迷い

 最上階は純白だった。廊下も小部屋もなくフロア全体が一つの部屋になっていた。床も天井も、くすみ一つない白。そして照明が燦々と部屋を明るく照らしている。四方の壁は全面ガラス張り。窓から夜景が見える。外は、もう夜になっていた。天井には四ヶ所に豪華なシャンデリアがぶら下がっている。フロアのあちこちに何本もある直径一メートルの白い円柱は、インド神話をモチーフにした精緻なレリーフが彫られている。象頭人身のガネーシャ、薄布をまとい踊る女神アプサラス、四本腕のヴィシュヌ、第三の眼を持つシヴァ、それらが高級感と共に神秘性を演出している。それ以外には高さ一メートルの本棚やキャビネット、所々に丸テーブルと椅子。それらインテリアは純白と黄金色で、空間に上品な雰囲気を生み出している。西側の奥に一ヶ所だけ、やはり純白の事務用デスクと椅子があった。そこに座っている少女がこのフロア唯一の人間、凪良さんだ。凪良さんが俺を見た。

「もしかして、藤林くん?」

 凪良さんが誰何すいかの声を投げかけてきた。

〈バレていますね〉

〈だな。むしろ水南枝が鈍くて助かったよ〉

 俺は右手の93Rを天井に向け、三つある防犯カメラを撃った後、かつらと眼鏡を外す。

「やっぱり藤林くんなんだ」

 その声は冷たい。歓迎ではない、拒絶の声音こわね。シャッターが降りる音が背後から聞こえたので振り向く。階段の入り口がゆっくりと閉まっていく。

〈逃げられません!〉

〈問題ない。進めばいい〉

 実は一瞬迷った。けど、覚悟を決める。

「あたしの護衛は全員追い払った。今、この階にはあたしと藤林くんしかいないわ」

 戦闘を予感させる、硬く、やや緊張した声。

「十秒だけ選択する時間をあげる。退却したいなら、シャッターを開ける。十、九、八、……」

「ここまで来て、それはない」

 凪良さんはカウントダウンをやめた。だけどなお、話し掛けてくる。

「知ってる? 『痛み』ってね、感覚だけじゃないんだよ。『痛み』が体を壊すのよ。人間の体で痛みと免疫機能は未だ医学上の謎らしいの。確かにどちらも必要、だけど機能が強すぎる、ダメージを生むくらい。例えば病原体の多くは毒性が弱く、病原体ごとの固有の症状が出ない。だけど免疫機能が働いた結果、咳、くしゃみ、鼻水、発熱が起こる。それを『風邪』というの。風邪の症状って免疫反応なのよ。風邪の特効薬を発明したらノーベル賞を受賞できると言われるのは、風邪は病原体固有の症状が出ない、つまり病原体が特定できないからだけど、『風邪薬』って結局、病原体からじゃなくて、行き過ぎた免疫機能から体を守っているの。

 そして『痛み』も。痛みで一瞬動けない、あるいは動きが鈍ることが災害など緊急時の生存率を下げるのは分かると思うけど、それだけじゃない。怪我だけじゃなく、病気の苦しみも実は痛みなんだけど、病気そのものだけじゃなく、痛みも体を蝕んでいく。

 人間の腕や脚を引き千切ったらどうなると思う? 出血多量でやがて死ぬ、というのは間違い。多くの場合は引き千切られた時点でショック死する。痛みで、人は死ぬのよ」

 凪良さんはデスクから立ち上がった。両手には既にエアガンを構えている。右手にSIG SAUER P320、そして左手にCz75。体育の授業で学校に現れた時と同じだ。あれから俺は、凪良さんのエアガンについて調べた。オリジナルの実銃リアルガンは以前から知っているけど、エアガンはオリジナルとは弾薬カート以外でも性能スペックが違い、それはエアガンのメーカーやシリーズでも変わる。凪良さんのP320とCz75はどちらも同じ性能だった。共に動作は電動式、弾薬アモは二五発、小さなBB弾だから弾薬数キャパシティが多い。そして実銃と同様、弾倉交換マグチェンジ弾薬装塡リロードできる。

