【第零章 少女と河】

少女と河、或いは十字路

 ―― 少女は、十字路で生まれた。 ――


 夕陽は既にビルの群れの向こうに隠れている。多数の人々が行き来する雑踏の中、その少女はたたずんでいた。彼女がまとう服装は闇のように漆黒で、無数のフリルやレースがついている。いわゆるゴシックロリータだ。頭には黒のベレー帽。まるで着慣れた普段着のように少女に馴染んでいるその衣裳は装飾が多いものの、少女らしい愛らしさよりも、見る者の気分を沈ませるような暗い印象を与える。他の色の共存を許さない、光沢を欠いた黒一色のせいだろうか。それは少女のまとった闇のようであった。

 ただし、ゴスロリはその場所では決して珍しくない。少女の目の前には建造十数年のまだ新しい多目的スタジアムがあり、毎日のようにスポーツの試合やコンサートが行われている。日曜日のこの日もロックバンドのライブがあり、満員電車のように歩道に溢れていたファンの中にはゴスロリもちらほら混ざっていたのだ。もっともコンサートが既に開演した現在は、人の流れも落ち着きを取り戻している。

 少女の年齢は中学生くらいに見える。華奢で小柄な体型は、触れると壊れそうなほどはかなげに感じられる。穢れを知らないようなあどけない表情は、見方によっては魂の欠けた人形のようでもあった。その美しい容姿に、すれ違った人々の多くが振り向く。しかしまったく表情がないことに何人気付いただろうか。彼女を見た人たちは、服装の闇のような印象とは正反対の、天使のような愛らしいその容貌に思わず頬がゆるむ。しかしその一方で、ゾクリと、何か言い知れない不安を無意識に感じただろう。

 ―― それは人間の本能が、天使とは真逆の彼女の本質を感じ取ったあかしである。 ――

 彼女はどこから来たのか? それは東西南北のどちらからでもなかった。やって来たのではなく発生したのだ。今から数十分前の、この場所で。


 十字路で生まれた少女


 欧州ヨーロッパでは古来より魔の象徴とされた十字路。そこから生まれた、人でない少女。ただし、その十字路は道ではない。いや、正確には『人の通る道ではない』と言うべきだろう。人でなく水の通る交差点、河の十字路だ。北から流れる河と東から来た川が合流し、再び別れて西と南へと流れてゆく。


 河と河と河と川


 十字の交差部分から東に延びる川のみ川幅三メートルに満たないが、残りの北・西・南に延びる河はどれも河幅が五〇メートルを超えている。そして少女のいる場所は、河で四つに分断された大地の北西部に位置した。風景にも道行く通行人にも関心を寄せず、少女は独りつぶやく。

「十字はくさび

 それは、世界を四つに分断する。すなわち、

 北東はイズィ

 南東はリル

 北西はイド

 そして、南西はキル

 少女は右腕を伸ばす。掌をまっすぐ前に向ける。その手から、まるで小さな雲のように水蒸気が生まれて手が見えなくなる。数秒ほど経って水蒸気は薄れ、消えていった。

「そして、我があるじキル至高王ロード

 じっと立ち止まっていた少女は、やがてゆっくりと歩き始めた。

 南へ。

 十字の河の一本を橋で越え、四つの土地の別の一つ、南西部に移る。その土地だけは他の三つと大きく異なっていた。『アイランド』の別名を持つその街『西島イリンジマ』は、水に囲まれて周囲の土地から完全に分断されているのだ。橋か舟でしか西島へは渡れない。

 橋を渡り終えた少女は立ち止まり、斜め右前方に眼を向ける。六車線の道路が彼女の視線に沿って斜めに、西と南の河に対して四五度の角度で南西へと延びていた。夕焼けに赤く染まったその道路は一五〇メートルほど先で鉄道と交差し、駅前らしい賑やかさを生み出していた。更にその先はここからでは見えないが、この道路はゆるやかに弧を描いて南西から真南へと向きを変え、そのまま南へまっすぐ続いている。

 その道は西島の真ん中を、北から南へまっすぐに貫く。まさしく街のメインストリートであり、少女のいるその位置こそが、まぎれもなく街の入り口だった。

 そこで少女は初めて表情を見せる。笑ったのだ。


 それは、朗らかな笑いではなく、

 ニヒルな笑いではなく、

 邪悪な笑いではなく、

 まるで狂信しわれを見失ったかのような、恍惚とした喜びだった。


「この先にいらっしゃるのですね。わたくしの仕えるべき御主人様」

 うっとりとした声音こわねで彼女は呟く。

 その視線は、ここから見えないはずの港のほとりの公園へと、まっすぐに向けられていた。

「ああ、きっと絶望に打ちひしがれているのですね。ですから、わたくしが希望を差し上げましょう。あなた様こそが王に相応しいのですから」

 そして彼女は、少女グアリムは再び歩き始めた。


 総てを、始めるために。

 彼女の存在理由レゾンデートルを、証明するために。


 少女グアリムは彼女の主人あるじに、そして人間たちに、何を恵み、何を奪うのだろうか?

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