第2話 園芸部


 本校舎と垂直にのびる渡り廊下で結ばれ、コの字型に中庭を囲む部室棟は、ちょっとした研究施設の様相を呈していた。

 普通なら高校の部活動に供されるはずのない高速冷却遠心機、マイクロアレイスキャナー、塩基配列を解析するためのDNAシーケンサー、さらには有機化合物の分子構造を解析するための核磁気共鳴装置まで、最先端・最高級の設備が目白押し。

 他にも何の用途かわからない大きなタンクがいくつも置かれ、発電機が唸りを上げている。

 錚々たる環境技術系の部の中でも群を抜いているのが、生物部のスペースだった。先ほど立ち聞きした話では、生徒会長の瑠璃るりが率いる部だ。

 廊下を歩きながら観察しただけでも、複数の部屋に専門用語で区分けされたいくつもの課がある。一番広い工場のような部屋には細胞内の物質を測定するメタボローム解析装置群が並び、一目で優等生とわかる生徒達が静寂の中で手際良く作業をしていた。学園一の設備と人材という瑠璃の言葉は、伊達ではないようだ。


 夕菜ゆうなという上級生に案内されて辿り着いた園芸部は、そうした他の部の規模を見た後では、いささかこじんまりとして見えた。


「えっと、新入生の糸川いとかわ君とさくらさん、だよね。ここが園芸部だよ。その、散らかってるから恥ずかしいんだけど……」


 夕菜(やはり男子のDOLLなどいるはずがなく、いわゆるボクっ娘だったようだ)が本気で恥ずかしそうにモジモジしながら、部室のドアノブに手をかけようとした瞬間。

 室内からぼんっと何かが爆発する音が響き、ドアが内側から勢い良く開けられた。


「けほっ……けほっ……」


 薬品の臭い、浦島太郎の玉手箱が開いたような白煙とともに人影がまろび出てくる。


「だ、大丈夫、あさ?」


 夕菜が慌てて声をかける。朝菜と呼ばれた人物が顔を上げた。


「けほっ、肥料の調合を間違えちまったぜ……あれ、夕菜、その人達は?」


 幸い玉手箱の煙ではなかったようで、生気溌溂とした美しい少女だった。

 彼女の顔が、背中まで届く栗色のロングヘアを除いて夕菜と瓜二つであることに僕は気付いた。瞳も同じヘーゼルだ。このDOLLが、先ほどの話に出ていた朝菜なのだろうか。


「おっ、もしや入部希望者か! でかした夕菜!」

「いや、違うんだ朝菜、この人達は……」


 何やら勘違いをされてしまっている。

 ここまで、初対面の相手への馴れ馴れしさに定評のある桜が夕菜に強引に案内をさせて来てしまった。

 ややこしいことになる前に謝って退散すべきか僕が思案していると、桜がずいっと前に進み出た。


「私はND-623桜。高等部1年に入学した中島技研製第3世代型DOLL。探偵部の部長よ。後こっちは平部員の実。さ、自己紹介はこれくらいにして、貴女達も私の探偵部に入りなさい。以上!」


 ちょっと待てこら。仮にも相手は上級生だぞ。夕菜というDOLLは奇跡的に怒らずに案内してくれたけど……後、僕の紹介があまりに雑過ぎないか?

 懸念通り、朝菜は桜の物言いにカチンときたようだった。


「おい、なんだこの赤いのは? 二年の先輩に向かって無礼じゃねえか!」

「あら、私達DOLLにとって『先輩』というのは、劣っているのと同義ではなくって?」


 これは残念ながら桜の言い分に一理ある。人間と違ってDOLLは製造年度が新しくなるほど性能が上がる。工業製品であるDOLLの宿命だ。かといって桜の態度には一切共感できないが。


「ちっ、うぜえ……大体どうしてあたし達がてめえの探偵部とやらに入らないといけねえんだよ! ここは園芸部だ、入口のプレートが見えなかったのかよ!」

「強がりはやめなさい、朝菜とやら。聞かせてもらったわよ。貴女達、部員数が足りなくてこのままだと部室を追い出されるんですってね。ここを探偵部に変えれば、貴女達はこの部室を使い続けることができる。悪いようにはしないわ、探偵部に籍さえ置いてくれれば、今まで通り園芸の活動をしても良くってよ」


 もうこの部室を征服した気でいるのか、桜は余裕の表情である。

 だが、朝菜は少しの間首をかしげると、何かに気付いた様子でにやりと笑った。


「ふん、強がっているのはてめえの方じゃねえか。その探偵部とやら、ひょっとしててめえとそこにいる眼鏡の2人だけなんじゃねえのか? 環境技術と関係の無い部活が認められるには、最低でも4名必要だったはずだ」

「……!」


 桜の余裕は一瞬で瓦解したようだった。


「へっへっへ、どうやら図星みてえだな。それに比べてあたし達は、仮に部室が無くなったとしても園芸部がすぐに無くなるわけじゃねえ。環境技術特例で、部員数はあたしと夕菜の2名で足りてるんだからなあ」


