星見の山 〜 覚悟

 夜の星見山の頂上。

 見上げれば星空、見下ろすと街の灯りが見える。大阪市にしては珍しく、アイランドにはあまり高い建物はない。一番高いマンションでせいぜい一二階建て、星見山と同じくらいだから、ここからは視界を遮るものがほとんどなく、街を遠くまで見渡せる。ここから少し西側では、西島通りを走る車のライトが北へ南へと流れていく。

 西の方では内港橋の電灯が点滅していた。確かにアイランド内の建物はここより高いものはほぼないけど、街から外側に架かる巨大な橋のいくつかは、ここよりずっと高い位置に路面があって、内港橋もその一つだ。

 星見山の頂上にも街灯があって、ベンチなどがある頂上の小さな空間は、それほど暗くはない。

 街灯に照らされたそこには二人しかいない。優弧と悪魔少女だ。

「優弧」

 優弧に小声で話し掛ける。おそらく俺が来るまでに、色々訊ねているはずだ。

「彼女は信用できそうか?」

「まだ、何とも言えないわ」

 そうか。

 悪魔少女に向き直る。

「えっと、名前は『グアリム』さんだっけ?」

「はい。キル冥姫めいきグアリムです。『さん』は不要なので『グアリム』とお呼びください」

 その『キルのメイキ』って何なんだ?

 はやる気持ちを落ち着かせる。これからが正念場だ、よく考えて話さないと。

 もう待ち切れない。一刻も早く願いを叶えたい。ただ「こっちに来て」も「来てくれる?」も、下手すれば命令文や疑問文は『願い事』にカウントされるかも。「とりあえず座りなよ」とか「どうしたの?」みたいな質問の答えまで『願い事』にされるとか?

 山の下、公園の外の自販機で予め缶コーヒーを三本買ってきた。十月だけどまだ暑いしアイスコーヒーだ。優弧は黙ってそれを受け取り、グアリムは一瞬慌てた後、泣きそうな顔で俺を見た。

「……お金がありません」

 予想外のほのぼのした台詞セリフに、思わず顔がほころんでしまう。

「別に売り付けるつもりじゃないから。君も飲む?」

 あっ?

 ……

 俺とグアリムは互いの顔を見る。グアリムはキョトンとしている。

 しまったぁ〜! 疑問文だぁ。

 もしかして油断を誘ったのか? 大体疑問形を言うなとか、よっぽど訓練しないと無理だ。

 彼女はぷるぷると何度も必死に首を縦に振る。

「飲みたいです。ありがとうございます!」

 そう言って嬉しそうに缶コーヒーを受け取った。『願い事』にカウントされなかったのか? あるいはカウントしたけど言わないだけなのか?

「話を聞いてもいいよ」

 何だか上から目線な口調だけど、こちらから頼めないから仕方がない。

「聞いてくれるのですか?」

 淋しそうな表情が少し嬉しそうになった。

「うん」

 こちらが答える分は『願い事』にならないよな。そもそも、何故グアリムは俺の願いを叶えてくれる? 何が目的なんだ?

 その動機は大きく三つのタイプが考えられる。「俺だけ一方的にメリットがある場合」「双方にメリットがある場合」「グアリムだけ一方的にメリットがある場合」だ。一つ目は『奉仕型』、例えば「人間に尽くすのが生き甲斐です」みたいなタイプ。当然ながら話が旨すぎて簡単に信じられない。二つ目は『取引型』、「まともな会社が商品やサービスを消費者に提供して代金を得る」みたいなタイプ。俺の望みを叶えることで、相手にも何か得るものがあるのだろう。一番現実味がある。誠実な交渉かも知れない。

 そして三つ目。詐欺のようなケース。騙して一方的に奪う『搾取型』。これはこれであり得る。しかもあからさまに『搾取型』だと示さず『奉仕型』や『取引型』であるかのように装うはずだから、上手く見抜かないといけない。相手が協力的か誠実か正直か? これが分かるだけでも大きいけど、情報が圧倒的に不足しているということが何より問題だな。だけど質問も願い事にカウントされると厳しい。

「これはあくまでも俺の独り言だけど、質問も『願い事』にカウントされるのか知りたいな」

 そう言って相手の顔色を伺ってみた。今のだと願い事にはならないはず。いや、「今の言葉は願い事に相当する」とか言って強引にカウントされるかも。あるいは逆に、願い事じゃないから教えてくれないかも知れない。でもそれならそれで得られる情報がある。つまり相手の姿勢、協力的でも誠実でもないということだ。そして一つ目の例は「質問は願い事になるか?」=yesを意味する。たった三つしかない願い事だから迂闊に使うわけにはいかないけど、大きな危険性リスクを知るためなら、一つ分ぐらいは捨てる価値がある。

