【第一章 非常階段の憂鬱】

安瀬鞍 映菜への手紙

映菜はな、元気?

 俺は今日、間抜けなミスをやっちゃったよ。Mのことを考えて溜め息をいたところをMに見られたんだ。しかも「どうしたの?」なんて、本人に心配されてしまった』


 とりあえず勢いでメールの文面を書きなぐった後、一旦手を止めた。マンション『メゾンNAICO』一〇階の俺の自室、午後一〇時、風呂上り。宿題も済んだし、このメールを送信したら、そろそろ寝るつもりだ。珈琲を飲みながらパソコンの画面を見ていてメールの着信に気付いた。映菜からだ。

 今日は彼女もメールを送ってきたんだ。

 安瀬鞍あぜくら 映菜はなは小学校の時に転校していった元クラスメート、そして親友だ。

 小さな頃から俺は同級生の面倒をみることが多かった。わりとしっかりした性格なのとお節介焼きで面倒見がいいせいだろう。グループの中心になったり前に出たりする方じゃないからリーダーになることはほとんどなかったけど、同級生からは頼られるし大人からも信頼されていた。

 そういうところが映菜と似ていた。

 同級生の女子に対して『姉御肌』というより『優しいお姉さん』なタイプだった映菜とは似た者同士、とても気が合った。映菜には秘密だけど、実は彼女は俺の初恋の相手だったんだ。

 しっかりしている映菜でも泣くことがあるなんて、あの頃は思いもしなかった。

 転校、隣の県、電車で二時間。

 それは小学生には果てしない距離だ。映菜の涙を見た時、離れると知った時、俺は自分の恋心に気付いた。俺たちは住所を交換し、必ず手紙を書く、とお互い約束を交わした。その約束は、今なお忘れられずに守られている。俺たちはだいたい週に二・三度、不定期に手紙を送り合うようになった。

 小学生時代から親にケータイを持たされていた俺と違い、映菜がケータイを親に買ってもらったのは中学校入学時。ケータイなら声でも文字でもリアルタイムに会話ができる。だけど、そういう俺の提案に映菜は反対した。郵便ポストに投函していた手紙の代わりとして、メールにすることに映菜はこだわった。

『私たちはただの【友だち】になりたくない。永遠の【親友】でいたいの』

 メールにする直前の、最後の手紙の彼女の言葉だ。メールを始めて、それが正しいことを俺は知る。友だちとの連絡にケータイを使う。映菜と交わす言葉は、そんな軽いものであってはならない。彼女とのメールは一語一句、心を込めて書くべきで、深夜に独りで、じっくりと読むべきものだ。

 中学生……それは、いくつもの変化があった。手紙からメールへの変更。映菜の二度目の転校。しかも隣町、自転車で行ける。でも何故かお互い逢おうとしなかった。逢えば何か大切なものが壊れてしまうように思えたから。映菜も同じことを思ったんだろう。そして……

 映菜は恋人ができたらしい。意外なことに、俺は素直に祝福できた。初めて聞いた時はショックだったけど、その時に自分の気持ちに気付いたんだ。俺の中の映菜への想いはもはや恋心じゃなくて、【恋人】よりも大切な【親友】になっていた。

 そして今もメールを続けている。メール以外の通信手段は使わない。それに俺たちは別れて以来の写真を送ったことがない。俺の知っている映菜はまだ小学生の姿をしている。もしかしたら街角で気付かずにすれ違ったりしているかも知れない。


 俺は映菜との会話を永遠に続けながら、俺の中の映菜は想い出の中に凍結されている。


 お互い高校生になった今年、俺にも好きな人ができたんだ。他の人には言えないけど映菜にだったら話せる。半分に減ったマグカップを置いて、メールの続きを書く。今夜メールを送信したら、映菜から届いたメールも読もう。送信前に読むことはしない。届いたメールを知らない状態でメールを送る。メールを読んでも、すぐには返信しない。会話をリアルタイムにしないためだ。俺は今日の出来事を思い起こした。

