きみは、本当に敵?

 草原の緑の中、ジャージ姿の同級生の姿があちこちに見える。

「いい天気! 気持ちいいね。お昼寝したら気持ちよさそう!」

 嬉しそうに水南枝が言う。

「したらダメだろ」

「でも橿くん、すっごく気持ちよさそうだし」

 その言葉で周りを見ると頼真が芝生に横になって、本当に寝てやがった。

「起きろ頼真!」

「ううぅ、もう少し寝させてくれ。洞窟を抜け出すのに朝まで掛かったんだ。もうデビルベアもシビレスライムも見たくない」

 うわあ、清々すがすがしさが欠片もない。徹夜でゲームかよ。

「ダメだ起きろ、働け!」

 俺の叱咤に、頼真は厭々ながらのっそりと起き上がった。


 俺たちは秋の遠足で一学年全員、大阪・奈良の県境の『府民の森』に飯ごう炊さんに来ていた。貸し切りじゃないので一般人もいる。ちなみにバーベキューもできる施設なので「バーベキューをしたい」という生徒たちの声が多いんだけど、教師は聞こえない振りをしている。

「みんな、いつも一緒の四人組だけど、あたしが入ってもよかったの?」

 クラスメートの御都華みつか 結羽ゆうさんが気を遣っているのか、やや不安げに聞いてきた。

「全然気にすることないって。誰も嫌がってないから」

 タマネギを切りつつ俺が御都華さんにそう言った後で水南枝を見ると、ご飯を炊いていた水南枝も嬉しそうに頷いた。飯ごう炊さんは五人グループの班ですることになっているので、俺と頼真、水南枝、遠塚さんといういつもの四人に、御都華さんが加わっている。

「御都華くん、このチームに参加できた幸運を喜んでいい。全員、料理スキルが高いぞ」

 頼真がドヤ顔で御都華さんに告げる。

「そうなんだ」

「まず、不器用だが、料理は得意な遠塚 文緒」

「そ、そうかな?」

 照れている遠塚さん。微妙に褒めてない気がするけど。

「次に『ザ・無国籍料理』、水南枝 莉乃」

「えへへ」

「そして『ザ・おかん』、藤林 茅汎」

「やかましい!」

「最後に『ザ・カップ麺』、つまり俺」

「「料理じゃねえ!」ないよ!」

 俺と水南枝がハモった。俺たちのやり取りに御都華さんは笑っている。御都華さんは俺たちがジョークの応酬をやっていると思っているんだろうけど、おそらく頼真は本気で言っているぞ。ただ一人、遠塚さんが小首をかしげている。

「遠塚さん、どうかした?」

「藤林くん、わたし『カップ麺』って作ったことがないんだけど、ラーメンの一種?」

「う〜ん、そういう分類はちょっと違う気がするけど、カップ麺は大抵ラーメンだな」

「カップ麺のことはよく知らないけど、作る以上はお料理の才能が必要じゃないかなあ?」

「いや、それはない」

 カップ麺を知らないのか? しかも料理スキルが必要なカップ麺……ねえよ! 一体、どんなカップ麺を想像しているんだ?

「でも、火加減とか麺をほぐしたり」

「ないから」

「スープの素だって適量に」

「それもない」

 遠塚さんは驚いていた。

「どうやって作るの?」

「内側の線まで熱湯を注ぐ。三分待つ。以上!」

 遠塚さんは唖然としていた。

「すごい……科学ってそこまで!」

 そのリアクションは予想外だよ。どんだけ世間知らずなんだ? そんな話をしている間にご飯が炊けた。カレールーも出来上がってきた。

「あれ? このカレー変わってるね」

 御都華さんがカレールーを見て水南枝に訊ねる。

「これはね、ネパール風キーマカレーなんだ。本当は白米よりナン(インド風のパン)と一緒がいいんだけど」

「おいしそう!」

「でしょでしょ?」

 料理をしている時の水南枝は本当に楽しそうだな。その時、ヘルメットを被った男が俺たちの目の前に現れた。そして俺と目が合うと訊ねてきた。

「すみませ〜ん、橿 頼真様はこちらでしょうか?」

 あの野郎、宅配ピザを頼みやがった!

