百年の庭

 中学一年から高校を卒業する迄の間、僕は大伯母の屋敷で過ごした。理由は姉が受からなかった私立中学に、僕が合格したからだった。大学受験で再起を図っていた姉にとって、同じ家の中に堂々と校章をつけて通学する僕がいるのは辛いことだったようだ。僕の方からいえば、何の努力もせずに合格したと思われていることも癪で、互いに良い感情を持っていなかった。僕等の様子は、周りから見ればかなり切迫していたようだ。


 そんな理由で僕は六月のある日曜日、大伯母の屋敷の前に立った。僕の家は所謂、地方都市の名家の分家で、大伯母は本家筋にあたる。大伯母と住み込みの家政婦の品子さんが、日当たりの良い部屋と寝室の二部屋を整えてくれた。高台にある屋敷からは、海と閑静な住宅街と、美しい庭が見えた。

 閑静な住宅街すら見下ろす名家というものは、それに見合ったものを求められる。子供なら成績を。そして屋敷には常に美しく整えられた庭を。

 二人は、特に大伯母は、庭の手入れを手伝っていれば他は自由にさせてくれた。ただ、それは余程の理由がない限り、必ず毎日と決まっていた。成績維持が難しくなりそうで、最初は嫌々だった。『これはミケランジェロ』僕にはただの黄色の薔薇の名前を呟き、僕の目には十分に美しく咲いている薔薇を、品子さんが迷いなく切り、踏み潰した時には驚いた。『マメコガネがいたのよ』目尻に笑い皺を寄せ、品子さんが笑った。


 庭の手入れは屋敷での最優先事項だった。『男の子は良いわね。力仕事が頼めるわ』言われたように肥料を運ぶことなどが、僕には当初精一杯だった。薔薇以外なら水遣りをしても良いと言われた頃には、成績維持に全く関係ない事をするのも良いものだと分かりはじめ、一鉢の薔薇を育てなさいと言われた頃には、僕自身が思っていたより追いつめられていたことに気がついた。

 そして二人に尋ねながらやっと一輪の薔薇を咲かせた時、僕は姉のいない時を選んで、姉の机の上に切り取った薔薇を置いてきた。手書きのメッセージを添えて。その夜、姉から一輪挿しに飾られた写真とともに『ありがとう。次はこの花瓶に挿してあげてね』というメールが届いた。


 家族でも、時には互いに手入れをしなければならない。僕が百余年続くあの屋敷で学んだことで、今では他愛のない話である。『弟からのプレゼントは薔薇一輪よ、気障でしょう』という姉の笑い話になるのは、存外悪くないと思っている。

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