第10話 全て陛下の為です
沙綾が多重結界を施し始めてから二日、それはようやく完成した。
祭壇の聖剣を起点に何重にも施された結界は、目に見えずとも相当な存在感を周囲に放っている。それだけマナが尋常ではない程に集中している証拠だった。
結界の中心部でぐったりとして、休んでいる沙綾を見ながらジイは呆然と呟く。
「まさかこれほどの多重結界をたった二日で……」
彼が驚くのも無理はなかった。何せ強度的には国の首都防衛に使用するそれに迫るのだ。普通なら数年単位で布設するモノである。サイズが小さいといっても本来僅か二日で出来るものではない。
「流石に疲れたわぁ……もう二度とこの手の結界は張らないわよ……」
「…………」
「何よ、お爺ちゃんその呆れた様な目は……」
「いえ、何でもございませんが……」
「ふんっ。まぁ、いいけど。とりあえず、何か問題があったらお爺ちゃんもここに逃げ込めばいいからね」
「小生もでございますか?」
「当り前でしょう。一応味方なんでしょう? お爺ちゃんは」
おどけた様に言う沙綾へ、ジイは呆れた様な溜め息で返す。この聖剣の神霊は何処まで優しいのだと、そう思って。
「あ~でも、本当に疲れた……。結界の術式って面倒ね……これを好き好んで研究する結界屋さんの気がしれないわ……」
そう愚痴ると、沙綾はボスッとソファーへ乱暴に腰を下ろし、大きく伸びをする。
「お疲れ様でございました。お茶などをお飲みになり、休憩なさってはいかがですかな?」
ジイは言いながら、テーブルの上に紅茶とクッキー等のお茶菓子を準備していく。勿論、妖精さん用に小さなティーセット一式も用意してある。彼は出来る紳士なのであった。
ただ、沙綾はそれに目を丸くする。
「おや、どうされました聖剣殿?」
「え……いや、用意するのは良いんだけどさ……」
「はい……?」
「そもそも、私とか妖精さんって飲み食いできるの?」
当然の疑問だった。そもそも沙綾達はマナの集合体だ、要は幽霊の様な存在なため、飲食を必要としていない。
ジイは知らない事だが、現にこの五年間は全くの飲まず食わずの状態だったのだ。今は魔王が施した結界の影響で視える、触れる状態に固定化されているが、それが可能かは大いに謎だった。
「流石に小生にも分かりかねますな……しかし、ものは試しです。召し上がってみてはいかがでしょうか?」
「…………」
促されて、沙綾は震える手で一枚のクッキーを手に取った、実に五年振りの食べ物である。そして、それを目を瞑り思い切って口の中に放り込む。躊躇うようにゆっくりと咀嚼すると、微かなバターの香りが鼻腔を抜け、ジワリと優しい甘さが口中に広がって行く。
「せ、聖剣殿!?」
久々の食べるという感覚を一人懐かしんでいると、ジイの戸惑った様な声が聞こえてくる。
「え? 何……?」
「その、お目元が……」
指摘され目元に手を当てれば、そこは微かに濡れていた。
「ごめん、お爺ちゃん……なんかあまりの事に感動しちゃった……」
「さ、左様でございますか」
「うん……」
微笑みながら頷き、もう一枚クッキーを口に放り込む沙綾を見て、ジイは困惑しきりだった。
今の沙綾を見れば、きっと誰も彼女を聖剣の神霊とは思わないだろう。そこにいるのは焼き菓子を美味しそうに頬張る、年頃の少女にしか見えなかった。
そんな彼女に触発されたのか、
「よ、妖精さんも! 妖精さんも食べてみるのです!!」
妖精さんもおっかなびっくりと言った感じで、クッキーを一枚両手で抱える様にして持つと、その端を少し齧ってみる。
「おぉぉぉぉぉぉ!?!? こ、これは!? 凄い! 凄いのです!? え? 何なのです!? なんか分からないけど凄いのです!? 凄いのですよ~これ!!」
沙綾と違い、完全に食べる事が初の妖精さんは、初めての行為と、味という未知の感覚に驚き興奮し、感動にその身を震わせていた。