「あたしの銃は、あなたを殺せる」

 お返しだ。俺も宣戦布告をしておこう。

「珍しいことに、お互い二挺拳銃デュアルウィールドだな。そんな渋い銃のチョイスをした凪良さんのことだ、この銃が何か分かるだろう?」

 両手の93Rを見えるように手前に突き出す。

「ベレッタね。92FSではないみたいだけど92ファミリー? いや違う、グリップの下に拡張弾倉ロングマガジンが延びている……まさか93R⁉ よく機関拳銃マシンピストルなんて入手できたわね」

 凪良さんは俺の銃に軽く驚きを示した。先進国でずば抜けて銃規制が緩いアメリカでも、三点バーストで射撃できる機関拳銃は民間人は購入できない。しかも規制では同じ短機関銃サブマシンガンが大量生産で軍や法執行機関ロー・エンフォースメントに販売するのに対して、93Rはオーダーメイドだ。マフィアでも持っている奴はまずいないだろう。

「さっき天井を撃った時に分かっただろうけど、これはエアガンじゃない、実銃だ。俺は凪良さんのような『願命』は唱えていないし、唱えるつもりもないから」

「なるほど。藤林くんって一体何者なのか疑問だけど、そういう問題は後回しね。今、重要なのは、これからあたしたちがどうなるか。つまり、」

 凪良さんの言おうとしていることが分かり、言葉を引き継ぐ。

「俺たちの闘いは、命懸けになる!」

 凪良さんはデスクを離れた。俺たちは銃を構える。凪良さんは両方の拳銃ハンドガンをこちらに向ける。俺は右手の93Rだけを彼女に向けた。二人の間に緊張が高まる。

 彼女が動く気配がした。

「シーラバレット!」

 彼女が叫び、動いた瞬間、俺は撃つ。だが、

 凪良さんがいない⁉ その場から水蒸気が霧散した。霧に変わった? 慌てて左側にダッシュ、隠れる場所を探して近くの柱に移動、その陰に隠れた。銃撃戦ガンファイトだから敵を見失えばたとえ状況が分からなくても、とにかく動き、隠れる。でないと狙撃される。俺は柱に隠れながら周囲を見渡す。凪良さんは元の位置から右に一〇メートル先にいた。おそらく一瞬で移動したのだろう。そして宙に浮いた脚を床に降ろす。驚いている俺に凪良さんが射撃、柱の陰から覗いていた俺は急いで隠れた。何なんだ、あの能力は?

〈グアリム、今のは『願命』か?〉

〈いえ、おそらく『巨角突進アリムガル』と同じく『固有能力アイジェンパワー』だと思われます。しかし〉

〈しかし?〉

〈速度や移動など、時間や空間に関することを得意とするのは『リル』属性。一方で『ドレイド』は『皇帝アンプルール』と同じ『キル』属性です。『キル』属性が得意とするのは頑強さやパワーなのです〉

〈移動は能力の副産物じゃないか? 能力の本質は別にある。『弾丸バレット』と言ったけど自身の体を弾丸として体当たりするとか?〉

〈なるほど。だとしたら、お気を付けください。能力の発動中はダメージ無効などの効果が発生している可能性があります〉

〈ぶつかったら俺の方が吹っ飛ばされる?〉

〈おそらく。如何いかに『皇帝アンプルール』の方が上位の存在とは言え、能力発動中は押し負けるかも知れません〉

〈じゃあ、こちらも『巨角突進アリムガル』で対抗したら?〉

〈『皇帝アンプルール』が負けることはありません!〉

 俺は柱から再び顔を出す。

「シーラバレット!」

 水煙をまき散らして凪良さんはまた一瞬で移動。一〇メートルも瞬時に移動されると、探すのに結構手間取る。厄介だな。『痛み』といい、能力が銃撃戦と相性が良すぎる。

 いや逆だ。銃撃戦が『痛み』や『シーラバレット』と相性が良すぎるんだ。これらの能力特性に合わせてエアガンという武器や戦い方を選択したんだ。しかも本来は体当たりだと予想される『シーラバレット』を応用し、戦闘方法に合わせて移動手段にしている。

 凪良さんの『願命』は『痛み』。だったら結局はただの銃撃戦、訓練をしてきた俺の方が上だ。『致命傷を与えるエアガン』は実銃と較べてメリットとデメリットがある。メリットは弾薬数が多く、二五発もあることだ。実銃は、五〜六発しか撃てないリボルバーや四五口径(一一.五ミリ)のガバメントの八発は論外としても、一般的な『九ミリパラベラム』という弾薬を使っている拳銃の場合は一二〜一七発しかない。だけど、それに対して機関拳銃である93Rなら、もう少し多く二〇発もある。五発程度の差なら実力差で埋められる自信があった。