 腕組みをして桜を思いきり見下ろす朝菜。形勢逆転だ。

 これが漫画なら、桜の背中には冷や汗がだらだら流れていることだろう。


「ね、ねえ貴女達、探偵に興味は無いかしら? 探偵は悪を懲らしめ社会の平穏を守る正義の仕事よ。犯人が巧妙に仕組んだ幾重ものトリックで警察だけだと迷宮入りしそうな事件でも、鮮やかな推理力でかっこよく解決する、それが探偵! 私の探偵部に入れば、貴女達もそんな名探偵にしてあげるわ!」


 今更になって探偵の魅力を必死に語り出す桜。普通、順番が逆だろう。

 そして、朝菜の反応は冷たかった。


「探偵? 探偵なんて下賎な活動をする部活は絶対にお断りだ!」

「げ、下賎? 貴女、何をどう勘違いしたら探偵を下賎だなんて……」

「勘違いじゃねえよ。探偵ってのは要するに、あまりおおっぴらにできない調査業者のことだろ? 民事訴訟の下調べをしたり、浮気調査をしたり。もっとひどいのだと週刊誌に雇われて、芸能人や政治家のスキャンダルを暴いたり、果ては携帯電話会社の従業員を懐柔して、違法に入手した顧客の個人情報を暴力団に売ったり。ついこの前も違法なことをした探偵が警察に逮捕されたニュースをやってたっけな」

「え、いや、それは……」


 あまりにリアル過ぎる探偵批判をぶつけられて、桜が口をぱくぱくさせている。朝菜のこの反応には僕ですら少し引いた。


「ごめんね桜さん、朝菜はその……フィクションに疎いんだ」


 夕菜が申し訳なさそうに頭を下げる。

 正直、疎いってレベルじゃないような気がするが……何にせよ、フィクションの世界にどっぷりの桜との相性は最悪のようだ。


「それに、まだ園芸部に新入部員が入らないって決まったわけじゃねえ。あたし達には部員獲得の切り札があるんだよ。ほら」


 朝菜が、先ほどの爆発の煙が晴れてきた部室の中を指差した。

 夕菜の言った通り、書類や使用済みの実験器具があちこちに放り出してあって散らかった部室、まあどちらが散らかしているかは何となく想像がつくが、とにかく部室の中を覗いてみる。

 最初に目についたのは、正面の壁にかかった表彰状だった。『財団法人緑化都市基金 緑の環境デザイン賞 国土交通大臣』と大書されている。


「ああ、あれは去年ボク達が一年生だった時に園芸部がとった賞だよ。土中の石を多孔質にして保水効果を高め緑化に貢献する、土壌改良微生物の研究でもらったんだ。……研究はほとんど瑠璃がやってくれたんだけどね」


 僕の視線に気付いた夕菜が説明してくれる。最後は懐かしさと寂しさが入り交じった口調だった。

 だが直後、朝菜が夕菜をぎろりと睨みつけた。


「夕菜! あたしの前で奴の名前を口にすんなって、何度言えばわかるんだよ! あの賞状も目障りだからさっさと外しとけって言っただろ!」

「ご、ごめん朝菜、つい……」

「たく……あたしが見せようと思ったのはこっちだ!」


 朝菜が改めて指差した先の、机の上に設置された屋内栽培プラント。

 そこには一本の針葉樹の苗木が植えられ、人工光を浴びている。


「その木は何ですか?」

「『ユグドラシル』。セコイアのゲノムをベースに二酸化炭素蓄積効率を高めた遺伝子組み換え植物だ」


 桜は先ほどの問答のショックからまだ立ち直れていないのか後ろで放心状態になっているので代わりに僕が質問すると、朝菜はよくぞ聞いてくれたとばかりに頷いた。


「そうか、知りたいか眼鏡! 仕方ねえ。こいつは今はてめえよりチビだけどな、成長すれば樹高300メートル、幹の直径70メートルの大木になって、多階層の森の天蓋になる。想定される樹齢は、これまで地球上に存在してきたどんな植物よりも長い。空気中の二酸化炭素を幹、葉、腐葉土、地中の泥炭の形で閉じ込めて、地球の温暖化対策に大きく貢献するはずだ」

「お、おー」

「植林CDMプロジェクトて知ってるか? 先進国が途上国の植林に投資することで削減した二酸化炭素の排出量を自国の削減分としてカウントできる仕組みなんだけどな。既に東南アジアや南米の植林事業にこの『ユグドラシル』を採用することをいくつかの企業が検討してくれてるんだよ。今は、国連CDM理事会への登録に向けて働きかけてる最中だ」


 いきなりスケールの大きい話だった。アメリカのカリフォルニア州にある樹高世界一のコースト・レッドウッドが確か100メートルだから、実にその3倍。途方も無い巨木だ。本当にそこまで育つとするなら正に北欧神話の世界樹、ユグドラシルの名前に相応しい。

 ところでさっきから気になってるんですが、その「眼鏡」ってまさか、僕をそう呼ぶことに決めたとかじゃないですよね?