目をパチパチと瞬かせながら、夢中でクッキーを頬張る妖精さんの姿を見て、沙綾は小さく笑ってしまう。
「今度は如何なされました聖剣殿?」
「いや、何かハムスターに似てるなぁーと」
「はむ、すたー? でございますか?」
「あぁ~、アレよ、手乗りネズミ? 的な?」
「確かに、言われてみると今の小さなレディは、そういった小動物を彷彿とさせますな」
「でしょっ?」
そう言って笑い再び妖精さんを見つめる沙綾は、本当に何処にでもいる普通の少女のようにジイには思えた。
何時ものように何処か人を食ったような様子はまるでなく、自然な笑顔がそこにはあった。
そんな風に三人でお茶を楽しんでいると突然、執務室のドアがノックされる。
「如何なされますかな、聖剣殿?」
「さぁ? お爺ちゃんに任せるわ。私は誰にも用はないから、招き入れるなら対応はそっちでね」
「妖精さんはもっとクッキーが欲しいのです!!」
普段の調子に戻った沙綾と、今も口いっぱいにクッキーを頬張っている妖精さんの様子に笑いながら、ジイはドアへ近付いて行く。
「お待たせしました、どちら様でしょうか?」
「あら? 聖剣様に会いに来たのですが……」
「おや? そのお声はサリエルナ将軍ですかな?」
ドアを開けると、そこには予想した通りの姿があった。ただ、何故か革で出来た白い鎧を着込んでいるのが、奇妙だった。
その姿にジイは怪訝そうな視線を向ける。
「サリエルナ将軍……勇ましいお姿ですが、何事ですかな?」
彼の疑問も当然だった。どう見ても、これから戦に向かいますという様な出で立ちだ、加えて帯剣もしている為多少なりとも警戒する。
そんなジイにサリエルナは微笑んで返す。
「これは失礼しました。この後少々用事がありまして。その前にもう一度、聖剣様とお話がしたいなと」
「聖剣殿とですか……」
訝しがりながらもジイが沙綾に視線を移せば、彼女はそっと視線をずらすのだった。
(はて、これは何かありますな……。しかし、ここで理由もなく返すのも問題ですか……)
沙綾の態度に何かあると感じながらも、ジイはサリエルナを中に招き入れる。沙綾から何か舌打ちめいた音が聞こえるが気にしない。
「どうぞ、そこにお掛け下さい。丁度、聖剣殿達とお茶を楽しんでいたのですよ」
言いながらお茶の準備をするが、サリエルナの一挙一動に気を配る。魔王からは万事油断するなと厳命されていた。その対象は魔王の信頼が厚い彼女でも例外ではない。
そんなジイへ、サリエルナは何気ない様子で話しかけてくる。
「随分と気を張っておいでですね、ジイ殿」
「そうですな。陛下の留守を預かっている身としては、これぐらいが丁度よいのですよ」
サリエルナは、そのまま何も話さずに、出された紅茶に軽く口をつける。
そして、テーブルの上で未だにクッキーを幸せなそう顔で頬張っている妖精さんに、視線を向け、
「ところで聖剣様?」
「もぐもぐもぐ」
「……あの、聖剣様?」
「もぐもぐもぐ、ごくり。もぐもぐもぐ」
「あのっ!!」
話しかけようとするが、妖精さんガン無視である。それほどまでに、甘味の誘惑とは抗いがたいモノであるようだった。
まったく相手にされないサリエルナに、ジイは躊躇いながら声を掛ける。
「もし……サリエルナ将軍」
「……なんですか……ジイ殿」
顔を向け力なく返事をする彼女へ、ジイは困惑した様子で続ける。
「サリエルナ将軍がお話があるのは、聖剣殿でございましょう?」
「……そうですが?」
「ならば何故そこの妖精、小さなレディにお声を掛けられるのですかな?」
そう指摘されて、サリエルナは妖精さんに振り返り、再びジイへ視線を向ける。
「え、あ、あの小さな方が聖剣の神霊様では……?」
「いえ、小生の記憶ではそのような事はないと……」
ジイが何故か申す訳なさそうに言うと、盛大な溜め息が向かいのソファーから聞こえてきた。