 だから勝てると思っていた。ところが驚いたことに凪良さんは訓練を積んだ俺と互角だ。迅速さと命中精度はきっと俺の方が上のはず、そして長年訓練をしている分、上手く立ち回っていると思っていた。ところが、経験値で劣るはずの凪良さんも中々負けていない。

 それに『シーラバレット』の効果も大きいな。これの特性を上手く活かし長所を十二分に発揮して、俺との実力差を見事に埋めている。銃撃戦で『シーラバレット』のハンデはかなり大きい。これは完全に想定外だ。

「シーラバレット!」

 凪良さんがまた移動。まったく手も足も出ない。俺は急いで移動し丸テーブルの下に隠れる。

〈凪良さんも悪魔憑ルディンメとして身体強化されていると思うけど、やたら速くないか?〉

〈低位の悪魔憑ルディンメは『早熟型』で、『晩成型』である高位の悪魔憑ルディンメに較べて初期の身体能力の上昇率が高くなります。茅汎様は元の身体能力より二割ほど速度が速くなっていますが『ドレイド』は元の二倍ほどは速くなっているようです〉

〈マジかよ?〉

「シーラバレット!」

 蒸気を残し、凪良さんが消える。俺は素早く右、そしてすぐに左を見た。左だ。こちらにCz75を向けた凪良さんに対して、丸テーブルから素早くテーブルクロスを剥ぎ取り、それで防御する。エアガンのデメリット。『痛み』が込められたBB弾は人間を苦しめるけど、物理的な破壊力はない。現に夜の公園で撃たれた時、肉体はもちろん服にも穴一つ開いていなかった。904号室のようなジュラルミン板は別として、普通はドアもテーブルも楯にならない実弾とは大きく違う。

 ダメージがなかった。使える! 93Rを持ったままの右手でテーブルクロスも掴み、凪良さんに近付く。撃つ瞬間に充分に注意すれば防御できる。

「シーラバレット!」

 素早く凪良さんを探す。遮蔽物がほとんどない空間に移動していた。俺には『楯』がある。攻撃を恐れず近付く。次の『シーラバレット』の前に撃つつもりだ。向こうが早速撃ってきた。俺はすぐに右手のテーブルクロスを大きく拡げる。所詮はBB弾、簡単に防御が、

『メッセージ』発生。

「ぐああ!」

 俺の『抵抗ガバシュ』と凪良さんの『願命』の通知が、俺の脳内に『メッセージ』として発生。防御できない⁉ 布を伝って右手に『痛み』。テーブルクロスと共に持っていた93Rを取り落とす。しまった、遮蔽物がない。テーブルクロスを投げ捨て、しゃがみ込んで急いで93Rを回収、そこで凪良さんが撃ってきた。凪良さんの拳銃は実銃と同様、連射フルオート機能はないので速射(ラピッドファイヤー。一発ずつ続けて素早く撃つこと)だが、両手の銃で同時に撃つため、ちょっとした低速の連射のような威力だ。だけど辛うじてかわせた。

 立ち上がってダッシュ! また撃ってきたので、そこからヘッドスライディングでキャビネットの後ろへ。中腰のまま柱に移動、その裏に隠れる。右手は?……大丈夫、まだ動く。

 はったりブラフだ! 丸テーブルの近くで防御した時、おそらく凪良さんは『願命』を使わずに撃った。テーブルクロスで防御できると俺に信じ込ませ、まんまと誘い出された。

 しまった、これは予想すべきだった。夜の公園でも肌に直接じゃなくて服の上からだったし。おそらく、触れているものを通して『痛み』は伝わるんだ。だけど床を通して脚には来ない。脚は例外? 床と布の素材の違い? 『痛み』は壁も伝わる? 駄目だ、試す気にはならない。

〈グアリム、凪良さんの『願命』による『痛み』はテーブルクロス越しでも伝わったけど、どういうルールになっている?〉

〈分かりません〉

〈このルール、誰が決めている? 相手の悪魔ディンメか? それとも凪良さん?〉

〈誰も決めません。自動的に決定されます〉

 デメリットだと思ったものは、実はメリットだった。迂闊うかつに大きなものに触れれば、伝わるダメージから逃れにくい。柱の陰から凪良さんの方を覗き込む。

「シーラバレット!」

 凪良さんが消える。どこだ? 素早く右を確認、そしてすぐに左。どちらにもいない。どこだ? どういうことだ?

