バレンタイン前線接近中

「ねぇ? どう?」

 満面の笑顔で、少女がお皿を差し出してくる。お皿の上に乗っているのはチョコレートケーキ…らしきものだ。『らしき』と判断したのは、彼女が『ザッハトルテを作るわよ!』と豪語し続けていたからだ。

「食べて。食べて。味見して」

「いや、どう見ても焦げたチョコレートだろ。これは」

 少女曰く『ザッハトルテ』は、俺の目には『焦げた塊』にしか見えない。

「いいから味見しなさい!」

 命令形で言われ、俺は柄にハートの飾りが付いた銀色のフォークを取り、口に運ぶ。お皿もハート形…と凝っているだけに、尚のこと痛々しさが増している。

「苦い」

 チョコレートが焦げているのだ。当たり前の感想を俺は述べる。


 典佳は俺の幼馴染だ。ただ、三月生まれと四月生まれの同学年幼馴染というのは、子供の頃に顕著に差が出る。おかげで俺は中学生になっても、未だに典佳の命令形に反射的に従ってしまう。

「典佳、普通にチョコレート買え」

 どう考えても、これがバレンタインまでにザッハトルテに進化することはあり得ない。

「嫌よ! 十四年分の想いをぎゅーっと濃縮するんだもん! 手作りは譲れないわ」

 十四年? ものすごく嫌な予感がする…というか嫌な予感しかしない。故にとぼけることにする。

「典佳にそんな長い間好きな人間がいるなんて知らなかったよ」

「もうすっとぼけて。あんたに決まってるでしょ!」

やめてくれ。今更、幼馴染のデレなんて嬉しくも何ともない。

「いや俺好きな人いるし」

 嘘でもここは逃げ切らなければ。誰と聞かれたら、隣のクラスのいいなって思っていた子を好きな人に昇格すればいい。

「わざわざそんなこと言わなくても解ってるわよー。返事はホワイトディでいいの」

『今まで待ったんだもん。全然平気よ』と、恥ずかしそうに告げる典佳に俺は戦慄する。

 通じてないし、真っ赤に染めた頬を手で覆い隠して、その癖指の隙間からちらちら見てるし。頼むマジ勘弁してくれ。

「バレンタインまでにちゃんと作れるようになるから、毎日味見に来てね」

 毎日? いや、一生この焦げたチョコを食わせられるんだ。だって俺は、典佳に逆らえない。焦げた塊もすでに全部俺の胃の中だ。

「帰る!」

 ここはひとまず撤退して、自宅で作戦を練り直すことにしよう。


 だが。

「ただいま」

 自宅のドアを開けると待っていたように母親が立っていて、そっと俺の手に胃薬を握らせてきた。

 内堀は完全に埋められていることを、俺は悟った。

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QBOOKS1000字バトル(第67回~第77回バトル参加作品) 叶冬姫 @fuyuki_kanou

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