「はぁぁぁぁ。お爺ちゃん、どうしてすぐ教えちゃうのよ? さっきもそう、私の反応で何か気付いていながら、その人招き入れたり……。挙句、空気を読まずに妖精さんの正体をばらすとか……護衛失格ね、お爺ちゃん」
見れば沙綾が天井を仰ぎながら、理不尽極まりない事を言ってくる。それには流石のジイも呆れた様に返す。
「お言葉ですが聖剣殿。何か思惑がございましたなら、事前にお教え下さらなければ、流石の小生も対応致しかねます」
「だから護衛失格なのよ、お爺ちゃん。一から十まで言わなきゃ対応できないなんて、もっとこう臨機応変に機敏に対処するのがプロってもんでしょう?」
「限度というモノがございます……」
「だから言ったじゃない、護衛なんていらないって」
「そうでしたな。しかしながら小生、久々に呆れ果てております」
ジイはやれやれと言った様子で頭を左右に振る。そうして、サリエルナの方へ再び視線を戻し、
「お聞きした通りでございますよ、サリエルナ将軍。何か誤解があった様ですが、この方が陛下が目下ご執心なさっている聖剣の神霊殿です」
改めて紹介する。沙綾本人はといえば、呆然としているサリエルナに軽く手を振ったりしていた。
その様子に溜め息を吐きつつ、ジイはサリエルナに話しかける。
「それでサリエルナ将軍? 此度は聖剣殿に何用でございましょうか?」
「あ、あぁ。申し訳ありませんジイ殿……ちょっと衝撃が大き過ぎて……」
「左様ですか。まぁ、聖剣殿もこの手の悪戯はお好きなようですので、申し訳ございません」
「あぁ、いえいえ、ジイ殿に謝って頂かなくとも……。しかし、今一度確認してもよろしいですか?」
ジイは沙綾へ問う様に視線を向ける。
「いいわよ、別に……。何かの魔眼って事は検討が付いてるし……」
「では、お言葉に甘えさせて頂きます」
サリエルナは頷くと、自身の両目を覆う巨大な眼帯に手を掛け、その魔眼を外に晒した。
明るい部屋の中でも薄らと銀色に光輝く瞳が、まっすぐに沙綾を見据えてくる。
「あぁ……確かに貴女がそうなのですね……」
「えぇ、そうよ。信じて頂けたようで何よりだわ」
「封印具越しだと分からないわけですね……マナの構成が独特すぎます。上手く偽装なさったものです……」
「そう? と言っても私が好き好んでやった事じゃないから、仕組みとか全然なんだけどね」
「そうですか。でも確認して良かったです。お陰で無駄な犠牲を出さずに済みそうですので」
最期を聴き取れるかどうか呟くように言った瞬間、サリエルナの纏っていた雰囲気が一変した。
それに沙綾が息を呑むと、突然目の前のテーブルの向こうで何かが弾け、硝子が連続で割れるような不快な音が部屋中に響き渡る。
呆然としていると、沙綾の後ろで荒い息遣いが聞こえてくる。振り向けば、いつの間に背後へ回ったのか、ジイが何処か苦しげに肩で息をしていた。
サリエルナはその様子を見て、立ち上がりながら感情の消えた声で淡々と話しかける。
「流石はジイ殿です。あの一瞬でワタクシの魔眼を防ぎきるとは。ですが、やはり御歳ですね、完璧にとはいかなかったご様子……」
「サリ、エルナ殿……これは、一体どういった了見で、ございますかな?」
「いえ、大した事ではないんですよ? ただ陛下を誑かす不届きな聖剣を叩き折りに来ただけですので」
「なん、と……乱心なさったかサリエルナ将軍!?」
「それは心外ですジイ殿。ワタクシは常に陛下の為を想い行動しております。今回のこれも全て陛下の為です」
「何を、浅はかな……」
サリエルナの言葉に顔を顰めるジイ。信じていた者に裏切られた、その事実に愕然とする。多少は警戒をする風を装っていたが、実際に彼女が事を起こすとは微塵も考えていなかったのだ。
それ程に、魔王はサリエルナを信頼していたし、ジイ自身も彼女の事を認めていた。
「なんと言われようと結構です。ワタクシは自身の信念で動いていますから。さぁ、お退きくださいジイ殿、貴方のお力ではそう何度も防げるものではありませんよ?」
