第6話 笑う探偵

「あいつが僕達の会社をけがそうとした!」

 箱辺さんが話す。

「どういうことです?」

 レンズさんが尋ねる。

「あいつは会社に出資してもらう条件に偽物の記事を載せる約束をしてきやがった。人工知能が自動的に作ることがうちの会社のうりなのに、そこに偽物を書けと言ってきやがったんだ。クズをバカみたいに褒めた奴をね!」

 つまり表には出さない条件で、偽物のレビューを載せるということか。いいことではない。世の中の全部が正しいように回っていると思うほど純真ではないので、そういったこともよくある話だろうとは思う。箱辺さんはそれが許せなかったから社長を殺したということか。

「他にも出資の話はあった。だけどあいつは額がよりいい方を選んだ。それがどんなに悪い条件と抱合せのものでも、うちの会社には必要だって。バカにしてるだろう? 僕らが作ったものを信頼してればそんなのいらないって突っぱねることだってできるのに」

「正義はあなたにあったということですね」

 レンズさんが言った。

「だから僕らは会社を元通りに戻そうとした。あいつが死ねば、出資の話は断ることができる。いますぐの成長はできなくなるけど、正しくサービスを運営していれば、将来、もっと大きな会社にできる」

 レンズさんがゆっくりと拍手した。

 周りの人間が、犯人である二人さえも驚いている。

「あなたは正しいと思います。もっとはやく言ってくだされば、真相を暴かずにいてもよかったと思えるぐらい」

「なにを言っているの」

 氷さんが言った。

「しかし残念です。もう真相は暴かれてしまった。証拠も警察が見つけるのは時間の問題でしょう。それで、あなたはどうしますか?」

 箱辺さんは突然の問いに戸惑っている

「あなたは正義の人です」

 レンズさんは箱辺さんを否定しない。

「しかし、東堂さんの完璧な計画を、計画通りにこなすことができなかった」

 レンズさんが箱辺さんにゆっくりと近づいていく。

「あなたは会社のための正義を実行した」

 箱辺さんが怯えている。

「なぜまだ生きているのですか?」

 レンズさんが問うた。

「なぜ自決しないのです?」

「やめなさい!」

 氷さんが叫ぶ。しかしレンズさんは止まらない。

「責任の取り方を知っているはずです」

 レンズさんが微笑んだ。

「あなたは卑怯者ではないのでしょう?」

 レンズさんがゆっくりと片手を伸ばし、握りしめた拳を箱辺さんの胸に当てた。

「大丈夫、死ぬのは怖くありません。あなたが殺したあの人も簡単に死んでしまった。ちがいますか? いえ、あなたは死など恐れないとは思いますが」

 氷さんが二人のもとへ駆け寄る。押さえつけようとしているのだ。レンズさんを。腕を取って引き離そうをする。警察が真相を解明した探偵を押さえつける。それは異様な空間だった。その他の人間は誰もが動揺して固まっていた。だけどレンズさんはそれでもまっすぐに犯人を見て言葉を続けた。

「さあ正義を!」

 箱辺さんが逃げ出した。突然の行動に誰も、近くにいた刑事さんも反応できていない。

「東堂さんを拘束して」

 氷さんがその場の部下に声を出す。それから、レンズさんを離して箱辺さんを追いかけた。レンズさんも関係者もみんな箱辺さんを追った。僕は一番最後に人垣の後ろからその光景を見た。

 この部屋はこの会社のキッチンだった。

 箱辺さんが包丁を前に向けて構えている。

 人質はいない。

 強いて言えば彼自身。

「おとなしく捕まりなさい」

 氷さんが言う。だけどそれではダメだと思った。レンズさんは彼の正義を煽った。きっと本心なんてどこにもない。彼が純真だったから、正義を貫くように見える道を用意して見せた。

 どこか古い時代の侍のように、自殺が正義だと。

「正しいことは切腹ではありません」

 どうにかして前に出ながら言った。

「罪を認め、裁判にかけられ、そして罰を受けることです」

「真鶴、邪魔をするな」

 レンズさんが言った。

「責任を取って死ぬんだ。それこそが正義。男だろう」

「違います。ここで死ぬことはただの逃避です。卑怯者です」

「違う!」

 箱辺さんが叫んだ。

 僕はゆっくりと箱辺さんに近づいていく。

 あの包丁が刺さったら、僕は死ぬんだろうな、と思った。僕を人質にするようなことはしないだろう。だけど混乱して暴走して振り回して、それが僕に刺さることはそれなりの確率でありうる。

 いやだなあ、と思った。

 それでも近づくしかない。

 それが僕の役目だ。

「真鶴君、離れなさい」

 氷さんが言った。

「来るな!」

 箱辺さんが言った。包丁をこちらに向けている。

「あなたは僕を傷つけたりしないでしょう。あなたはいい人です。だからもうやめてください。誰も、自分も傷つけないでください」

「箱辺さん、包丁を置いてください」

 氷さんが言った。

「彼を傷つけていい理由などないことはわかるはずです。そしてもしあなたがその刃を自らに向けようとするなら、彼はきっと自分の身を傷つけてでもそれを防ごうとするでしょう。そんなことになってはいけない」

 僕は箱辺さんをじっと見つめて、だまって頷いた。

 箱辺さんが目に涙を浮かべながら包丁をテーブルの上に置いた。そして部屋の入口に付近にいる氷さんの元へ、謝罪の言葉を呪文のように唱えながら歩いて行った。

 これでやっとおしまい。

 結局、僕もコントロールしただけだった。


 一ヶ月後の放課後。僕らはいつもどおり探偵部の部室で特になにもなく過ごしていた。テストも終わり、その結果に一喜一憂したことももう遠い記憶のようだった。

 その後、箱辺さんは真面目に取り調べを受けているらしい。罪を償うことを、彼なりの正義だと認識したのだろう。氷さんからの説明によると東堂さんも同じように自供しているとのことだった。