 あの時、俺は独り、非常階段で……


    ♦ ♦ ♦


 はああ〜。

 俺は黄昏たそがれて溜め息をついた。

 今は二時限目の後の休み時間。俺は四階廊下の突き当たりから校舎を出て、校舎脇の非常階段に座り込んで外の景色を眺めている。

 校舎の階を上り降りする時、普通は校舎内の階段を使うよな。非常階段なんて使わない。でも非常階段だって使いたければいつでも使えるし、別に叱られるわけでもない。だから他の誰も来ないここは、いつの間にか俺たちの溜まり場になっていた。たまに先生が見回りに来たこともあったけど、別に不良とかじゃないから注意されることもなかった(不良じゃないけど問題児の集団だとは認める)。そもそもうちの学校に不良なんていないから、俺たちがシメられることもないし。屋外だから学校の周囲からは丸見えだけど、実際には通行人も向かいのマンションの住人も、見上げてこんな所に目を向けたりはしない。校内にあるのに誰も来ない、誰も見ない場所。一種の『秘密基地』だ。

 そんなわけで非常階段は、ときおり俺と友人たちがたむろする場所になっていた。

 学校の隣には十数階建てのマンションがいくつか建っていて、その隙間から河が見えた。マンションの谷間から河を見ていた俺は、河より更に向こうに視線を移した。向こう岸はおもむきがガラッと変わって隣町になり、超高層タワーマンションなどが見える。特に目的もなくぼおっと眺めた後、再び河に眼を向けた。

 物思いに耽る俺の視界にはマンション越しに芹那川せりながわが映っている。ここは大阪湾の近くの大阪市西島区イリンジマク、河の周囲には土手の遊歩道や並木などの『緑』は無い。芹那川は鋼鉄とコンクリートだらけの街の間を流れている。河辺に並んでいるのはわずかな民家の他は工場と巨大クレーンと製造中の船、そして駐車場ガレージと大型トレーラーと倉庫だ。河岸より内側を河に沿って道路が走り、更に内側にはコンクリートの防潮堤が延々と続く。防潮堤から内側の道に続く入口には鋼鉄製の青い水門がある。水門を通って内側の道に入ると急な下り坂になる。内側の土地は海抜かいばつ以下の土地が多いので津波など有事にはこの水門を閉じるそうだ。

 芹那川に架かる半円形の青い鋼鉄製の巨大なアーチがある。幅一一メートル、長さというより直径六六メートル、重量五三〇トンに達するアーチは幼い頃から見慣れているけど、それでも間近で観ると、高くそびえるその威容には今でも圧倒される。

 小学生の時に学校の社会見学で訪れるまでは「この橋、渡れないんだけど、どうなっているの?」なんて思っていたけど、橋じゃなくてこれも水門で、高潮の危険がある時はこれが横倒しになって半円形のダムのように河口を塞ぎ、海から街を守る。

 島として水で周囲から分断されているこの街は、内側は普通の街並みなのに水辺でもある外縁部は巨大建造物が多い。しかも大抵が鋼鉄製だ。夜にそれらを見上げる時、街灯に照らされて闇に浮かび上がる、そんな巨体の威圧感は何故か未来の退廃世界ディストピアを彷彿とさせ、「ここは鋼鉄都市スティールシティだな」と思わずにはいられない。

 この河はほとんど河口に近い下流で、ここからほんの数キロメートル先はもう大阪湾だ。もっとも、埋め立て地やら人工島やらで、どこまでが河か、どこからが大阪湾か分からないけど。厳密には河でも海でもない、周囲を港に囲まれた、内海ならぬ『内港』もある。俺の良好な視力では、海水浴には向かない黒々とした水面がゆらゆらと揺れているのが見えた。

 まるで俺の心そのものだ。

藤林ふじばやしくん、どうかしたの?」

 声を描けられたので振り向くと、いつの間にか来ていた水南枝みなえが俺の横に座り、不安そうに俺の顔を覗き込んでいた。小柄な体躯たいくを包むアイボリーのジャケットと紺色のネクタイ。うちの制服でこの部分は男女共通だ。下は、男子は女子のスカートより濃い紺色の無地のスラックスだけど、女子のプリーツスカートは紺色をベースにしたタータンチェックだ。

