第15話:ヒーロー達の必然たる質問

 その後の食事とデザートタイムは、俺が見張りをきかせていたこともあって何も起きなかった。トランプやTVゲームに興じることになった際も『そうした心配事』は発生せずに済んだ。


 あんな異常状態に陥ったのはともかく、

 狗山さんは、美月が遊びに来ているこの状況を、純粋に楽しんでいるみたいだった。

 美月も初めて信頼できる友達(同性)を得たこともあり、幸せそうに、心底から幸せそうに遊んでいた。個人的にはこっちの方が重要だ。


「そーちゃんもありがとうっ!」

 狗山さんとのガチ百合ムードから解放された美月は、そう言ってくれた。

「もって俺はオマケか」

「そのうち、そーちゃんに伝えなきゃいけないことがあるよ」

 彼女は敢然としてそう付け加えた。

 その意図は判らなかった。お別れの言葉だったら悲しすぎるが、決意ある瞳からはそんな雰囲気は微塵も感じられなかったからおそらく違うのだろう。


 もしかして告白とか?

 いやあ、ないない。


 美月の決意はともかく、彼女に狗山さんみたいな良い友人(変態ではあるが)ができるだなんて夢みたいな話だ。


 中学時代では考えられないことであった。

 そう中学時代、美月と俺にとって不可解としか呼びようのない時代。

 暗黒の時代と言っても差し支えない。

 先行きの見えない無明の荒野を延々と歩き続けるような生活であった。

 無感動で無関心で、自己防衛と欺瞞ばかりで満ちていく日々であった。

 あんまり楽しい思い出はない。

 そうした頃からは信じられない躍進であった。



 本当に嘘みたいだ。

 嘘みたいな奇跡だった。

 奇跡は起きます起こしてみせます、だった。


 俺の眼前にケープを着た女の子が登場して、

「奇跡は起きないから、奇跡っていうんですよ」

 ってドヤ顔で言ってきても余裕で追い返せるくらいの奇跡だった。


 普通に友達がいて、

 普通に笑いあって、

 普通に食事をして、

 普通に遊びにいく、

 そうした普通こそ美月が享受できずにいた幸せなのだ。


(取り戻して行かないとな……)


