第16話:ヒーロー達の追想体験

 追想を望むのならば、浮かんでくるのは二つの記憶だ。


 瓦礫の中で暴れている怪獣と光の戦士。

 夕陽の中で悲しそうに笑っている少女。


 どちらも時間軸にはそれほど差異はない。

 二つとも、俺が小学六年生の時の話だからだ。


 当時、俺は怪獣に襲われたことがあった。

 この話は以前にもしたことがあっただろう。俺は死にかけたところをヒーローによって助けられた。

 美しい光だった。この世のものとは思えなかった。

 俺の記憶は朧気であったが、その光だけはいつまでも心の中に刻まれていた。


 そして、その後の話というものが此処にはある。

 後日談、というやつだ。


 ヒーローによって救われた俺は、避難所において長い間寝かされることとなった。

 長い眠りだった、と聞く。

 放心状態が延々と続き、まるで植物人間のようだったとのことだ。

 二日、三日じゃ済まなかった。一週間近く俺の意識は戻らないままだったらしい。


 伝聞調であるのは、俺がその時のことを何も覚えていないからだ。

 朝に布団から目覚める感覚で起きてみれば、美月が涙目になって抱きついてくるという驚きなシチュエーションが待ち受けていた訳だ。

 俺にとっての一週間は、一日分の睡眠とそう変わらなかった。


 だが、周りの人間からしてみれば、その時間は永遠にも等しいものだったらしい。

 目覚めるかどうかも判らない状況が延々と続いた。

 半ば諦めに近い気持ちを抱いていたと聞く。



 看病をしてくれていたのは、美月だった。

 毎日、毎日、懸命に、離れることなく俺のそばに居てくれたらしい。

 一週間、片時も離れることなく俺の世話をしてくれた。

 どこから鬼気迫るところまであったと聞く。

 何が彼女をそこまで突き動かしたのかは知らない。

 彼女の看病は、俺の目が覚めてからも続いたし、最初は俺も何も考えずにその優しさを享受していた。


 しかし、親から彼女の話を聞かされた時、俺の中に『幼馴染の女の子』という概念を超えた、美月への特別な感情が生まれつつあった。



 それは言語化しにくい心の躍動だった。

 美月のことを思うと心が熱くなり、美月の顔を見ると顔が赤くなった。

 認識の飛躍であった。パラダイムシフトであった。



 まあ、

 まあまあまあまあ。

 簡単に言うならばだ。



 俺はその時、生まれて初めて――恋に落ちるという感覚を味わったのだ。



「――そうして俺は小学六年生の時に、美月に告白をして、振られましたとさ。おしまい」

「最後の展開早っ!?」


 俺のお話にケチをつけるように、狗山さんは大きく飛び上がったリアクションをした。


「とにかくそういう訳で、俺と美月の関係は『素敵な親友』というカタチで、今の今まで連綿と続いているんだよ」

「ふうむ……成る程な。新島くんが告白して、そして美月さんがそれを振ったと」


 狗山さんが納得のいかない表情を浮かべて苦々しく頷いてきた。

 ちなみ俺たちは、銭湯に備え付けられたマッサージ機に座っていた。

 あ、あ、あ、あー、とか言いながら、気持ち良さそうに身体を揺らしている。