「ははは……凄いですね。これを作ったのは、もしかして」

「あたしだよ。中島なかじま技研ぎけん製ND-121-2、朝菜。園芸部の部長だ。よろしくな、眼鏡」


 見本に使えそうなドヤ顔でえっへんと胸を反らす。

 どうでもいいが、やはり眼鏡というのは僕のことだったのか。


「朝菜、糸川君に失礼だよ……えっと、ボクは同じく中島技研製のND-122-2、夕菜。朝菜のバックアップ機だよ。よろしくね、糸川君」


 こちらは落ち着いた声で、礼儀正しくお辞儀をする夕菜。なるほど、バックアップ機なら、双子の姉妹のような造顔にも合点がいく。性格は朝菜と正反対のようだが。


「どうも、糸川いとかわみのるです」


 僕もきちんと挨拶をする。


「へっへっへ、この『ユグドラシル』で、志戸子エコプロダクツの生物工学部門に出展するからな。今年こそ絶対に入賞だ!」


「志戸子エコプロダクツ?」


「……志戸子学園の生徒が環境技術の研究成果を発表する大会だよ。この学園で扱われる技術は最先端のものだから、世界中の国や企業の関係者が見学に訪れるんだ。緑化都市で一番大きな催し物なんだよ」


 横から夕菜が丁寧に説明してくれる。


「賞をとればメディアにもでっかく取り上げてもらえるし、入部希望者の行列ができること間違いなしだぜ。夕菜、今から『最後尾はこちらです』の札を用意しとけよ!」

「うん、わかったよ朝菜」


 才気走る勝気な姉と、それを支えるしっかり者の妹という感じで微笑ましかった。

 さっき瑠璃の話が出た時の朝菜の反応は、少し気になったが……。

 ようやくダメージが回復したのか、横で桜が鼻を鳴らす。

 さて、そろそろおいとまする時間かなと僕は思った。


「ふん、ユグドラシル? そんな中二臭いネーミングで賞をとれるわけないわ。せいぜい一次選考で下読みさんに落とされるのが関の山ね、諦めて大人しく私の探偵部に……もがもがっ」

「馬鹿が迷惑かけてすみませんでした、失礼します」


 とりあえず桜の口を回した右手で塞いで黙らせると、左手で頭を押して無理やり一緒にお辞儀をさせる。


「ふがっ、ふがーっ!」

「探偵部だっけ? まあ頑張りな~」

「園芸部の活動に興味がわいたら、またいつでも遊びに来てね」


 仲睦まじい姉妹の笑顔に見送られて、僕は園芸部室を後にした。暴れるDOLL約一体を引きずって。




「もがふが……ぷはあっ、何をするのよ、みのるのくせにっ!」


 解放するや否や、桜は僕の足首に蹴りを入れてきた。

 いい加減学習したので、寸前にかわしてやる。


「勧誘する相手に喧嘩売ってどうすんだよ。お前本当に電子頭脳入ってんだろうな?」

「うるさい! ……にしてもおかしいわね、私が知ってる物語ではもっと簡単に部を占拠できたのに」


 お前が読んだのはどうせラノベか何かで、占拠するのは無口な女の子が一人で本を読んでる文芸部とかだろ。


「はあ……そりゃ当然だ。この学園の部活は遊びじゃないからな、みんな一所懸命なんだよ」


『自主研究活動』と呼ばれる志戸子学園高等部の課外活動は、大学におけるゼミや研究室に匹敵する位置付けだ。潤沢な予算が与えられ、運営は生徒に委ねられている。その代わり、卒業に必要な単位となるばかりか、活動での成果が卒業後の進学・就職を左右する。

 産学合同で設立され、企業の価値観が取り入れられたこの学園ならではだ。さっき朝菜達が話していた大会で世界中から国や企業の関係者が見に来るのも、優秀な部の生徒をスカウトするのが目的だろう。

 良い結果を出した部はより多くの予算が割り振られ、優秀な人材が集まる。結果を出せなかった部は、その逆だ。弱肉強食。それが自由な校風で知られる志戸子学園の、もう一つの顔だった。部員が朝菜と夕菜しかいなかった園芸部は、どちらかというと食われる肉の方なのだろう。それでもああやって具体的な研究成果を出そうと頑張っていた。


「お前もさ、探偵部だか何だか知らないけど遊びの部をつくるのはいい加減諦めて、どっか真面目な活動してる部に入れよ。今からでも遅くないから」

「……」

「じゃ、僕はもう帰るぞ」


 そう言って僕は桜から離れようとした。久しぶりに外に出て身体を動かしたから疲れた。

 早く帰って寝たい。この学園の敷居をまたぐのも、もうこれっきりだ。

 部屋の扉をこいつに弁償させる件は……面倒臭いしもういいか。管理人室で工具箱を借りよう。自分で直せるかもしれない。


「……遊びじゃないわ」


  強い声。僕は思わず立ち止まる。


「探偵部はっ、遊びじゃないわ!」


 振り返る。桜が、こっちを見ていた。同じ場所に立ったまま、両手の拳を握り締め、燃えるような赤い瞳で、僕を睨んでいた。

 その時、まっすぐ家に帰ってこのDOLLともこの学園とも永久にお別れしようと決めていたはずの僕の心に、何の気まぐれか、新たな感情が芽生えた。

 理由は僕自身はっきりしなかった。もしかすると、例え周囲から理解されなくても頑なに意地を通そうとする桜の姿に、ある種の親近感を覚えたのかもしれない。目的は全く違うし、一緒にされたくもなかったが。