「質問するだけでは願い事にはなりません。お好きなだけご質問してください」

 少なくとも、さっきの『独り言』は『願い事』じゃない。もし願い事になるなら「問いに対して『質問は願い事になる』という真実を答える」ことが『願い事を叶える』ことになるから、必ず『yes』と答えないといけない。まあ、大前提である『願い事を叶える』というのが嘘で、すべて嘘を語っているなら、この推理も瓦解する。というかほとんどの推測が無意味になる。でも俺はその危険性リスクを無視しよう。俺の願いが叶えられない、という最悪の『危険性リスク』さえ回避できれば、他の危険性リスクなんて構わない。

「じゃあさ、『こっちにおいでよ』みたいに『願い事』のつもりじゃなかった言葉も、うっかり願い事になることはあるの?」

「願い事にはなりません。具体的には次のように唱えます。


われは願う。(Aを条件・制限とす。)Bしたまえ/したもうな』


 その後、


『代償を選択せよ』


 との問いに対して、


『Cを代償とす』


 と答えるのです。こうして初めて『願命ウィッシュ』が成立となります。

 これでCを代償にBが叶えられたり回避できたりします。条件や制限は必須ではありませんが、それを加えることで効果は更に強力になります」

 代償が必要なのか。どうやら願い事のことは『願命ウィッシュ』と言うらしい。

「代償が『願命』に釣り合わない場合はどうなる?」

「『願命』は受理されません」

「その場合はどんな罰則ペナルティが?」

罰則ペナルティなんてありませんよ」

「何度でもやり直せるってこと?」

「はい」

 俺が以前に想像した『我輩』よりは親切だな。

「『願命』を三つとも使い切ったらどうなる?」

「特に何も」

「じゃあ、代償の大きさって『願命』の大きさに比例する?」

「はい」

 そっか。比例しないんだったら小さな代償で何度も試行錯誤しようと思ったけど。

「ちなみに、どのくらいの『願命』でどれくらいの代償が必要になるんだ?」

 俺の問いに悪魔ディンメはう〜んと考え込み、

「分かりません。『願命』と代償の組み合わせを言ってくだされば、わたくしの頭の中に合否が出るのですけど」

「代償が充分だったら、どんな願いでも叶うのか? 『願命』って万能で不可能は無い?」

「いいえ、『願命』は万能じゃありません。どんな『願命』でも相応の代償を支払えば受理されます。でも叶うとは限りません」

「ふうん、じゃあ叶わない場合は代償もキャンセルされるんだ? その時はそのように伝えてくれるのか?」

「いいえ、代償は払ったままで返ってきませんよ。それから願いが叶ったかどうかはご自身で確かめてもらうしかありません」

 あれ? いまいちシステムが把握できないけど。まず代償が充分かどうかの判定があって、それが通っても次に願いが叶うかどうかの判定がある? そしてこの段階で判定に失敗しても払った代償は戻って来ない?

「……何だか理不尽に思えるけど?」

「茅汎様は誤解されているようですが、人間が夢想する魔法のような、何でも思い通りになる夢のような都合のいいものではないのですよ。魔法は存在しますけど。日常での行為や道具など、現実的なものを想像すると理解が早いと思います。例えば耐震性の家を買う場合、お金が充分でないと家を買うこと自体ができません。家を買えたなら、ある程度の地震になら耐えられるでしょう。でも地震が激しすぎれば倒壊するかも知れません。だけど倒壊しても代金は返って来ないのです」

「なるほど、おとぎ話じゃないんだ。それじゃ君に願いを叶えてもらうのと、自分で解決するのと、お金を払って誰かに頼むのとで、あまり差が無い気がするけど、どれがベスト?」

 セールスマンならここは「悪魔に願い事を叶えてもらうのがベストです」と答えるはずだ。

「どれがベストかは一概には言えません。ただ『願命』は強力です。人間の行為や道具は手段によって目的を達成しますが『願命』は手段無しで直接的に結果をもたらします。更に人間の行為や道具はあくまで世界の摂理、つまり物理法則の支配下にありますが、『願命』は世界の摂理をねじ曲げることができます。ただし代償はとても高くなります」

