第11話 本当に聖剣なのですか?
付かず離れずの距離を保つ沙綾。
そんな彼女に、サリエルナは落ち着いた様子で話しかけてくる。
「ところで少々気になっているのですが、よろしいですか?」
「……何よ……」
サリエルナほど余裕がない沙綾は、それにぶっきらぼうに答える。今もサリエルナの動きに注意しながら、色々と小細工をしている最中だった。
「いえ、あれ程の多重結界を張っておきながら、どうして貴女はそこへ逃げ込まなかったのかと疑問に思いまして。答えくださいますか?」
「……別にぃ~理由とかないし」
「それは理由があると言っている様なものですけど……?」
「ふんっ。仮にあったとしてもアンタに教えてあげるわけないじゃない」
「おや、これは悲しい事を言ってくれますね……今から潰し合う間柄ですのに、多少は仲良くいたしましょう?」
「お断りだってぇのよ!」
何処か楽しそうに微笑むサリエルナを、沙綾は半眼で睨みつける。どうにも何を考えているか読めない相手だった。
ジイ達を多重結界へ放り込み、沙綾自身が中に入らなかったのはしっかりと理由があった。けれど、それをそのまま言ってもサリエルナは信じないだろう。
(まさか、お爺ちゃん達を巻き込みたくないからとか言ってもねぇ……)
ただそれだけの理由だった。沙綾自身も結界に入ってしまえば、確かに結界の維持は格段に楽になる。けれど、仮に破られた時が問題だった。そうなればジイはきっと魔王の命を遂行する為に、再びサリエルナと対峙するだろう。それはどうしても避けたい事態だ。
(その前にどうにかしてこの人を無力化するしかないわよね……)
沙綾の中ではそれが最善策。多少自身が傷付こうが、自分の為に誰かが傷付くのを見るよりはずっと良い。
結局のところ、沙綾が勇者を選定するのを避けていたのもそこに帰結する。
沙綾はただ嫌だったのだ。聖剣である自分を振るって、自分が選んだ誰かが他者を傷付けるのも、そのせいで自身の担い手に危険が及ぶのも……。まぁ、勿論、汚れるのが嫌なのも限りなく真実なのだが。
「さて、そろそろ準備は整いましたか?」
サリエルナは剣を構えてこちらを見つめている。その何かを見透かしているように問いかけに、
(……そりゃ、あれだけ眼が良ければ視えるか……)
沙綾は嘆息し、肩を竦ませながら答える。
「えぇ。何時でもどうぞ? と言っても何を仕込んだかばれてるみたいだけど……」
「そうですね、この短時間でよくこの数を、と驚きです。それも無詠唱というのが恐ろしいですね」
「ふんっ。そこまで脅威に思っていないでしょうに……」
「社交辞令というやつです。では、行きますよ!!」
言った瞬間、サリエルナが沙綾の視界から消え、次に現れたのはその眼前。
(ちょっ!? いくらなんでも速過ぎでしょうが!?)
息を呑みつつ驚愕していると、そのまま腹部に重い衝撃が走り、壁際に飛ばされる。
「かはっ!?」
咳き込み目を白黒させながらサリエルナを見れば、どうも沙綾は急接近した彼女に蹴り飛ばされたらしかった。
「あら? ちょっと何をなさってるんです? これでは拍子抜けです……」
頬に手を当て困った様に呟くサリエルナ。沙綾は立ち上がりそれを苦々しげに睨み返す。
「悪かったわね、ご期待に添えなくて……」
「ふぅ……ワタクシが期待し過ぎただけかもしれませんね」
「なら、落胆したままお帰り下さっていいのよ?」
「いえいえ、お気遣いなく。これはこれで楽しめますから」
そう言ってサリエルナは微笑むと、再び沙綾の視界から消失する。
「あぁもうっ!! 全障壁展開!! 囲みこめ!!」
半ばやけくそに叫びながら、両手からマナを放出する。その途端、沙綾を中心として大小様々な色をした板ガラスの様なモノが出現し、周囲の空間を埋め尽くしていく。その数はざっと数えても一〇〇〇を優に超えている。
その正体は先程から沙綾が対サリエルナ用に即席で配置した、魔術障壁の数々だった。しかし、本来ならこんな使い方をする予定では無かった。
本当はサリエルナの動きに合わせて、その都度最適な障壁を展開し攻撃を防ぐつもりだったのだが、
(目で追えないとか想定外よ!!)
