第3話 イラつく探偵
「それで藤はどう思うんだ?」
僕のことを下の名前で呼ぶこの青年は、レンズさんがはじめて捕まえた人だ。僕は今、刑務所の面会室にいる。強化プラスチックの透明な壁の向こう側で、罪を感じさせず、動きを見せず、彼は固定された人形のように存在している。
彼の名前は
レンズさんのお兄さんだ。
レンズさんと自身の、両親二人を殺害した犯人である。
彼が起こした事件によって、レンズさんははじめて探偵になった。
僕はレンズさんからのお願いで度々、彼に会いに来る。
目的が何かは不明。
「どうってなにがです?」
何度か会っているのに、この水鏡という人物のことがまったくつかめなかった。レンズさんもよくわからない人間だけど、彼はもっと冷たい。
「どういう姿が見たいのかなって」
「話がわかりません」
僕はつばを飲み込んだ。服や肌が白い。対比するように髪が黒い。壁の向こう側はモノクロの世界なのではないかとさえ思ってしまう。
「あの子にどうしてほしい?」
「事件を解決してほしいです」
「その後は?」
「それで終わりです。犯人が警察に逮捕されておしまいです」
「でもレンズはそれでは止まらない」
水鏡は口元以外を動かさずに会話する。腕を自然に垂らしたままのまっすぐとした姿はあまりに不自然に見える。
「僕が止めます」
「それが絶対に約束できるものでないことはわかっているだろう。レンズの行動は失敗してもそれで終わるだけだが、君が失敗した場合はたとえ殺人犯といえども命が失われることになる。はなから不利なゲームなんだ」
「難易度が違います。その点ではこちらに有利なゲームです」
レンズさんは難しいことに挑もうとしている。こちらはそれを一度だけ防げばいい。復讐ではない。だからレンズさんは一度しか狙わない。一度だけしかできない、というレンズさんの考えもあった。
「探偵に一番必要な能力ってなんだと思う?」
僕はこの前のレンズさんの言葉を思い出して驚いた。そんな僕の様子に彼は気付いたらしい。
「どうかした?」
「いえ……、証拠が揃っているかどうかを判断する力ですか?」
水鏡が固まった様子で、目だけを使ってこちらを捉える。それから少し笑うような口調で言った。
「それを言ったのはレンズだろ?」
気づかれたらしい。
「聞いていましたか?」
「いや、あいつが言いそうだなって。知っての通り、僕は逮捕されてからレンズとは一度も会っていない。だから僕が知っているのは探偵になる前と探偵になった瞬間だけだ」
なった瞬間とは彼を犯人だと指名したときだ。
「あとは君から聞いた話しか知らない。それでもそれまでの考え方から言いそうだなとは思う。逆に言えば、君がそんなことを言わないことも知っている」
この殺人犯が僕の何を知っているというのだ。
たった数度、壁越しに会ったことしかないのに。
僕は、とても苦しい気持ちになった。
手を伸ばしても、
僕は彼には触れることができない。
この透明な壁はなんのために存在しているのだろうか。
彼が僕を殺してしまわないように?
僕が彼を殺してしまわないように?
何を守るためにこの壁はあるの?
なにを阻んでいるの?