 とにかく、もう少しこいつの馬鹿に付き合ってみてもいいかもしれないと、そう思った。

 どうせ暇なんだからと、自分に言い訳する。


「そうだな……エコプロダクツは無理だけど、お前も何か大会に出てみたらどうだ?」


 さっき来る時に目に留まっていた、廊下の掲示板を指差す。


「見ろ。明日、農学部が主催する野菜の早食い選手権、それと農学部と美術部合同の野菜アート大会ってのがあるらしいぞ。ここに出場して探偵部の宣伝でもしたらどうだ。天文学的な確率だとは思うが、物好きな生徒がお前の仲間になってくれるかもしれないぞ」


 桜の目が、ほんの一瞬驚いたように丸くなる。それから頬がちょっとだけ赤くなり、それからすぐに怒ったような顔になる。全く、忙しい奴だ。


「……貴方も参加するのよ。わかっているのでしょうね?」

「嫌だよ面倒臭い、大体僕は探偵部なんかにこれっぽっちも興味は」

「貴方が発案者でしょう?」

「そんな目で見るな。全く……わかったよ仕方ない」


 やれやれと肩をすくめてみせる。


「お前に協力するのはこれで最後だからな」

「それじゃあ、また明日」

「ああ」


 軽く手をあげて応じてから、違和感を覚える。

 明日、こいつがまたどんな馬鹿なことをするのか、楽しみにしている自分がいた。

 僕はもう、この学園には来たくないはずだったのに。




 翌日。

 野菜早食い選手権と野菜アート大会が開催される農学部の部室は、ヒトとDOLLの生徒達で大入り満員になっていた。

 机に頬杖をついて開会時間を待っている僕のところに、背後から近付いてきた誰かがすっと紙を置く。


「野菜アート大会用の採点用紙です。参加者の方は採点にご協力下さい……あれ、糸川君?」


 その声に内心しまったと思うが、後の祭りだ。


「……御所ごしょうら


 迂闊だった。知り合いに会う可能性を考えておくべきだった。

 それもよりによって、一番会いたくない人間の一人が来るなんて。


「良かった……糸川君、学校来てくれたんだ」


 和風の端正な顔立ちをした少女が、控えめな声でそう言ってうっすらと微笑みかけてくる。僕は目をそらす。


 御所ごしょうらつき。僕の携帯に毎日ご親切に着信を残してくれているクラスメイトだ。

 中等部からの知り合いだが、そんなに親しかったつもりはない。それなのにクラス委員だからということで何かとお節介を焼いてくる、鬱陶しい女だ。

 席を立って退散しようと腰を浮かせかけた途端、足首に痛撃。横に座る桜は素知らぬ顔をして、DOLLの癖に口笛なんか吹いてやがる。くそっ、こいつと関わったのが運の尽きか。


「……いや、今日だけちょっと事情があってさ。それより御所浦は、どうしてここに?」


 仕方なく再び椅子に腰を落ち着け、努めて平静を装う。


「私、農学部に入ったから」

「そうだったのか。……あれ、剣道はどうしたんだ?」


 僕の記憶が正しければ、御所浦は中等部では剣道部にいたはずだ。

 当時、体育会系の部活に所属していた僕が放課後体育館に行くと、道着姿の彼女が稽古に打ち込んでいた光景が脳裏をかすめる。


「うん、剣道も続けたかったんだけど、卒業後の進路のこと考えて……。環境技術系の部活なら、大学の推薦も貰えるし、就職活動にも有利だし。農学部は去年もストレスに強い小麦の開発でアメリカのグリーンケミストリー賞を受賞した実績があるし、顧問の先生が農水省のOBだから、企業や大学の受けも良いの」

「進路、か……」


「深月~、こっちは配り終わったの~」


 小柄な女子が、御所浦の下の名前を呼びながらこちらに駆けてくる。


「ありがとう、はく


「あれ? その人は深月のお友達なの?」


 僕の顔を見てちょこんと首をかしげてきた女子生徒は、金髪碧眼の可愛らしいDOLLだった。


「糸川君、この子はND-831-4琥珀よ。同じ農学部の一年生。琥珀、こちらは私の中等部からの友達の糸川実君」

「深月の友達は琥珀の友達なの。よろしくねっ!」

「お、おう、よろしく」


 一応、DOLLは高校一年生から人生がスタートするという設定で、年齢に見合った人格ソフトが入っているはずなのだが、なんだか幼く感じられるのは気のせいだろうか。いや、気のせいに決まってる。きっと、この舌足らずなのも仕様なのだろう。それより、僕はいつから御所浦の友達になったんだ。