「全自動マッサージ機という単語を聞くと、どれだけ卑猥なものが待ち受けているんだと焦ったが……これは素晴らしいな。家に持って帰りたいくらいだ」

「卑猥じゃないし、持って帰ったら捕まるからな」


 本音を語るならば、まずは楽な姿勢から。

 心も身体もリフレッシュした状態での、ゆるゆるマジトークだった。


「しかし、どうも理解できないな。話を聞いているかぎり、明らかに好感度MAXの状態で告白したようなものだろう? どうして美月さんは新島くんを振ってしまったんだ」


「さあな、俺もその理由は知らないよ。知ってたら今みたいな感じじゃないさ」


「伝説の樹の下じゃなかったからか?」


「いや関係ないし、俺の学校にきらめき高校みたいな告白すると恋人同士が永遠に幸せになれる伝説をもった大樹はなかったし」


「丁寧な突っ込みをどうもありがとう」

 狗山さんが感心していた。



 避難所生活から復帰して数ヶ月後、学校にも普通に通うようになってから、俺は美月を呼び出して告白した。

 時刻は夕方、場所は当時よく遊んでいた公園であった。


「正直なところ、俺も付き合えるもんだと思ってたよ。自分でいうのも何だけど、美月は俺に対して、多かれ少なかれ『親しみに近い感情』を抱いていたはずなんだ。それだけは自信を持っていえる」


 だから、美月に謝られた時は本当に衝撃的だった。

 悲しむよりも驚くよりも、信じられないといった気持ちが先んじて、俺は言葉を失った。

 夕陽の中で、悲しそうな顔をして少女は呟いた。



 ――ゴメンネ、そーちゃん。私はその気持ちに応えることができない……。



「それ以来、一時的に俺と美月の仲は疎遠になった。小学校を卒業して、中学校に入学した時はクラスも別々になってしまったから、話す機会も失ってしまった」


 当時は幼馴染との関わりなんてこんなものかと思ってしまった。

 大切だったオモチャやゲームが色褪せていき、自然と記憶から忘却されて、別のことを始めてしまう時のように、人間関係もいつかは消えて無くなってしまうものなのかと思ってしまった。



「ふうむ、だが再会を果たしたのだろう」

「ああ、中学二年の時にな。美月瑞樹はその時、完全にクラスから孤立していた」


「…………孤立?」


「正直、この話はしたくないんだが……簡単に言うと、美月は誰とも話すことなく、まるで空気のようになっていた」


 その時のことを思い出そうとはしない。

 するつもりもない。

 思い出したくないからだ。ただ、小学校までは引っ込み思案な割によく笑っていた美月が、凍りついた氷の彫像のように無表情でクラスの隅に鎮座していたことだけは、どうしても記憶から浮かんできてしまう。


「……いじめか?」

 狗山さんは隠し立てすることもなく、率直にそう尋ねてきた。

 目つきがちょっとだけ鋭くなる。


 おーおー、重たい雰囲気だ。

 だから、あんまりこの話はしたくねーんだ。

 俺は彼女の言葉に対してかぶりを振る。


「いや、そういうのではなかったんだと思う。他の人が美月に危害を加えてくるようなことはなかった。多少、不審がったり気持ち悪がったりする人間はいたけれど、それ自体、美月が周りに対して興味を持っていないというのが原因だった」