「どうした藤林。ん、ピザ?」

 学年主任の種田先生を始めとする先生たちがやって来て、ピザを見て驚く。そりゃそうだ。

「また橿か!」

「種田先生、これ、先生たちで買い取ったらどうです?」

「なるほど、それはいい案だな」

 俺の提案に先生たちは賛成し、ピザの配達員にお金を渡そうとする。配達員は頼真か教師、どちらに渡すべきか迷っていたけど俺が「こちらです」と先生たちを指差ゆびさすと、種田先生にピザを渡してお金を受け取った。先生たちはピザを持って戻っていく。走り去るバイクの音が聞こえた。ちなみに先生たちのテーブルには、長さ一メートルの竹の束が置かれている。あれも頼真から没収したものだ。流しそうめんを流す竹らしい。飯ごう炊さんはカレーだって言ってるのに、そうめんとかピザとか、カレーが不服か?

「茅汎、裏切り者! 国家権力に屈したな!」

 確かに公立の教師は公務員だけど、国家じゃなくて地方……いや、それはどうでもいい。

「裏切るも何も、これ以上頭痛の種を増やすのやめてくれよ頼むから!」

 俺は先生たちから頼真、水南枝、遠塚さんのお目付役だと見做されている。そして、いつもみんなの暴走を止められないことに俺は責任を感じている。つうか、俺には無理だよ。

 頼真はいじけて地面にしゃがみ込んだ。そしてボストンバッグからラジコンカーを取り出し、ってそんなものまで持ってきたのか? ラジコンカーで遊び始めた。まったく次から次へと。

「ブツブツ……茅汎なんか、木の根っこに足の小指をぶつけて、

 悶絶しろ〜悶絶しろ〜悶絶しろ〜。

 それから、脛をぶつけて、のたうち回れ〜のたうち回れ〜。

 後、数年後には、禿げろ〜禿げろ〜禿げろ〜」

 嫌すぎる呪詛だな。足元を走るラジコンカーに驚いて、他の班の女子がきゃっ! と声をあげた。相手にしないでおこう。俺は持ち場に戻ってカレー作りを再開した。


    ♦ ♦ ♦


「頼真、カレーができたぞ。いつまでもへそを曲げてないで、食おうぜ。腹減っただろ?」

 ずっと地面に座り込んでラジコンカーで遊んでいた頼真が、ようやく立ち上がった。

「ふっふっふ」

「ん、どうした? 頼真、意外と機嫌よさそうじゃないか」

「サボることに成功したぞ」

「はあ、お前という奴は。みんなで料理するの、楽しかったけど?」

「うっ、しまったぁ! つい、いつもの掃除のつもりでサボってしまった」

「掃除はサボるなよ」

「うう、仕方がない。食べるだけで我慢しよう」

 すると水南枝が『ズビシッ!』と口で擬音を言いながら、頼真を指差ゆびさした。

「働かざる者、食うべからず!」

「そんなぁ、お許しください水南枝様〜!」

「うむ、許そう」

 そんな馬鹿げたことを言いながら、みんなでカレーを食べ始めた。

 飯ごう炊さんって、出来の悪い水っぽいカレーながらも、それを森や草原で食べるから美味しく感じるんだけど、水南枝のカレーが出来が良くて、却って飯ごう炊さんって感じがしないなあ。

 って旨い料理にケチ付けるのも贅沢か。

 みんなで楽しく食事していると思ったら、遠塚さんが何か考え事をしているのか、カレーを食べる手が時々止まっていることに気付いた。見ると表情も暗い。

「遠塚さん、どうしたの?」

「うん……スズちゃん、飯ごう炊さんも来なかったなあって思ったの」

「スズちゃん?」

凪良なぎら すずちゃん」

 クラスメートの凪良さんか。遠塚さんは春の遠足の時に親切にされたことがあって、凪良さんにかなりの好意と信頼を寄せている。

 春の遠足で、目的地に着いた時に遠塚さんがいなかった。ケータイに掛けても電話に出ないからさすがに心配になって探しに行ったんだけど、その時に凪良さんも手伝ってくれたんだ。俺と凪良さんは手分けし、そして発見したのは凪良さんの方だった。遠塚さんは途中のあぜ道でしゃがみ込んで、セイヨウタンポポ(つまりどこにでも見かける、ありふれた花)に三〇分も見惚みとれていたのだった。まったく人騒がせな。

 以来、凪良さんはしっかりしている、親切だ、いい人だ、と遠塚さんの中で凪良さんの評価はすこぶる高い。

 凪良さんに連れられてやって来た遠塚さんは、タンポポに残った最後の一本の綿毛がどうとか、風に負けずに頑張ってしがみついているとか、彼女にしては珍しく熱く俺たちに語っていたけど、俺には半時間も見詰める魅力というのがさっぱり分からなかった。遠塚さんって普通じゃないと言うか、芸術家肌だからなあ。水南枝とはフシギちゃん同士、通じ合っていたけど。と言うか、タンポポの綿毛は役割を考えたら、風に抵抗して飛ばされないように頑張ったらダメだろう? って思ったんだけど、そんな常識論を振りかざす俺が野暮なのか。

