就職面接
両開きに開いた大扉を抜けると、おれの面前には予想をはるかに超えた空間が広がっていた。大広間というならともかく、とても玉座の間とは思えない広大さだ。
謁見の大広間としてなら……それでも少々殺風景すぎるように思えた。
岩肌むきだしの壁は上方に伸び、遥か上方で四方の壁同士が繋がり、一体化していた。したがって天井らしき構造はない。床も岩石を削り平らにしたようで、まるで岩盤をくりぬいて造ったような部屋だ。
壁に取りつけられた架台の上で煌々と燃えさかるたいまつが照明の役割を果たしており、そのため、部屋の空気は全体的にすすけていた。
つまり、もともとここは常時明るくする必要のない部屋なのだ。
岩づくりだから換気も悪く、どう考えてもこの部屋に常設の王座があるとは思い難い。急な不安にでも駆られたか、ヨツラは部屋の入口付近に立ち止まり、あたりを落ち着きなく見渡した。
「前にどうぞ」
背後の衛士から有無を言わせぬ調子で促され、おれたちはしぶしぶ歩きだす。
大きな部屋の中央部には、岩畳を削って大きく広場のような円形のくぼみが造られ、その縁は数段の階段状に加工されていた。
左方の壁近くには、長椅子代わりにでも使うつもりか、枝を払い、巨木の姿そのままの、一本の丸太が無造作に転がされ、王の間にしては無粋にも程があると感じた。
ここを例えるならちょっとした――
「なんだか、やばそうだな。どっかの闘技場みたいじゃねえか、ここはよ」
おれの思考とほぼ同時に、横のヨツラはぼそりとつぶやいた。
思わずおれも首を縦に動かしてしまう。
珍しい。こいつと見解が合うなんて初めてじゃないだろうか。
この様子では、選王との会見を済ませたらその結果に関わらず縁切りしてやろうという、おれの決意になど気づいてもいまい。
「そこでお待ちを」
従者はおれたちをふり返り、慇懃に礼をした。
続いて回れ右で奥の石壁の方角を向くと、大きな声で主を呼ぶ。
「ディラスさま、お連れいたしました」
その声は周囲の岩肌に反響し、割れたような音となる。
「壁しかねえじゃん」
かなり小声でヨツラは愚痴った。
確かに従者は石壁めがけ、主の名を呼んだ。
見るとおれたちの前方で従者は腰をかがめ、壁に向かって頭を下げたままになっている。肩越しに少しだけふり返り背後を見ると、衛士たちも壁の方向を向いて家士の礼をとっていた。
「壁でも抜けてくんのかな?」
「しッ!」
思わずヨツラを制止した。
滅多なことは言うものではない。
ただの新人剣士謁見にしては、この状況は異常だ。
おれは直感的にそう判断していた。
突如がりがりと音を立て、正面の岩壁の一部に亀裂が入る。壁面に扉をしつらえてあったのだ。石の扉は重々しく開いてゆく。
石扉の向こうは、先ほど見た集光石の青白い光で満たされていた。
奥に部屋もかいま見える。
男が数人、そこからこちらに向かって歩いてきた。
正確に言うと、ひとりだけ車椅子に座ったまま従者に手押されている。
あの人事担当者ゲールトはその脇にぴったりと身体を寄せていた。
中のだれかは怒鳴る。
「選王ディラスさまの御成である!」
おれたちは、あわてて片膝を石畳につき、頭を垂れた。
「貴殿が無氷の剣士か」
豪奢な車椅子に座っている老人は、威厳ある声で誰何してきた。
選王ディラスその人だった。
おれは頭を垂れながら上目遣いに相手を見る。
立派な口ひげを蓄え、老いたりと言えども堂々とした体躯の持ち主。
こういう高貴な人間から、他人に勝手につけられた通り名で呼ばれるのは、いたたまれないほど気恥ずかしい。
「面を上げよ。……そこなるヨツラ・テイルの口上によれば、貴殿はウーケの勇者、剣士ダミオロデに師事し、わずか数ヶ月で追い抜いた才覚の持ち主という。まことか?」
選王ディラスの顔を見上げながら、返事をする。
「は!」
それは本当だ。
ただし、剣士としてのおれの才能を見いだしたのはヨツラじゃない。その相棒のほうだったが。
「実力は百人相当と申すが、それもまことか?」
「ディラスさま。恐れながら、くだんの剣士はかなり以前に退役しております。それに吟遊詩人風情の言うことなど、割り引いて判断せねばなりますまい」
おれの返事を待たず、車椅子の脇から人事担当者は主君に進言した。
「聞き捨てならんな、ゲールト殿。吟遊詩人のいい加減なことばを選王さまに取り次いだのか?」
車椅子をはさみ、ゲールトの反対側から、立派な装飾の着いた衛士服の男は異議を申し立てた。ディラスは手を振り、二人のやりとりを止めた。
「よい、よい、衛士長。吟遊詩人とはそうした輩だ。そうと知ってなお、掘りだしものを待つのも、これまた一興じゃよ。ゲールトを責める必要はない。それに代わりを探す猶予もなかろう?」
おれの代わり、ということだろうか。