「それは、イジメの被害者も加害者の一人だなんていう、唾棄すべき詭弁ではなく?」


「違う違う、美月そのものが完璧に壁を作っていた。エヴァ初期のシンジくんも真っ青の隔絶っぷりだよ。新手の厨二病なんじゃないかって疑うくらいだった」

 実際、中学二年生だったしな。


 だが、クラスから隔絶されるというのは想像以上に精神を削られるものだ。

 それが自発的に起こしたものであるとしてもだ。

 学校とは集団行動を学ぶ空間なのである。

 ソロプレイで生き延びるには荷が重すぎる。


 実際に美月は苦しんでいた。

 鉄面皮のような表情からは一切判らなかったが、俺はある機会にそのことを知った。

 孤独は辛い。孤独とは心を蝕む癌細胞のようなものだ。

 悲鳴や慟哭というものは、言葉に出さなくとも、その心の内側にじわりじわりと確固として存在していたのだ。



 彼女を救出する必要がある。



 そう決意するまでに時間はかからなかった。

 腹をくくれ新島宗太、これからお前はヒーローになる第一歩を踏み出すんだ。



 俺は美月を救うための行動を起こした。


 以後の話は単純にて複雑だ。


 同じクラスになった好機を活かし、俺はゆっくりと着実に確実に、美月との関わりを増やしていった。一緒に登校して、一緒に給食を食って、一緒に下校した。

 対話を心がけ、優しさと厳しさを武器に戦っていった。

 あの手この手で必死に心を開かせていった。


 同時に俺の居場所がなくなってしまっては、美月の居場所を作ってやることもできなかったので、周りとの関係も欠かさず保っていった。


 空気を読み、周囲に合わせ、他人を観察し、自己を省みて、バランスを常に心がけた。


 俺は日和見主義になり、中立理論を武装し、玉虫色愛好家と化した。

 人間関係のスペシャリストを心がけた。


 結果として周囲から嫌われることもあった。

 過ぎたるは及ばざるが如し、人間関係を意識しているやつほど、人間関係のサークルからは除外されていくものだと俺は学んだ。


 俺がヘタクソだったってのもあるが、何だかんだいって頭の中でそろばんを弾いている奴っていうのは雰囲気でわかっちゃうものなのだ。


 打算的だと思われて、相手にされないこともあった。

 美月との関係を馬鹿にされ、苦渋を飲むこともあった。


 ただ、そうした問題は根本にあるポジティブ思考と熱いハートで乗り切ってやった。


 人間関係を追求してるだけの奴には終わりがないが、

 俺には美月を『ひとりぼっち』の世界から解き放つという野望があった。


 だから、戦えた。生き残ることもできた。

 こうした人生経験は、間違いなく今の俺の血肉となっている。

 人格形成の一部を担っている。もしかしたら変身姿にも影響してるかも。


「そいで、どうにか中学3年に進級するまでには、今の状態に修復することができた。俺の野望は無事に果たされて役目もこれで終わった。美月は一人でも前向きにやっていける。

 俺も安心して地元を離れられる……と思ったら、なんだが後をついてきてしまった。まったく困った話だよ、ははは」


 俺は笑ってそう締めくくる。

 マッサージ機に座ったまま笑っているせいか、声が歪んで面白い感じになってしまう。


 俺は狗山さんの方をチラリと見ると、

 彼女は真剣な面持ちで俺の話に聞き入っていた。

 そんなにも真面目に聞かれたんじゃ俺としても何だか居心地が悪い。


 そう思っていると、彼女が口を開いた。


「……新島くん、いったい君は、君はその野望のためにどれほどの犠牲を自分に強いてきたんだ?」


「――犠牲? 俺は犠牲だなんて考えたことはないよ。狗山さんらしくもない。……仮に犠牲だとしても、ヒーローっていうのは自己犠牲の象徴みたいなものだろう?」


 狗山さんの喋り方があまりにも真に迫ったものだったので、あえて、逆に、むしろ、

 俺は挑戦的な口調でそう笑ってやった。


 笑って、やった。


 それが、熱を帯びて真っ赤に染まった両頬を誤魔化すためだというのは……秘密だ。


「そうか……そうなのかもしれない。だが、私はどうしても尋ねておきたい、そんな君を、美月さんを救うために戦い切った君を、突き動かしてきたものは何だったんだ? 君のその原動力は一体何だったんだ?」


