第9話 私は私で自衛するわよ?
サリエルナがやって来たのは城の地下。神殿を城に改築するにあたって唯一手を加えなかった場所だ。
そこは膨大な資料が保管された書庫だったと聞いている。薄暗い書庫内に足を踏み入れると、カビと埃っぽさが合わさったような空気が鼻に付いた。
彼女がここに来なかったのには、それなりに理由があった。というのも、彼女が城に到着した時には残っていた資料は、魔国領へ粗方運び出された後だったからだ。その運び出された資料も、目ぼしい物は神殿関係者が避難時に持ち出したらしく、貴重な物は残っていなかったという話だった。
抜け殻になった大量の木製の書架を眺める。薄暗い書庫内に林立するそれは、枯れ果てた木々の様に思えた。
(さて、どうしましょうか……)
問題はそこだった。ここは資料を運び出す際に専門の者が、徹底的に調べたはずだからだ。その上で、新たなモノを探すとなると、普通は困難を極めるだろう。寧ろ、専門家が調べてないのだから、何も出ないと思うのが自然だった。
しかし、彼女は先程の推測から、ここに何かがあると半ば確信していた。こういう時の勘は、まず外れた事が無い。
とりあえず、サリエルナは入口から部屋全体を見回す。眼帯に覆われた両目でも、彼女ほどの眼を持っていれば、かなりの事が把握できる。
(う~ん? 微妙にマナが澱んでいる所がありますけど、さてさて……)
それは部屋の奥の右角にある、ほんの些細なマナの澱みだった。普段なら絶対に気にしない小さな澱みだ。加えて書庫に資料があった時には、他の術書関係に影響されて、気が付きすらしなかっただろう。
最初から疑って掛からなければ、発見できない小さな、小さな違和感。
(これは、苦労すると思いましたが案外すぐに解決しそうですね……)
そう楽観視しながらサリエルナは、マナの澱みに近付く。しかし、彼女が近付いた途端、澱みは何処かへ霧散してしまう。
(あら…… これは、これは……)
その場で眼帯の奥の眼を凝らしてみても、もう澱みを感じる事はなかった。
溜め息を吐きつつ、周囲を見渡すと、
(今度はあんな所に……)
先程と同じような澱みが、今度は書庫の中央辺りに出来ていた。それは最初には無かった澱みだ。
不思議に思いつつも、中央へ進んでみると澱みはまた搔き消えた。そして、今度はまた別の場所に現れる。
そういった事を数度繰り返し、サリエルナは再び戻って来た入り口で立ち止った。
(……澱みが移動している?)
そう考えるのが自然だった。ただのマナの澱みなら、サリエルナが書庫中を隈なく移動したことで、本来なら消えているはずだ。それが、近付く度に消えて、逃げるように別の場所に現れるのは、明らかにおかしかった。
(……調査班が見落とすわけですね……。この感知の難しさと、移動が合わさっては……)
一人納得しながら、サリエルナは両目を覆っている眼帯に手を掛ける。
(ですけど、ワタクシにそれは無意味です)
眼帯を外して現れたのは、銀色に輝く瞳だった。薄暗い室内で薄ら輝くそれは、夜空に二つの月が昇ったかのようだった。
銀色に輝く魔眼を解放し、サリエルナは再び入口から部屋中へ眼を向ける。すると部屋全体に何かが砕ける様な音が響いた。
音が鳴り止むと、部屋の中央に陽炎のように揺らめきながら、一台の書見台が現れる。やや黄色みがかった乳白色のそれは、何かしらの骨か牙を材料に作ったものだろうと推測できた。
そして、細かな装飾が施されたその台座部には、一冊の本が閉じた状態で収められていた。
サリエルナはゆっくりと書見台に近づき、本を間近で観察する。
本は黒い革表紙だった。それだけなら普通の本なのだが、全体を鎖で巻かれ、錠で鍵を掛けられているのは明らかに異常だ。
それを見てサリエルナは若干表情を険しくする。
(これも封印してありますか……ハズレですかね……)
ここまで厳重に隠してあり、尚且つ封印まで施してある本。何かしらの強力な術書である可能性が高かった。聖剣に関する資料を探しに来て、とんだ厄介なモノを引いてしまった、とサリエルナは感じていた。
というのも、この手の術書は魔剣など比べて異常に面倒なモノが多いのだ。下手をすれば、こちらに一方的な被害が出る可能性すらあった。
(けれど、調べてみるしかありませんね。折角見つけたわけですし……)
サリエルナは深く息を吐き、その銀眼で本を睨みつける。
すると金属が擦れる様な音が響いたかと思うと、本を縛りつけていた鎖と錠は粉々に砕け、その場に散らばってしまう。
それを特に何の感情もなく見つめ、本を手に取ろうとして、止める。
何かを感じたサリエルナは再度、魔眼で本を凝視する。その途端、本はさらさらと砂の様に崩れ、その後には羊皮紙の束が残ったのだった。
(ここまでやりますか普通……)
サリエルナはあまりに手の込んだ偽装に、呆れた様な溜め息を吐きつつ、その羊皮紙の束を手に取った。
書かれたのが随分前なのか、それとも強引に偽装を破ったからか、羊皮紙に書かれた文字は大分薄くなっていたが、なんとか読める範囲ではあった。
それを目を細めながら読んでいたサリエルナは、数枚目に書いてあった文言に目を見開いた。
(……人造……聖剣……計画……?)