 まさか! とにかく真横にダッシュ、しゃがみ込んで椅子を楯にする。そして後ろへ振り返る。凪良さんがいた。俺のいた場所を撃った直後か。移動し、振り向いた俺に気付き、逃げる。俺も柱の後ろに隠れた。何が起きたか理解した。彼女はこれまで『シーラバレット』によって、俺から充分な距離を置いたまま右や左に移動していた。今度は俺のすぐ横を通過し、そのまま真後ろまで移動したんだ。遮蔽物の後ろに隠れたつもりの俺。しかし、その後ろに回り込まれて丸見え。しかも背中を向けている。やばかった。

 そうだ! 俺はある作戦を思い付いた。

「シーラバレット!」

 凪良さんが動いた瞬間、俺はテーブルクロスを柱の外に、真横に放り出した。テーブルクロスが大きく膨らんだ。凪良さんがテーブルクロスにぶつかったんだ。本当は俺の横を真後ろまで通過するつもりだったんだろう。しかしどういう原理か、テーブルクロスごと後ろまで移動せず、俺がテーブルクロスを放り投げた位置で停止した。これで身動き取れない。ん? 凪良さんがテーブルクロスを頭から被ったまま、俺に体当たり!

「うわあ!」

 俺は後ろに倒れ、その上に凪良さんが乗ってきた。

『メッセージ』発生。

「ぐがああ!」

 凪良さんの『願命』、俺の『抵抗ガバシュ』、二人の能力発動で、それぞれの体から一気に水蒸気が噴き出し、俺たちは濃霧に包まれる。周囲が見えない中、俺は凪良さんを突き飛ばし、倒れた状態から立ち上がろうとする。かすむ視界に、凪良さんが俺の足元に飛び付いてきたのが見えた。立ち上がるのが間に合わず、這って逃げようとするが右脚を掴まれた。

 霧が薄れてきた。仰向けに倒れている俺は上半身を起こして右脚を見る。俺の足元に倒れている凪良さんの後頭部と背中。凪良さんに被せたテーブルクロスはほとんどめくれている。右手で俺の脚をつかみ、左手のCz75で俺の脚を撃とうとしている。俺は右手でその腕を掴み、銃を逸らす。凪良さんが抵抗するので銃ごと腕を床に押し付け、動かないようにする。

『メッセージ』発動。

「うぐっ!」

 凪良さんの左手は床に押し付けられたままテーブルクロスを撃った。俺の体でテーブルクロスに触れている部分(ほぼ両脚全体)にダメージ。再び霧が発生。俺は凪良さんの左手でなく、脚を掴んでいる右手を強引に引き剥がすことに何とか成功、テーブルクロスから脱出。痛む右脚を引き摺りつつ、ふらつきながらも、とにかく全力で逃げる。

『メッセージ』

「うぐぐっ!」

 逃げる背中を撃たれた。一瞬、意識が飛びかけた! 走っている途中で衝撃を受けて俺は転ぶ。立ち上がる時間ももどかしく、何とか柱の後ろに転がり込む。

「はあ、はあ」

 柱を背に座り込む。心臓の鼓動が激しく滅茶苦茶な状態。まともに息ができない。やばい。一気に三発も撃たれて苦しい。今、追い込まれたら? いや、それでも逃げないと駄目だ。柱にもたれたまま立ち上がる。ただそれだけの動作でも辛い。