「糸川君。良かったら大会が始まる前に、農学部で育てている野菜を見てみない?」

「え……」

「深月良いこと言うの~。あのねあのね、ここのお野菜は、琥珀がお世話をしているの!」


 琥珀に手を引っ張られ、渋々立ち上がる。去り際に席を振り返ると、桜は前に座っている生徒を捕まえて怪しげな勧誘行為を繰り広げていた。


「いいこと、貴女の前世はずばり探偵だったのよ!」

「私DOLLなんですけど、前世とか言われても……」

「ちっ、じゃあ来世よ。もし探偵部に入部しなかったら、貴女の来世はずばりフジツボになるわよ!」

「な、なんだってー」


 痛い。痛すぎる。例え霊感商法に引っかかる老人でも、あれでは騙されてくれないだろう。付き合ってくれている前の席の生徒は、正直偉い。


 野菜を育てているというから校舎の外に連れて行かれるかと思っていたら、目的地は部室の隅に仕切られ『野菜工場』と記されたスペースだった。

 ガラス張りの冷蔵庫のような装置の中は段がいくつもあって、覗き込むとLED灯の下、リーフレタスやトマトなどが栽培されていた。空調用のファンと養液を循環させる機械が微かな駆動音を立てている。


「なんか思ったよりハイテクだな」

「プラントセラーって言ってね。農学部では校舎の外にも実験用の畑や水田を持っているんだけど、ここでは旨味成分やビタミンの測定に使う野菜を栽培しているの。この機械は、健康志向のレストランなんかにも使われているそうよ」


 地産地消ならぬ、店産店消というやつか。いわれて見るとイタリアンパセリ、バジル、ルッコラと、イタリア料理店で出てきそうなハーブ類も植わっている。


「日本のお野菜もあるの~。ほらこれ、左からコマツナ、ホウレンソウ、ミズナ、それにシュンギクなの!」

「全部言えたね、琥珀」

「えへへ~」


 御所浦が琥珀の頭を優しく撫で、琥珀が嬉しそうに目を細めている。その様子に内心少し驚く。

 僕の知っている中等部時代の御所浦は、どちらかというと寡黙で剣道のイメージしかなく、こんな風に同級生相手にスキンシップをしたり沢山喋ったりしなかった。この琥珀というDOLLと知り合って、性格が明るくなったのだろうか。


〈お待たせ致しました、ただいまより農学部春の恒例イベント、野菜早食い選手権を始めさせて頂きます! 参加される方は、予めお引きになったくじの番号の席へどうぞ!〉


 上級生の農学部員のアナウンス。いよいよ大会が幕を開けた。




 野菜早食い選手権はトーナメント制らしい。

 早食いを競うんだから、全員の食べるスピードをはかれば一回で優勝者が決まると思うんだが、そこは大会を盛り上げるための趣向なのだろう。

 しかし最初に強い相手と当たってしまえばそれだけ早く脱落するから不公平じゃないかと思いつつ番号で指定された対戦席に足を運ぶと、さっき知り合ったばかりの顔がいた。


「あっ、実! 友達だからって容赦しないの~!」

「ははは……お手柔らかに」


 舌ったらずのお子様なDOLL、琥珀だ。どうやら、主催する側の農学部員も参加できるらしい。

 第一回戦は、フルーツトマト2キログラムの早食い競争か。

 そういえばトマトって、厳密には野菜じゃなくて果物じゃないのか? まあいい。僕は平気だが、生のトマトは好みの分かれる食材だ。ここでかなりの数の参加者の脱落が期待できる。