 そんな凪良さんは五月以降、学校に来ていない。

「春の遠足は来たのに、残念だな」

「あたし、春の遠足じゃ凪良さんと一緒に清水の舞台で風景を見たかったなあ」

 残念そうに言う水南枝。

「いやいや、凪良さんは真面目だから、そんなところに行かないだろ?」

 俺たちのやり取りに、御都華さんが呆れている。

「あんたたち、春の遠足でそんなところに行ったの?」

 だよなあ。

「茅汎、お前の言い分はおかしい」

 頼真が反論。

「清水寺は不良の溜まり場ではないはずだ。ゆえに、真面目な人間が行っても不自然ではない。ん? 茅汎、ゲンナリしているようだが何があった?」

 何が? ってお前だよ!

「ああ、確かにお前の言う通り。真面目な人間だって清水寺に行くよな。……目的地が京都だったら。春の遠足は法隆寺、奈良だよ! 引き止め切れずに同行した俺も同罪だけど、なんで奈良に行った俺たちが京都にいるんだよ?」

「『自由行動』だから自由行動したまでだが?」

 そんなことも分からないのか? と言わんばかりの頼真の反論。

「自由すぎる! 遠足で『自由行動』ってのは『ランチタイム』って意味だ!」

「そんな訳語はないはずだ」

「大体、遠足の目的地から鈍行と特急を乗り継いで、一時間後に奈良から京都に行く奴がどこにいるんだよ?」

「茅汎、お前の目は節穴か? ここにいるだろう」

 頼真は自身を指差ゆびさす。もうこいつヤだよ。


 春の遠足の翌日、当然ながら俺たち四人は種田先生に呼び出された。

「お前たち反省しているのか? 遠塚、自分の行動をどう思う?」

 生徒想いだが厳格な種田先生に問われた遠塚さんはしゅんと項垂うなだれれながら、

「昨日は歩き疲れました。もっと計画的に行動すればよかったです」

 って、そういう反省じゃねえ! 遠塚さん、素直なんだけど色々とズレているからなあ。

 次に水南枝は

「えへへ、生八つ橋、おいしかったよ! 学校に持ってきたけどセンセも食べる?」

 と反省の欠片もなし。そして一番の問題児、頼真と言えば、

「橿、お前はどうなんだ?」

 との種田先生の問いに目をしばたたかせながら

「ん? 聞いてなかった。何の話だった?」

 種田先生はこめかみの血管を浮き上がらせ、怒りでぶるぶる震えながら口をパクパクするものの言葉が出ず、四秒くらい経って

「昨日の遠足のことを言っているんだあぁ〜‼」

「いや、いい。その話は終わりにしよう。実は夕べ、ゲームを中途半端なところでセーブしたのだが、今はそれが気になって説教などを聞いている場合ではないのだ。俺はここで失礼するが、話は残りの人間だけで進めてくれてもいいぞ」

 そう言って立ち上がり、勝手に帰ろうとする頼真に俺はタックルして、必死に止めたよ。と言うか、それが俺のできる精一杯、自由すぎるみんなの暴走を止めるのは俺には無理だよ!

「……すみません」

 そしてただ一人、責任を感じて謝る俺。そんな俺は種田先生に叱られるどころか、同情されてしまったよ。俺って一体……

 頼真、今日の飯ごう炊さんでは和歌山とか兵庫に行ったりするなよ。一応「府民の森から出ない」と言質を取ったんだけど。

『あ〜あ〜、テステス』

 はあ?

 慌てて周りを見ると、マイクを手にした頼真がいた。遠くでバーベキューをしていた家族が何事かとこちらを見ている。

 うう、恥ずかしい、学校の恥だ。

『お待たせしました〜。第一回、クラス対抗ソングフェスタ! 果たして、優勝するのは何組だあ? ちなみに優勝クラスにはなんと、特製ネパール風キーマカレー!』

 待て! それは俺たちのメシだ。勝手に景品にするなよ。しかも食べかけとか。

『まずは一組!』

 調理場の隅に陣取っている一組の面々がジャンケンをしている。勝ったらしく、両手を挙げて喜んでいる女の子がいる。あの子って、確か『山田 桜』さんだ。

『団結力は乏しいが、オモシロ人材が豊富だあ! さて、どんな歌声を聴かせてくれるか? あっ!』

 ブッ、というノイズが響き、電源を切られたカラオケセットを先生たちが没収していった。種田先生が頼真からマイクを取り上げようとするが、頼真は逃げた。しょうがない奴だな。

「二人とも楽しそうだね」

 追いかけっこをしている頼真と種田先生を見てニコニコして言う水南枝に、頭が痛くなる。

「水南枝、種田先生の苦労を少しは分かってやってくれ」

「えっ、苦労してるの?」

 ダメだこりゃ。

 走る二人はどんどん遠くへと小さくなっていく。俺はしばらくそれを眺めていた。どこまで行くんだろう?