「シーラバレット!」

「わああ!」

 目の前に現れた凪良さんに、俺は大慌てで逃げた。もう無理だと思っても、人間、死ぬ気で頑張れば意外と体が動くんだ、なんて場違いなことが頭に浮かぶ。

「シーラバレット!」

「うっ」

 完全に翻弄されている。反撃なんて、とてもできる余裕がない。これじゃ駄目だ、冷静になれ。そして考えるんだ、打開策を。だけど思い付かない。

「シーラバレット!」

 凪良さんが正面に現れた。

「シーラバレット!」

 消えた! 水蒸気だけが残った。どこだ? 右を見て、左を見る。いない。ということは、

「シーラバレット!」

 俺が後ろを向くのと、後ろから聞こえたのは同時だった。後ろには水蒸気しかない。連続使用か。どこだ? 再び右を、左を見る。とにかくしゃがみ込んで本棚の影へ。駄目だ、弾丸は本棚くらい貫通する。近くの丸テーブルの下へ。いや、よく考えたらBB弾だから本棚は貫通しないのだった。とても冷静になれる余裕がない。とにかく凪良さんを探す。

 凪良さんは後ろの後ろ、つまり正面、蒸気が消えようとする元の位置に戻っていた。俺はそこを撃つ。やっと反撃できた。凪良さんは『シーラバレット』を使用しないで隠れる。その隙に俺は近くの柱までダッシュ、その後ろに隠れた。

「シーラバレット!」

 すぐに凪良さんが柱の裏側まで追い付く。

「シーラバレット!」

 俺の正面から消える。

「シーラバレット!」

 俺の右側から聞こえた。どこだ? 見回す。分からない。とにかくその場を離れ、丸テーブルの下へ。そして再度、凪良さんを探す。左側にいた。つまり正面から右へ、そして俺の横をすり抜けて反対の左へ。『銃撃戦では遮蔽物に隠れる』という、当たり前のことが通用しない。『シーラバレット』は銃撃戦の常識パラダイムを覆している。丸テーブルの下に隠れたまま、凪良さんを撃とうとしたが、彼女は近くの柱まで逃げていった。俺も丸テーブルから、凪良さんから離れた方向の柱へ走る。

「シーラバレット!」

 すぐに俺の正面に現れた。

「シーラバレット!」

 一瞬で蒸気だけになる。どこだ?

「うわあ!」

 俺の真後ろにいた! 俺は柱のそばに立っていたが、俺と柱の間に割り込んだんだ。柱へは逃げられない。俺との距離は五〇センチもない。

 逃げる? いや間に合わない! 逃げることより撃つ方を選択。

「シーラバレット!」

 俺が撃つ前に凪良さんは逃げた。凪良さんは多彩なパターンで移動している。『シーラバレット』で自分が取れる戦術について、おそらく凪良さんは事前に充分に研究している。消えた凪良さんを追うより、俺も逃げる方を選択。柱に隠れる。

「シーラバレット!」

 しかし、目の前に現れる。俺は急いで柱から飛び出した。丸テーブルの横をすり抜けようと走る。椅子が邪魔だ。椅子の上を跳び越える。しかし椅子に引っ掛かり、椅子ごと派手にぶっ倒れた。あまりにも無様だ。本来ならこんなミスはしないのに体力が限界で、もう体がいうことを聞かない。起き上がろうとした俺の前に凪良さんが立ちはだかった。両手の銃が俺を向いている。凪良さんは肩で息をしていた。『シーラバレット』の連続使用のせいだろう。それでも、俺の消耗とは較べるべくもないが。

 動けない。

 いや、残り少ない体力を振り絞れば、辛うじて動けなくもない。だけど逃げられない。この状態と体力じゃ、どう逃げようとも逃げ切れない。絶体絶命だ。

「どうして、ここに来たの?」

 銃を向けたままで凪良さんが俺に問う。

「君を、止めるためだ」

「あたしのことなんか、放っておいて欲しいのに」

 俺は何も答えない。答えられない。やめさせて、それからどうなる? それでは、凪良さんは救われない。ここに来て、この期に及んでなお、俺の中にはまだ迷いがあった。俺は答えられないまま、凪良さんに93Rを向けた。それが問いからの逃避だと知りながら。