 言っていることはそれなりに合理性がある。筋が通っているし、ある程度は信憑性があるな。コストもパフォーマンスも高いのか。確かにどれが一番とは一概には……いや違う! どうしても叶えたい願い、どれだけ犠牲を払っても成就したい願望、それが現実的な努力では叶わないことなんて、世の中には幾らでもある。本当に叶えたい、どうしても何とかしたいことがあるのなら、他のやり方では不可能なら『願命』一択だ。

「そもそも、どうして願いを叶えてくれるんだ? 君の目的は?」

 向こうにだって何かメリットがあるはずだ。嘘をいていないなら、ボランティアだとか「あなたの笑顔が報酬です」みたいな胡散臭い答えじゃないだろう。

「わたくしたち悪魔ディンメにとって『願命』を叶えることは本能です。それが悪魔ディンメの存在意義です」

 何それ? 折角上がり始めた信頼度が下がってしまった。本当か?

「だったら、どうして俺?」

「分かりません。わたくしの本能ではそうだとしか」

「俺が願いを言うことを断ったら? 他の人の所に行く?」

「いいえ、わたくしには藤林 茅汎様しかいません。他の人のもとに行くことはありません」

 あまりにも俺に都合が良すぎる。詐欺師の言いそうな『甘い話』だ。いや、口の巧いセールスマンなら「三日以内に決めないと、次の人の元に行きます。三日間が人生最初で最後のチャンスです!」とか言って焦らせるか。信じるしかないのか?

「『俺が世界の支配者になる』とかは? 『美女は全員、俺に惚れてウハウハなハーレム、男は全員死亡』とか出来るの?」

「世界規模は相当の代償を払っても成功率は低いです。ほぼ不可能だと思ってください」

 少なくとも不可能ではないんだ。

「じゃあ規模を縮めて、『周囲一キロ以内の美女は思い通り、男は死亡』とか?」

「不可能ではありません。ただ、死をもたらすのはとても難易度が高いです。奪うものの二倍以上の価値のものを代償にしなければなりません。精神操作は更に難易度が高いです。また、代償として支払うことができるのは茅汎様の所有物、および茅汎様ご自身ですが、ペットや奴隷、使用人などはたとえ社会が所有物という解釈をしていても、『願命』としては、ご本人以外の命あるものは代償に指定できません」

 命の二倍以上のものってあるだろうか? 思い付かないな。でも普通のやり方なら刃物を用意するだけで命を奪えるのに『願命』の方が難しいなんて釈然としないな。ということは?

「命そのものを直接奪うのじゃなくて、『願命』で刃物を得て相手を殺すのは?」

「得るものは刃物なので代償は安いです」

「確かにどう使うかは『願命』とは関係ないな。誰かに対して首が切断することを望むのは?」

「他者の肉体に直接干渉するので代償は高くなります。ただし命そのものを奪うより安いです」

「確実に死ぬのに?」

「はい。確実であっても、それは副次的な結果に過ぎません」

 なるほど。色々と質問できたお陰で、必要な情報はだいぶ揃った。彼女は願いを叶える存在として、信じてみることにしよう。

「じゃあ、特定の個人を指定した場合、正しく伝わる? 俺が『水南枝 莉乃』と言ったら?」

 グアリムは一瞬目を閉じ、再び開くと答えた。

「分かります」

「日本中に同姓同名がいるかも知れないけど?」

「茅汎様がどなたを想ったのか、わたくしに伝わりました。間違えることはありません」

「兄さん」

 成り行きをずっと見守っていた優弧が俺に告げる。

「わたしや家族のことは気にしないで。みんな強いから。兄さんは自分の望みだけを考えて」

「……分かった、ありがとう」

 優弧は俺の考えていることが分かっているんだな。

「茅汎様、いくつか重要なことがあります」

「なに?」

「できる限り『4』という数字をお使いください。『4』は『魔法の数字』として、強い効果があります。それから、願いは唱える瞬間に強く想いを込めてください。そうすることで効果が強まります。『水南枝 莉乃』様をお護りしたいなら、あらゆる脅威から茅汎様がお護りしている光景を想像してください」

「ちょ、ちょっと待って。どうして⁉ 優弧なら分かるけど、グアリムはどうやってそこまで推理できたんだ?」

「いいえ。悪魔ディンメは人間のような『推理』という高度な思考はできないのです」

「だったらどうして? 俺が水南枝を支配するとかは考えなかったのか? 俺が世界征服とかハーレムとか望むとは思わなかったのか?」

「いいえ。考えなくても、茅汎様を見ればよく分かります。人は強い欲望を持つ時、それが叶いそうな瞬間は強く興奮します。眼はギラギラ、鼻息は荒くなります。でも茅汎様はその逆、顔は青ざめていました。望むのではなく、逆に恐れていました」

 そうだよ。その通りなんだ。


 悪魔が俺の目の前に現れて「願いを叶えます」と言う。

 俺だけだろうか?