「藤林くん、写真撮るよ!」

 澤崎さんに呼ばれて見ると、水南枝と遠塚さん、御都華さんが並んで立っていた。澤崎さんが水南枝のスマホを持って構えている。遠塚さんが訊ねる。

「橿くんはどうしよう?」

 頼真が今度は近付いてきた。まだ種田先生と追いかけっこをしている。あいつの分は後で撮ろう。

「はい、チーズ‼」

 撮った写真をみんなで覗き込む。緑の中、笑っている俺たち。

 水南枝とは恋人になれなかったけど、想い出はこうして積み重なっていくんだな。

「藤林くん、『文通の君』にも、この写真を送るの?」

 水南枝が俺に聞く。『文通の君』って映菜のことだ。水南枝と遠塚さん、それから頼真には映菜のことを話したことがある。もちろん名前までは言っていないけど。

「いや、送らない。俺たちはお互い、写真を送っていないんだ」

「そっかあ。ロマンチックかも。そういうのって、いいよね」

 水南枝が目を細めて笑った。

「スズちゃんも一緒だったら良かったのに」

 遠塚さんがぽつりと言う。遠塚さん、本当に凪良さんに懐いているんだなあ。

 ん? 『スズちゃん』?

 そう言えば小学生の頃、そういう名前の友達がいた気がする。


    ♦ ♦ ♦


「ご、ごめんなさい!」

 少年が不良数人に殴られている。深夜の公園、人が来ない。来ても通報もせずに逃げるか。

 仕方がないな。

「何だあ、てめえ?」

 割り込んだ俺に、不良が睨み付けてきた。

「今のうちに逃げろ」

 俺が言うと少年は何も言わず逃げ出す。それを追おうとする不良の前に俺が立ちはだかり、妨害する。

「てめえが代わりに金を出せよ」

 不良が凄みながら言う。

「あいつに金でも貸していたのか?」

 俺の問いに、不良が笑って答えた。

「こっちが今から借りるんだよ。無期限でな」

 後ろの連中も笑う。くだらねえ。

俺は『見るからに凶暴そうな人間』じゃないし、ごつい体格でもない。だから連中に舐められている。不良の八割は、ケンカにただ慣れているだけ、実力があるわけじゃない。目の前の敵の実力が読めないどころか、攻撃を受けてさえスピードもリーチも把握できず、ノコノコと無防備にこっちの射程圏に入って来る。「今殴ったらこいつは避けられないな」とこちらは分かっているのに相手は気付かない。

 と言ってもケンカ慣れすらしていない人間が挑むのは『とりあえず泳げる人間』に『カナヅチ』が水泳で勝負するようなものだ。やめた方がいい。残り二割は強い。と言っても代々特別な訓練をしてきた俺の家系とは比べるべくもないけど。

 さて、相手は男が二〇人ほど、女が一人。あれ?

 その少女を見る。ほっそりしているけど、女性にしてはわりと背が高い。シュシュで束ねた髪を右肩から前に流している。派手さはないけど大人びた雰囲気を持った、真面目でしっかりした感じの人。不良たちに混ざっているのは、かなり違和感がある。会うのは半年振りだけど覚えている。

「凪良さん?」

 まさか見知った顔があるとは思わなかった。退学らしいって聞いたけど、どうしてこんな連中といるんだ?

 向こうの方も驚いていた。そして表情を歪める。俺に見られたくなかったのか? 凪良さんって生真面目な人だと思っていたけど、人は見掛けによらないってことなのか? 凪良さんの他にも不良っぽくない人が一人いた。眼鏡を掛けた大学生くらいの男だ。

「藤林くん、元クラスメートのよしみで見逃してあげるわ。消えてくれる?」

 凪良さんは淡々と表情を見せずに俺に忠告、のつもりだろうが動揺しているのが分かる。

「俺は君らにこういうことをやめさせるつもりだけど?」

 凪良さんには悪いけど交渉決裂だ。不良たちがニヤニヤ笑いながら近付いてきた。

「凪良さん、下がって下さい。俺らだけで充分です」

 不良の一人が言うと、凪良さんは後ろに少し下がった。不良たちと凪良さんの間に割と信頼関係があるのか?

