第5話 目的の前の探偵
「お集まり頂きましてありがとうございます」
レンズさんが誰もいない方向を見ていった。ありがとう、というようなお礼の気持はまるで感じられない。ここは事件のあった会社のオフィス。容疑者の四名と刑事である氷さん、それから第一発見者の伏田さんが集まっていた。なぜかライムちゃんもいる。
「忙しいのですが、子供のお遊びに付き合わなければいけませんか?」
東堂さんが僕ら子供をぐるっと見てから、氷さんに言った。イラついているのがわかる。氷さんはなにか説明をしようとしたけれど、その前にレンズさんが口を挟んだ。
「仕事がお好きなんですね」
「あなたもそうでしょ。頼まれてもいないのに、わざわざこんなことをしてるんだから」
レンズさんは目を大きく見開いて、一瞬だまり、唇に手をあてて考えこんだ。そしてゆっくりと話しだす。
「楽しいかどうかでいえば楽しんではいるんですけどね。望んでいるかどうかと言えば違うような気がします。仕事というのは望む人がいるからするものですしね」
「誰が望んでいるっていうの?」
「解かれるべくして待っている謎……いえ、冗談です。被害者ですよ」
「ふん、それも冗談? それとも死んだ人の声が聴こえるとでも?」
「幽霊とか信じるタイプなんですか? 非科学的ですね」
レンズさんが東堂さんを見下して微笑んだ。
「本当に、すみません。大好きな仕事の邪魔をしてしまって」
「わかっているならはやくして」
「はやくするのは構いませんが、終わっても仕事はできませんよ? いや、それこそわかっているはずですけど」
「は?」
「だって、あなたが犯人じゃないですか」
レンズさんが東堂さんに微笑んで言った。
「あたしの推理が終わったら、あなたは逮捕されて人生おしまいです」
周り中の人間が驚いた表情を見せる。僕もびっくりしたけれど、それよりも神経を集中していた。
「私にはアリバイがありますよね。どうやって社長を殺せたというんですか?」
東堂さんは驚いてはいたが、動揺はしていないようで、冷静に答えた。
「あなたが知っているとおりですよ。あたしが説明しなければいけないのはあなた以外の人たちへです。めんどうですよね。あたしは知っていて、あなたもわかっていて、それだけでは世の中、終わらないんです。これも探偵の仕事ですから仕方ないですけど、なぜそういった無駄なことをしなければいけないんでしょうね」
「いいからはやく説明してください」
氷さんがせかした。犯人を見つけるために用意された場とはいえ、もったいぶるようなレンズさんの態度に我慢ができなかったのだろう。
「はいはい」
レンズさんがだるそうに答える。
「ではテキトーに説明しましょう。まずはやはり密室ですね。この密室はどうやって作られたか。この部屋の鍵はどこにありましたか、真鶴くん?」
まるで先生のように偉そうな口ぶりでレンズさんが言った。
「ひとつは密室、そのさらに鍵が閉められた引き出しの中に入っていました」
「もうひとつは?」
「東堂さんが持っていました」
僕は東堂さんはちらっと見てから言った。
「そう。東堂さんは先ほどアリバイがあると言いました。それはイコール、東堂さんが持っていた鍵もまた、犯行時刻、ここになかったことになります」
それが真実ならば……。僕は頭の中でつぶやいた。
「だけど鍵の存在は誰が確認したのでしょうか」
レンズさんが東堂さんに近づいて攻め立てるようにして言った。
「取引先の商談相手が鍵を確認しましたか? いいえ!」
また一歩近づく。
「駅の監視カメラ写っていましたか? いいえ!」
唇と唇がふれるのではないかというところで、さらにレンズさんが言った。
「東堂さんのアリバイはあったかもしれません。ですが、鍵の存在は誰にも確かめられていない。つまりこれは鍵のアリバイトリックだったのです。鍵の所持者とその鍵自体の存在をイコールだと認識してしまった」
「つまり東堂さんは共犯者ということ?」
氷さんが尋ねる。レンズさんは体を東堂さんから離して答えた。
「そうですね。被害者を直接、殺したわけではありません。それは最低限自身を守るための考えだったのでしょう」
「では誰が犯人なの?」
氷さんが残る三人の容疑者を見て言った。しかしレンズさんはすぐに答えない。
「犯人は東堂さんです。直接殺したかどうかで優劣はつけません」
「誰が被害者を殺したの? その手で」
「それはいずれわかります。まずは密室を普通の部屋に戻すことにしましょう。まあ簡単なことですけどね。東堂さんが持っていたはずの鍵を実行犯に予め渡して起きます。そして実行犯は被害者を殺害し、部屋の鍵をしめる。それからその鍵を東堂さんに返す。どのように返したのかは確定しませんが、たとえば事前に約束した窓から落とすとか、もっと安全に玄関どこかに隠しておくだけでもいいでしょう。あとは帰って来た東堂さんがその鍵を回収し、部屋をあければいいだけです」
聞いてみれば簡単なことだ。想像できなかったかと言えば、なんとなく考えてはいたような気もする。ただそれだけで犯人を決めつけられるものだとは思えない。そうやって思考の隅に追いやられていたような気がする。
「証拠は?」
東堂さんが言った。当然だ。本当にそう実行されたのか証明されなければならない。それにこれだけでは誰がやったのかもわからない。
「密室はなぜ作られたのでしょうか?」
レンズさんがみんなに尋ねた。
「警察をもてあそぶための不可能犯罪? こんな会社でそれをしてどんなメリットがあるでしょう」
レンズさんは問いと解答をひとりで繰り返していく。
「誰かに罪を着せるため? それにしては誰も明らかに疑わしい人間はいない」
この話は、昨日、レンズさんが話していたのと同じものだ。レンズさんにとっては、もう解決してしまった事件であって、つまらない説明でしかないのかもしれない。