 カラオケの時、高良さんが「藤林くんだけじゃない」と言った。違う意味だけど、その時に気付いたんだ。

『願命』が万能だったら俺だけかも知れなかった。矛盾を回避する為に複数の人間で異なる願いを言えないはずだ。でも万能じゃなかった。それに、今日話していて彼女は「たち悪魔ディンメは」と言った。

 つまり悪魔ディンメは複数いる。みんな人間の願いを叶えようとしている。でも俺の前には彼女一人だけしかいない。じゃあ他の悪魔ディンメ何処どこにいる?

 他の人間の前にいるはずだ。俺の前にグアリムがいるように、誰かの前にも別のアクマがいて、その人物の願いを叶えようとしている。


 じゃあ、その中の一人でもロクでもない願いを持った人間がいたとしたら?


 だから理不尽な願いから水南枝を護らないと!

 悪魔が願いを叶えてくれるなら、真っ先にやるべきことは防御だ。『自分の望み』なんて呑気なことを言っている場合じゃない。

「そしてもう一つ。悪魔ディンメはたくさんいますが、わたくしのパートナーである茅汎様は『護る』ことに関しては、すべての悪魔憑ルディンメの中で最強となります。そんな茅汎様が護ることを最優先に考えないはずがありません!」

「やっぱり悪魔ディンメはたくさんいるのか。それで『悪魔憑ルディンメ』って?」

「わたくしたち悪魔ディンメのパートナーとなるべき方です」

「そうか。俺って、最初から君のパートナーに決まっていたんだよな」

「逆です。わたくしは始めから、茅汎様のパートナーとして誕生したのです」

 最初から俺のための存在? いや、今はとにかく願い事に集中しよう。

「代償は、『彼女が受けるはずだった災厄を俺が受ける』とかは?」

「駄目です。それでは『災厄の対象を変える』願いを代償無しで叶えるのと同じです。最低でも災厄を二倍に増幅させないと」

「なるほど。『4』が強力だと言ってたけど、『四倍』だったら願いが強力になるんだな?」

「はい。『4』は特別なので、『五倍』にするよりも強力になります」

「分かった」

 願うべき内容を頭の中に思い浮かべる。もう聞くべきことはないよな。何か見落としがないか念のために改めて考えを巡らせた。何もない。俺がやるべきことは、後は願うことだけだ。何かが劇的に変わったりするのだろうか? 俺は意識して深呼吸した。気持ちを落ち着かせる。

 もう迷わない、願い事も決めた。代償は大きいだろうけど覚悟は決めている。

 前に進むぞ。

 強い緊張感の中、たった三つしかない願い事のうちの、その一つ目を声にした。


「我は願う。願命に起因する事象を条件とす。水南枝 莉乃に向かうあらゆる災厄を我に向けたまえ」


 悪魔ディンメが存在する以上、他の悪魔憑ルディンメから身を護ることは必須、契約しないわけにはいかない。だけどグアリムとの契約にどんな危険性リスクがあるか分からない。だから優弧は俺を出し抜いて契約しようとした。俺に危険性リスクを負わせないために。逆に俺にしてみれば優弧を危険に曝したくなかった。俺だけが契約できてよかったよ。これでいい。


〈代償を選択せよ〉


 えっ?

 今、どこから聞こえた?

 周りを見る。夜の星見山、街灯に照らされた存在は俺以外はグアリムと優弧のみ。そもそも聞こえた声はどちらの方角でもなく、まるで頭の中に響いたように感じた。幻聴かと思った、けど、幻聴じゃない。聞き違えようもなく、はっきりと聞こえたんだ。しかも人間離れした、何か怖ろしげな声音だった。

 この問いって、てっきりグアリムが言うのだと思っていた。

 ええい、気にするな! 俺は前に進む。それだけだ。

 さあ、儀式を続けよう。


被害ダメージを四倍にする事を代償とす」


 これですべて言い終わった。今更取り消しはできないだろう。でも後悔はしない。

「グアリム、これでいいのか?」

 グアリムは眼をつむったまま、じっとして答えない。何も起こったようには見えない。

 ……

 まさか? 騙された? すべてが嘘だったのか⁉

「グアリ、」

 グアリムを呼ぼうとして驚愕した。世界が消えた!

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