「ふふっ。これは異な事を申されますな。例えそれが事実だろうと小生が退くわけがない事は、サリエルナ将軍が一番分かっておいでの筈です。小生は陛下から、この身を賭してこの方を護衛するように命じられております。そう簡単に退くわけにはまいりません。それが小生の信念であればこそ」
「……これは、ワタクシとした事が失礼を申しました。では、ご覚悟を……」
サリエルナは視線を鋭くしながら、腰に吊るした剣に手を掛けた。
その様子にジイも迷いを捨てる。まともにぶつかればよくて五分五分、最悪周囲が騒ぎに気付き、駆け付けるだけの時間を稼げるか否か。下手に情けを掛ければ、全てを失う。
(陛下……これは少々老骨には堪えますぞ……)
双方睨み合い、どちらかが動こうとしたその瞬間だった、
「だから、そういうのはいいって、さっきから言ってんでしょうが!」
沙綾が突然立ち上がり、呆気にとられる二人をそのままに、左手で妖精さん、右手でジイの襟首を掴むと、二人をまとめて聖剣を起点とした多重結界の中へ放り込む。
「聖剣殿何を……っつ!?」
ジイは慌てて戻ろうとするが、見えない壁の様なモノに阻まれ沙綾に近づけない。
(!? これは……内部の者も外に出さないようにする閉鎖型でしたか……)
結界の中で愕然とするジイを、沙綾は満足そうに見やる。
「ふんっ、暫くそこで大人しくしてなさい」
「……聖剣殿!?」
「? あれ、妖精さんのクッキーが消えたのです!?」
焦るジイとは、また別の意味で焦る妖精さん。彼女は何処までもマイペースであった。
そんな二人から視線を逸らし、サリエルナを見据える沙綾。
「さて、サリエルナ将軍だったけ? 私を叩き折るって?」
「えぇ。そのつもりでしたが……」
応じながらサリエルナは聖剣を睨みつける。その瞬間、聖剣を中心とした周囲で何かが弾け、雷の様な音と光が周りに広がり、やがて霧散する。
「大した結界です。これは貴女が?」
「えぇ、そうよ。その魔眼、大方見当は付くけど、マナ殺しの類でしょう? それでもこの強度になると厳しそうね」
マナ殺しの魔眼。その名の通り、ありとあらゆるマナに干渉し、それを無力化する力を秘めた魔眼である。ただ、無力化できると言っても、その力にはかなりの個人差があると言われている。
「そうですね。まさかその小さな祭壇に、都市防衛級の結界を施しているとは思いませんでした。流石にそこまでいくとワタクシの魔眼でも些か手に余る……」
「ならどうするぅ~? 今ならそのままお帰り下さってもいいわよ?」
「御冗談を。結界を施したのが貴女なら、貴女を叩き伏せれば良いだけのことです!!」
「やっぱそうなるわよねっ!!」
剣を抜くと同時、その速度を殺さず、横薙ぎに斬り付けてくるサリエルナ。
それを沙綾は目の前にあったテーブルを蹴りあげることで防ぐ。そして、その勢いを利用しソファーの上をバク転の要領で後ろへ飛び、距離を取る。
「あぁぁあぁぁ!? まだ食べてないクッキー達がぁあぁぁぁ!?」
妖精さんが結界内で、この世の終わりの様な悲壮な叫び声を上げているが、無視である無視。
「多少は動けるといったところでしょうか? ですけど、下手にお逃げにならない方がひと思いに楽になれますよ?」
「冗談、アンタこそ油断してると足元救われるわよ?」
「ふふふっ、それならそれで楽しめるというものです。精々、頑張ってお逃げください?」
「アンタも大概嫌な性格ね……何? 魔族はそんな性格の奴ばっかなの?」
「さぁ? どうでしょうか? ワタクシはこれでもまともな方ですよ、きっと」
微笑みながらテーブルを両断した剣を構え直すサリエルナ。それを沙綾は両手にマナを纏いながら睨みつける。
お互いが間合いを計りながら、一挙一動に気を配る。両者の戦いはまだ始まったばかりだった。
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