 女子のが男子のスラックスと同じデザインになるよりもこっちの方が断然いい。というか逆に男子のズボンがこのスカートの柄だったら、絶対に穿きたくない。

 しかし恐ろしいことに、そんなズボンを指定制服にしている高校が世の中には実在するんだよな。そういう制服を街で見たことがある。これ、学校側の生徒に対するパワハラだよな。

 くっそう、高校生こどもはなんて無力なのか。私服じゃ絶対に売れないようなデザインを生徒に強要するなよ。まあ余所よその制服はおいといて、我が大阪府立讃船さんせん高校の制服は、まあ悪くない。最悪の高校のことを考えると、むしろ校長だか誰だか知らないけど、選んだ人グッジョブとすら思える。

 見ると水南枝のネクタイの裾がジャケットから飛び出していた。ジャケットの下にネクタイを押し込んでやる。

「あっ! ありがとう」

「水南枝、身だしなみ‼ これは女子力の一部だぞ」

「えへへ、ごめんね」

 嬉しそうに答える水南枝の笑顔に、反省の色はまったく見えない。まあ、いつものことだけど。トランジスタグラマーだとネクタイが飛び出してしまいやすいのだろうか? でもよく考えると、今朝(というより今まで何度も)、水南枝のネクタイを結び直してやっているよな。ネクタイの結び目にグラマーは関係ない、性格の問題なんだ。俺の妹はしっかりしすぎて手間が掛からない(逆に兄に厳しすぎる)のに対して、同級生なのに水南枝は子どもみたいに色々と手間が掛かる。そして俺は彼女の兄、というより「おかん」だと人は言う。ほっとけ!

「藤林くん、さっきすごく憂鬱そうな顔をしてたよ」

 水南枝は自分の身が不幸に見舞われたような表情で俺に訊ねる。心配してくれるのか。相変わらず優しいなあ。感情移入しやすくて、いつも我が身のことのように思ってくれる。

 嬉しい。それに、やっぱ可愛い!

 彼女のことを『美人』か『可愛い』か? と問えば百人中百人が『可愛い』と答えるだろう。丸顔にボブカット、たれ目で少し童顔、いつも誰にでも見せる笑顔は周囲を和ませる。

 藤林ふじばやし 茅汎ちひろつまり俺と、水南枝みなえ 莉乃りのはクラスメートだ。そして後二人を含めた四人で、いつも一緒に遊んでいる。俺たち四人はよく非常階段にたむろしている。

「今夜の夕飯、俺が当番だから何にしようか迷っていたんだ」

 水南枝を心配させたくないから、適当に誤魔化す。

「そっかぁ、迷うよね」

 えへへ、と笑いながら水南枝が同意する。献立に悩んだくらいで憂鬱になる人はいないと思うけど。信じるの? 自分で言っておいて何だが、チョロくないか? とさすがに心配になるな。

「水南枝も料理好きだよな。やっぱり夕飯とか作ったりするのか?」

「うん。でもりすぎるから、あたしが一人で作っちゃダメだって」

「へえ、なんで? どんなの作ったりするんだ?」

「例えば先週の月曜日の朝ごはんも、もやしとソーキたっぷりの沖縄そば風ラーメンと、バジルを限界まで使ったジェノヴェーゼ、ほうれん草とココナッツに豚の挽き肉と柔らかラムのタイ&インド風グリーンカレー、イングリッシュマフィンと四つ切りフレンチトースト、タコの他にキムチとゴーヤも入った韓国&沖縄風たこ焼き、えっとそれから、」

「作りすぎ! 作りすぎだって! 三人家族でそれ、絶対に残っただろ?」

 なんつー無国籍ぶり。無国籍の満干全席かよ? しかもラーメン、パスタ、カレー、パン、パン、たこ焼きか。「パンとうどん」でも「炭水化物、ダブってる」と普通は言われるけど、これは麺類とパンが二つずつあるぞ! だいたい、いくら大阪人でも朝ご飯にたこ焼き食べる奴はいねーよ。朝食にカレー&ラーメンってのもすごいけど。

 先週の月曜日って確か、水南枝は弁当とは別に冷め切ったたこ焼きを持って来ていたな。天文部がなぜか部室に電子レンジを持ってたから借りて暖めたけど、みんなで食べたらキムチやらゴーヤやら入ってたのは、そういう背景があったのか。きっと早起きして料理に精を出してたんだろう。後から起きて慌てる両親の姿が目に浮かぶ。