「偶発的に発生したもの? 違う。作為的でなければ発生しないような状況だ。誰かが鍵をかけた。その誰かは名乗り出ない」
残るは……。
「自殺に偽装したもの?」
僕は言った。
「そう。それが一番、メリットがある目的だ」
「でも、そんな風にはなってなかったよ」
氷さんが言う。
「だからとても不思議な光景に見えた。一体、なんのためにこの密室が用意されたのかまるで理解できない。子供が無邪気に遊びで作ったかのように見えた。でも、それは違った。この密室は失敗作だった。だからおかしかった」
失敗作とはどういうことだろう。解かれたとは言え、少なくとも密室であるように見えていた。
「ほんとうは自殺に見せかけようとしたんだよ。首吊り自殺にね。それが成功していれば普通だった。なにも騒ぎにすらならずに終わっていたかもしれない」
若いベンチャー経営者の自殺。たしかにありそうだ。
「だけどなにかのミスでそれができなかった。殺すことはできた。だけど想定どおりに自殺を偽装することはできなかった。人を殺したことについての動揺かもしれない。単純な準備不足もあるかもしれない。練習だってできないからね。すべてが想定通りに進むわけではない」
レンズさんが笑った。まるでレンズさんがミスを誘ったかのようにさえ思える。そんなわけはないのだけど。
「そうして偽装できなかった実行犯なわけだけど、そのまま戻るわけにはいかない。それでは自分が疑われてしまうからね。だから続きは予定通りに密室を作った。そうすれば少なくとも不可能犯罪は成立する」
「さっきから全部、君の考えた妄想でしょ」
東堂さんが大きな声で言った。
「私が鍵を預けたことも、自殺を装ったなんてことも、なんにも証拠がないじゃない!」
「みんなそう言うんですよ」
レンズさんが落ち着いた口調で言う。
「妄想と推理の違いはなんだと思う」
僕の方を向いての質問だった。僕はみんな視線が集まる中で考え、答える。
「あっているかどうか?」
「ちがうね。妄想が当たるときだってあるし、推理が外れるときだってある」
「じゃあなに?」
「証拠につながるかどうかだよ、真鶴」
レンズさんが微笑んだ。
「こうでないかと考え、そうである証拠を見つける。その思考の過程を推理と呼ぶ」
「ならはやく証拠を見せないさいよ」
「ふう……」
レンズさんはため息をはいた。
「残念ながらすぐにお見せすることはできません」
「やっぱりないんでしょう」
「でも、それにつながるだろうさらなる推理をお話することはできます」
「話して」
氷さんがせかすように言った。
「自殺だとみせかけるのに必要なものはなんでしょうか」
レンズさんの言葉に、皆、すぐに思いつくものがあったようだ。
「そう。遺書です。被害者が首を釣ったようにみせかけることができたなら、あとは遺書さえあれば本物の自殺であるように見える」
「そんなものはなかったでしょう!」
東堂さんが叫んだ。
「だからすぐにはお見せできないんですよ。ですが、その証拠を完全に消せたわけではないことはもうわかっていますよね」
「どこにあるの?」と氷さん。
「もうどこにもありません。でも形跡だけが存在します」
「もったいぶらないで」
「今回の事件で自殺を装うとしたら遺書はどう用意しますか? 紙に直筆で書く? いいえ。そんなことをしたら筆跡の違いでバレてしまいます。では、パソコンで打ったものを紙にプリントする? いいえ。まだ大学生と若いベンチャー企業の代表が紙にプリントなんてことをするのはどうも普通ではないですし、プリンタにログも残ります。じゃあ、どうする? 答えはそう、携帯電話です。携帯電話は本人しか使えないはずのものですが、殺してしまえば指紋認証も通過できる。あとはそこからメールや電話をすればいい。唯一の問題は自殺を偽装する前にしなければいけないということ。吊るしてからする想定だったなら、それができなかったときは遺書も用意しなければいいだけだった。だけど、それが失敗するという想定がない場合のベストは、吊るす前に遺書を用意することだった。なぜならば、通常、遺書は死ぬ前に用意されるはずのものだから。今回、偽装するにしてもできるだけ死んだ直後が望ましい。それに指紋認証が死後どれだけ有効かのデータもないでしょうしね」
氷さんが部下に指示を出す。被害者のメールと通話の履歴を調べろとのことだ。
「では、その偽物の遺書が誰宛か。それはわかりますよね。東堂さん、副社長であるあなたに届くことが話として筋が通っている。計画ではこうだった。社長から電話があった。様子がおかしい。急いで帰って来たら自殺していた。そうか、あれは遺書だったのか。『疲れたとか後を頼むと言っていた』とそんな風に説明する予定だったわけです」
「そんなものはない!」
「だからそれを消したわけですよ。偽装ができなかった、失敗したとの連絡を共犯者から受けて。どなたから連絡があったのでしょうか。ええ、ケータイは見せてもらわなくて構いません。たぶんもうその中には残っていないでしょう。でも、全部、警察が調べてくれます。ただ教えてもらいたいんですよ。被害者からの連絡や事件の該当時刻に社員からあった連絡を黙っていた、さらにいえば履歴を消していた理由をね」
「あいつが悪いんだ」
箱辺圓さんが叫んだ。周りも驚いているが、箱辺さんの様子があきらかにおかしい。東堂さんの目から力が失われていく。箱辺さんが共犯者だったのか。
「ああ、あなたでしたか」
レンズさんが嘲るように言った。
犯人はもう決まったのだろう。
きっと筋書きもレンズさんが話したとおりだ。
だから、これからがこの舞台の最終章になる。
僕は、そんなフィナーレを壊そうとする迷惑な役者だけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます