俺だけじゃない……本当に必要なこと

「ふう」

 無事に学校の正門をくぐり抜けた俺はホッと息をいた。登校中、昨日出逢った悪魔とか名乗った例の少女と会わないか、気が気ではなかったんだ。常に周囲に気を付けて歩いたけど、幸いにも遭遇することはなかった。俺は階段を登り、四階の一年七組に向かう。

「あっ!」

 教室の入り口で俺とばったり出くわした水南枝が声を上げた。

「おっ、おはよう藤林くん!」

 ちょっと慌てたような、妙に照れたような態度で俺に挨拶する水南枝。その妙な態度がどういうつもりか見当も付かず、少し不安になってしまう。しかし可愛い……

「おはよう水南枝」

 俺が動揺しているの、バレていないかな?

「えへへ、何だか照れくさいね」

 嬉しそうな表情に苦笑いと照れ笑いを混ぜたような表情で俺に笑いかける。俺と水南枝の関係は今までと変わらない……と思いたい。俺たち、これからも友達でいられるよな。水南枝はそっと顔を近付けてきた。近い!

 やっぱり妹よりも好きなの方がドキドキする。

「あのね、昨日言ったこと、忘れてね」

 耳元で俺に言う。失恋のことか。あんな話をして恥ずかしいんだろう。

「分かった」

 言葉で承諾しつつ、心の中でごめん、って謝る。きっと忘れられない。でも、忘れたふりをするよ。水南枝を困らせたくない。

 この時点の教室は、俺と水南枝以外のクラスメートはまだ五人しか来ていなかったけど、そのうちバラバラと少しずつクラスメートが増えていく。

 一〇人目くらいに照屋さんが来た。チャンスだ!

 何とか昨日のことは口止めしないと。っていうかできるのか?

「藤林くん」

 いきなり照屋さんの方から声を掛けてきた。

「な、何?」

「昨日のこと、誰にも言わないから」

 照屋さんは小声で俺に告げる。

「本当? ありがとう」

 良かった。まさか向こうからそう言ってくれるとは。

「昨日、あの後で遠塚さんと会ったんだけど、すごい美人と歩いていて、聞いたら藤林くんの妹さんっていうから」

 優弧と会ったのか。

「あの人だったら分かるよ! 血が繋がっているって辛いよね?」

 は? どういうこと?

「誰にも認めてもらえなくたってあたしは応援するから。禁断の恋だって恋だよ。頑張って!」

 俺が妹に恋しているって解釈か!

「ちょっと、てる」

 照屋さん、と呼び掛けようとして思いとどまった。誤解を解いてどうなる? 元の変態に逆戻りだ。

 だからこのままで大丈夫。今の照屋さんの誤解のままなら、

『美しい妹に恋した藤林 茅汎は、愛しい妹のためにセクシーな下着をプレゼントする』

 ……

 滅茶苦茶ヘンタイだあ〜!

 怖ええよ。俺が女だったら引くわー。

 結局、どっちも変態なのか。まあいい。言いふらされることさえなければ、俺はクラスメートに人間として扱ってもらえる。


 絶対にしてはいけないことがある。

 それは、妹に下着をプレゼントすることだ。

 どういう結末に行き着こうとも、それがロクでもないことは確実だ。


「藤林くん、どうしたの?」

 どうしてこうなった? と独り哲学的思索に耽っているところに水南枝が声を掛けてきた。

「何でもない」

「そう? ちょっと、こっちこっち」

 手招きされて水南枝の席に向かった。よく分からないまま、とりあえず水南枝の斜め後ろの机の上に腰掛ける。

「そこ座っちゃダメ!」

 何故か水南枝が慌てて指差ゆびさす。俺が机に腰掛けた席には女子が座っていた。

「ご、ごめん!」

 何というか、全然存在感がなくて気が付かなかった。空席だと思ったんだよ。

 そこにいたのはボブカットのほっそりとした女の子。そこそこ可愛いとは思うけど、何だろう、この空気のような存在感? しのび? くノ一?

「ううん、いいの。わたし影が薄いって言われるから」

 ……ごめん、名前が思い出せないや。

「あ〜、藤林くん! ミカちゃんの名前忘れたでしょう?」

 水南枝、バラすなよ!

「あの、ヨミカです」

「だよ! ミカちゃんでもヨミカちゃんでも、好きな方で呼んであげて」

 なんで水南枝がそれを決めるんだよ。お前は頼真か?