「それでは第一回戦、スタートッ!」


 DOLLとはいえ、女の子相手に本気を出すのは気が引けるな……そんなことをのんびり考えながら、ボールに盛られたトマトに手を伸ばそうとした時だった。


「キシャアアアアアア!」


 謎の奇声に、僕は思わずのけぞる。


「シャアア! キシャシャシャシャアッ! キシャア!」


 ようやく正面に目を向けると、豹変し修羅の形相になった琥珀が、大量のトマトを一気に口に詰め込み、ヒトには不可能な速さで咀嚼していた。


「えっ、ちょ、ま……」

「実、何ぼさっとしてるの! そんな小さな子に負けたりなんかしたら承知しないわよ!」


 観客席から桜の無責任な野次が飛ぶ。いや、プロのフードファイターでも逃げ出すレベルだろ、これ。

負けじと僕も必死にトマトを頬張るが、四分の一ほど食べた辺りから、フルーツトマトのはずなのに甘みを感じなくなってきた。水っぽさが腹を重くしていく。


「うえっぷ……気持ち悪い……」


 意識が遠くなる中で向かいから、空になったボールの転がるからん、という音。


「完食ーっ! 勝者、琥珀選手っ!」

「わーい、琥珀の勝利なのっ! 深月~」


 あどけない幼女に戻って御所浦に抱きつく琥珀。


「……運が悪かったね、糸川君。琥珀は我が農学部のエースよ」


 御所浦が少し得意げに言う。いやエースって、農学部はいつからそういう活動目的の部になったんだよ。


「うえ……僕、トマト嫌いになったかも」

「やれやれ、よりによって一次落ちなんて情けないわね。それでも探偵部員のつもり?」


 桜が辛辣な言葉を浴びせて、無くなりかけた僕のヒットポイントを削ってくる。


「いやいやいや、さっきの見てなかったのかよ。つうか僕が進んで探偵部員になりたがってるみたいな言い方するな!」


「へへっ、しゃーねーよ。第4世代型DOLL相手に、生身の人間が早食いで勝てるわけがねえ」


 聞き覚えのある声。


「やあ、糸川君に桜さん。2人ともこのイベントに来ていたんだね」

「へっへっへ、観戦させてもらったぜ眼鏡ぇ」


 朝菜と夕菜の双子姉妹だ。


「あ、昨日はどうも」


 後、僕は糸川実です。眼鏡は名前じゃないです。


「あら、貴女達も部のPR狙い?」


 桜の一言に、朝菜がびくっとする。


「かっ、勘違いすんじゃねえよ! ここのところずっと『ユグドラシル』の研究で部室にこもりっきりだったしよ、たまには息抜きも悪くねえかって思っただけだよ! べ、別に、大会に優勝して表彰台で園芸部の宣伝をしようとか、そんな浅ましいことは考えてねえからな!」


 うわー、わかり易いな、この先輩。


「そういえば、朝菜さんと夕菜さんは早食い選手権には出なかったんですか?」


 僕が世間話のつもりでそう訊ねると、夕菜が表情を曇らせた。


「……うん。ボク達には食物を摂取する機能が無いからね。だから参加するのはアート大会だけだよ」

「え、そうだったんですか。あれ、でも琥珀は」

「琥珀って奴は中島技研製の第4世代型だろ? 第4世代型からはバイオ燃料電池と食物カロリー変換システムが実装されてるからな、食物を分解して電気エネルギーに変換する仕組みでヒトと変わらねえ食生活ができるんだぜ。ちなみにあたしと夕菜は第2世代型だ」


 朝菜が人差し指をちっちと振って解説してくる。


「やっぱり、ヒトと同じ食事ができないと、社会に出てから色々と不自由なのかな。……仕事で不利にならないといいんだけど」


 まずいことに、夕菜が暗くなっていた。確かに、ヒトの社会は食事を通じてコミュニケーションをとる場面が結構ある。僕は慌てて謝った。


「すみません、無神経なことを」

「気にすんな。夕菜も何しけたこと言ってんだよ、ものは考えようだぜ。社会人になって飲み会に呼ばれたら、あたし達は隠し芸でも披露して場を盛り上げてやればいいんだ」


 横から朝菜が割って入る。


「うん……朝菜なら上手くやれると思うよ。明るいし機転も利くし。でもボクは……」

「たく、夕菜はいつも弱気だな。心配すんな、夕菜のことはずっとあたしが守ってやんよ」

「……あ、ありがとう」


 麗しい姉妹愛は、主催のアナウンスに邪魔された。


〈さあて、野菜早食い選手権はまだまだ続きますが、ここからは後半の野菜アート大会に向けた準備も始めて頂きます。野菜アート大会に参加される皆様は調理スペースにお集まり下さい!〉


「ふふふっ、ついに私の真の力を見せる時が来たようね」 


 桜が不敵に笑って腕まくりをする。また何かろくでもない策でもあるのか、やる前から自信満々だ。


「へいへい、まあ頑張れよ。期待してないけど」


 事前に桜が勝手に決めた割り振りによれば、僕が早食い選手権で、野菜アート大会には桜が出場することになっている。桜にアートの才能があるかは甚だ疑わしいが、彫刻とか面倒臭いのは僕もパスだし、どうでもいいか。

 壁のスクリーンには前回の大会の作品として、ナスやキュウリで作った車や人形など、野菜の工作が映し出されている。


「これって、工作に使った後の野菜は全部ゴミになるんだよな。食べ物で遊ぶのはいかがなものかと思うんだが」

「国民の野菜消費が少ない北欧のノルウェーで、子ども達に野菜と親しんでもらおうと始まったイベントらしいよ」


 桜に話しかけたつもりだったのだが、桜はさっさと調理スペースに行ってしまい、代わりに夕菜が親切に教えてくれた。


「よおし、やってやるぜ!」

「朝菜……とりあえず包丁は逆手で持つものじゃないよ」


 朝菜と夕菜はコンビを組んで参加するようだ。


 司会の合図で、一斉にアート大会の工作が始まった。

 農学部員によるニンジンの笛とカブの太鼓の風変わりな演奏が流れる中で、桜は工作に供される野菜の中からダイコンを選び取る。

 早食い選手権には初戦敗退してしまい、することがないので退屈しのぎに桜の様子を見ていると、桜はまずダイコンを包丁で無造作に真っ二つにして、半分になったうちの尖った方をまな板の上に立てた。