 凪良さんは素早く逃げた。俺も立ち上がるとダッシュ、近くの柱へ行く。

「どうせ話し合うことはできない。だからあたしたちは、闘いで決着を着けるしかないのね」

「残念ながら、そうだろうな」

「なら、闘いましょう。そして勝敗を決めましょう」

 俺が柱から顔を出すと、ちょうど凪良さんも向こうの柱から顔を出していた。お互い撃つと同時に顔を引っ込める。俺は柱の陰から出て、走った。

「シーラバレット!」

 凪良さんも動く。銃撃戦が再開された。


 俺たちは撃ち、走り、物陰に隠れ、そしてまた撃った。俺はしばらく、敢えて行動のペースを落とす。それで少し体力が回復してきた。まだ闘える。

 銃撃戦の中、どさくさに紛れて俺は銃口マズルを天井に向けてシャンデリアを吊り下げているケーブルを撃った。突然、落ちてきたらそちらに気を取られて隙ができるかも、と思ったんだ。だけど弾丸はケーブルをかすっただけ。ケーブルを覆う合成樹脂が破れ、中の芯線がはみ出してちぎれる。シャンデリアはチカチカと点滅した後に消灯、しかし落ちなかった。元々細いケーブル、掠っただけでも運がいい。俺はシャンデリアを落とすのは諦めた。何度も撃ってはサプライズにならない。

「シーラバレット!」

 また凪良さんが水煙と入れ替わりに消える。凪良さんは多彩な移動パターンを披露していたが、特に一瞬で俺の正面から真後ろに移動することを頻繁に行っていた。正面から消えると俺は素早く右と左を確認する。だけど真後ろだけは体ごと振り返らないといけないから、一瞬で見ることができない。この弱点を突かれた形だ。

〈グアリムが偵察することは可能か?〉

〈できません。わたくしの意志に関係なく、悪魔ディンメ悪魔憑ルディンメの戦闘に協力や妨害など干渉することは物理的に不可能になっています。わたくしが何かを見ても、伝えることができないのです〉

 駄目だ。このままでは埒があかない。俺は右手の93Rを腰のホルスターに収め、機関拳銃を持つのは左手だけにした。そして柱の右側に立つ。左手の93Rを凪良さんに向ける。

「シーラバレット!」

 俺が撃つ前に凪良さんが動く。凪良さんの声と水蒸気が発生した瞬間、俺は八〇センチほど右に移動、両腕を顔の前で交差して衝撃に備えた。俺が凪良さんの方を向くたびに後ろへ、そしてたまに右や左へ移動する。さっきは後ろ・後ろ・右、と『シーラバレット』で移動したばかり、次は後ろへ行く。凪良さんがこれまで『シーラバレット』で俺の傍を通過した時、俺との間にいつも八〇センチくらい空いていた。俺の左には柱があるから、通過するとしたら、右側の、この位置! 俺の体が、自ら生み出した水蒸気に包まれた。

「きゃっ!」

抵抗ガバシュ、ダメージを八二%軽減】

 およそ人間の衝突とは思えないほどの衝撃が襲い掛かった。凪良さんが、激しい戦闘にそぐわない女の子らしい悲鳴を短く放つ。水蒸気の中、衝突した俺と凪良さんは体を寄せ合うように向き合っている。どうやら自分以外が出した蒸気は透かして見えないらしく、視界が遮られた状況で俺は凪良さんの左手首を手探りで探し当て、右手で掴む。右手で俺を撃とうとしたのがかすかに見えた。それで左手の93Rを捨てて右手首も掴んだ。お互い、両手が封じられた状態だ。凪良さんは掴まれた左手からCz75を捨てて俺の右腕を横に、斜め下に押す。手の甲に木の手応え。俺の右手は横にあったテーブルの上に押さえ付けられたらしい。

 視界が晴れてきた。テーブルに押さえ付けた俺の右手に全体重をかけると凪良さんの体は真横に浮き上がり、俺の左側頭部に回し蹴り。俺は凪良さんを押さえていた左手を離して防御。見るからに素人の蹴りだ。確かに悪魔憑ルディンメとしての身体強化で速度と威力が上がっているが、

「ぐああ!」

 俺の脳裏に『メッセージ』。腕が湯気に包まれた。しまった、蹴りに『願命』の効果が載せられた! 同時に俺の右手にも『願命』発動。解放された右手のP320で撃ったんだ。俺が防御で手を離した隙に、凪良さんは蹴りと射撃を同時に行ったのだった。

 俺の右手を撃ったことで凪良さんの左手も解放される。P320で今度は俺の胸に照準ポイント。これは死ぬ! 俺は素早く膝を曲げて体を斜めに傾け、同時に沈み込ませて射線を避けて吹っ飛ぶような姿勢で真横に跳んだ。床で一回転して素早く片膝立ち、右腰のホルスターから93Rを抜く。撃とうとしたが右手が激痛で使えず、93Rを左手に持ち替えた。落としたCz75を拾おうとする凪良さんを撃つが、凪良さんは素早く退却、反撃。俺も柱の陰に隠れた。