「俺が下の名前で呼ぶの、馴れ馴れしくないか?」

「……詠歌よみか しょうです」

 すみません、苗字ですか。

「ほんと、ごめんな」

 詠歌さんに謝って席を立つと、今度は水南枝の後ろの席に座り直した。水南枝は鞄から弁当箱を取り出す。早弁? 頼真じゃあるまいし。

 蓋を開け、箸を手にした。本当に早弁か?

「はい、あーん」

「ちょ、ちょっと⁉」

「どうしたの?」

 キョトンとしている水南枝は本気で分かっていない。

「周りを見てみよう」

「あれえ、みんなこっちを見てる?」

「水南枝はさっき、何をしたのでしょう?」

「ん? 藤林くんに食べさせ、えっ、えっ? わわわ!」

 途端に慌てだした。今ごろ気付いたか。

 君は衆人の注目の中、「はい、あーん」なんてやったんだぞ。

「違うの! そういうのじゃなくて、とにかく違うの!」

 だよね。何か色っぽい意図とか、そんなの全然ないよね。悲しいほどよく分かるよ。そういうのだったら、そして誰にも見られていなかったら、俺はどれだけ幸せか!

「それで、どうして俺に弁当を食べさせようとしたんだ?」

「お弁当全部じゃないよ。ほうれん草だけ」

「ほうれん草?」

「藤林くん、鉄分足りていないでしょ?」

 それって昨日の? あれは貧血じゃないんだけど。

「好き嫌いはいけません!」

「分かったよ」

 別に好き嫌いはないけどなあ。仕方がないから水南枝の箸を借りて、取り敢えず一口だけ食べたら「少ない!」と言われて、結局水南枝の弁当箱にあったほうれん草を全部平らげることになった。

「そう言えばこの席、空席だよな」

 食べ終わった俺は、自分が座っている席を指差す。

「余った席は、本当は凪良さんの分だったんだけどね」

 凪良さん? ちょっとだけ憶えている。確か真面目っぽくてしっかりした感じの女の子だったよな。一学期の遠足の時、とろい遠塚さんのことを色々面倒をみてくれたんだ。でも春以降の凪良さんのことが記憶にない。そう言えば、学校に来てないよな。

「凪良さん、退学だって」

「退学? 不良とかには見えないよな」

「不良なんかじゃ絶対にないよ!」

 だよな。なんでだろう。家の都合?

 高校って退学とかがあるんだ。中学時代とは違う。そんなことを考えているとチャイムが鳴った。HRだ。


    ♦ ♦ ♦


 休み時間、廊下に人だかりができていた。それも男ばっかり集まっている。

「お名前を教えてください!」

「何年何組ですか?」

 何だ? 男子生徒の輪の中心になっている美人が質問攻めに遭っていた。

「一年七組はこちらなのね?」

「はい、こっちです!」

 六組の内田が必死になって、俺の教室を案内している。俺はその美少女と目が合った。彼女はまっすぐこちらに来る。どうしてここにいるんだ?

「優弧?」

「ぬあにい〜?」

 俺の言葉に応えたのは優弧自身じゃなくて内田を始め、男子多数。何でだよ!

「藤林ぃ〜! きっさまあ〜、このお方とどういう関係だあ?」

兄妹きょうだいだけど」

「何だって、姉弟きょうだい?」

 あれっ? 一瞬、字が違った気がしたけど。

「藤林、俺はそんな話聞いていないぞ!」

 内田と同じ六組の徳山も俺を責める。

「俺に報告義務はないと思うけど?」

 徳山って隣のクラスだから体育の授業で一緒になるだけで、あんまり話したこともない。

「いつからあんな姉がいるんだよ?」

「普通に、生まれた時からに決まっているだろ。意味不明な質問してないで、お前ら取り敢えず落ち着け!」

 あっ、「姉じゃない」って言い忘れた。もういいや。

「優弧ちゃん、こんなところで会うなんて珍しいね」

 遠塚さんが驚きながら優弧に声を掛けた。

 いやいや、休み時間の高校の廊下に中学生がいるのは「珍しい」じゃなくて「おかしい」だから。

「たまたま通り掛かったのよ」

 んなワケねえ! 高校の制服、どこで入手した?

 優弧が俺に近付くと、小声で話し掛けてくる。

「兄さん、黒服の彼女はどうするの?」

 昨日の悪魔少女の話か。

「どうって、そのままだよ。何もしない」

「そう」

 優弧は何かを納得したっぽい。まさか、そんなことをわざわざ聞きにきたのか? もしかして俺が迂闊に行動を起こす前に止めにきた?

