第4話 お前は余の物だ!

 自身の目の前に突如現れた男の正体に、沙綾は愕然とする。


「アンタが、アンタが魔王……」

「そうだ余こそが魔王だ、聖剣よ。いずれこの世界の全てを統治する偉大なる王よ!!」


 そう高々に宣言する魔王。それを沙綾と妖精さんは苦々しげに睨みつける。

 悔しいが実際それだけの力が、魔王軍にはあるのだ。現にこの国が落ちたことで、人間の国は四分の一が失われたことになる。


「さて、爺よ……」

「何でしょう陛下?」

「確か人間達はこの聖剣を抜ければ、抜いた者が己の物に出来るのであったな?」

「そう聞き及んでおります。それで我らを打倒する勇者なる者を選定していたとか……」

「ふむ、それは余が抜いても、己の物にしてよいという事よなぁ」

「へ、陛下、それは!?」

「なぁ~に、単なる戯れよ。女神が授けた聖剣が魔に堕ちる。中々に面白いではないか」


 言いながら聖剣の本体に近づいて行く魔王。普段なら問答無用でマナをぶつけて吹き飛ばす沙綾だが、今は妖精さんが人質に取られていて手が出せない。

 そうして魔王は、聖剣の純白の柄に手を掛け、一気に引き――


「ぐっ、何故、ビクともせぬのだ……」


 ――抜けなかった。いつも通り、聖剣はまるで祭壇と一体化しているかのように、頑として動かなかった。

 それでも諦めきれないのか、魔王は聖剣を祭壇に押し込んでみたり、左右に揺らそうとしてみたりするが、やはりピクリともしない。


「…………」

「へ、陛下……」


 やがて無言で動かなくなった魔王に気まずくなったのか、爺と呼ばれていた黒ローブが声を掛ける。


「くそっ!」


 しかし、それには反応せずに魔王は一言発すると、床に倒れていた沙綾の腕を掴み無理やり立たせ、その瞳を覗きこむ。向けられた瞳は先ほどまでの紅玉とは違い、何故か虹色に輝いていた。


「言えっ! 何故聖剣は抜けぬ!? 貴様が真にあの聖剣の神霊であるというなら、あの剣を余に授けよ!!」

「嫌よ!!」


 沙綾はいつも通り即答で断る。その返答は予想外だったのか、魔王は目を見開いた。

 

「なっ、なにぃ!? き、貴様!! あの妖精がどうなってもいいのか!?」

「うっわ~自分に資格が無いくせに人質を使って脅すとか卑怯過ぎて最低ぇ~それでも王様なのかって感じよねぇ~もうマジあり得ないわぁ~こんな王様とか超最悪なんですけど~こんな卑怯な手しか使えないのに世界統一とかちゃんちゃら可笑しくて笑い過ぎて息できないわぁ~」

「!? せ、聖剣様!? なんでそこで煽るようなことを言うのです!?」


 額に青筋を浮かばせている魔王から、妖精さんに目を向ければ、超涙目である。なんか涙以外に流してはいけない物も流れているような気もするが、それは秘密にするのが彼女の為だろう。

 実のところ、沙綾はこの瞬間完全にプッツンしていた。煽るような言動も全て自棄である。どうせ死ぬなら言いたいことは全て言ってしまえ精神である。


「ぐぐっ、なら貴様! その資格とやらがなんなのか申してみよ! 金か? 力か? 生贄か!?」

「うわっ、発想が貧弱~、それ位自分で考えなさいよ、ま・お・う・さ・ま」

「!! もう止めてなのです、聖剣様ぁ~~!!」


 沙綾の腕を掴み、その瞳を見詰めたまま暫くワナワナと震えていた魔王だが、やがてゆっくりと手を離し彼女を自由にする。その時にはもう、彼の瞳から虹色の輝きは消え、元の紅玉へと戻っていた。