「カッコつけんなよオラア!」

 不良の一人が殴りかかってきた。大振りな攻撃だな。俺は僅かにかわしながら前進、ついでにもう一人。俺を殴ろうとした男、そしてもう一人が呻きながら倒れた。

「な、何をした?」

 残った連中の一人が驚きながら訊ねる。余裕たっぷりだった彼らは一気に警戒心を高めた。

「俺のパンチは速すぎて常人には見えないんだよ」

 そう言ってやると驚愕の表情を見せる不良たち。

 まあ嘘だけど。

 格闘技の攻撃は突きや蹴りを腕だけ、脚だけで行ったりはしない。全身の筋肉を使って最大の効果を出す。

 我が家の流派はまったく逆だ。全身をフルに使う技もあるけど、多くは腕だけで突き、脚だけで蹴る。パワーを出しやすいフォームでなく、出しにくいフォームを修得する。武器に関しても同じで使いやすい武器を開発するのではなく、使いにくい武器を使いこなす訓練を行う。

 厳密には突きで腕以外をまったく使わないのではない。脚は体重移動ではなく地面を蹴る。腰と上半身は捻り、腕のパワーに上乗せする。ただし大きく動かさずほんの僅か、攻撃が敵に命中する瞬間に一気にパワーを放出する。実は「命中の瞬間に一気に」というのは一般的な格闘技でも同じだけど、俺の流派はレベルが違う。格闘技、特に『実戦的な』格闘技は技の型より組み手(模擬戦)を重視するのに対して、俺の流派はひたすら技の修得に力を入れているからだ。一〇年近く掛けないと修得できない技を四歳から延々と訓練を続ける。それを身に付けた時、ただ場数を踏んだだけの格闘家には不可能な攻撃が可能になる。言わば『フルコン空手』と『武術ウーシュー(中国武術)』との比較に近い。

 例えば、目線や動作で相手の意識を誘導し、死角から攻撃する。相手は攻撃を受けたことに気付かず、いつの間にかダメージを受けている。俺の流派は『視線の誘導』を特に重視している。ちなみにさっきの技は二人の男に一瞬だけ、密着するほど接近してこっそりボディーブローを撃っただけだ。ただしほとんどモーションを伴わない動きに、いつ攻撃したのかまったく分からなかったはずだ。不良たちは俺を取り囲んだ。武器は使わないんだな。助かる。

「うらぁ!」

 数人が同時に殴りかかってきた。その中の二人に素早く接近、二人まとめてボディーブローを撃った直後、無意識に右へと真横に飛び退く。囲まれた時は自分が動いた瞬間に背後から攻撃を受けることを体が知っていて、自然とこういう行動に出る。時計回りに振り向きざま、当てずっぽうに右の裏拳。ちょうど真後ろに接近した男の横面よこづらに命中、相手は顔から真横に吹っ飛んだ。不味い、力が入った。やり過ぎたか? 相手の歯が折れたかも。

 すぐさま、振り向いた先で固まっていた数人にダッシュで肉薄。敵が多い時は立ち止まると集中砲火を受けるから、とにかく動き回る。迫った先で左手でジャブ、その直後に右拳で二連打、二人が倒れる直前に別の一人が殴りかかってきた。手が足りない、防御が間に合うか? と思ったら、その男は体躯たいくをくの字に折って倒れる。気付けば俺は脊髄反射で男の脇腹に回し蹴りを叩き込んでいた。

 残り何人だ?

 ううっ⁉ 何だ?

抵抗ガバシュ、ダメージを七三%軽減】

 突然、脳内に発生したメッセージ。

 同時に、横腹に爆発でも起こったような衝撃が襲った。『皇帝アンプルール』の防御能力が発動して横腹から水蒸気が発生し、拡散して消える。それでも苦痛と衝撃は一気に全身にひろがり、俺は倒れた。七三%軽減してもこれだけのダメージか?

 倒れる直前に視界に入ったのは、固い表情で俺を見詰みつめる凪良さん。

 そして、彼女の右手には米コルト社のM1911。

 かつて米軍や自衛隊で採用され、一般的には民間用の商品名『コルト・ガバメント』で呼ばれる有名な拳銃ハンドガンだ。他社製のコピー商品も含めればロシアのトカレフTT33、ベルギーのブローニング・ハイパワーと並んで、世界で最も多く生産された拳銃ハンドガンだろう。

 俺は撃たれたのか?