「ところで、学校はサボったのか?」

 周りに聞かれたくないだろうから小声で訊ねる。

「サボったりはしないわ。教師に信頼されている模範生だから。熱が出て、今は保健室で寝ているところよ」

 仮病かよ。サボってるじゃないか。

「あの、ユーコさん!」

 徳山が必死な表情で優弧に話し掛ける。

「あのう、親しくない人に下の名前で呼ばれても困ります」

 優弧がか弱い少女を演じて困惑した表情を作った。内心では、馴れ馴れしくされて怒っているな。

「す、すみません!」

 徳山、いっぱいいっぱいだ。それにしても血の繋がった妹に、知っている男が媚びる姿を見るのって、微妙な気分がハンパねえ!

「地味な藤林とは月とスッポンですね。血が繋がっているとは思えませんよ」

「そうかしら? 茅汎も結構可愛いわよ」

 妹に可愛いとか言われた⁉ しかも『茅汎』って、俺の姉を演じるつもりか?

「でも、あいつってパッとしないですけど」

 優弧が穏やかに微笑む。

 あれっ、優弧、怒っている?

 周りは気付いていないようだけど、俺は兄妹だから分かる。何に対して?

 優弧は徳山の背後を見て、急に目を丸くすると「きゃっ」と短く叫んで頭を抱えた。

「どうかしまし」

 徳山は声を掛ける途中で白目を剝き、倒れた。その横にコロコロと転がったのは、ゴルフボール。すかさず頼真が飛び付くように窓辺に走り、校舎の外を見た。

「ゴルフをしてそうな奴はいない。校舎に飛び込んだのを見て、逃げたか?」

 そう言って頼真は窓から離れた。

「徳山? 徳山、大丈夫か? 俺、こいつを保健室に運んでくる」

 内田が徳山を抱えて運びあげる。

「大丈夫ですか!」

「お怪我はありませんか?」

 突然、目の前で人が倒れたことに怯えている(振りをしている)優弧に、周囲の男子たちが口々に声を掛けた。

「わたしは大丈夫。でも、今の人が……」

「いや、今の奴は保健室に運ばれたから、多分大丈夫かな。ハハハ」

「あんな奴より、あなたのことが心配なんです!」

 君たちの優しさって、下心しかないのかよ。徳山を心配してやれよ。まあ徳山は一般人だから優弧は手加減しただろうけど。


 俺たち兄妹は幼い頃から様々な訓練を続けてきた。

 ちょっとしたお遊びなら『ジャンケン』がある。ジャンケンの手を中途半端な形で出しかけながら『相手(藤林家でない一般人)の手を見てから、こちらの手を決める』という行為を、相手が手を出し切るまでにやる。要するに『素早い後出し』だ。ただし十人くらいの観客ギャラリーが勝負に注目しても、誰にも気付かれないくらい速い『バレないほど速い後出し』になる。だからジャンケンの勝敗を自由に操作できる。以前の星見山の時みたいに、ジャンケンに負けた振りをして水南枝にカフェオレを奢るくらい、朝飯前だ。これは筋トレと同じで、技を極めた今でも暇さえあればやったりする。ちなみにうちの家族同士でジャンケンをすると、凄い戦いになる。

 ボールを投げることに関する技も色々あって、後ろ向きにものを投げたりとか、腕を動かさずにものを投げたりできる。更に、ボールなどを床や壁に投げ、二ヶ所で跳ね返らせて目標ターゲットに命中させることもできる。三ヶ所はさすがに厳しいけど。

 ただしボールの技に関しては、俺ができるのはここまで。でも優弧はこれらの合わせ技もできる。つまり徳山と会話しながら、背中に回した手から腕を動かさずにゴルフボールを投げる。ゴルフボールは壁→天井→反対側の壁と跳ね返って徳山の後頭部へ。命中の直前に、優弧は飛んできたボールに驚くような演技をする。真犯人が優弧だと気付いた人はいないだろう。


「びっくりしたぁ! 後頭部直撃とか、すごいよね!」

 セミロングの丸顔の女の子が、猫を思わせる悪戯っぽい顔に笑みを浮かべて言った。多分、同級生だろう。彼女はゴルフボールを拾って優弧に渡そうとしたが、ゴルフボールが変な方向に飛び跳ね、優弧が手を伸ばして何とかキャッチした。

「それじゃあ、わたしは行くから」

 優弧はそう言って去っていった。

「ま、待ってください!」

「俺もお供します!」

 男たちが優弧を追い掛ける。優弧は途中でくだろうな。角を曲がった途端、消えるとか。


    ♦ ♦ ♦


「ただいま」

 玄関の優弧の声に「お帰り」と答えて、予め用意していたタオルを渡す。傘は差していたようだけどスカートが濡れている。

 昼過ぎから降り出した雨が土砂降りになった。水南枝が(予想通り)傘を忘れていたから俺は団地まで送ってから帰ってきたんだ。優弧、うちの高校の制服のままだけど、あの後も中学校には戻らなかったのか? 今まで一体どこに行っていたんだ?