 しかし、狗山さんは敏かった。

 俺の道化芝居なんて通用しなかった。

 怪獣ベヒモスの弱点を暴いた時のような明哲な視点で、俺の心の中をズバリと見破ってきた。


 こちとら恥ずいから、こんな口調で誤魔化してるんだよ。

 どうせならそこまで察してくれよ。


 何だかむず痒い気持ちになる。

 自分の心の内側を暴かれたような。恥ずかしい気持ちが渦巻く。


 ――だから俺は、精一杯強がって格好つけて、人差し指を軽く立てて不敵に笑う。


「フッ、俺を突き動かすもの? そんなものは決まってるだろ」


「決まってる?」



「――――愛だよ。俺の世界は一片の揺らぎもなく、美月への愛で溢れてるんだよ」



 心臓を強く強く鳴らしながら俺はそう断言する。

 美しい言葉で自分を着飾り、全力全開で自分の本音を生で晒すことを避ける。

 ああ、ヘタレだな俺も。

 かっこいい言葉を吐きながら、俺の全身はそうした苦悩と悶絶でグルグルグルグルと駆け巡っていた。


「……そうか」


「だから、狗山さんの質問には『Yes』と答えておくよ。今の俺にそんな台詞を吐く資格があるのか知らないけどな」


「資格ならあるさ、君の世界は愛であふれているんだろう?」


 狗山さんが真摯な眼差しでそう言ってくれた。

 ありがたいことだ。こんな俺の言葉を馬鹿にするでもなく、真摯に受け止めてくれている。


「……まったく、君は偉大な人間だな」

「えっ」

 俺は狗山さんの唐突な言葉に面食らってしまう。

 しかし彼女は構うことなく言葉を続ける。


「君は凄まじい人間だよ、新島くん。おそらく私なんかよりもよっぽど優れた人間だ。ヒーローに相応しい人間というのは君みたいな者のことを言うのかもな」

「お、おいおい、何だよ急に――」


「――だからこそ、戦うに値する」


「えっ……」

 焦って狗山さんの方を向くと、彼女の瞳が湿っているのが見えた。

 え、涙……?

 俺と視線があったのに気づくと、恥ずかしそうに彼女は手で両目を拭う。


「……ははっ、失礼した。良い話を聞かせてくれてありがとう。これ以上聞くと湯あたりしてしまいそうだ」

「湯あたり、って……」

 それに戦うって、一体……?

「心の湯あたりだよ。私はこれでも涙もろいんだ。――そしていまの話を聞いて、私は決心したよ新島くん」


 狗山さんがガタリと立ち上がる。クルッと方向を変えて俺を見る。

 それだけで世界の様子がピタリと変わる。

 マッサージ機も空気を読んだように動きを止めて、周囲の喧騒も一瞬で静寂へと変貌して、俺の集中は全て狗山さんに注がれる。


 彼女は英国貴族のような敬々しい雰囲気で一礼し、俺の方へ右手を差し向ける。


「……新島くん、私は君が美月さんを好きなのだろうとずっと確信していた。強く確信していた。だからこそ、私は平然と君に自分の性癖のことを話したし、自分の欲望を素直にさらけ出した」


「そう、か、そうだろうな」


 そうでなければ、それほど親しくない俺にあれ程ぶっちゃけないはずだ。

 彼女は最初から俺が美月を好きだと見越していたんだ。

 その上で、月見酒先生の認定も突破した俺を信用したんだろう。


 ――だからこそ、戦うに値する。


 戦友だ、と彼女は言った。

 同士だ、と彼女は言った。

 彼女は常にフェアな位置に立とうとしてくれたのだ。

 馬鹿正直にも、抜け駆けすることを自ら封じたのだ。

 何においてだ? ――美月をかけて恋の戦いにおいてだ。

 誰に対してだ? ――美月を好きであるだろう俺に対してだ。


「今日、君をお泊り会に誘ったのは他でもない。私は君にこう宣言したかったのだ」


「宣言?」


 俺は彼女が何を言うのか何となくだが想像できた。

 想定の範囲内と呼ぶにはあまりにも荒唐無稽だが、それでも可能性として浮上してなかった訳ではない。


「私は美月さんが好きだ。途方もなく好きだ。君も美月さんが好きだろう。果てしなく好きだろう。ならば、新島くん。私はここに宣言しよう」


 すぅっと息を吸い、気力を込めて彼女はこう言葉をつなげる。

 決定的な言葉を告げる。



「――――私は、美月瑞樹嬢へ告白する権利をかけて、君に決闘を申し込む」



 その視線は鉄すらも一刀両断にできそうな鋭く美しいものであり、

 俺と彼女の戦いが避けようのないものであることを如実に物語っていた。

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