つまりそういう事だった。あまりにも彼女の動きが速過ぎる。
(マナで身体能力を上げてるんでしょうけど……限度ってものがあるでしょうに)
心中で愚痴るが、すぐにそんな余裕は無くなる。何故ならシャンデリアを落下させたような硝子の破砕音とともに、沙綾の右側に展開していた障壁がごっそり消え去ったからだ。
「ちょっ!?」
「あら、意外と進みにくいですねこれは……」
驚愕に目を見開けば、サリエルナがゆっくりこちらに近づいて来る所だった。言葉とは裏腹に、彼女が手にした剣を振るうたび、目の前にある障壁数十枚が飴硝子のように簡単に砕け散っていく。足止めになっていないのは一目瞭然だった。
「時間の無駄ですし……一気に消しますか」
立ち止りそう呟くと、サリエルナは周囲にある全ての障壁をその魔眼で睨み付ける。魔眼がその輝きを増した刹那、先程とは比べ物にならない程の爆音が空間を振るわせ、残っていた障壁が根こそぎ砕かれていく。……あの一〇〇〇を超える数があった障壁のその全てが、ほんのひと時で消滅したのだった。
「ははっ、うそ……」
乾いた笑いを浮かべ、冷や汗を額に滲ませながら沙綾はその場にペタリと座り込む。
「……心が折れましたか? 神霊という割には存外脆弱ですね……」
そんな沙綾を酷くつまらなそうな目で見つめるサリエルナ。そして、彼女に近付き剣を振り降ろそうと構えたその時、
「なんてな?」
ニヤリと不敵に笑う沙綾と目が合った。瞬間、サリエルナの四方を囲むように新たな障壁が展開される。
「!? けれど同じ事です!!」
虚を衝かれ一瞬動揺するが、再び魔眼で障壁を砕こうと力を込める。しかし、沙綾は更にマナを放出し、
「させないってのよ!! 【眼を隠せ 体を縛れ 足を奪え 行く手を阻むは八つの剣 間隙は既に閉じた 渇いた川へは水を流し 目指すべき城はすでになく 汝は前には進めない!!】」
障壁の強度を最大まで上げ、一気に詠唱を終える。その瞬間、サリエルナを捕えていた障壁は輝きを増し、その姿を変えていく。そして現れたのは、白銀に輝く無数の剣が組み合わさってできた、堅固な牢だった。
肩で息をしながら睨みつける沙綾に、サリエルナは目を見開く。
「まさか、一人でこの手の封術を使えるとは思いませんでした……」
呟きながら手にマナを纏わせて牢に触れると、その部分が光ると同時に衝撃で弾かれる。手を見れば、無数の切り傷が出来ていた。
「……聞いていた通りの代物ですね……これには魔眼も効果は薄いでしょう……」
サリエルナは内心で舌打ちする。彼女自身も大概だが、目の前にいる少女もやはり常軌を逸していた。
沙綾が施したこの術は、本来なら数人がかりで行うものだ。それをたった一人で、しかも完璧にとなると異常としか言えない。
そして、この封術の厄介な所はその特性だ。これは相手を封じると同時に、内外問わず触れたあらゆるモノを斬る事に特化した術式だ。当然、マナに関するモノもそれには含まれ、魔眼の力も例外ではない。マナ殺しの魔眼が唯一苦手にしている手の術だった。
加えて、詠唱を破棄せずに、一から紡いだ完全な形だ。沙綾の実力を考えれば、抜け出すのは不可能に近い。
「流石は聖剣の神霊……一筋縄ではいきませんか」
「それはどうも。さて、大人しくなった所でアンタに一つ尋ねたいんだけど?」
「あら、ワタクシの質問ははぐらかしておきながら、今度はご自分がとは……」
「うっさい。で? アンタは私を叩き折るんだって? 理由は?」
「ご自身が聖剣という時点で、魔族に狙われる理由になるのでは?」
沙綾の質問に平然とした様子で答えるサリエルナ。しかし、それを信じるつもりは無かった。
「いやいや。アンタの性格はお爺ちゃんとのやり取りとかで大体分かってるから。そんな単純な理由なわけがないでしょう?」
訝しげな視線で見つめて来る沙綾を、鋭い目付きで睨みながら逆にサリエルナが問い掛ける。
「そうですね……では、率直に伺いましょう。貴女は本当に聖剣なのですか?」
「……はぁ?」
あまりに予想外の言葉に思わず惚けてしまう沙綾。しかし、サリエルナの目を見ればそれが本気なのだという事が分かる。