 やられた。凪良さんの蹴りは明らかに素人のものだった。しかし彼女は自分の蹴りの実力を分かっていて、俺が防御できる蹴りを敢えて放つ。下手な蹴りを囮にしたんだ。だけど素人はあんな体勢で蹴りなんてできない。格闘技を中途半端に身に付けたのか? とにかくそれで俺から右手を解放させ、更に右手のP320で俺の右手を撃って左手も離させた。

 こんな攻防を事前に想定するのは不可能、咄嗟とっさの判断に違いない。だけどカルロス・シノハラぐらい戦闘経験豊富なら別だけど、凪良さんはこういう戦闘の経験は皆無のはずだ。凪良さんは天性の戦闘センスを持っている。

 俺と凪良さんは距離を取り、互いに牽制している。お互いに銃を一つ失った。何故か、夜の公園で撃たれた時よりも『願命』の効力は落ちていた。左腕の痛みはまだ辛うじて耐えられる。でも右手は指の感覚が麻痺して、銃を撃てそうにない。

〈茅汎様、銃を拾わないと!〉

〈93Rを回収することは諦める。拾いに行くのは危険だし、右手では撃てそうにないからな。逆に凪良さんがCz75を拾おうとするなら、それを狙うつもりだ〉

「シーラバレット!」

 凪良さんの声と同時に俺もダッシュ、凪良さんがいた水蒸気の方向に向かった。一瞬で前方に二メートル進んだ後、振り返り、移動した凪良さんを探す。凪良さんは左手にいた。凪良さんはすぐに俺のいた位置にP320を向ける。が、俺がいないことに気付き、探す。その隙に俺が撃つ。凪良さんは撃つより逃げることを優先し、素早く動く。迅速で的確な判断だ。俺たちは共に別々の柱に隠れた。

 あの『衝突』はもう通用しないだろう。ただ凪良さんの『シーラバレット』の間は俺の移動を目で追えないことが今の実験で分かった。『シーラバレット』の間に凪良さんのいた位置に少しでも近付く。そして振り返れば、俺の視界のどこかにいるはずだ。

 でもこの作戦も次から通用しないだろう。今度からは『シーラバレット』の瞬間に、俺はランダムに動くことにする。

「シーラバレット!」

 凪良さんがさっきの丸テーブルの近くに。落としたCz75を拾うか? Cz75の位置に照準するが、凪良さんは素早くそこを通過した。いや、それは!

 俺の射撃は放棄した93Rを吹き飛ばした。間一髪、それに触れかけた凪良さんは直後に『シーラバレット』で逃げる。危なかった。Cz75は俺には使えないけど93Rは凪良さんにも使える。残ったCz75は俺が拾ったところでただのエアガンだ。

「シーラバレット!」

 隠れていた俺の正面に凪良さんが現れた。俺たちは互いに銃を向ける。そして撃つより先に、互いに隠れた。

「あたしは、藤林くんが何をしたいのか分からない。あたしをどうしたいの?」

 凪良さんが俺に問う。

「……」

「答えられないんでしょ? そんな中途半端な動機なら、やめればいいのに」

 俺と凪良さんが移動し、撃ち合う。水蒸気と火薬の煙が舞い、薄れては消える。

「クラスメートが悪いことをしていたら、止めたい」

 騙されている被害者のため、というのもある。だけど、それだけは言えない。「凪良さんが犠牲になろうと被害者のためにやめて欲しい」というのは正論だ。完全に正しい。ただ、被害者がどうでもいいと言うつもりはないけど、俺は誰のためよりも、凪良さんのためにやめさせたいんだ。だから説得に他人をダシに使いたくない。