「う〜ん、作る量をセーブしたら、『かわいいお嫁さん』になれるかなぁ?」

 なれるよ。

 既に可愛いから。

 だから結婚したら自動的に『かわいいお嫁さん』の出来上がり。

『結婚』という言葉を聞いて、俺の心臓はドキンと跳ね上がった。

「藤林くん、はい」

 水南枝が俺にチョコスティックをくれた。二人並んでかじる。俺は水南枝の横顔を眺めた。いつも楽しそうだな。今にも鼻唄でも歌い出しそうだ。

「ん? なになに、どうかしたの?」

 チョコスティックを頰張りながら水南枝が振り向いた。

「いや、何も」

「うそ! さっきあたしのこと、ジロジロ見てたよ?」

「だって、ほっぺたに」

「うそ?」

 水南枝はピンクのハンカチを取り出して頬を拭う。

「うそだよ」

「えっ? もう!」

 水南枝は怒っているのか喜んでいるのか分からない表情で俺の背中をドンと叩いた。

 ……言えない、見惚みとれていたなんて。そしてこれまでを思い起こす。


     ♦ ♦ ♦


「藤林くんって喜多村きたむら中学だよね?」

 高校入学式の最中だった。一年七組担任の吉井よしい 夏菜子かなこ先生に連れられて体育館で並んでいる中、隣にいる女子に俺は話し掛けられたんだ。

「そうだけど、なんで知ってるの?」

「あたしも同中おなちゅー!」

「ご、ごめん、知らなかった」

「あたしも在学中は藤林くんのことは知らなかったんだ、えへへ。嘉手納かでな ようちゃん、知ってるよね」

 嘉手納さんは中学二年の時のクラスメートだ。

 他の学年の男子が教室まで見に来るほどの美少女。小柄で華奢な体躯、硝子細工を連想させる繊細な容姿は「うっかり触れれば壊れてしまう」と錯覚しそう。そんな儚げな雰囲気は内気で大人しい性格と共に、男には口説く・付き合うというより離れて見守ってあげたいと思わせてしまう。

 そんな、男子に特に受けの良い彼女は、一部の女子に反感を持たれていた。男に媚びているんだったら分かるけど、嘉手納さんは男子が苦手なのに。気が弱いから攻撃しやすかったのもあったんだろう。やっかみで揶揄するとか、俺はそういうのは個人的に大嫌いだから、同じクラスの時は何度かかばったことがある。

「春休みに遙ちゃんの家で卒業アルバムを見ていて藤林くんのことを教えてもらったんだけど、まさか同じクラスなんてビックリだよ! ちなみに遙ちゃんは四組なんだって」

「嘉手納さんもここに入学したんだ」

 俺が驚くと、彼女はニヤニヤと笑いを浮かべた。

「やっぱり男の子はああいう美人さんが好きなんだ」

「そういうんじゃないって!」

「あっそうだ、藤林くんとクラスメートになったって遙ちゃんに報告しなくちゃ。よろしくね、藤林くん」

 それが水南枝との出逢いだった。


    ♦ ♦ ♦


 一緒に遊ぶグループになり、いつも傍にいた存在。そんな水南枝を好きになったのはいつからだろう? 少なくともその気持ちに気付いたのは夏休みに入った時だった。毎日顔を見合わせていた一学期と違って、夏休みもたまに彼女を含む仲良しグループで会ったりもしたけど、会えない日の方が多い。会えない間に想いが積もり、色々考えた末についに俺は一大決心をした。九月一日、始業式にコクる!