彼女は真剣に問うているのだ、沙綾が聖剣なのかと。
「いや、それ以外の何だっていうのよ……」
けれど、沙綾はそうとしか答えられない。今までずっと自身の事を聖剣だと思ってきたし、事実あの転生時に一緒に落ちてきた羊皮紙にはそう書かれていた。
「そうですか……貴女自身、自覚が無いのですね」
困惑する沙綾に、しかしサリエルナは一人納得した様子で頷く。
「それならば、やはりこうするしかないのでしょうね……」
こちらを牢越しに見据える目は、何かしらの決意を秘めていた。その態度に怪訝な視線を向ければ、
「貴女が真に聖剣であるというのなら、どうか耐えてくださいませね」
そう言ってサリエルナは地面に片手をつく。
「契約を結びます。力を貸しなさい!!」
その言葉と同時についた手を中心に、幾何学模様を組み合わせた円形の陣が展開されていく。そうしてサリエルナが、地面から引きずり出すようにして取り出したのは、頭から柄まで全てが漆黒の金槌だった。大きさは片手で持てるほどだが、頭は大型のそれに匹敵する大きさを誇っている。
「いやいやいや、何を召喚してくれちゃってるのよアンタ……」
それを見て沙綾は顔を引き攣らせる。金槌の正体まではパッと見では分からない。それでも、アレが致命的に良くないモノだという事は直感的に理解できてしまった。
そして、その予感は当たる。サリエルナがその金槌で牢を殴りつけた瞬間、大量の金属が高所から落ちた様な音を響かせ、それが粉々に砕け散ったのだった。
「ちょっ!?!?」
あまりの事態に沙綾は言葉を失う。それはあってはならない事だった。真っ当な手段ならば沙綾の布いた封術は、本来破れるはずが無いものだったからだ。
(何なのよあの金槌は!? 絶対まともな代物じゃないでしょう!?)
急展開する状況に半ば混乱する沙綾。しかし、それがいけなかった、サリエルナの次の行動に全く対処できなかったからだ。
呆然と立ち竦む沙綾を余所に、サリエルナは持っていた金槌を振り被ると、それを思いっきり聖剣へ目掛けて投げつけたのだった。
風を潰しながら回転して飛んでいく金槌は、しかし聖剣に施してある多重結界にぶつかり、本来ならそこで弾かれるはずだった。
だが、予想外の事が再び起こる。金槌が一枚、二枚と結界をゆっくり割りながら前へ前へと進んでいくのだ。まるで聖剣に引き寄せられるかのように。
「うっそ……結界が!?」
慌てて結界へ駆け寄ろうとするが、サリエルナがその行く手を阻む。
「どけってのよ!?」
「申し訳ありませんが、大人しくしてください。ワタクシも時間が無いのです!」
押し通ろうとするが、サリエルナの魔眼に捉われてしまう沙綾。
(あっ……ヤバッ。こいつの魔眼は……)
気が付いた時にはもう遅かった。サリエルナの魔眼に直接睨まれた沙綾は、途端に痺れたように力が抜け、その場に倒れ込んでしまう。
そんな沙綾をサリエルナは若干疲弊した様子で見下ろす。
「……やはり、消えはしませんか……ゴーストの類なら一瞬で浄化できるのですけど……」
「っつ……私を悪霊呼ばわりしてんじゃないわよ……」
「亡霊と私に言ったのは貴女でしょうに」
「忘れたってのよそんなこと」
地面に這いつくばりながら睨み返すが、実際はそれほど余裕があるわけではなかった。
沙綾は本体である聖剣以外は、マナで構成されている。そこにマナを無力化する魔眼の力の直撃を食らったのだ、無傷でいられるわけがなかった。事実、今は視線を動かすのも苦しい。
(しっかり、警戒してたはずなのに……結界に気を取られ過ぎた……)
魔眼の正体が分かってから、用心はしていたつもりだった。だからこそ自身を直接、魔眼に晒さないように幾重にも障壁を張っていたのだ。しかし、相手は数々の戦場を駆け抜けてきた軍人だ、踏んできた場数が違う。沙綾が一番動揺するであろう場面を作り、確実に致命傷となる一撃を入れてきた。
「さて、あと数枚で結界も消失しますよ」