僕が彼に触れてこの世界に水鏡が本当に存在しているのかを確かめることはモノリシックな壁とこの普通であふれているどうしようもない国の法律によって許されていないからただ目の前に鏡を置かれた実験動物みたいに僕は僕の内心かと錯覚してしまうような言葉に責め立てられながら鏡の中の白く静止した人形のようにこの拍動する心を強制的に止めるしかない。
でないと共鳴してしまう。
感じてしまう。
「君の考えは?」
水鏡が言った。
「僕は特に考えはありません。論理力とか推理力とかそんな普通な答えだけです」
「普通ね……。答えは大抵、普通なものだよ。綺麗事に見えるなら疑ったほうがいいけれどね。君のは普通ではなくて考えていないだけじゃないかな」
僕は何も言えなかった。考えていないと指摘されれば、否定はできない。
「君はアルバイトをしたことはある? 働いたことという質問だけど」
「ありません……」
「そうかじゃあわからないかもしれないね。仕事の本質はね。その仕事を消滅させることなんだよ」
意味がわからない。それに彼もそんなに働いたことはないはずだ。二年前の二十歳の誕生日に事件を起こして捕まった。彼はそのとき大学生だった。アルバイトならしたことがあるかもしれないけれど、目の前の彼が働く姿は想像できなかった。
「警察官は警察が必要ななくなるぐらいに防犯を進めるのがいいし、消防士も消防士がいらない世の中がくるぐらい防災に努めるのがいい」
「それはそういう特別な仕事だけではないですか?」
「一般的なサービスだってそうだよ。誰かの不便を代わりに行うことで対価を得る。不便が解消されれば仕事はなくなる。別のサービスによって既存のサービスが潰されるのは何が本質かを見ていなかったから類型のサービスによって潰されたに過ぎない。そんなことを考えずに、対価のために仕事を増やす仕事をしている人間も多いけれどね」
「探偵の仕事も探偵の仕事を消滅させることだって言うんですか? 警察みたいに防犯だとか」
「探偵は警察じゃない」
「それは公に認められていないからとか組織でないからなどの違いだけでは」
「海外では公認の資格を持った探偵もいるし、会社組織を持った探偵もいる」
「じゃあ探偵の仕事とはなんですか? 何を消滅させるんですか?」
「それは宿題にしよう」
「自分で考えろ、ということですね」
「そう。それにまた君に会いたいしね。出所の予定があれば、デートにでも誘うのだけど、あいにくそれは叶わない」
「僕は男です!」
「それがどうかしたの?」
相変わらずの抑揚のない声。ロボットでももっと特徴を持って話すと思える。
「君は君の危なさに気付いている」
「なんですかそれ」
また女性扱いの話だろうか。男にでも襲われるとでもいうのか。でも、そういった話ではなかった。
「君はとても危ない人間だよ。普通ではない。レンズは頭がいいけどバカで甘い。だから遠くを見たり俯瞰することは得意なのだけど、近くのものをあまりよく見ようとしないで、ずっとそのままでいられると理想的に考えているところがある。一度の経験でも治らなかったのかな。だから君みたいな危険な存在を身近に置いている。そうしたい気持ちもわかるけど、成長していないとも言える。あの子は僕によくなついていた。藤、君にもよくなついているだろう。だから僕と君は出会った」
「やめてください!」
僕はつい大きな声を出してしまった。
「知っていると思うけど、ただそんな人を好む自分を隠したいだけだと思うけど」
水鏡がわずかに口を動かす。
「レンズは僕より冷たい人間だよ」
「こんにちは」
玄関まで迎えに行った僕の前には、ボーイッシュな中学生の女の子が笑顔で立っていた。制服のスカートの下にはジャージの赤いズボンを履いている。
彼女の名前は
「おじゃましまーす」
「どうぞ。わかってると思うけど部屋は二階。今、コップ持って行きます。まあ、ここ僕のうちじゃないですけど」
「知ってる!」
ライムちゃんは階段を元気よくあがっていく。
ここは僕の住んでいる家ではない。当然、ライムちゃんの家でもない。レンズさんの家だった。両親を亡くし、兄が服役中、そんなレンズさんが過去のそのままの家にひとりで暮らしている家である。
そんな家で、なにか嫌じゃないの? と聞いたこともあるが、レンズさんは特に気にしていないようだった。やっぱり彼女はおかしいと思う。