 続いて、立てたダイコンの左右の側面を抉って窪みをこしらえ、そこに残ったダイコンを刻んだものを差し込もうとしている。

もしかして、これは、教科書などで見覚えのある……


「桜、それってまさか」

「ふふっ、どう、とても独創的でしょう? 名付けて『太陽の塔』。優勝間違いなしよ!」

「……いや、どう見ても独創性ゼロだよな」


 とりあえず岡本太郎に謝ろうか。


「まあ凡人には私の芸術は理解できないでしょうね……あら、手の部分が上手くはまらないわ。えいっえいっ」

「おい、そんな強引に押し込むと」


 ぴきっ。言ったそばからダイコンに亀裂が走り、『太陽の塔(盗作)』が無残に崩壊する。


「……」


 呆然としてその場に立ち尽くす桜。


「あーあ、だから言わんこっちゃない」

「ふっ……ふはははっ!」


 ついに壊れてしまったのか、哄笑し始める桜。


「ふははははっ! 芸術とは爆発なのよ!」

「お前が、爆発しろ」


 こうして早食い選手権、アート大会ともに探偵部チームは早々に脱落したのであった。


「てめえらとくと見やがれ! ナスとカブと人参で作ったタイタニック号だぁ!」


 朝菜・夕菜コンビの完成品は、とてつもない力作だった。

様々な野菜で構成された豪華客船は、黒ゴマで船窓まで精密に再現されており、さらに船首には往年の映画のオマージュか、両手を翼のように広げた人のような彫刻まで配置されている。


「あ、あのね、前にリアルな軍艦巻きというのをネットで見てヒントを得たんだ……は、恥ずかしいよ朝菜」


 他の参加者達から賞賛の眼差しを浴びふんぞり返る朝菜と、その後ろに隠れて縮こまる夕菜。朝菜は包丁を握ったこともない様子だったから、恐らくほとんどの作業は夕菜がやったんだろう。


「ちょっと見なさい、実! あっちだって独創性ゼロだわ、パクリよパクリ!」


 朝菜達のまわりにできている人垣をじと~っとした目で睨んで、桜が不満げに僕に訴えてくる。うん、嫉妬見苦しい。


「いや、独創性がどうのこうの以前に、なんかお前とは決定的に違うんだよな」

「何がよ!」

「クオリティが」

「さらっと失礼なこと言ったわね!」


 桜の蹴りをかわしていると、朝菜達とは別の場所からおおっというどよめきが上がった。

 野次馬根性でついそっちへ引き寄せられる。


「……?」


 そこには、謎の物体が置かれていた。

 野菜の工作のようなのだが、あらゆる野菜が原型を留めていない。ダイコンやニンジンの千切り、モヤシなど様々な野菜が幾重にも複雑に絡み合い、まるで触手か何かのようにうねうねと伸びて、不気味なオーラを放っている。

 一緒についてきた桜が、その場で硬直する。他の観衆の反応も概ね同じだ。


「ど、独創性が高ければいいってものでもないみたいね……」

「ああ、そうみたいだな……」


 紹介のために立ち寄った司会の生徒も、笑顔を引つらせていた。


「え、えーっと、こちらの作品をお作りになったのは、ど、どなたでしょう……?」


 その司会の背後から、くたびれた白衣姿の女性がぬーっと現れた。


「ふふっ……私だ」

「ほっ、ほたる先生? 先生がこれをお作りになられたんですか!」

「講師が参加してはいけないってルールはないだろう?」

「は、はい、失礼しました! それで先生、こちらの、その、オブジェですが……これは……バラですか?」

「残念、似ているけど外れだ」

「え、えーと、それじゃあ動物の……ワニ?」

「それも似ているけど外れ。正解は、トロイの木馬だよ」

「う、馬……?」


 作品がいかに意味不明な物体であるかは司会の生徒のリアクションが雄弁に物語っていたが、その時、僕はそれどころじゃなかった。

 ほたるという、女性講師に目を奪われていた。

 うっすらとルージュを引いた唇、複数の光彩を宿した瞳、それに背中まで流れる艶やかな黒髪をさらりとかき上げる仕草は息を呑むほど色っぽく、身に付けた白衣も相まって大人の魅力を醸し出している。

 だが、僕が気をとられたのは、その顔と声に強い既視感を覚えたからだ。


「人間の女性だと思った? 残念、彼女もDOLLでした」


 僕の視線に気付いた桜が、何を邪推したのか意地悪くそう言った。


「いや、そういうんじゃなくて。あの先生の顔にちょっと見覚えが」

「それはそうでしょう。蛍先生は、この学園、いえ緑化都市きっての有名人ですもの。DOLLとして世界で初めて教鞭を執った方で、DOLLの社会的地位向上に大きく貢献された、全DOLL生徒の憧れの的。学園内にはファンクラブもあるとか……もっとも、あんな変わったセンスのものを作る趣味がおありだとは私も知らなかったけど」