サリエルナに言われ、如何にかそちらに顔を向ければ、確かに結界は残り少なくなっていた。結界内にいるジイは飛来する金槌を迎撃するつもりなのか、体中にマナを纏い始めている。因みに妖精さんは、聖剣の傍で震えていた。
そうして、最後の結界が砕かれ、ジイが金槌に跳び掛かろうとした瞬間だった、沙綾の横でサリエルナの体がぐらりと傾き、その場に倒れこむ。同時に、結界を砕き切った金槌もその場にゴトリッと落下してしまう。
そのあまりに予想外の出来事に驚き、
「なに? どうなってるの?」
呆然と呟くと、突然執務室のドアが開け放たれ、誰かが入ってくる。
「これは何事だ!?」
「おやまぁ~坊、あたしをとんでもない所に呼んでくれたねぇ。こりゃ~流石に想定外だよ」
入ってきた人影の一方は、沙綾に駆け寄ると、彼女を優しく抱き起こす。その相手が誰か分かると、沙綾は何故か涙が出そうになった。
「……遅いってのよ、このクソ魔王」
「……酷い顔をしているな聖剣……」
「うっさい。アンタのせいでしょうが……」
「む? しかし、本当に何があった? どうしてサリエルナが倒れている? それにこの部屋の荒れようは……」
困惑した顔で周囲を見渡す魔王。確かに酷い有様だった。テーブルは真っ二つになっているし、床や壁も所々が捲れ剥がれ、地肌が露わになっている。無傷の物など殆どない。
その惨状に魔王が改めて呆れかえっていると、作った様に妙に高く幼い声音で、
「ちょいと坊。いちゃついてるとこ悪いんだがね、悠長にしている暇はなさそうだよ?」
そんな茶化しているのか、注意してるいのかよく分からない事を言ってくる少女が一人。それは、魔王と一緒に入ってきた沙綾の知らない人物だった。
歳は一二~三歳程だろうか、純白のローブを羽織り、同じく白いとんがり帽子を被っている。あどけなさの残る幼い顔は可愛らしいが、何処か人形のような作り物めいた不気味さがあった。
この子が声の主なのかと訝しげに沙綾が見つめると、少女は硝子のような感情の読めない蒼い瞳で見つめ返して来て、
「なんだい小娘、あたしに言いたい事でもあんのかい?」
幾分冷たさを宿した低い声で凄んでくるが、何処か違和感が拭えない。しかし、それを指摘しても藪蛇だろうと沙綾は無言で首を横に振る。
そんな二人の様子に魔王は小さく溜め息をつくと、少女に話しかける。
「それで婆よ、どうしたのだ? っ痛」
「コラ、クソガキ。あたしの事はエリーちゃんと呼べって言っているだろう?」
魔王を小突き、あまつさえクソガキ呼ばわりする少女、改めエリーちゃんは不機嫌そうに彼を睨みつける。
「う……エリー……ちゃん、それで何か分かりましたか?」
「まぁ、それなりにね。っとそこのクソジジイ! その妙な妖精を捕まえな!! 金槌に触らせんじゃないよ!?」
フワフワと金槌へ無警戒に近づいていた妖精さんは、突然のエリーちゃんの大声に身を竦ませる。ジイはそんな妖精さんを優しく抱きあげると、沙綾達の方へ向かってきた。
「これはこれは、エリー殿。お元気そうでなによりでございます」
「ふんっ。アンタもいつも通り妙な顔をしているねぇ。ここは何処の牧場かと思ったよ」
「……ッチ、このロリババアが……」
「ああん? なんか言ったかい? クソジジイ??」
普段温厚なジイとは思えない言葉に、沙綾は目を丸める。そんな事を気にもしない両者は睨み合い、見えない火花を散らし合っていた。その様子を見かねて、魔王は咳払いをし、ジイへ話しかける。
「それで爺よ、何があった?」
「これは陛下、失礼いたしました。それではご報告させていただきます」
「ささっとやりな、クソジジイ」
「流石の小生も堪忍袋が切れまするぞエリー殿……」
「ええい、話が進まぬ! エリー、ちゃんは暫く静かにして頂きたい」
「わ~ったよ……」
ジイの報告が進むにつれ、魔王はその表情を段々と曇らせていく。エリーちゃんも最初は面白そうにニヤニヤしていたが、次第に真面目な顔になっていった。
そして、話を聞き終わった二人が無言で見つめる視線の先には、あの漆黒の金槌があった。
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