僕はライムちゃんの分のコップを台所から取って、二階の部屋に向かった。ジュースの入ったペットボトルは既に持って行ってある。僕とレンズさんは学校が休みの時はよくこの家に集まって探偵部での事件について話していた。ある日、そんなときにライムちゃんから電話が会ったので、今、レンズさんの家にいる、と話したら、ライムちゃんもやってくることになった。レンズさんは性格が合わないのかあまり好ましく思っていないようだけど探偵部の非公式部員と言えるかも知れない。
僕が部屋にはいるとライムちゃんが僕のコップを持って、僕の飲みかけのジュースを飲んでいた。
「あたしはダメだって言ったんだよう」
レンズさんが言う。
「ごめん、ふじにい。歩いてきたから喉が渇いちゃって」
ライムちゃんがかわいい口調で言った。
「まあいいよ、別に。新しくいれますから」
持ってきたコップにジュースを注いだ。炭酸の泡がシュワシュワと音をたてる。僕はライムちゃんに事件の概要を最初から説明した。
「その依頼者の人は容疑者じゃないんですね」
新聞部の伏田さんのことだ。
「うん。厳密に外すことはできないけど、動機もつながりもないですし、本当に会社に行って、密室が開けられて死体を見つけた瞬間に立ち会っただけ。駅の防犯カメラにも映っていてアリバイもあります」
「アリバイと言えば、唯一の女性の方にだけあるけど」
「東堂さん。こちらは動機あり。彼女はこの会社で二番目に偉いから必然的にトップになれる。まだまだ小さい会社ですけど、ちまたではそれなりに将来性を期待されているらしいので悪くはない」
「どんな会社なの?」
「人工知能で商品のレビューをするとか。実際にロボットが使うわけではなくて、ネット上にあるいろいろな人の感想を読んでそれを一人の人間が書いたみたいにまとめて表示するみたい。人工知能にもタイプがあって、自分にあった人工知能がおすすめする商品を選んだりできるらしいです」
僕はポケットからケータイを取り出した。指紋認証でロックを外して、この会社のサイトを出してみせる。
「おもしろそうですね!」
「そうです? 僕はなにか変に思ったけど。実際に体験しないで、ふりをするということでしょ? なにか信じられないような」
「ごめん……」
「ああ、別に否定したいわけじゃないです。ただ僕は使わないと思うかなってだけ」
「こんなの作れるなんて頭がいい人ばかりなんでしょうね。私は頭悪いから絶対無理」
「みんな一流の大学生」
「学生、すごい!」
僕はライムちゃんに学生が起業したベンチャーであることを教えた。
「頭がいい人ばかりだと今回の事件も難しそうですね」
「さあ、どうでしょう。探偵はレンズさんだから、いつもみたいにちゃんと推理してくれると思いますけど……レンズさん、ずっと黙ってどうかしたんです?」
「いや、ひとのうちで楽しそうだなーって。ねえ、ふじにい?」
「楽しそうですか?」
ライムちゃんが言った。レンズさんはなぜか怒ったような響きで肯定する。
「うん。ところで楽しくない話に戻してもいいかな」
「いつも楽しいことないかなーって事件のこと待ってるじゃないですか」
「うるさい!」
「すみません……」
「事件の話に戻そう。ライムももうだいたいわかっただろうしね」
レンズさんの言葉の最後が「死ね」に聞こえたのは気のせいだろうか。
「あっ……」
「なに?」
「ちょっと待ってください」
置いていたケータイがバイブレーションしたので、手に取った。
「氷さんから電話」
レンズさんの顔が一瞬曇る。どうしたって今できることはひとつしかないので、僕はとりあえず電話に出た。
「はい。大丈夫です。今、レンズさんのうちです。はい。ええ、構わないと思いますがちょっと聞いてみます」
「あのおばさん、なんだって?」
「聞こえるよ。事件について情報提供するからそっちに行っていいかと」
「情報はうちの事務所のアカウントに送っておいてください、と伝えて」
「捜査資料そんな簡単に送れないでしょ。いいよね」
そもそもいくら捜査に協力していて、過去の成果があったとしても、普通の高校生に情報提供してもらうことだってイレギュラーだ。
レンズさんは否定しなかったので、僕は肯定を伝えることにした。
「大丈夫だそうです。はい。ではお待ちしています。いえ、冗談ですよ……」
僕は電話を切って、ポケットに戻した。
「すぐ来るそうです」
僕はレンズさんを見て言った。するとレンズさんはすぐに言葉を返してきた。
「お掃除ロボットでも逆さ吊りにしておけばいいのかな」
僕は、意味もわからずUFOを想像した。
「それは攻撃的だね」
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