目を瞬かせ読み直してみるが、何度読んでもそこにはそう書いてあった。
(……まさか、本当に?)
自身の仮説が真実だったかもしれない可能性に鼓動を早くさせながら、その先を読み進めていく。
書かれていたのは、聖剣を人工的に作る為に、思考錯誤した記録だった。
一級の武器に術を付与したモノ、複数の魔剣を融合させようとしたモノ、名のある魔物を素材に用いて製作したモノ等など、そこには数多くの失敗作、聖剣のなりそこないがその性能と欠点、失敗である理由と共に記されていた。
そうして幾つもの失敗に失敗を重ね、研究者達はある一つの方法に可能性を見出したようだった。それは器となる武器に、精霊等を宿らせる方法だった。
そこから研究は加速していく。どのような武器の素材が最も精霊と相性がいいのか、人間に御しやすい精霊は何なのか、と多くの組み合わせが試されたようだった。それこそ、近隣の精霊や妖精を狩りつくす程に……。
そして、最後に完成品として記されていたのは、サリエルナがごく最近目にした、白銀の剣だった。
刀身は北方の霊峰に棲む白竜の牙を削り出したモノ、それに神官数十人が七日七晩に及ぶ儀式で何かしらの神霊を降ろしたとあった。ただ、性能は不明。欠点は現状では扱える者がいない事。けれど成功である理由は、儀式を行った神官全員が神の声を聞いたという、曖昧なものだった。
読み終えた、サリエルナは怒りで震え、握りしめた羊皮紙に皺が出来る。
(まさか本当にあの聖剣が人の手で造られた、偽りの聖剣だったなんて……)
魔王の事を考えれば、それは酷い裏切りだった。
彼は心底あの聖剣を信じていた。だからこそ、自身のリスクを顧みずに、魔剣との契約を一方的に解除しようとしたのだ。
それなのに当の聖剣が偽物ではその想いは、あまりにも報われなかった。
(ですが、陛下にこの事を伝えても信じて下さるかどうか……)
そこが問題だった。魔王はあの聖剣を傍から見れば異常なほどに気に入っていた。この資料を持っていっても、話に耳を傾けてくれるか微妙な所だ。
加えて、今の魔王自体があの聖剣の力で、操られていないとも限らなかった。現に魔剣の中にはそういった類のモノが存在する。だからこそ、魔王はあの聖剣をあれ程信じていたとも考えられた。
(やはり、こちらで手を打つしかありませんか……)
あの聖剣が心を侵すものだったなら、出会った当初に対策を立てていない限り、自力での回復は難しい。今の魔王の現状を考えれば、尚更不可能だろう。ならば魔王を救えるのは、全ての真実を知ったサリエルナしかいない。
幸い、今は魔王も城を留守にしている。聞けば数日は戻らないという話だった。
(陛下が戻られる前に全てを終わらせる……それしかありませんね)
サリエルナはそう決心し、眼帯をはめ直すと、資料を片手に書庫を後にする。
敬愛する魔王を救うのは、自分しかいないと、そう信じて。
サリエルナが地下書庫を再調査していた頃、沙綾は執務室で自身の防御を固め始めていた。
具体的には、聖剣本体を起点にして幾重にも結界を重ねる、いわゆる多重結界を施し始めていた。
そんな時だ、再びドアがノックされたのは。
しかし、今度は返事をしない。同じ轍は踏まない。沙綾と妖精さんは出来る子達だった。
だが、ノックは断続的かつ執拗に繰り返される。
あまりのしつこさに、妖精さんが不安そうに小声で沙綾に話しかけるが、
『せ、聖剣様? あの……外が……』
『しっ。黙ってなさい』
『でも、でも~』
『……開けて、あの巨人が来ても、私は助けないわよ?』
『!! 妖精さんは静かにするのです』
沙綾の慈悲もない言葉に、外は無視する事に決めた。誰だって、己の身が可愛いのである。そして、変態のセールスは断固拒否だった。
