命
地下一階から再度エレベータ前に来てボタンを押す。エレベータの表示を見ると今は地上一階、そして二階、三階と上がって行く。すぐに次の階のランプが点いた場合、その階では通過し扉が開かなかったことを意味する。今のところ凪良さんはエレベータの中で護衛も合わせて三人のままでいるはずだ。エレベータは順調に四階、五階と上がり続ける。
あれっ?
ランプが五階で停まっている。ここで扉が開いているのは間違いないだろう。人が増えたのか? 凪良さんが降りたのか? とりあえずそのまま待った。
「えっ?」
エレベータは五階から下がり始めた。五階で降りたのか? この階まで降りてくるのを待ちながら、廊下を見張る。
不意に人の気配がした。俺は真上にジャンプ、両脚と左手で天井に張り付いた。両足は廊下の一方の壁の上端を押さえ、左手は特殊警棒(市販ではない)を伸ばして反対側の壁の上端を押さえている。廊下の奥からパンチパーマのヤクザが一人やってきた。歩くだけで人々が道を空けそうな凶悪な面構えだ。エレベータの五メートル手前で、男は驚いて見上げる。
「な、なにぃ?」
バレた! 男が拳銃を取り出す。だがその
「うっ、ぐぐぐ、離せ、このガキ!」
「俺を撃とうとしたな。殺す気か?」
「へっへ、怖いか? ヤクザを舐めるとウグッ、やめろ!」
「言え! どういう指示を受けている?」
「誰が喋るか! ギャッ、イデデ、や、やめろ、やめろっ!」
男は頭から凄い量の汗を流して、更に苦しみだした。俺は腹をつねっているだけだ。ただし比喩じゃなく、肉が千切れるくらいに。早くしないと人が来る。
「ぐががあ、分かった! 話す! 話すから!」
予想通り。下っ端で度胸もない。ちょっと締め上げればこれだ。ここで嘘を
「信者たちが辞めるとか騒いでやがる。
まあ、結局はこうなると思っていた。
殺し合いか。俺に覚悟はあるか?
「なるほどな。楽にしてやるよ」
首を締め上げると、あっさり落ちた。
気絶している男を引き摺り、エレベータ前に転がしておく。しばらく待って、エレベータがこの階についた。俺は扉の右側でしゃがみ、両手の93Rを、中の人間が出てきた時の顔の辺りに向ける。
扉が開いた。無人だ。廊下で見られていないことを再度確認し、エレベータに飛び乗る。すぐに『閉』を押して一〇階のボタンを、いや、とりあえず五階か? って、あれっ⁉
〈茅汎様、五階までしかボタンがありません!〉
だから五階で降りたのか。じゃあ最上階へはどうやって行くんだ? これは完全に想定外だった。暗号のように定められた順番でボタンを押したりすれば、表示のないフロアに行けるのか? 実はスパイ映画などでなく、現実にそういう仕掛けは存在する。もっともスパイ映画のような格好いい理由じゃなくて、サービスマンがビルやマンションの機械室に入るための仕掛けだけど。
とりあえず、五階には行ってみよう。五階のボタンを押すと天井に飛び付き、天井の板を外してエレベータの
♦ ♦ ♦
エレベータはすぐに停まった。まだ地上一階だ。俺はしゃがみ込んで右手の
「誰もいないぞ」
「あれっ、おかしいな」
言葉を交わしながら入ってきたのは三人の男。三人はそれぞれ角刈り、剃髪、パンチパーマ。二人は普通の体格だけど、剃髪の男だけはかなりの大男だった。大男は押し黙ったままで、残りの二人が会話している。しかし結局、三人ともエレベータを降りた。俺がいないんだから当然か。扉が閉まる。
と思ったら、エレベータが動き出す前に再び扉が開いた。さっきの三人が入ってきた。
「ほら、見ろよ!」
角刈りの男がエレベータ内のボタンを
「本当だ。『五階』が点いているぜ」
バレたか? 今のうちに撃つべきか?
「しまった!」
角刈りが叫んだ。
「罠だよ。エレベータは囮だ。エレベータを五階まで動かせておいて、奴は途中で降りたんだ」
「くそっ、ガキのくせに知恵が回りやがって。それじゃ地下一階か」
「そうだ。お前たちは二人で地下一階を虱潰しに探せ! 俺は念のため、地下二階に行く」
「このエレベータは?」
初めて大男がしゃべった。二人よりもひときわ低い声だ。角刈りが答える。
「問題ない。どうせこのまま上に行くんだ、奴には使えない。ただし降りてきたら気を付けろ」
ヤクザたちが再び降りて扉が閉まる。そして今度はエレベータも動き始めた。
はあ、緊張した。
エレベータの
おそらく連中は地下一階のエレベータ前で倒れている仲間を発見するだろう。『少年が地下一階で降りて男を倒して逃げた』そう推理して地下一階を片っ端から捜索するはずだ。俺はこのまま上に行くから都合がいい。
エレベータの
勘違いしていた。『エレベータで六階より上に行く方法が分からない』じゃなく『エレベータは五階で行き止まり』が正解だ。
扉が開いた。
「『あたしの護衛はいいから侵入者を探せ』だとよ」
ぶつくさ言いながら太った男が入ってきた。と言ってもただ太っているだけじゃなく、かなり鍛えた体だと分かる。会話しているから一人じゃないはず。
「まあ、そこは辛抱しろよ」
答えながら細い男が入ってきた。顔が見えなくても、口調だけでガラの悪さが分かる。真上から頭だけ見ても分からないけど、この二人、地下ホールで凪良さんを護衛していた二人か?
「たかが小娘が俺に指図すんじゃねえよ! ニセの神様が」
「おい、兄貴の前では言うなよ!」
細い男が太い方を咎める。
「なあ、あの『
太い方が話題を変えた。受付の入信案内で書いた俺の名前だ。
「住所を調べたら、区役所になっていたそうだ」
「ふざけやがって!」
「落ち着けよ」
細い男がなだめつつ、エレベータ内のボタンを押す。二人だけか。扉が閉まった。
「待てよ、このエレベータ、上に行くぞ」
太った男はそう言った途端、頭から血を流して倒れる。俺が全力で脳天に『黒豆』をぶつけたからだ。後遺症が残るとか死亡する可能性もあるけど、もう手加減できる余裕はない。
「お、おい?」
残った男が慌てて周囲を見回すがエレベータ内は窓のない狭い密室、当然ながら何もない。男の意識が天井に向かう前に『黒豆』で倒す。左手だけ93Rを持って、俺はエレベータの
!
ほとんど無意識の行動、気付けば俺は身をかがめていた。銃声と共にエレベータの壁に銃弾がめり込む。動かなければ俺の頭に
「ぐうあっ!」
俺が避けたのと同時にエレベータが開いた。避けたにも
脊髄反射だったんだろう、男は扉の外に現れた味方を
とうとう人を殺してしまった。
予想していたよりもショックがないのは、俺の理解力や想像力が乏しいということか?
いわゆる『命懸けの闘い』って、殺される危険に立ち向かう勇気だけじゃなくて相手の命を奪う決意、場合によっては自分の家族や友人の命が失われる覚悟も必要だ。だからこそ報復を恐れての変装だし、ヤクザはそれをやる人種だ。
くそっ、血迷ってもそれを格好良いとか男らしいなんて絶対に思えない。第一、家族や友達の命に、覚悟なんてできねえよ。むしろできるのはろくでなしの連中、己の価値観の中で、自分と他人の命が軽い連中だけだ。
俺はエレベータを降りた。
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