裏にはなにかせっぱ詰まった事情もありそうだ。
「は……御意。……けれども」
主人になだめられては、衛士長もその矛先を納めざるを得ない。
王の両脇にいるということは、彼らはこの城でもかなりの重要人物なのだろう。人事担当者ゲールトも、実はただの剣士調達役ではなかったのかもしれない。
「さて、無氷の剣士殿。貴殿は、剣士百人に匹敵する実力と聞いておる。なので、その腕見せも兼ね、こちらで少し変わった趣向を用意した」
選王はそう言うと右腕を水平に挙げ、合図でもするように肘を振り上げた。すると、どういう仕掛けか、おれの左方の壁は大きく音を立てて開口し始めた。
ぽっかりと空いたその大きな穴の向こうから、ひんやりとした空気が吹きだしてくる。少し生臭い風だ。
「剣士殿以外は、こちらへ」
案内役の従者は、部屋の中央部付近、円形のくぼみの縁へヨツラや衛士たちを誘導した。
「貴殿の腕に期待している。御武運を」
ゲールトは苦笑いのような表情を浮かべ、そう言った。
察するになにかと戦わせようとしているのだろう。
闘技場のようなこの部屋の造りから見ると、それは人間ではない可能性も高い。猛獣や、野生動物の類か。
そう言えば、ウーケには国営の闘技場も存在していると聞く。
武の国と呼ばれるだけあり、戦ったり、戦わせたり、たぶん、そんなことの好きな国柄なのだ。
ふと、奇妙なことに気づいた。
槍持ちの衛士はいても、剣士らしき人間の姿はない。
強いて言えば、剣士調達の任に就く人事担当者ゲールト以外、腰に剣を下げているのはヨツラくらいだ。自分の剣士団に入団するかもしれない新人剣士の姿を見ようという先達はいないのか。
――ああ、そうだった。
ヨツラの話では、剣士団はこの選王に解散させられていたということだった。
いたとしても、おおかた辺境守護の任についていて、きっとこの城にはいないのだろう。
左方の壁の穴、その奥から鎖を引きずるような音が聞こえ、思考を中断する。
――さて、おれの相手はなんだ。鎖に繋がれているなら、まあ少しは安全だろうが
背中の大剣を抜き、目で刃と握りの具合を素早く確認した。鎖を引きずる音は速度を増したように大きくなる。
――猛獣グマラシか、それとも……
そいつは一気に穴から飛びだしてくると、地響きと共に石床へ着地した。
室内に響きわたる大声でなにごとかを叫ぶ。
興奮しているのか、ひどく荒々しい息づかいだ。
見まがうことなく人間の形状をとった、見たこともないほど大きい『なにか』。
身長はおれの二倍から三倍、つまり十二から十八ファーブはある。
頭蓋の形のはっきりと分かる頭部には茶褐色の毛髪がまばらに点在していた。
眉は生えていない。
眉間の広い両目の瞳は灰色だ。
大きく立派なつくりの鼻と、その下の大きく広がった口。
両耳とその耳朶の奇妙に小さいことと、口蓋部がぐっと前にせり出し、獣様になっているところを除けば、まったくふつうの人間そのものの顔つきをしている。
褐色の肌に、ぼろ切れみたいな衣服を身につけ、上半身は半裸状態だった。
すり切れた布からのぞく皮膚のあちこちには、これまでの戦闘でつけられたものなのか、無数の刀痕らしき傷もある。
片足には金属製の足かせをつけられ、かせの金属環につながれた太い鎖は、壁の穴の奥までずっと続いていた。
そこには、この巨怪――そう、巨人というより、まったくそれは『巨怪』としか言いようもない――の住処――牢獄だろうか――があるのかも知れなかった。
巨怪は室内を見渡し、ディラスたちに目を留めると、大きな腕を上げ、指さしてなにかを言い始めた。
ことばを話すのにも驚いたが、グマラシか蜥蜴ザルのように前へつきだした口蓋のせいもあり、どこの国のことばなのか聞き取れない。当然、意味も分からなかった。
ただし、その声音から漠然と内容は理解できる。
彼らへの抗議、非難、呪詛などをまくし立てているのだろう。
わずかの間、おれは剣を構えながらも呆然と立ちつくしていた。
すると、ひとしきり悪態をつき終え満足したらしく、巨怪はようやく足もとのおれを、灰色の瞳で凝視した。
にやりと笑う。 ……いや、笑ったように見えた。
あまりにも人間くさいその表情を見て、ようやく我に返った。
「ノへゥルメに勝てば、剣士百人力だ!」
ゲールトの声とおぼしきことばを片耳に聞きながら、すばやく数歩飛び退ると、安全と思われる間合いを取る。
ノへゥルメ。
こいつの名か? 巨怪の名称なのか? 言いにくく覚えにくい。
巨怪はおれの構えを見ると、急になにかを探す様子に、すぐ目的のものを発見した。左方の壁近くにあった丸太を片手でつかみ、持ち上げる。
巨木の長椅子ではなく、この怪物の武器だったのだ。
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