の姿が映った。


 出てきた穴にまたもどっていくようだ。


 致命傷をものともしないその生命力に驚くより、おれは、弓矢はそう使うのか、そのためのものだったのか、という知的満足を得ながら意識を失っていった。






 どこかの部屋。


 寝台に寝かされているのか。

「起きたわ」

 女の声。

 身体を起こそうとするも、背中に走った激痛で、思わずうめく。

「無茶はよせ。背中を強く打っている。当分起き上がれないぞ」

 今度は男だ。

 首を横に動かし、声の主を確かめようとした。

「知らせてくる」

 部屋の扉を開ける音と走り去る足音。

 女はどこかへ報告に行ったようだ。

 痛みに耐え首を傾けると、寝台脇に声の主がいた。


 灰褐色の質素な貫頭衣を着ている。

 腰帯を巻いたその服装からすると城の従者らしい。


 年代は二十代後半というところか。

 骨張った四角くいかつい顔つきで、黒髪を短めに刈り揃えている。まっすぐおれを見る比較的小さめの眼に、知的な光をたたえていた。


 わずかに首をかしげたような姿勢のまま、おもむろに口を開く。


「城の養生部屋だ。あんたは数刻前にここに運ばれた。いまは身体を休めなきゃならない」

 従者にしてはずいぶんとぞんざいな口の利き方をする男だ。


 おれの表情を見て勝手に察したらしく、男は自己紹介する。

「おれかい? おれはマチウス。これからは、一応……あんた付きの従者ってことになりそうだな。でていった女はヒルガーテ、役割はだいたい同じだ」

 マチウスは薄く笑った。

「……と言っても、まだ正式に決まったわけじゃない。雇われの身だから、上の命令さえあれば、ということだがね」

 おれもまだここに正式に雇われたわけではない。

 だが、状況から判断すると、あの就職試験は合格、とは言えまいか。


 扉の開く音。

 身体を起こせないので、入ってきたのはだれかも分からない。

 先の女だろうか。


「これは、ゲールトさま」

「立たずとも良いマチウス。剣士殿の容態はどうだ?」

「は、たったいま目覚めたばかりで……」

 もう少しだけ首を持ち上げさらに状況を把握しようとした。

 首筋に繋がる背中の筋肉はやはり、きしむように痛んだ。

「まだ動かないで」

 さっきの女従者らしい。

 寝床に近づいてきて、掌でおれの胸を軽く抑える。

 寝床から上を振り仰いでいるので、彼女の顔も、表情もよく見えない。


「剣士殿、大義であった。ノへゥルメ相手に臆さず立ち向かった剣士を初めて見た」

 人事担当者ゲールトは、枕元まで寄って来て、わざわざ顔をおれに見せた。

 ねぎらいのつもりなのだろう。

「選王さまは約束通り貴殿を雇うことにしよう、と仰せられた。いまはゆっくり養生するがよい。起きられるようになったときに、改めて雇用の儀にかかろう」

「ヨツラ、は……?」

 別に気にしているわけではない。

 やつの性格からして、この場にいないのは不自然だった。

「吟遊詩人めは城内に留め置いている。貴殿の力量については、結果として、ことさらでたらめを言っているわけでもないとわかったが、今回のことで相当鼻息も荒くなっているようだから、いずれきつく釘を刺すつもりだ」


 契約金や仲介料を相当ふっかけはじめたのだろうな。

 容易に予測はつく。


「あの男は、まるで貴殿がノへゥルメを退治したかのように考えているようだ。地下にもどしたところは見ていたはずだが……。あれの存在を他でしゃべってもらっては困るし、もしそうなれば……いや、そうなる前に手は打たねばならないだろうな」


 ゲールトの話は少々愚痴めき、しかも、不穏になってきた。

 口は災いの元。ヨツラは自業自得だ。


 やはり無口は美徳なのだ。


 おれは心からそう確信した。

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