 全身を駆け巡る激痛に立ち上がれない。体に力が入らない。

「くたばれ、おらぁ!」

 残った連中がこぞって俺を蹴り始めた。だけど蹴りよりも、撃たれた痛みの方がキツい。痛みの所為せいで、呼吸も辛い。

「もう、その辺にしてやれ」

 俺の傍に立った男が仲間に声をかけた。

「でも、凪良さん」

 名前を呼ばれた男は凪良さんの兄弟か? その声音こわねはガラの悪い感じとは違う。おそらく、眼鏡の男だろうと俺は見当を付けた。

「妹の同級生らしいな。もう、ぼくらに関わるな」

 男が俺に言葉を投げ付けると、連中が俺から離れていく足音が聞こえた。俺はまだ激痛で、顔も上げられない。誰もいなくなった夜の公園。俺はただ一人、地面に這いつくばっていた。


 辛うじて体を起こすことができたのは倒れて一〇分後くらいか。何とか動けるけど、まだ激痛が残っている。暗闇の中、地面に眼を凝らして俺を撃った弾丸を探す。

 あった。直径六ミリの灰色のボールが一個だけ転がっていた。プラスチック製とは違い、分解して土に還る環境に優しいバイオBB弾だ。俺を撃った凪良さんのガバメントは実銃リアルガンじゃない、エアガンだ。だから体にも服にも穴は空いていない。もちろんエアガンに撃たれて、これだけの激痛が起こるはずがない。撃たれた時、俺の脳内に二つのメッセージが出たんだ。

 一つ目は、ダメージを軽減する、俺の悪魔憑ルディンメとしての能力発動。そして、二つ目。


【『皇帝アンプルール』の悪魔憑ルディンメは『ドレイド』の悪魔憑ルディンメによる『願命』の対象に指定されました。

『願命』の内容は


『我は願う。接触した対象から吸収・蓄積した苦痛を、攻撃によって他者に移すまで自身が苦しむことを代償とす。吸収した苦痛は二四時間以内には他者に移せぬことを制限とす。接触によって攻撃した対象に、蓄積した苦痛の一部を、蓄積時間に比例して倍加し移し賜え』


です】


 凪良さんも悪魔憑ルディンメだったのか。そして苦痛を蓄積し、相手に与える『願命』。

〈グアリム、俺は相手の『願命』の内容をなぜ分かったんだ?〉

 俺は、自分の体の中にいるグアリムに訊ねた。

悪魔憑ルディンメとしての力を行使した時に他の悪魔憑ルディンメが行為の対象となった場合、影響を被った悪魔憑ルディンメは力の行使を受けたこと、および力を行使した悪魔憑ルディンメが誰かを『メッセージ』で知ることになります。

 行為の内容をどこまで知ることができるかはどんな行為かにもよりますが、『願命』の場合はその内容を完全に知ることができます〉

 『願命』って他の悪魔憑ルディンメに対して使ったら、内容が筒抜けなんだ。気を付けないと。

〈俺が悪魔憑ルディンメであることとか能力は相手にバレているのか?〉

〈いいえ、影響を与えた側の情報のみが受けた側に伝わります。受けた側の情報は与えた側には伝わりません〉

『願命』を使った悪魔憑ルディンメは、その対象者が悪魔憑ルディンメかどうか分からないのか。でも俺は凪良さんが悪魔憑ルディンメ『ドレイド』だと知った。先手を打つと不利になるんだ。

〈彼女が俺を撃った時、手から水蒸気が出ていた。彼女も悪魔憑ルディンメだからか?〉

〈少し違います。茅汎様と同じ『キル』属性の悪魔憑ルディンメだからです。他の『イズィ』『リル』『イド』属性では現象が異なり、例えば『イズィ』属性の悪魔憑ルディンメが能力や『願命』を行使すれば体が発光します〉

 要するに悪魔憑ルディンメには属性があり、凪良さんは俺と同属性ということか。立ち上がり、体に付いた砂を払う。

 凪良さん、どうして?

 君は何のために悪魔憑ルディンメになったんだ?

 君の『願命』はこんなことのためなのか?