 美月は入学式の前に、「楽しい青春ライフ」とやらを送りたいと言っていた。

 良いことだ、素晴らしいことだ。

 これまでの俺の努力が報われるってもんだ。


 今ならば美月の願いも不可能ではないだろう。成就することだろう。


 美月が壁を張ることなく、演技をすることなく、安心して友達と付き合っているという世界が今ここにはある。



 その事実は、俺に信じられないくらいの充足感を与えていた。



 …………要は、美月を見てて「よかったなぁ」と思うわけだ。


 そんな訳もあって、ぶっちゃけ、俺は帰宅してもいいんじゃないかと思えてきた。

 美月の不安は解消されただろうし、俺の役目は済んだはずだ。

 あらゆる意味で……用済みだ。お役御免だった。

 狗山さんのヘタレ具合なら余程のことがないかぎり、問題は起きないことだろう。

 今日のところは無視していてもよいはずだ。


「だが俺は、今もこの場所にとどまっている」


 帰らずにいた。

 とどまり続けていた。

 この場所に、どうしてだろう? 女子寮にお泊りするという、後世まで語り継がせることができそうなチャンスを、みすみす逃す手はないと思っているのだろうか。

 または、美月や狗山さんと一夜を共にする中で、何か美少女ゲームの主人公のような、ラッキースケベに遭遇できるだろうと淡い期待を抱いてでもいるのだろうか。

 そのなのだろうか。

 わからない、いや本当は全部わかっていて、目を逸らしているのだろうか。

 何から? 知るかよ、そんなのは。


「夜風にでも当たろうかなあ……」


 時間は21時をまわったところであった。

 俺たちは女子寮に備え付けられた浴場の代わりに、外の銭湯にまできていた。

 理由は単純、女子寮には女湯しか存在していないからだ。


「そんな気をつかわせてまで、俺がここにいる理由は……」


 わからない、いやだからそうやって。

 ――っと、危ない。

 堂々巡りはやめよう、考えるだけ無駄である。


 何だかさっきからずっとネガティブになっている。

 昔のことまで思い出しちゃって感傷的になりすぎた。

 散文的でうまく思考がまとまっていない。


 ともかく俺たちは男湯と女湯に分かれて風呂場に入っていった。

 期待していたわけではないが、ラッキースケベなんてあるはずもなく、俺は普通に風呂を浴びてあがってしまった。いい湯だな~とか鼻歌しながら普通に浴びてしまった。

 べつに銭湯は露天風呂ではなかったし、上から覗けるスペースもなかったし、そもそもヒーロー学園の生徒達がナチュラルに浸かっていたため不可能だった。


「ほ、本当に期待なんてしてなかったんだからな……」

 俺は悔し涙を浮かべながら、そう一人で呟いた。

 今は入口近くの待合室で、TV中継でも見ながら二人を待っていた。

 こうして何もせずに「ぼけ~」っとしていると、何だか手持ちぶたさになってしまう。

 ぶっちゃけ、暇だ。 

 だからこそ、さっきの余計なネガティブ思念が混じり込んできたのだろう。


「――おお、新島くん。おまたせしたな」

 そう考えてる隙に狗山さんが一人で登場する、片手にはコーヒー牛乳を持っている。

 いいね、粋だね。


 俺は彼女の登場に少しだけ安堵していた。

 こうして一人でボンヤリと考えていると、俺がどうにかなってしまいそうであった。


「いや、問題ないよ。それより美月は?」

「美月さんはサウナで、いかに自分を鍛え上げられるか試しているそうだ。何やら脂肪の燃焼がどうとか言っていたが」

「ああ、痩せたいんだろ。来週末には体力測定があるし」

 どうせ食い過ぎとかでまた体重を増やしたんだろう。

 銭湯に行くとよくある話だ。

 サウナでシェイプアップ効果を狙うとか、ボクサーかよ。


「そうか、美月さんは今のままでも十分に可愛いと思うのだがな。まんまる可愛いというか……」

「それ美月に言ったらマジ涙目になるからやめときな」

 またはガチヘコみしそうだ。

「身体を崩すのは良くないから、一緒にあがることを推奨したんだが、風呂場から断固として離れず、言うことを聞いてくれなかったよ」

 そう言って苦笑いする。

 ……ああ、美月のヤツ、本気で狗山さんのことを信頼しはじめたな。

 俺は余計に自分の存在が薄くなったような気がした。


「それなら、ガツンと言っても大丈夫なはずだよ。狗山さんを本気で気に入りはじめた証拠だよ」

「そうなのか?」

「あいつは基本的に内弁慶だから、信頼のおける人にしかワガママは言わないはずだし」

 傍から見れば、すげぇダメ人間だ。よく狗山さんに好かれることができたなアイツ。

 だとしても、ちょっと調子に乗り過ぎである。

 これは後でお説教だな。