 だけど、その後、どうする? ヤクザと借金の問題を解決しないなら、ただの俺のエゴ、自己満足だ。

 だからこうして行動した以上、俺は最後まで責任を取らないと。

「大体、ただのクラスメートなのに、どうして?」

「俺は凪良さんを知っている。『ただの』じゃない」

「何も知らないくせに!」

 凪良さんが俺を撃つ。俺はテーブルの下に隠れ、急いで柱の向こう側に移動した。


 俺たちはそれからも、また撃ち合った。膠着状態が続き、俺たちは何度も撃ち、隠れ、移動し、そして撃つ。攻防を続けているうちに、凪良さんの射撃頻度が落ちていることに気付いた。凪良さんが最初に全弾装填フルロードしていたとして、行動が変化したのは残弾数七発くらいからだ。もしかして凪良さんは自分の残弾数を把握しているのか? 軍人なら基本だけど実戦もサバゲも未経験なのに? でも凪良さんの戦闘センスならあり得る。今の残弾数は多くても四発くらいか。

 凪良さんが一発撃ち、柱の裏側に移動。そこから『シーラバレット』で移動せず、出てこない。俺は走って柱の裏に回り込む。凪良さんは弾倉交換マグチェンジしようとしていた。俺が93Rを向けると弾倉交換を間に合わないと判断して中断し、少し逃げてから『シーラバレット』で遠くに移動。やっぱり残弾数を把握していたんだ。しかも全弾撃ち尽くしてから弾倉交換する『クイックリロード』じゃなく、残弾があるうちに弾倉交換する『タクティカルリロード』だ。サバゲ未経験者なのに訓練したのか? 俺はダッシュで凪良さんの移動先に向かう。そこでも凪良さんは再び弾倉交換を試みていた。俺が撃ち、凪良さんが逃げる。俺はまた追い掛ける。凪良さんが柱に隠れて弾倉交換するのを妨害。凪良さんは何度も試み、俺は何度も妨害する。

 凪良さんはまた柱の陰に隠れた。これで何度目だろう。俺はすぐに回り込んで撃つ。凪良さんはその直前に逃げる。凪良さんが撃てないことが分かっているから、俺は反撃を恐れずに追い掛けることができる。彼女は何度もしつこく弾倉交換しようと試みていた。こちらも撃っているうちに残弾が心細くなってきている。だけど銃を向けるだけだと、するりと上手く隠れてしまうから、多少は射撃して牽制しないわけにはいかない。向こうは撃てず、こちらだけ一方的に撃っている。なのにまったく優位だという気がしないのは何故だ? 何かが奇妙だ。

 こっちの残弾数もとうとう三発になった。そろそろ弾倉交換か。よりによって残弾数の多い方の93Rを捨ててしまったけど、今それを悔いても仕方がない。俺は柱から柱へと移動し、相手との距離を取ってから柱に隠れた。

「シーラバレット!」

 水蒸気を残して超高速で俺の正面に現れた凪良さん。俺はすぐに柱の後ろに回り込む。

「シーラバレット!」

 すぐに凪良さんが更に回り込んで追い付く。

「しまった!」

 ここで気付いた。俺が撃てないのを分かっているから、反撃を恐れずに追い掛けてくる。立場が逆転していた。凪良さんを撃ちながら、追い掛けて感じていた奇妙な感じの正体。俺が撃たずにいられない状況を作っていたんだ。俺の残弾数を減らすために。

 凪良さんは自分の残弾数を把握していた。そして俺は凪良さんの残弾数を把握していた。もちろん俺自分の分も把握している。

 逆はどうか?

 凪良さんは自分の残弾数の他に、俺の残弾数も把握している? 凪良さんの実力なら、できていてもおかしくない。その結果がこれだ。今までの俺は相手の反撃を恐れず、一方的に追い掛けていた。今は逆転、俺が追われている。

 いや、逆転じゃない、立場が同じ、互角だ。お互いに撃てない状況だ。


 俺と凪良さんは五メートルの距離で、互いに銃を相手の体に向け合っている。俺は残り三発。凪良さんもおそらく残りは三発以下。

〈茅汎様、撃たないのですか?〉

〈撃てない。お互いにな〉

 弾切れでは身を護れない。残り一発でも弾切れを避けて撃てない。二発でも危険。だから最低でも残り三発。これは万一のために残し、使えない、お互いにだ。

 うっ⁉

 いきなり『メッセージ』! 腹に衝撃、蒸気が発生。使ったのか⁉

「うがあああ〜‼」

 これまでとは桁違いの特大のダメージ! 今までのは手加減していたのか?


 結局、俺には最後まで迷いがあった。やめさせても、凪良さんの問題は解決しない。だからと言って、このままも駄目だ。

 じゃあ、どうすれば、凪良さんを救える?

 ……

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