 ん? 何か俺、睨まれている?

「優弧、機嫌でも悪いのか?」

「別に」

 素っ気なく答えたから、やっぱり機嫌が悪い。追及はしないでおこう。

「兄さん、『地味』とか言われて何で黙ってるの?」

 別に、とか言いながら思いっきり怒っているじゃないか!

「でも、言われてムキになるのもカッコ悪くないか?」

 そう反論すると、優弧は分かったけど納得できないって顔をした。それで徳山にボールをぶつけたのか。優弧は憮然とした表情のまま、スカートを拭き終わったタオルを俺に渡して、さっさと自室に行った。


「兄さん!」

 自室でくつろいでいた俺のところに、優弧が怒った顔で現れた。まだ何かあるのか?

「な、なに?」

 ちょっと怯えながら訊ねる俺……笑わないでください。

「『山田やまだ さくら』って誰なのよ!」

「はあ? 誰それ?」

「質問してるの、わたしの方なんだけど?」

「ス、スイマセン。

 って俺そんな名前、聞いたことがないぞ」

「府立讃船さんせん高校一年一組」

「学校の同級生? 一組に知っている女の子はいないけど?」

「今日、わたしがゴルフボールを投げた時に、拾ってくれたよ」

 確か、『気紛れな猫』って感じの女の子だったな。

「ああ、あのか。覚えているけど面識はないぞ」

「わたしが兄さんから去る途中、ジイッと兄さんを見ていたわ」

 何で俺に?

 も、もしかしたらモテ期?

「……兄さん、今マヌケな勘違いしたでしょう?」

 うわあああ〜! 見透かされたあ!

「何で涙ぐんでいるの?」

 こういうのを見透かされるのって、結構恥ずかしいんだよ。ちょっとぐらい夢見たっていいじゃないか。

「違うのか? じゃあ」

「何が違うのかは追及しないであげるけど」

「あ、ありがと」

「戸籍も調べたけど、偽名じゃないようね」

 それを聞いて、のほほんと世間話をしていた気分が吹き飛んだ。戸籍を調べた? そこまでするって、悪魔少女並みの警戒対象なのか?

「一体どういう理由でそこまで気にしているんだ?」

 俺の問いに、優弧ははあ、と溜め息をいた。

「あのね兄さん、よく考えて。どうして彼女がわたしにゴルフボールを渡したの?」

「どうしてって、そりゃあ持ち主に返して、って、ええ⁉」

 自分で言って、さすがに気付いた。

 あの場にいた人間は全員、窓の外からゴルフボールが飛んできたと思い込んでいるだろう。まさか優弧が持ち主だとは思わない。だったら無関係なはずの優弧に渡す理由がない。だから優弧に「返した」のは、優弧が投げたことに気付いたということになる。

「わたしに『すごいよね』って言っていたでしょう?」

 確かに。言われてみれば『驚いた』とか『怖いよね』なら分かるけど、『すごいよね』っておかしい。優弧の技術テクニックを評した以外の解釈が思い付かない。

「しかも、わたしに返す時、指先で弾いていたわ」

「うそ! できるのか?」

「ううん。下手だった」

 そう言えば、彼女が優弧にゴルフボールを返した時、ボールが明後日の方向に飛んでいったのが、彼女の後ろから見えたな。指先で弾く。実は、それが腕を動かさずに投げるテクニックだ。ただし特殊な技術テクニックと長期間に渡る相当な訓練、そして超人的な握力が必要だ。

「下手な振りをしているのかな?」

「わたしの考えでは、多分演技じゃないと思う。中途半端に能力を披露して、それだけを隠すのはちぐはぐだわ。逆に、今日初めて挑戦して、本当はできるとしたら、どう思う?」

「俺は四歳から始めて、できたのが六年目だったな。いきなり成功したら化け物だ」

「そういうこと。さすがにそこまでじゃなかった。でも指の使い方を見抜いた。おそらく想像で。わたしがゴルフボールを投げた時は周囲を確認したから、指の形は見られていないはずよ」

 要するに、優弧がゴルフボールを投げた時、優弧が投げたことに気付いた。そして、優弧がどうやって投げたか知らなかったが「腕を動かさずに投げる方法は、きっとこれだろう」と推理した、ってことか。いきなり試しても、さすがにできなかったのは当然だけど、あれを即興で推理できるのか?