 動機は会社の乗っ取りだったと。

 そのために正義感でいっぱいの箱辺さんを利用したとの話だ。箱辺さんからしてみれば会社のためを思っての行為だったのだろうけれど、東堂さんにはそんな正義などどこにもなかった。

 ただ、自らの関係する出資者からの援助を受けるために、邪魔になった社長を消して、その座を奪おうとしていたのだ。

 箱辺さんが失敗したのは首を吊って自殺したように見せる偽装との話だった。いざ吊るそうとしたところで、ロープの長さがあきらかに足りないことに気づいたのだと。そうしてパニックになって東堂さんに助けを求めたそうだ。

「そんなことも試してなかったんだね」

「そんなことも試さないような奴に重要なことを任せるのがバカなんだよ。操るのが楽だから選んだのだろうけど」

 どちらが悪いのかは判断できない。信頼というよりも面倒を押し付けただだけなのではないかと思える。

「正義感は操りやすいからね」

 そう言ったのはレンズさんだ。怒りが含まれた正義感なんてちょっとつついて望むような道を見せれば、簡単にコントロールできると説明してくれた。

「真鶴はわかっているだろうけど」

 レンズさんはそうも言っていた。

 わかっている。だから僕もそれを利用して箱辺さんをコントロールして自殺を止めてみせた。レンズさんは一度しか自殺に追い込むようなことはしない。

 人を殺した人間は、人が簡単に死ぬことを知っている。

 その意識が一度でも否定される前だけが、レンズさんの時間なのだという。

 自らの命と殺した人間の命、本来は違うもの同士を、同一のものだと錯覚させ、自らが他の命を消したのと同じように、自らの命も消すことができると認識させる。それがレンズさんのやり方だった。

 僕の行為にレンズさんは怒ってはいない。邪魔が入ることは認識した上で、それでも実行してみせようと考えている。レンズさんにしてみれば犯人の命を取り合うゲームなのだ。終わった瞬間はちょっとした文句も言うけれど、すぐにそんなことは忘れてしまう。事件解決後の帰り道で、まるでスポーツの試合でもあったかのように、レンズさんは言った。

「今日は負けたよ、真鶴」

 こんな風に。

 軽薄に。

 楽しそうに。

 レンズさんは言ったのだ。

 僕は、いつものように物理室の机の上に腕と顔を載せて、のっぺりとだらけているレンズさんの方を見た。

「暇だなあ」

 ただの高校生であるその姿はまるで探偵などというようには見えない。いったい彼女のどこに、鋭い刃が隠れているのだろうか。

 ポケットのケータイが震えた。

 僕は電話にでる。相手は氷さんだった。

「もしもし。えっ……。わかりました。伝えておきます」

 手短な要件を聞き終えて、電話を切る。

「彼女、自殺した?」

「なんでそれを……」

「真鶴、顔がひきつってる」

 レンズさんが笑った。なんでこんな風に笑えるのかわからない。

 氷さんからの連絡は、東堂茜が、留置所で自殺したとの話だった。病院に送られたけれど、もう亡くなったという。

「どうして!」

 僕は叫んだ。

「実行犯の彼が正義の人だったように、彼女は努力の人だった」

 レンズさんが顔をあげて言う。

「大変だよね。たくさん勉強して、いい学校にはいって、そこでも遊ばずに会社まで作って働いて」

 僕はなにも言えない。

「一世一代の勝負だったんだよ」

 レンズさんが説明してくれる。

「会社が大きくなってしまえば、もう社長の座に就くなんて無理だからね。会社を意のままにするためにも、社長という地位で成功を手にするためにも、ここで勝負に出るしかなかった」

「そんなことで人を殺すなんて」

「どんなことならいいんだろう?」

 レンズさんが僕を見つめる。

「大きな会社の社長の椅子ならば争ってもいい? 今回はそこへつながる道への分岐点だった。少なくとも彼女にはそう見えた。だから勝負に出て、負けて、もうこのあとの人生に希望が持てなくなったから死んだ。彼女、プライド高そうだったじゃない」

「まだ若いのに……」

「まだ若いかどうかは大事なことじゃない。その若い大切な時間を刑務所という場所で使ってしまうことが問題なんだよ。犯罪者の烙印付きでね」

「わかってたの?」

 僕は尋ねた。

「確率は高いだろうと思った。真鶴は、わかりやすいもうひとりの方への言葉ばかり気になっていたかもしれないけど、彼女への言葉にもあたしは茨の刺を仕込んでいた」

 僕はあの日のことを思い出す。けれどなにがそうなのかわからなかった。それだけ周到で個人に向けられたものだったのかもしれない。

「何かに固執している人間ほど、選んだ道を簡単に進ませることができる。それが人殺しなんてものならなおさらだよ。勢いがついているからね。勢いに逆らわないようにすれば、そのスピードのまま転がっていく」

 正義という言葉を思い浮かべていた。

 僕もそれを操って、ひとりの自殺を止めた。

 レンズさんが犯人を自殺に追い込もうとするのを止める。

 それが僕の正義だとするならば、僕もまた何かに操られているのかもしれない。

 もしかしたら、目の前のレンズさんにでも……。

 僕がレンズさんを見る。

 彼女はくったくのない顔で笑いながら言った。

「今回はドローだったね」

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SD探偵 散矢斂子のフレームワーク 犬子蓮木 @sleeping_husky

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