神とアクマ
「それで、ぼくは友達が全然いなくて」
「当然だわ。
俺は『
奈津子さんによれば、俺は『選ばれた人間』だ(入信者全員に言っていると思う)。『女神レティシア様』(凪良さん)は人間の肉体を得て太古のアトランティス帝国に降臨し、女王として一〇万年間統治した。しかし宇宙から悪魔が来訪してアトランティスと戦争になる。そして人類は戦いに敗れ、アトランティス大陸は海に沈んだ。それが一万二千年前。俺は前世ではアトランティスの貴族で戦士だったが、戦いの無念のために現代日本に転生したそうだ。
……って、マンガかよ? いや漫画家に怒られるな。マンガやラノベもこんなに安易なストーリーじゃないぞ。
こんなの信じる奴がいるのか? って思うけど、統計によると四〇人に一人は詐欺などの虚言を盲信するらしい。詐欺師もカルト宗教も、簡単に信じてしまうこの『四〇人に一人』をターゲットにしている。というより、こういう人たちの多くは現実逃避などで信じたがっているので、否定されるとむしろ怒り出すそうだ。
「一郎くんの前世が下級貴族の一般兵士だったのか、それとも侯爵で将軍かは分からないわ。でも前世での身分が高いほど、多くの人を説得できるはずなの。だからできるだけ多くの人を説得してみて、それを確かめよう! それに前世の身分に応じて教団での地位も上がるから」
要するに、たくさん勧誘しろってことか。
「わたしも一郎くんと一緒に活動したいな」
「じゃあ、ぼくが入信したら、奈津子さんとセミナーとか一緒に参加できるの?」
「もちろんよ」
きっぱり断言しつつ、目が泳いでいる。嘘なんだ。入信時だけ好意的な態度なんだろうな。
「それじゃ、ママからお金をもらってくる」
「ダメよ!」
途端に奈津子さんが慌て出した。
「一郎くんのお母さんは一般人なのよ。転生者のことは一般人には理解できないから! 一郎くん、三千円ぐらい、お小遣いから出せるでしょ?」
要するに教団としては、家族に相談されるのはまずいんだな。
「分かった。家からお金を持ってくるよ。あのお、帰る前にトイレに行きたいんだけど」
「トイレは部屋を出て、廊下を右にまっすぐ行った突き当たりにあるから」
パンフの入った封筒をリュックに入れて背負い、部屋を出た。潜入成功だ。事前に建物内を把握していた俺は、本当はトイレの場所は知っていた。訊ねたのは、そちらに向かう口実だ。
〈わたくしたち
俺の
〈まさかグアリムが信じていたとは。あのね、奈津子さんの話は嘘だから〉
まずはトイレの個室に入って着替える。ヨットパーカーとジーンズを脱ぐと下はポケットの多いベストとジャージのズボン、上下とも色は目立ちにくいグレーだ。内側には防弾ジャケット、腰には多目的ベルト、ベルトには各種装備。例えば右腰には『蜘蛛の子』。直径六センチの鉄球(八九〇グラム)を付けたワイヤーだ。鉄球を投げるとワイヤーが伸び、把手のスイッチでワイヤーをモーターで巻き取り、人間四人程度は上に引き上げられる。ワイヤーは
そして腰の左右のホルスターにはベレッタ 93R
俺も凪良さんと同じ
まあ俺は実際には二挺を同時に持つことはあまりなくて、右手の分は予備としてホルスターに入れっ放しのことが多い。もっとも予備が必要なケース、例えば『天才ガンマンに銃を撃たれて取り落とす』なんてあくまでもフィクションの話であって、現実には如何に天才でも
「
これは俺の
トイレを出ると元の部屋を通過して、階段に向かって廊下をまっすぐ進む。もらったパンフの行事予定では、今日、この時間は女神様の講談。場所は地下二階の大広間。
♦ ♦ ♦
講談は既に始まっていた。遅れて参加した俺は目立ったものの、咎められることはなかった。多くの人たちが集まっているけどパイプ椅子が並べられているのではなく、大広間のカーペットに信者たちは直接座り込んでいた。
凪良さんがいた!