 桜が語るプロフィールを、僕は半分上の空で聞いている。


「なあ桜……あの先生の製造番号はわかるか?」

「? ……蛍先生は、ミサキドール社製のMD-131よ。瑠璃るり生徒会長の先輩ということになるわね」


 僕の質問に、戸惑いつつ桜が答えてくれる。


「……XP-N-001じゃないんだな」

「XP-N-001? 聞いたことのない型番ね。Nだとミサキじゃなくてうちのメーカーだけど、Xがついているなら実検機かもね。とにかく、そんな型番は知らないわ」

「そうか……」


 これ以上訊いても桜に不審に思われるだけなので、僕はそこで黙った。鎌首をもたげていた五年前の記憶を、無理やり頭の奥に再びしまい込む。

ヒトならまだしも、顔と声が似ているなんて、工業製品であるDOLLには珍しくないことなのかもしれない。そう言い聞かせた。


〈……それではいよいよ、野菜アート大会の優勝者発表を行います。優勝は、二年の朝菜さんと夕菜さんの園芸部チーム!〉

 

 いつの間にか結果発表が始まっていたらしい。司会のアナウンスに、拍手と歓声が沸き起こる。


「やってやったぜ! 勝利のちょきちょき~!」

「えっ、嘘……何かの間違いだよね?」


 対照的な反応を示す二人。


〈それでは賞状と賞品の授与を行います。壇上にどうぞ!〉


 司会に促され、あたふたしている夕菜の背中を、朝菜がぽんっと叩いた。


「ほら、夕菜が行ってこい」

「ボクがっ? 嫌だ、恥ずかしいよ……朝菜が部長なんだから行ってきてよ」

「何言ってやがる、ほとんど夕菜が作ったようなもんじゃねえか。夕菜が名誉を受けるべきだ」


 朝菜がもう一度優しく、夕菜の背中を押した。

 夕菜は意を決したように頷くと、壇上に登り、マイクの前に立つ。


〈一言お願いします!〉

「え……えと……あの……このたびは、まことにありがとうございまっ!」


 頭がマイクに直撃。ゴイーン、と聞いているこちらも痛くなるような音が場内に響き渡った。


「うう、すみません……」


 泣きそうな顔で仕切り直す。


「えっと……ボク達は園芸部で活動しています。本学園の園芸部は、植物を育て慈しむという園芸の基本を地球環境全体の視野で捉え、最先端の技術を取り入れつつ自然の生態系を大切にした植物の研究、栽培実験を行なっています。この活動内容は、やはり本学園ならではだと思います。ボクも入部する前は、園芸部って庭でお花に水をあげたり雑草を抜いたりする部だと思っていて、生命科学は勿論、植物のこともほとんど詳しくありませんでした。でも、顧問の先生や先輩、る……同級生の仲間、それに朝菜……あ、朝菜というのはそこにいる僕の姉で、園芸部の現部長です……みんながとても優しく丁寧に教えてくれて、今では園芸部と植物が大好きです。ですから皆さんも植物の知識とか全然要らないですから、興味があったら是非見に来て下さい。園芸部を、どうかよろしくお願いしますっ」


 夕菜が、今度はマイクに頭をぶつけないように気を付けながら、深々と頭を下げる。

緊張して若干ぎこちないところもあったが、立派なスピーチだった。

 一瞬瑠璃の名前を出しかけていたが、朝菜は妹の凛々しい姿に満面の笑みで、気付いていない様子だった。


〈はい、ありがとうございました! それでは賞状、そしてこちらが優勝者の賞品です。今回優勝者には大会を主催した農学部及び美術部より、1730年創業、英国王室御用達の老舗ガーデニング用品メーカー・バーゴン&ポール社製の剪定せんていばさみが贈られます! おめでとうございます!〉


 司会から賞品を渡され夕菜が深く一礼すると、拍手と歓声が一際大きくなった。僕も久々に力いっぱいの拍手を送った。


みのる~!」


 さっきトマトの早食いで対戦した琥珀が駆け寄ってくる。


「お疲れさん。早食い選手権はどうだった?」

「う~、準々決勝で負けちゃったの! 琥珀とっても悔しいの!」

「……えっ?」


 難聴だよな。準々決勝で負けた? ということは、もっとやばい奴等がいるってことか?


「あ、そうだ実、深月が実のこと探してたの!」

「ははは、ごめん! 僕ちょっと急用があって」


 御所浦と会うとまた厄介なことになる。これ以上の長居は無用だ。今日は朝菜と夕菜の活躍を見ることができた。感動した。他に何か忘れている気もするが、大したことではないだろう。琥珀に適当に挨拶して、大会が終わり混雑する出口に紛れ込もうとすると、制服の袖をがしっと掴まれた。


「こら待ちなさいみのる! まだ探偵部の宣伝を何もしていないわよ!」

「くそっ、せっかく気持ちよく終わりそうな感じだったのにお前のせいでぶち壊しだ!」

「何を言っているかわけがわからないわ、とにかく今日ここへ来た目的を……」


 桜とやり合いながら、ふと背中に誰かの視線を感じて振り返る。

 出入口付近の雑踏の中、美しい漆黒の髪がふわりと風に舞い、扉の向こうに消えるのが見えた気がした。

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