けれど、一向にノックは止む気配はなく、それから十分ほど続いたかと思われた時、ガチャリとドアが開いた。
沙綾達が驚いたように顔を向けると、そこにはタキシード姿の白い山羊頭の男が立っていた。顎に蓄えた白髭が、腰に届く辺り相当な歳を経ているように感じられる。
「おや、いらっしゃるではないですか。返事ぐらいして頂きたいですな、まったく」
突如部屋にやってきた闖入者は、枯れているのに何処か張りのある声で、苦言を呈してくる。
それに若干頭を痛めつつ、沙綾は反論する。
「いやいや、返事が無いからってドアを開けるのはどうよ? 仮にもレディのいる部屋よ?」
「これは失礼いたしました。ですが、レディならば鍵くらい掛けておくべきかと小生は思いますぞ、聖剣殿」
真っ当な指摘に、沙綾は顔を背ける。確かに、鍵を掛けておけば色々と防げる事は多かったはずだった。それこそ、先ほどやってきた女将軍にも出会わないでよかったかもしれない。
(……殆ど何時も部屋にはアイツがいたし……、対応も全部アイツだったから気にしてなかったのよ!!)
と、心中で思っても口に出したりはしない。何故か、この男にそれを言ったら、色々不味いような気がしたからだ。
沙綾は溜め息を吐くと、気持ちを切り替えて、男に向き直る。
「で? アンタはどちら様? 魔王は今いないわよ? 私に用なら、私が用はないから、さようなら」
「はて、聖剣殿は小生をお忘れですかな? 随分劇的な出会いをしたはずですが……」
「いや、魔族に知り合いとかいないし……ってちょっと待って……」
ふと、思い出す人物がいた。以前に出会っていて、そこはかとなく年老いた感がある魔族。そして、魔王を訪ねて来るほどには力がありそうなのは……、
「アンタ、あの時の黒ローブ? ……爺か!!」
「左様でございます。思い出して頂けたようで何よりです」
「いや、思い出すも何も普通分からんし……お爺ちゃん、あの時ずっとフード被ったままだったじゃない……」
沙綾が呆れたように言うと、爺はヤギ顔で器用に笑う。
「そう言えばそうでしたな。では改めて小生、名をジイ・ジイと申します、はい」
「……いや、笑わない、笑わないからな! てか、名前もジイで見た目も爺とか何なのよ!!」
「そこを指摘なさった時点で負けかと思われます」
「ぐっ……」
珍しく翻弄される沙綾。どうもペースを掴みにくい相手だった。
そんな沙綾の様子を見ていた妖精さん。何処か感動した様子で、爺改めジイに飛び寄り、
「凄い! 凄いのです!! 聖剣様を翻弄するその話術!! 妖精さんも知りたいのです!!」
「おやこれは、これは小さなレディ。あの時は大変失礼いたしました。小生も立場というものがございましたので」
「もう、気にしていないのです!! でも、どうしてもお詫びがしたいなら、妖精さんにその話術を教えるのです!!」
「これは案外ちゃっかりしたお方ですな。まぁ、小生でお力になれる事ならご協力しましょう」
「本当なのです!?」
嬉しさのあまり、目をキラキラとさせていると、
「へぇ~、妖精さん、そんなモノを身につけて何をするつもりなのかしら?」
背後から底冷えする笑顔を沙綾から向けられ、妖精さんは歯をカタカタと鳴らすのだった。
そんな妖精さんを放置し、沙綾はジイへ話を振る。
「で、何の用よ、お爺ちゃん? お茶を呑みに来たわけじゃないんでしょう?」
「魅力的な提案ではありますが、違いますなぁ。小生は陛下の指示でここに伺った次第です」
「アイツの指示……?」
訝しげな視線を向けると、ジイは先程まで浮かべていた好々爺然とした笑み消し、聖剣本体へと目を向ける。その目は何かを見透かすように、細められていた。