『人類滅亡の時は迫っているのです。その中で我々だけが選ばれた存在として生き残り、霊的進化を遂げて新人類として千年王国を築くのです。我々は前世の宿命により【
マイクで演説を行っているのは凪良さんじゃなく、レゲエミュージシャン風のチャラくて胡散臭い男だ。その横に凪良さんが立っている。男がスーツ姿なのに対して(しかしチンピラにしか見えない)、凪良さんは純白の貫頭衣(一枚の布に穴を開けて頭を通した衣裳)をまとっていた。女神というよりは謎めいた宗教の巫女のようだ。
話の内容はオカルトなどでありがちに聞こえる。人類滅亡っていつだ? 途中参加だから聞いていなかったけど『ノストラダムスの一九九九年』も『マヤ暦の二〇一二年』も過ぎたし。
「すみません、人類滅亡っていつですか?」
正直、どうでも良かったけど興味本位で隣の大学生っぽい男性に小声で聞いてみた。
「人々が真に堕落した時だよ」
時期を明確に指定しないのか。都合がいい言い分だ。
「それより、神聖な講談で遅刻は駄目だろう」
そう言って、俺の顔をじっと覗き込む。
「ぼくには見える。君の魂は堕落しかけている。君は本気で天国を目指しているのか? 中途半端な気持ちじゃなく、真剣に修行に打ち込まないと後悔するのは君だよ」
そう言う男の方こそ目が濁っていて、顔は紅潮し魂を抜かれたような表情をしていた。「魂が見える」って、神様が偽物だと知っている時点で
『次は、レティシア様の奇跡を行います』
講談を終えたレゲエ男がアナウンスした。信者たちの中から一人の男が勢いよく立ち上がった。二十代くらいのギョロ目で痩せこけた剃髪の男だ。
「女神様、俺の信仰心を見てください!」
男は右手に金槌を持っている。それで自分の左腕を思いっ切り叩いた! まったく躊躇がなかった。凪良さんは目を逸らす。いや、一瞬逸らしかけたけど、しっかり見届けた。
「立派な覚悟です。あなたの魂は救われるでしょう。怪我は女神様が治してくださいます」
「怪我は治りません」
レゲエ男の言葉に異を唱えたのは凪良さんだった。組織の言いなりになっていると思い込んでいた俺は驚いた。凪良さんなりに自分の行いに葛藤があるのか? レゲエ男が凪良さんを
「痛みは取り除きました。ですが怪我は治っていません。今から病院に行ってください」
「そんなはずはない。俺の腕は治ったんだ!」
「私の言葉が信じられませんか?」
言われて剃髪の男は迷う。自分の思い込みを取るか、それとも女神様の言葉を取るか? 自身を信じれば信仰を否定してしまうジレンマ。結局、彼は「病院に行きます」と大広間を出て行った。凪良さんはとても辛そうだった。
確信した。やっぱり凪良さんは望んでこんなことをしているんじゃない! 思い切ってここに来て良かったと俺は思えた。
俺は立ち上がった。周りの信者たちが、何事かと注目する。
「レティシアは女神じゃないとぼくは思う」
俺が発言した途端、物凄い憎悪が俺に集中した。あまりにも凄まじいので一瞬怯んだけど、受け止める。いくらでも憎まれてやるよ。その程度、凪良さんの苦悩よりも絶対にマシだ。
「女神様に何てことを!」
「女神様は怪我を治したり、罰を与えたりできるんだぞ。人間にそんなことができるもんか!」
怪我は治してねえよ。本人が言っただろう。
「貴様、女神様を侮辱するのか?」
スタッフの男が俺に近付いてきた。ヤクザだと一目見て分かるけど、信者たちは疑問に思わないのか? その男のこめかみに五センチくらいの小石が相当な勢いで当たった。
「ひゃあ〜! なんか飛んできた」
少女の叫び声が響いた。小石が飛んできた方向だ。アニメの魔法少女っぽい声、叫んだのはお洒落な真っ赤なメガネにツインテールの女の子だ。
「だ、大丈夫、百地さん?」
百地さんと言うらしいツインテの少女に声を掛けたのが、水南枝だったのでちょっとびっくりした。でも俺の変装には気付いていないようだ。
「あたしは平気。でも水南枝ちゃんもじっとしていた方がいいよ」
百地という少女は水南枝にそう言った後、今度は別の少女に声を掛けた。
「あたしたちの中に、スパイとか紛れ込んでいるのかなあ?」
「ウソ? それちょっと怖くない?」