 そして、魔王は爺の元に進んでいくと、


「爺、よい。その妖精を離してやれ」

「はっ。かしこまりました」


 解放されると妖精さんは一目散に沙綾の元に飛んでいく。


「聖剣様ぁ~~」

「あぁ、はいはい。怖かったね、妖精さん」


 沙綾は妖精さんを優しく抱き締めると、魔王を睨みつける。


「何のつもりよ、敵に情けを掛けるなんて……」

「敵に情けだと、違うな。聖剣よ、お前は余の物だ!」

「はぁあ!?」


 抜けてもいないのに何を言い出すのかと、沙綾は訝しげな視線を魔王に向ける。

 そんな彼女に魔王はビシッと指を差す。


「余は貴様を何としても抜いて見せる! 貴様は余の物となるのだ!! 絶対にな!!」

「はぁぁあぁぁ!?」

「余を恐れずモノを言う態度、その度胸、そして、よくよく見れば中々に初々しい姿をしているではないか! 余は気にいった! 気にいったぞ聖剣!!」

「は? え、どういう事よ!?」

「ふっ、鈍いな聖剣、余は貴様に惚れたと言っているのだ!!」

「はあぁぁぁ!? ここまでの中に惚れる要素が何処にあった!? てか、止めろよ! そんな恥じらう様に頬染めるの!」

「そうっ! それが良い!! そのように余に面と向かって意見するその姿、実に美しい!!」

「止めて、止めて! そんな恋する目は止めてぇぇえぇぇ!!」


 沙綾は助けを求めるように周囲に視線を向けるが、妖精さんはあまりの事にポカンとしているし、爺に目を向けても「陛下にもようやく春が……」とか言って涙ぐんでいて、完全に孤立無援の状態だった。


「はっはっはっ! これからの生活が楽しみだな、愛しの聖剣よ!!」

「何がどうなってんのよぉぉぉおおお!?」


 聖剣沙綾が初めてお断りし損ねたかもしれない相手……それは何の因果か魔王様のようであった。




 国を滅ぼした魔王に、何故か惚れられるという謎な状況に沙綾は頭を抱える。

 何がどうすれば、そういう事になるのか……。

 敵国同士の王子と姫が道ならぬ恋をする……という話は確かにあるが、相手は魔王、沙綾は聖剣、恋云々の前に生物的というか物質的に間違いがあり過ぎた。

 だというのに、当の魔王はその辺の事は全く気にしないのか、これから始まるであろう生活に夢を膨らましているようだった。恋は盲目とは言うが、些か色んな問題を放置し過ぎではなかろうか。


「さて、爺! そうと決まれば、ここを改装せねばなるまいな!」

「と言いますと陛下?」

「察しの悪い奴よな。聖剣が動かせないのであれば、ここを余の居城とするしかあるまい? まずはここを二つに仕切り、正面を玉座、裏を執務室としよう。当然、聖剣の祭壇は裏の執務室に置いておけよ、爺」

「なっ!? 魔国領の王城から離れられるのですか!? なりません陛下!! 軍の本隊は未だその大半を魔国領の防衛に当たらせております、それなのにこのような防備が手薄な場所に御身を移されるなど!!」

「問題ない、問題ないぞ、爺! 何も心配はいらぬのだ!!」

「問題大ありだ!! このクソ魔王!!」

「っつ!?」


 魔王のあまりな言動に思わず殴ってしまった沙綾。手を出してからハッとするが、もう後には引けない。

 それにしても魔王は殴られたのに何故、ちょっと笑顔なのか……。その事に若干薄気味悪さを感じながらも沙綾は魔王に詰め寄る。


「何なの!? 一体全体何のアンタは!?」

「魔王だが!!」

「知ってるわよ、このバカっ!! じゃなくて、色々おかしいでしょう!? 何勝手に話を進めてるのよ!? ほらこの妖精さんを見てみなさい!! さっきから固まりっぱなしよ!?」