「そうか……ついに美月さんが、私にデレはじめたか……ふっふっふ、もっと甘えてきて欲しい。抱きついてきて欲しい」

 右手をギュッと握りながら、怪しげに笑う。

 どうやら俺の心配は無用だったようだ。



「ところで、風呂場で妙なことをしなかっただろうな?」

 俺は心配だったので一応尋ねておくことにする。

「何だ、聞きたいのか」

「…………したのか?」

「いやぁ、新島くんには感謝しているよ」

「――したのかっ!? したんだなっ!?」

 うわ、めっちゃいい笑顔。目からビームとか発射できそう。何で俺この娘のことをヘタレだから大丈夫とか数瞬前まで思ってたんだろう。


「安心したまえ、一緒に体を洗いっこしただけなのだ」

「洗いっこか……なら、大丈夫なのか……?」

 俺の中で『大丈夫』の既成概念が崩壊しつつある気がする。


「私と美月さんの洗いっこのお話を聞きたいか?」

「いや、聞きたいっていうか……」

「女湯での、私と美月さんのアワアワ洗いっこのお話を聞きたいか?」

「…………むしろ話してくれるのか」

「うむ、新島くんは同士だからな、どうしてもと言うなら話してやらんこともないぞ」

 う~わ~腹立つ言い方。


「女湯での、私と美月さんが生まれたての状態におけるアワアワ洗いっこのお話を聞きたいか?」

「何で段々と修飾語が増えてんだよ」

 恥ずかしいわ、周りが聞いていないとはいえ公共の場でそんなことを言うな。


「より鮮明に例えたほうが、新島同士にもイメージが湧きやすいかなと思って」

「要らない気遣いだ」

 どんなサービス精神だよ。

 この娘って倫理観というか貞操感というかそういうものが抜け落ちてる気がする。


「正直に申し上げると、美月さんに誘われて背中を洗っただけなのだがな」

「結局、話すんかい」

 話して自慢したかっただけだろ、狗山さん。

「しかも、美月からかよ」

「うむ、私からそんなことは言えまい。美月さんの裸を見ただけでノボセてしまいそうだったというのに」

 純情か。

 狗山さんも内弁慶気質なところがあるよな、ベクトルは完全に男子中学生みたいな方向に寄っているけど。


「そういえば、美月って身体洗うのとか好きだったような……幼稚園とか小学校低学年とかかなり昔の話だからよく覚えてないけどな」

 あの頃は本当の意味で子供だったからな。性差を意識したことすらなかったと思う。

「ロリ美月さんとお風呂かうらやましい」

「ロリっていうな。美月って掃除苦手だし物ぐさだけど、基本的に汚れを拭いたりする行為は好きなんだよ。教室の雑巾がけとかで満足感を得られるタイプ」

 クイックルワイパーとか大好きだからなあいつ。



「ほぉ……しかし、新島同士は美月さんのことを、何でも知ってるな」

 狗山さんが感心したように言ってきた。

「そうか? 付き合いが長いだけで、俺も知らないことたくさんあるけどな」

 これでもガキの頃からの仲だからな。

 多分、幼稚園にあがる前から一緒に公園で遊んでいたはずだ。

 記憶が朧気な頃から、隣には美月がいた。

 俺の人生のほとんどと言ってもよい。

 それでも知らないことはあるし、俺も奴の知らないことをいっぱい持ってるはずだ。

 例えばえーっと……中3くらいから胸でかくなってきたよな、と思ってることとか。


「なるほどな、やはり同士ということになるのだな……?」

「同士? さっきから言ってるがなんだそれ」

 面倒なので突っ込まないでいたけれど流石に気になってきた。

「それは当然、美月さん好き好き同盟の、同好の士ということなのだ」

「はぁ?」

 自分でもビックリするくらい呆れた言葉が飛び出た。

「美月さん好き好き大好き超愛してる同盟の方が、文学的響きがあるかな……?」

「どっちも変わらねぇよ」

 俺は突っぱねるような口調でそう言った。

 何だ馬鹿馬鹿しい。


 すると、狗山さんは目を丸くして驚いてきた。

 「ええ~?」みたいな反応の仕方だ。

 子供の見た目をした高校生探偵がいたら、「あれれ~変だな~」とか言いながら突っ込んできそうな表情であった。


「…………新島くんよ、以前に私も似たような質問をされたので、君にお返しする形で問いたいのだが」


「何だよ」


 俺の返答に対して気にする風でもなく、

 さらりと呼吸をするように自然に狗山さんはこう尋ねてきた。



「――新島くんは、美月さんのことを、好きなんじゃないのか?」



 唐突な質問に、息を呑む。


 胸を打つ鼓動と悠久の記憶。

 絶望と希望と美しい光の少女。

 その瞬間、凍結していた感情が再起動を始めた。

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