 そして当日。

「み、水南枝! あ、あのっ、こっこれから」

「藤林くん! どうかしたの?」

 もうどうしようもないくらいパニクって挙動不審な俺を水南枝は心配していた。これじゃムードも何もない。これでコクっても上手くいくわけない。せ、戦略的撤退! 決行日は明日だ。

 翌日。

 ……決行日は九月三日に延期された。

 そして気付けばいつの間にか十月。俺はここまでチキン野郎だったのか……

 何度か勇気を出そうとはしたんだけど、二人きりになれるように誘うことさえできない惨状。だけど偶然に二人きりになれたことがあった。例えば朝。俺は割と早く登校する。水南枝も朝は早いし、それを狙ってというのもある。と言っても朝が早いのは俺たちの他にも大抵二人くらいはクラスにいるんだけど、その日はたまたま他に誰もいなかったんだ。つまり水南枝と二人きり。

 俺は勇気を出して声を掛けた。

「水南枝って……朝は洋食派?」

 俺のバカ野郎!

 せっかくのチャンスをなに無駄遣いしてんだよ!

「う〜ん、和食、洋食、オキナワ食のローテーションかなあ?」

 水南枝、『オキナワ食』という日本語は無い。『沖縄料理』だ。しかし可愛いから許す!

「沖縄料理じゃない時でも、ゴーヤーはよく食卓に出るよなあ」

「だよねー」

 俺と水南枝は学校付近の西島の住人だけど、ここは沖縄出身の人が多く住んでいて、特に町の南部には『リトル沖縄』と呼ばれている地域もある。そのせいか普通の家庭でも料理とかの影響をある程度は受けている。水南枝の家系は沖縄出身じゃないそうだけど、やっぱり沖縄料理が食卓に出てくるそうだ。食材も近所で売っているしな。俺は母さんがリトル沖縄の二世とかじゃなくて、普通に沖縄出身だ。

 その後は『苦いゴーヤー』『苦くないゴーヤー』の談議で盛り上がり、途中で我に返って話題を修正しようとしているうちに他のクラスメートが登校してきた。

 以来、朝に二人きりになったことは無い。

 だけどチャンスはもう一度やってきた。今度は掃除の時間、しかも視聴覚室! 窓は黒いカーテンで閉め切り、部屋には二人の他に誰もいない。

 ……昨日のバラエティー番組のお笑いタレントの話で盛り上がってしまった。うまいはずのない俺のモノマネに、笑い上戸の水南枝は始終、笑い転げていた。

 俺の大バカ野郎‼

 もはや自力では状況を打破できそうにないな。このまま四月を迎えて二年になるのか? また同じクラスになれる確率は七分の一。クラスが変わったら、もう今のメンバーで遊ばないかも。『新しい出逢い』とかで俺が他の誰かを好きになることは絶対にない! 俺はこのまま高校生活が終わってしまうのか?


 こうして俺は、只今絶賛、落ち込み中! というわけだ。そしてそういう事情で独り黄昏れていたので、水南枝には理由を言えないんだ。まさか『今夜の献立』なんて口実で誤魔化せるとは思わなかったけど。

 美味しそうにチョコスティックを食べている水南枝の横顔を見る。「ジロジロ見ている」とまた言われる前に目を逸らし、その姿を脳内で反芻する。見慣れた制服、本人にしてみれば着慣れた制服。でも初めて逢った入学式の時はまさに『服に着られている』『馬子にも衣装』だった。『馬子にも衣装』なんて本来は悪い表現だけど、醸し出すちぐはぐさが初々しい。まるで『中学生』を『高校生』に無理矢理ジョブチェンジさせた感じ。その『似合ってない感』が抜群に可愛かったんだ! もちろん今でも可愛い。

「藤林くん、ニヤニヤしてるけど、どうしたの?」

 気付けば水南枝が俺の顔を覗き込んでいた。しまった、目は逸らしていたけど顔に出ていた!