「ふむ……確か軍医に妖精に詳しい者がいたな、後で連れて来るから体調を診てもらうといい」

「あ、それはどうも御親切に……っじゃないっ!! あ~も~なんで分からないのよ!!」


 詰め寄って問い質そうとするのだが、どうも話が噛み合わない。キーっと髪を振り乱す沙綾に魔王は呆れたような視線を向け、溜め息混じりに呟く。


「はぁ。一体何が分からぬというのだ……爺よ、亡き父上も仰っていたが、女心とは斯様にも複雑怪奇なものか……」

「左様ですな。しかし先王陛下も王太后様を迎えられるときは大変苦労なさったようでございますよ」

「あの父上でもか……なるほど……」

「だ・か・らっ!! それよっ! それっ!!」

「むっ? どれだ??」

「あーもー!! なんで私がいずれアンタの物になる前提で話が進んでるのよ!? 私は聖剣! アンタは魔王!! おかしいでしょう!?」


 そうおかしいのだ。どれほど好いた、惚れたと言おうと、魔王と聖剣、いわば天敵同士、不倶戴天の間柄のはずである。しかし、魔王はその問いに飄々と答える。


「そんなモノ、余がそなたを抜けば瑣末な問題であろう」

「抜けないって言ってんでしょうがぁぁぁあぁあぁ!?」


 魔王はそれを聞いてニヤリと嗤った。


「安心しろ、どんな手を使っても絶対に貴様は余の物にしてみせる。じゃじゃ馬を調教するのも男の腕の見せ所だと、父上も仰っていたしな!!」


 その紅玉の瞳に垣間見える本気に、沙綾は思わず身を竦ませた。

 恐ろしい、気持わるい、何を考えているか分からない、しかしこれだけは言わねばならない、沙綾は己を奮い立たせる。


「私はっ、 私はアンタを絶対許さないんだから!! この国に、この街に暮らしていた人たちを、神殿にいた皆を傷付けたアンタをっ、絶対許さないんだから!! よく憶えておきなさい!! 私を絶対抜くですって!? やってみなさよ! その瞬間、聖剣をその胸に突き立ててやるんだから!! 絶対、絶対、許さないんだから……それが勇者を……勇者を選ばなかった、私の責任だから……」


 最後は自然と涙が流れ出し、その場に座り込んでしまった沙綾。そう、これは彼女が招いてしまった結果だ。多くの人が望んだ通り、妖精さんが願った通り、しっかりと勇者を選んでいればこんな事にはならなかったかもしれない。

 ここに転生してもう五年も経ったのだ、しかし沙綾はその間ずっと自分の役目から逃げてきた。好きで転生したわけではない、好きで聖剣になったわけではない、そうやって現実から目を背けてきた……。


(私がちゃんとやっていれば、こんな事にはならなかった……。ごめんね、ごめんなさい……)


 そんな子供の様に泣く沙綾を、魔王はそっと優しく抱きしめる。そしてその耳元で、柔らかな落ち着いた調子の声であやす様に言う。


「泣くな、泣くな聖剣。余を許せぬのならそれでよい。だから、泣くな」

「……………………」

「抜いた瞬間、余を討つというなら、それも良かろう。だから泣くな。そなたは笑っていた方が美しい、と余は思う」

「…………ふっ……何よ、何よ、それ…………」


 あんまりに空気を読まない気障ったらしい台詞に、沙綾は思わず小さく笑ってしまう。

 沙綾は自分を奮い立たせ、逃げてきた責務に立ち向かおうと決心したのだ。それなのにこの魔王は、笑っていてくれという。こんな決心を、決意をさせたのは彼だというのに。

 酷い話だと沙綾は思う。けれど、その言葉に少し救われたのも事実だった。魔王は沙綾の聖剣として責務を、自身も一緒に背負うと言っている。討たれてもいいと、だから、笑っていてくれと。


「本当、本当に変な奴!! 何、何なのよアンタは!?」

「魔王だが!!」

「それは知ってるってのよ!!」


 そうして沙綾が幾分普段の調子を取り戻し始めると、魔王は立ち上がり何の気なしに言う。


「そうだ聖剣。人を愛するそなたにひとつ、教えておくことがある」

「なによ……?」

「今までの戦争行為において、死んだ人間は一人もおらぬよ」

「え……?」


 沙綾は一瞬何を言われたのか理解できなかった。それ位衝撃的な事を目の前の魔王は、どうでもいいような感じで話している。

 

「人材はこれからを担う財産だ。それをむざむざとつまらん戦争で失くして何とする。それは今後、余が目指す統一王国の大きな損失だ」


 沙綾が助けを求めるように爺の方へ目を向ければ、彼はゆっくり頷く。


「誠でございます。陛下は民間人から敵兵まで、全てを殺さず無力化することを厳命しております。また、無力化の際仕方なく傷つけてしまった者は、その後手厚い治療を施しております」