「聖剣殿も分かっておいでなのではないですかな? 見事な多重結界です。互いが全く干渉せずに施されておりますな。これほどの多重結界は、専門の者でも施せるものはそうはおりますまい」
「…………」
「そう怖い目を向けてくださいますな。少なくとも小生は聖剣殿の味方ですぞ?」
困った様子のジイを、沙綾は鼻で笑う。
「どうだか。まぁ、お爺ちゃんが敵であろうが味方であろうが、構わないわ。私は自分の身は自分で守るもの」
そう、今までもそうしてきた。ただ少し、ここ最近はそれが疎かになっていただけだ。
その原因が、魔王にあるという事を沙綾は自覚していた。だからこそ、彼女はジイへつれない返事をする。
「だから、アイツの指示で護衛に来たってんなら、結構よ」
「左様ですか……。しかし、それでは小生の面目が立ちません。陛下からくれぐれも問題が起きないように、と言い付かっておりますれば」
「それこそ、私の知ったこっちゃないわよ。アイツが勝手に言ったことでしょう」
「左様ですな。では、小生はこれから護衛任務を全うするため、ここに常駐いたします」
「いや、お爺ちゃん、話聞いてた? いらないって言ってんのよ?」
呆れたように呟きジイを見れば、彼は面白そうに目を細めいていた。
「聞いておりましたとも。ですが小生は陛下の臣下でございますれば、それ以外の指示に従う事は御座いません。ありていに言えば、聖剣殿の指示等、知ったこっちゃない、のでございますよ」
「…………」
「まぁ、アレですな。聖剣殿が陛下の愛剣であらせられるならな、その指示一考に値し、ご意向に沿えるよう誠心誠意お仕えいたしますが?」
「ったく……食えないお爺ちゃんね」
「それはお互い様かと存じます」
「ふんっ。いいわよ好きにすれば。ただ、私は私で自衛するわよ?」
「それはご自由になさってくださって結構でございます。小生もその分楽が出来て、嬉しい限りですな」
「アイツもアレだけど、お爺ちゃんも相当嫌なやつね……」
「左様でございますか」
ふんっと溜め息を吐くと、ジイからそっぽを向き、結界の構築に再び取り掛かる沙綾。
ジイはそれを入口付近で立ったまま黙って見つめていた。
そんな彼に沙綾は不機嫌そうに声を掛ける。
「ねぇ、お爺ちゃん」
「何でございましょうか?」
「居てもいいから、ソファーに座りなさいよ……ずっと立たれたままだと居心地が悪いわ」
ぶっきらぼうに言う沙綾に、ジイは思わず声を出して笑ってしまう。
笑い声を聞いて、慌てた様に彼を睨みつける沙綾の顔は、少し赤くなっていた。
「な、なによ! いきなり笑いだして!!」
「ふふっ。いえ、これは大変失礼を、ふふふっ」
「本当に何なのよ!? 人が折角……くっ、そんなに立っておきたいなら、そのままでいなさい!!」
口元に握り拳を当てて笑いを隠そうとするジイ、それを見て沙綾の顔はますます赤くなっていく。
「聖剣殿は本当にお優しいのですなぁ、ふふふっ」
「!? あ~も~!! その見透かしたような笑い方を止めろってのよ!!」
「申し訳ございません。しかし、小生はこういう笑い方しかできませぬ故、ふふふふっ」
キィーっと髪を振り乱し、頭を掻く沙綾。どうもこういう手合いは苦手だった。
「もう知らない!! 勝手にすれば!!」
「先程から、勝手にすると申しております」
再びそっぽを向き沙綾は、結界の更なる布設に集中する。
(一人面倒なのが増えたわね……もう少し強化しておかないと……)
そんな沙綾を見つめるジイの視線は優しく細められ、何処か自身の娘や孫を見守っている様な温かさがあった。
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