「えっ、いや、ちょっと色々思い出して。入学式のこととか、……初めて出逢って、」

「えっ?」

「なな何でもない!」

 なに口走ってんだ俺? あの出逢いのことを思い出してたとか、恥ずかしくて絶対言えない。

 ……ちょっと入学初日のことを思い出してしまったなあ。

 他の友だちと遊ぶこともあるけど、こうして俺たちはもう半年も一緒なんだな。

「初めて出逢った時かあ……」

 うっ、しっかり聞かれていたか。聞き逃して欲しかった。

「初めの頃、藤林くんってフミちゃんの保護者みたいだったよね」

「……今はどっちかと言うと、水南枝の保護者だと思うけどな」

 いつも一緒にいる四人組。残りの二人の橿かし 頼真らいま遠塚といづか 文緒ふみおさんのことを思い起こす。疑うことを知らない遠塚さんを『社長令嬢だ。利用しない手はない!』なんて言い出した頼真の魔の手から護ろうと初めは思っていた。だけど頼真は口では悪ぶっても遠塚さんに悪いことをするわけでもなく、むしろいじり甲斐があると判明した水南枝に攻撃が集中するようになった。いつしか遠塚さんより水南枝の方が俺の保護対象に変わっていた。それに四人でつるむようになって分かったんだけど、水南枝はとにかく手が掛かる! 五歳くらいの娘を持つ父親って、こんな感じかも、って時々思う。遠塚さんも色々隙がありすぎてハラハラするけど。

「遠塚さんも水南枝も、キミたち高校生なんだから、そろそろ自立しなさい」

「えへへ、いつもごめんね!」

 相変わらずまったく悪びれない口調で水南枝は笑った。かく言う俺も正直言って、こういうのも悪くないと感じている。

「はい、おわびね」

 またチョコスティックをくれた。そして自分でも食べる。って、まだ食うのか? 女子の謎の一つだけど、ダイエットとか言いながら、いつも何か食っているよな。あれは理解できない。

「あっ、犬だ! ほら、あそこ」

 水南枝が指差す方向に目を向ける。学校の横の道路を、柴犬を連れたおばさんが歩いていた。犬の散歩、というありふれた光景でも水南枝は楽しめるんだなあ。その感性には敬服するよ。でも、何でもない風景を二人で眺める心地よさは、感性が普通の俺でも楽しめた。

 俺は水南枝の隣にいられる、少なくとも友だちとしてなら。

 このまま、二人きりでいたい……


 キーン、コーン、カーン、コーン。


 そして、こういうことを思った途端、非情にもチャイムが鳴ったりするんだよな。


    ♦ ♦ ♦


『まあ、そういうわけで、何とか誤魔化せたんだ。Mが鈍い性格で助かったよ。こんな状況で途方に暮れているけど、俺はまだ諦めていない。二学期が終わるまでにはコクる!

 ……できたらいいなあ。

 映菜は最近どう? この間の文化祭の話、楽しそうだったな。映菜は敢えて書かなかったんだろうけど、クラスのみんなに頼られているのが行間から読み取れた。映菜らしいな。

 また、近況報告、楽しみにしてるから』


 メールを書き終えて読み返してみる。読んでいると今日の出来事、それから映菜のこと、色んなことが頭に浮かんだ。よおし、これでいい。送信ボタンを押してすぐに、映菜からのメールを開いた。書いている間も、早く読みたくて仕方がなかったんだ。今の環境にもたくさん友だちがいるし、毎日が楽しい。それでも映菜は、俺にとって大切な親友だ。


『茅汎へ。お元気ですか?

 中間テストお疲れ様。高校になって勉強がグンと難しくなったよね。特に数学!

 お友だちのKくんの話を読んで笑っちゃった。試験中に「コックリさん、コックリさん」とかトランプをめくって「ページワン!」とか、隣の席の子の試験用紙の上に崩れたジェンガが落ちてくるとか、さすがに迷惑だよね。と言うか試験中の教室、机の上にそびえ立つジェンガの塔、っていうのを想像してみて、あり得ない光景だなって思ったわ。コックリさんやページワンが独りでできるのかも不思議なんだけど。ユニークなお友だちと、相変わらず楽しく過ごしているようだね。安心しました。

 私の学校は今日、中間テストが終わったところ。学校によって時期が微妙に違うんだね。部活やってる子は、もちろん試験中は部活が休みだけど、部活の再開は試験最終日の今日からじゃなくて、明日からだって。だから今日はクラスのみんなでカラオケに行ったの。さすがに全員じゃないけど半分くらいは参加していたよ。うちはクラスの団結力が強いから嬉しい。

 また近況報告をします。Mさんとはその後どう? 私も応援してるから。それでは』


 映菜がメールで水南枝のことを訊ねていた。連絡が行き違いになったな。映菜も今の生活が楽しそうで良かった。俺も水南枝のこと、頑張ろう。

 ……頑張れる、かな?

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