    ♦ ♦ ♦


「なあ頼真」

「何だ?」

 休み時間。いつものように、俺たち四人は非常階段にたむろしていた。

「凪良さんについて詳しい?」

「ここはパポポ村です」

 俺の問いに頼真は意味不明の返答。

「何それ? RPG?」

「茅汎、お前は何でも俺に聞けば分かると思っているのか? 村人に何でも質問する勇者か?」

「だって、妙なことに異様に詳しかったりするだろ?」

「俺は変人か何かなのか?」

「……自覚なかったんだ」

「タケウチ村長が知っています。タケウチ村長の席は前から三番目、廊下から二番目です」

「いや、RPGはもういいよ」

「真面目に答えたのだが?」

「紛らわしいって。そうか、武内が知っているんだな。ありがとう」

 ぽかんとした表情で俺を見る水南枝と遠塚さんを残し、校舎に戻る。教室に入ると、クラスメートの武内が独りでゲームをしているのが見えた。

「なあ武内、ちょっと質問があるんだけど」

 武内に声を掛けてみた。そう言えば、武内は凪良さんと仲が良かったみたいだったな。


 秋の遠足で飯ごう炊さんに行った日、その話を映菜にメールで報告した。その時に「小学校時代の俺の友達で『スズちゃん』って知ってる?」と聞いてみた。遠塚さんが凪良さんのことを『スズちゃん』と呼んでいたので、自分にもそんな友達がいたなあ、ってふと思い出したんだ。もっとも凪良さんは俺と中学が違うから小学校も違うだろうし、少なくとも凪良さんではないと思うけど。

 そんな時に思いがけず凪良さんと出会った。しかも悪魔憑ルディンメとして。俺以外の悪魔憑ルディンメがどんな『願命』を唱えたのか興味があったけど、最初に出会った悪魔憑ルディンメが他人への攻撃に『願命』を使っていて、しかもそれが凪良さんだったのがショックだった。

 そして昨夜、映菜から返信が来た。

 映菜は『スズちゃん』を知っていた。映菜は直接会っていないが他校の子で、俺は彼女に出会い、一日だけ一緒に遊んだらしい。しばらくは俺がスズちゃんの話ばかりして、映菜はやきもちを焼いたそうだ。

 だとすれば凪良さんがスズちゃんだろうか?

 いや、そんな偶然はさすがにないか。

 そのことを別にしても、凪良さんのことは気になっている。彼女が根っからの悪人だったらどうしようもないけど、本当にそうだろうか? だから彼女のことが知りたい。


「何だ?」

 ゲームから目を離さずに武内が聞く。ゲーム機の画面では猫のような耳を持った幼女が何故か学校用の紺色の水着姿で「お兄ちゃん、だあいすき♡」と言っていた。さすが『妹マニア』。本人曰く「二次元でも三次元でも『妹』のことは僕に聞け!」だとか。

「僕のヨメはやらないぞ」

「? よく分からないけどらないから。ところでクラスメートの凪良さんって覚えてる?」

 武内はゲームを中断し、俺を見た。

「よく知っているとも。何の質問だ?」

「まあ、色々と。どういう人だった?」

「誕生日は一月四日、山羊座」

「俺と同じ山羊座だ。俺はクリスマスイブ」

「貴殿のことには興味がないのだが?」

「……すいません」

「真面目で努力家、誠実で責任感が強い。それから、彼女が義理堅い人間だと僕は感じたよ。真面目と言っても融通の利かない堅物というわけでもなかったな。羽目を外したり悪いことをしたりしない良識派だけど、話してみて頭は柔らかいと思った」

 やっぱり悪いことなんてしない人間なんだな。今は悪いことをしているけど、武内に見る目がないんじゃなく、今が凪良さんらしくない不自然な状態なんだと思う。

「勉強は、一学期の中間テストより前から学校には来ていないけど、入試での成績は学年二一〇人中四三番だ」

「結構できるんだ」

「そうだな。やや文系寄りだけど全教科バランスが取れている。天才でなく秀才タイプだ。宿題は出された日に済ませる。予習はしないが、授業がよく分からなかった時は復習するそうだ」

 本当によく知っているな。

「運動はどうなんだ?」

「かなりできる。というか、クラスの女子で多分トップレベル。ああそうだ、中学ではバレー部のエースでキャプテンだったそうだ。高校では水泳部に入っていた。すぐに学校に来なくなったけど」

「バレー部から水泳部って珍しいな」

「元々泳ぐのが好きらしい。他の女子から聞いた話だけど、高校でバレー部の先輩から勧誘された時、『中学では水泳部がなかったけど、ここには水泳部があるから、そっちに入りたい』って丁重に断ったらしい。それで僕が凪良さんに中学時代の部活のことを聞いてみたんだけど、楽しそうに話してくれたよ。断る口実でああ言ったのじゃなくて、本当にバレーも好きみたいだ。ただ運動全般は好きでも、競争心はあまりないんじゃないかな。

 ちなみに中学時代に顧問からスポーツ特待生で高校に行くことを勧められたそうだけど、本人が言うには『運動は好きでも部活中心の高校生活は送りたくないし、特待生って怪我したら学校にいられるか分からないから』だって」

「結構現実的だし、しっかりした考えを持っているんだな」

「確かに凪良さんは大人しいし、あまり自己主張しないから目立たないけど、流されるタイプじゃなくて、自分の考えがあって、積極性もある人だよ」

「なるほど。後は、……そうだ、何か習いものとか通っているのか?」

「今はない。中学時代は進学塾だけだ」

 ダメもとで聞いてみたけど武内、どんだけ知っているんだよ?