「すごくないか? それ」

「そう。だから気にしているの。しかもわたしが兄さんから去っていく時に振り返って見たら、彼女が兄さんを見ていて。しかもわたしにピースサインをしたのよ」

「優弧に見られたのを気付いたのか。そして俺を見ていることを隠すつもりもない。優弧、相手は害意があると思うか?」

「どうだろう。分からないわ」

「そうか。一応、注意しておくよ」

 そう言うと、優弧は安心した様子で俺の部屋を出て行った。優弧がイライラしていたのは、このことで不安だったからか。


    ♦ ♦ ♦


 カラオケボックスのトイレから帰ってきた時、ちょうど高良たからさんが部屋から出てきたところだった。

 悪魔少女と出逢って二日後の火曜日、俺たちのいつもの四人組は、クラスの高良さんたち女子五人組とカラオケをしていた。

「藤林くん、水南枝ちゃんと付き合っていたんじゃなかったの?」

 すれ違いざま、高良さんが訊ねてきた。

 ううっ、だったらどれだけいいか。

「別に。普通に友達だけど」

「昨日、二人で一緒の傘に入ってたじゃない」

 そのことで今日の休み時間に、高良さんのグループの澤崎さんからも「付き合っているの、結構前からだよね」と言われて否定したばかりだった。

「土砂降りなのに水南枝が傘を忘れたんだよ。天気予報で『午後から雨』って言っていたのに、相変わらずと言うか」

「水南枝ちゃんらしいね。でも二人の雰囲気って、どう見ても恋人同士だったわ」

「なっ!」

「しかも付き合い始めたばかりな初々しさじゃなくて、もう何年も一緒にいる、みたいな感じ」

「……」

「あはは。藤林くん、顔真っ赤っか、照れてるんだ!」

 水南枝は俺に頼るのが当たり前みたいに思っている節があるし、俺もつい構ってしまう。そうやって二人でいるのが俺には心地よいんだ。

「いい加減、コクっちゃいなよ。絶対いけるって!」

 やっぱり第三者からはそう見えるのか。俺もそうだと信じたかったよ。

 少し迷ったけど、俺は水南枝にフラれたことを高良さんに告白した。

「ふーん、意外ねえ。水南枝ちゃん、好きな人がいるようには見えないのに。いるとしたら藤林くんぐらいだと思った」

「俺にも正直、予想外だった」

「で? どうするの?」

「どうって、失恋して、今更することなんてないよ」

「でも、水南枝ちゃんに彼氏ができたのなら仕方ないけど、あの子も失恋しているんでしょ? 逆にチャンスだよ! 淋しさを埋めてあげなよ」

「なんかそういうの、付け込むみたいで嫌だな」

「何言ってんの? 藤林くんだけそう思っても、他の男はそうは思ってないかもよ」

「他の男⁉」

「いないとでも思ってたの? 水南枝ちゃん、素直で可愛いし、天然でドジなところもいいし。気になっている男子って、いると思うな。媚びても作ってもないのに可愛いとか、ズルいよね」

「い、いや、男の立場から言わせてもらうと、媚びるとか作るとか、マジ怖いからカンベンしてくれ」

「あはは。とにかく藤林くんだけが男じゃないから」

「俺だけじゃない……」

「藤林くんが水南枝ちゃんに気を遣うのはいいことだけど、そのうちに藤林くんに『彼氏ができたんだ!』って、嬉しそうに報告しそう」

「……」

「わあ、藤林くん、目がマジだよ! やる気になった?」

「ええっと、考えとく」

「藤林くん、決断力がないのは男としてダメだよ!

 諦めるの? 玉砕覚悟で攻めないと。水南枝ちゃんの片想いの相手以外でも、いい男が現れるかも知れないよ。世の中、男なんて掃いて捨てるほどいるんだから」

 俺は……俺は、どうすれば?