「怖いよね!」
二人で話しながら怯えている。ヤクザの男はこめかみの血を拭い、落ち着きなく俺と他の信者たちを交互に見ている。投石を警戒しているんだろう。男を無視して俺は話を続ける。
「きっと悪魔も『自分は神だ』と人間を騙すために奇跡を起こすんじゃないの?」
「奇跡を起こすのは神に決まっとる!」
中年の男が激昂して立ち上がる。
「何で? 根拠はあるの?」
「だって、そうだろう? 正しいからだよ!」
うわあ、理屈にすらなってねえ。
「あなたは心が曇っているのよ」
俺を心配するようにおばさんが声を掛けてきた。
「心が
何人かが立ち上がり、俺を睨んだまま近付いてきた。俺は右の掌を信者たちに向けて叫んだ。
「
俺の前方に横一直線に、まるで『半透明な虹色の壁』のような蜃気楼が現れた。蜃気楼は前進し、その向こう側にいる信者たちやスタッフを一斉に押し倒す。『
「ほらね。ぼくも奇跡を起こせたよ」
信者たちが一気に凍りついた。みんな押し黙ったまま、誰も口を開かない。奇跡だけで凪良さんを女神だと信じるのなら、それを否定した俺の奇跡をどう受け止める? 更に俺の体が虹色に輝き始める。信者たちは驚きの目で俺を見ていた。そして闇色の人影が俺の中から現れ分離してグアリムになった。予定通り、グアリムは凪良さんに向かって言った。
「ドレイドよ。姿をお見せなさい」
「君は何者なんだ?」
俺は彼女に訊ねる。グアリムによれば、
「私は
信者たちがざわめく。
「私たちが信じていたのは神じゃなかった、悪魔だったのよ!」
信者の女の人が叫んだ。彼女の言葉に、周囲に動揺が拡がる。って、叫んだの、知り合いの『
「ずっと信じていたのに!」
「俺なんか、かなりの大金を教団に布施したんだぞ!」
信者たちが次々と騒ぎ始めた。その中には、おそらく信者に成りすまして騒いでいる風間さんの仲間が数人はいるのだろう。凪良さんはボディーガードらしい太った男と痩せた男の二人組のヤクザに守られて、大広間を出ていく。
信者たちが俺に注目していた。みんなの目が期待に満ちている。
「お陰で目が覚めました」
「あなたこそが本物の神様なのですね!」
やれやれ、今度はこっちかよ? 何でそんなに簡単に何かを信じてしまうんだ? 仕方なく、俺はグアリムに問い掛けた。
「グアリム、君は何者だ?」
「
信者たちは絶句していた。
♦ ♦ ♦
大広間から俺は逃げ、凪良さんが去ったエレベータを無視して非常階段に向かった。
「茅汎ちゃん♥️」
聞き慣れた
「だから、『ちゃん』はやめてくださいって」
相変わらずだなこの人は。
「うふふ、いいじゃない。あたしと茅汎ちゃんの仲なんだし」
ちなみに、どんな仲でもないから。多少の面識があるだけだ。風間さんは俺に顔を近付け、「貸し一つね」とささやくように言う。さっきの発言のことか。
「それじゃあ、はい」
と言って俺に何かを渡す。思わず反射的に受け取ってしまった。
「これは? ってちょっと!」
俺にカードを渡した風間さんはあっという間に去ってしまった。鼻歌でも聞こえてきそうな軽やかなステップとともに。俺にこれをどうしろと? 改めて観察する。プラスチック製の磁気カード。表面には『0904―03』という数字と『柴田ビルディング』とだけ印字されている。
〈どうやら部屋の鍵っぽいな〉
〈どうして渡してきたのでしょう?〉
〈……俺が聞きたいよ〉
多分『柴田ビルディング』がビルの管理会社で、これは部屋の出入りに使うカードキーだろう。これをどうするかは後で考えよう。非常階段から地下一階に上がった。記憶済みの、この建物の図面を思い浮かべる。
〈茅汎様、これからどちらに向かいますか?〉
〈一〇階だ。凪良さんはそこにいる気がする〉
地上部分に関しては一〇階建てのうち一階はエントランスホールと受付、応接室があるが、二階から九階まではまったく同じレイアウトで廊下とたくさんの小部屋がある。そして最上階だけはワンフロア丸ごと一部屋になっている。おそらく最上階が教団幹部の部屋で、凪良さんはそこに逃げ込んだのだろう。
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