「な、何でそんなことを……」

「さっきも言ったではないか。それに余は人というモノがそれ程嫌いではない。だがな聖剣、余の指示で死者は無いにしても、無辜な人の子が傷ついたのもまた事実よ。やはり、どうあっても血というモノは流れるのだ。故に余を許さぬと、討ち果たすというのなら、甘んじて受けよう。そなたに討たれるなら、そういう運命だったのであろう」

「分からない! 分からないわよ!! なんでそうなるの!? さっきもそう、なんで私に討たれてもいいって思うのよ!! そんな大変なことまでして世界統一を目指しているアンタがなんで!?」


 沙綾の胸中には様々な疑問が渦巻いて、もう何が何だか分からなくなっていた。魔王に惚れられた理由も分からなければ、犠牲を出さずに他国を侵略するという、途方もなく難解で面倒なことをやっておきながら、いとも簡単に自分に討たれてもいいという理由も分からない。

 何もかも分からなさ過ぎて、魔王は沙綾の理解の限界を超えていた。そんな彼女に、魔王は微笑みながら言う。


「そなたのその想い。誰も、何も、傷付けたくないという想いが、美しいと思ったのだ。故にそなたに断罪されるなら、余が何か間違っていたと、そう諦められる。それくらいに余はそなたを好いている」

「アンタ……いったい何を言って……」

「ふふっ、そなたは確かに神霊だが、もう少し精神に対する防備に気を配るべきだったな」


 向けられた瞳はいつの間にか紅玉ではなく、不思議な輝きを放つ虹色へと変化していた。

 それを見て、沙綾はハッと気が付いた。


(やられた……こいつ魔眼持ちだ……)


 魔眼、極々稀に種族を問わず発現するという、不思議な力を宿した眼の事だ。色や宿した力は様々だが、中には人の心の奥深くを覗くモノや、未来を見通す力など、マナを使った術以上の奇跡を起こすものもあるという。


(くそっ……今まで雑魚の候補者ばかり相手にしてたから、完全に油断した……)


 沙綾は苦々しげに魔王を睨みつけ、問い質す。どうしても聞いておかなければならない事がある。


「……何時よ」

「そなたの腕を最初に掴んだ時だな」

「……どこまで?」

「そなたの出自から今現在に至るまで全てを」

「にぎゃぁぁぁあぁぁ!?」


 思わず沙綾は奇声を発しながら、頭を抱えてその場を転げ回る。

 全部、全部知られてしまったのだ、この魔王には。自分が異世界から転生してきたことや、能力なんかも全て。そして、更に重要なのは、沙綾が今の今まで聖剣としての義務を放棄し、勇者を選ばなかった理由までをも知られた事だ。

 

(うわぁ~うわぁ~うわぁ~、何よ何よ何よ!? 全部、全部ばれたっての!? ただ単に生き物殺すのが気持ち悪いから戦闘避けて、勇者を選ばなかった事とかも全部!?)


 一瞬転がるのを止めて、魔王に目を向ければ、それはそれは優しい微笑みを向けてきた。


「うむ、余は分かっている。そなたは心優しき聖剣だ。安心せよ、そなたの意志に反して戦闘に使う事はないと約束しよう。そなたのその優しさにも余は惚れておる。それにしても女神め……何を思ってこんな優しき娘を聖剣に宿したのか……誠に不憫だ」


(止めてよ、その全て理解してますみたいな顔!! しかもなんか勝手に内容を美化してるし!! 私そんな人道精神溢れる博愛主義者じゃないし!! うわぁ~、最悪、最悪、最悪!! やっぱりこいつ最悪の変態だ!!)


 沙綾が恥ずかしさのあまり床を転げ回るのは、その後魔王が用事で神殿を去るまで続くのだった。


「せ、聖剣様、結局何だったのです……」

「知らないわよそんなこと!!」

「ひぃぃぃ!?」


 そして、妖精さんは暫くの間、沙綾から理不尽な八つ当たりをされるのだった……。


「完全にとばっちりなのです~」

「とばっちりついでにやってもらいたい事があるんだけど、妖精さん?」

「な、なんなのです……?」

「ちょっと調べものよ」

「はい?」


 軽い感じで言う沙綾だが、妖精さんは嫌な予感がして堪らなかった。何故なら、いつものように彼女が物凄くいい笑顔で笑っていたからだ。

 だが、話を聞くうちに妖精さんの目は段々と真剣になり、やる気に満ちた表情になって行くのだった。

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