絢子あやこ、遅いよ!」

 俺が高良さんにダメ出しを食らっているところに澤崎さんが来た。

「あ、ごめんごめん」

「トイレから帰ってこないと思ってたら、ずっと藤林くんといたの? あ〜や〜しい〜!」

「あはは、んなわけないって。だって藤林くんだよ」

「そっかぁ」

 なんで俺だと納得するの? なんか釈然としないんだけど。

「そうだ、トイレに行く前に藤林くんと話し込んでたんだった」

「じゃあ、一緒に行こ!」

 俺は二人と別れ、一人でカラオケボックスに戻った。俺の中で、高良さんに言われた言葉がずっと引っ掛かっていた。

 俺だけじゃない……か。


    ♦ ♦ ♦


「……くん」

 カラオケが終わった後、水南枝は家が近い俺が送ることになった。カラオケのある『アイランド』の北端の駅前で解散した後、西島通りをまっすぐ南下する。

「……くん、……くん」

 区役所、区立公民館を通り過ぎる。

 俺だけじゃない……俺だけじゃないんだ。

 居ても立ってもいられな気持ちだ。今すぐにでも何とかしたい。星見山公園の横を歩く。

「もう、藤林くんってば!」

 俺は水南枝を……えっ、水南枝?

「なに?」

「だってえ、行き先を教えてくれないんだもん」

「行き先って、水南枝の家に送る途中だろう?」

「ええ〜! もう帰るの〜?」

「時間も遅いだろう。わがまま言わない」

「ううぅ、分かったよう。でもなんで行き過ぎてるの?」

「なんでって、そりゃあ、……ええ⁉」

 水南枝の団地は区役所と公民館の裏だ。つい考え事をして通り過ぎてしまった。引き返そう。

「ここからだったら一人で帰れるよ」

「いや、家の前まで送るよ」

「分かった。じゃ、行こう!」


    ♦ ♦ ♦


「ただいま」

 俺が家に着いたのは午後八時前。水南枝を家に送った後一時間ほど、あの悪魔少女を探し回っていた。まずは彼女と出逢った内港北公園に行ってみたけど、いない。他に心当たりもなく街中をあちこち歩き回ったものの、当然ながら見付けられなかった。

 リビングに行くと、久し振りに父さんが帰っていた。スーツの上着だけ脱いで、ネクタイを緩めてワイシャツ姿のままソファーで寝ている。藤林ふじばやし 葦貴よしき。四七歳の公務員。いまいちパッとしない、冴えない風貌……俺って父さん似だよなあ。そして優弧は美人な母さん似。一般的には息子が母親似で娘が父親似のケースが多いらしいけど。

「父さん」

「ん……後、五分」

「朝じゃねえ! ベッドで寝なよ」

 肩を揺するとのろのろと起き上がった。髭が伸びている。仕事で徹夜だったんだな。家にいる時くらい、ゆっくり休んでくれよ。

 さて、どうしよう? 今日は諦めて、明日改めて捜し直すべきか? だけど一日でも後回しにしたくない。しかし明日以降も探す当てがない以上、いつ出会えるのか? どうすればいい?

 悩みながら自室に入ろうとして気付いた。隣の優弧の部屋に灯りが点いていない。寝るには早いけど外出にしては遅い。

 もしかして?

 俺はすぐに優弧に電話した。

「優弧?」

『兄さん、どうしたの?』

「悪魔少女の居場所を知らないか?」

 俺は単刀直入に訊ねた。

『兄さん、彼女に関わるのは危険だわ』

「その危険な行為を、優弧はやろうとしているんじゃないのか?」

『……』

 黙り込んだ。図星だ。

 嘘はかないが言いたくない、ってことだな。優弧は俺と同じ結論に、俺より早く辿り着いた。だから昨日は俺に会いに来て、俺が行動しないことを確認した。そして昨日は学校をサボって一日中、あの少女を探し続けていたんだ。ひょっとしたら今日も。

 危険だから、優弧が俺の代わりを務めようとしているのか。

「優弧、今、悪魔少女と一緒なのか?」

『兄さん、絶対に危険なことをしないって、約束して』

 俺の問いに答えず、優弧から訊ねてくる。

「……分かったよ。無茶はしない」

『星見山に、グアリムと一緒にいるわ』

「分かった。今すぐ行く」

 電話を切ろうとして、大事なことを聞き忘れたのに気付き、慌てて訊ねる。

「優弧は、まだ願いを言ったりしてないよな?」

『できないわ』

「えっ?」

『グアリムは兄さんの願いしか叶えないって』

 俺だけ?

 どうして俺なんだ? 訳が分からないまま、俺は電話を切ってマンションを出た。

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