風を、切る

 あの有名な歌みたいだ…と彩花は思った。海沿いの国道のバス停までの長い下り坂を、自転車の後ろで風を切る。もう秋の筈なのに汗ばむ残暑だから、風が気持ち良い。でもここは私の居たい自転車の後ろじゃない。私の居たい後ろにいる彼女も同じ事を考えているのかなと彩花は思った。

「なぁ、海、よっていかねー」

 彩花の好きな人の親友で、彩花の親友が好きな人。だからその背中にしがみつく事は出来ない。自転車の後ろに立って、少年の肩を掴んで近づいてくる夕暮れ間近の海を見つめながら「うん」と彩花は答えた。


 公園の自転車置き場に自転車を停めて浜辺を歩く。ジョギングコースを走る人が心地良さそうな汗をかいている。海も空も、夏に海水浴に来た時の青さとは違うから、やはり夏は終わっているのだ。だけど砂浜の熱さにまだ夏が残っている気がする。

「もう海が秋の色だな。まだ暑いのに」

 同じ事を感じていたらしい少年を彩花は見つめる。親友の好きな少年は彩花に好意を持っている。そして彩花が好きな少年はその親友に好意を寄せている。逆だお前ら! そう叫びたいのは彩花の身勝手な気持ちで、人の気持ちを変えることなど出来ない事は彩花にも判っている。だから四人で友達で…そうやって過ごしてきたのに。

「バカ、どうしてそんな事言うのよ」

 告白なんてされたくなかった。

「ごめん」

「謝るぐらいならするな!」

「お前がアイツしか見てないのは判っているけど…」

 ならするな、と彩花は思う。判っている。でもこの少年は彩花が好きだから、彩花の気持ちに気付いたのだ。その癖自分へ向けられる好意には気がつかない。そんな奴らなんだ。男なんて。

 砂浜は暑い。空は高い。風は夕暮れとともに涼しさを増す。好きな気持ちは諦めきれない。真摯に向けられる好意は嬉しい。親友を裏切る訳にはいかない。


「おい…」

 口唇を離すとびっくりした顔が目の前にあった。彩花自身も驚いているのだから当たり前だろう。でも踵をあげてすっと背を伸ばしたのは彩花なのだから、これは彩花の意思だ。

「答えだと思っていいのか」

 答えられない。諦めきれない。裏切れない。でもこの胸に、この少年の気持ちが届いてくるのだ。沢山の複雑な思いを込めて、再び唇を重ねる。なぜキスなのか、彩花自身も判らないままに。ゆっくり背中に回されてくる少年の腕の中にすっぽりと収まる事に彩花は驚く。こんなに大きかったんだ、と彩花はぼんやり思った。

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