「趣味とかはあるのかな?」

推理小説ミステリーが好きらしい。えっと、何て言うんだっけ? 『安楽死探偵』?」

「『安楽椅子探偵アームチェア・ディテクティブ』だ! 探偵が殺してどうすんだ?」

「そっか」

「ところで銃が好きとか? それかサバゲか軍事ミリタリー関係とか?」

 もしかしたら、と思ったんだが、俺の問いに武内は目を丸くした。

「聞いたことはないけど、さすがにそれはないだろう」

「そ、そうか」

 別に銃が趣味ではなくて、『願命』のためだけにエアガンを用意したってことか?

「そう言えば、同中おなちゅー出身の新城から聞いたんだけど、中学時代に教室で新城がクラスメートとトレーディングカードカードゲームをプレイしていたら、凪良さんが興味深そうに見ていたそうだ。それでカードを貸してルールも教えたら、凪良さん、滅茶苦茶強かったらしい」

 自分の名前を聞いて、児島とゲーム機で遊んでいた新城がこっちを見た。

「カード運が強いとか?」

 俺は武内に訊ねる。

「逆だ!」

 武内の代わりに新城が答えた。俺たちの傍に来た新城が会話に入って来た。

「あの子、カードの引きは最悪なのに、デッキの戦略とかプレイする時の判断とかが抜群だったんだよ。ルールを聞いただけで勝負のかなめにすぐに気付いていたみたいだ。

 魔法の色って五色あるけど、デッキ(カードのセット)に複数の色を混ぜるより一色の方が能力が偏るけどパワーアップが早いって見抜いたり、防御系デッキは如何に序盤で速攻デッキの攻撃を凌ぎ切れるか、って分かっていたりするし。

 しかも初心者がいきなり青のカウンター系と言う高度技! それも昔のエディションじゃなくて、青が弱体化した最近のカードでだぜ? それでカウンターすべきカードとタイミングを的確に見抜いている。俺なんか黒の自殺系で勝負したんだけど、クリーチャーにカウンターしまくって墓場に死体の山ができていたから『死体が武器の黒相手にそれは悪手だろ? やっぱ初心者だな』って最初は思っていたんだよ。それで俺が攻撃クリーチャーにX呪文で『命』を目一杯ぎ込んで強大化バンプアップ、そして墓場の死体を全部喰って大型クリーチャーを召喚。この二体で勝負が着いたと思っていたら、強大化バンプアップしたクリーチャーは手札に戻されて無効化。更に大型クリーチャーは盗まれて、凪良さんのターンでそれで攻撃! 大幅に命を削っていた俺はそのターンで死んだよ」

「青相手に大型クリーチャーは駄目だぞ。そこは死体ウィニーだ。リセット呪文ないから手数で攻めるんだ。向こうはクリーチャー一体ごとに呪文を一枚ずつ使って、ちまちまちょっかい掛けることしかできないんだ」

「そっかぁ」

 何か二人で盛り上がっているけど、話に付いていけねえよ。俺そのゲーム知らないから、何言ってんのかさっぱり分からん。

「とにかく、トレーディングカードゲームってデッキに何枚入れるとか、経験則が必要なところがあるだろ? 初めてで相当強いから、経験を積んだらどんだけ強くなるんだろう、ってその時の俺たちは驚いていたんだよ」

 なるほど、その場の判断を含めた戦略的な思考が得意なのか。エアガンを持っていたこともそうだ。元々、銃には興味がなかったのだろう。だけど『願命』を活用するにはどうするのが最も効果的か? 蹴りなどの格闘戦、棒状のもので殴る、などなど色々検討してエアガンに辿り着いたんだろう。中々いい判断だ。運動神経もいいし、敵に回したら厄介だな。

 聞くべきことは、このくらいかな。

「ありがとう。それにしても武内、本当に詳しいな」

「『妹』だからな」

 なるほど、そういう理由か! 納得した。ドヤ顔の武内は不安そうな表情に変わる。

「凪良さん、また学校に来るかな?」

 新城も表情が曇った。

「……どうだろうな」

 俺にはそうとしか、答えようがなかった。

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