第11話 どうなっても、構わない

その1


 今年の冬は去年のような大雪にもならず、概ね穏やかな冬だったと思う。残念なことは、除雪ボランティアの出動回数減少により、魚屋の旦那さんと会う回数が減ったこと。

 良かったのは雪が少ないので、自主トレ系マラソン部の活動も思った以上に何回もできたこと。

 その他に別の楽しみもこの冬はあった。それは、お父さんと一緒に小林先生の病院に行くこと。小林先生とお父さんの遣り取りは‘治療’というよりは、語らいであり、縁ある2人の人生勉強とも言えるものだった。小林先生は自分自身も勉強しているのだという姿勢を貫いている。‘名医’というのは、‘名人間’であることがまず絶対条件なのだと感じる。いや、‘自分はまだまだ。もっとお教えいただきたい’と向かう姿勢そのものが絶対条件のような気がする。僕は、小林先生とお父さんとの間柄からどれだけのことを気付かせていただいたか分からない。

 3学期はいよいよ受験モードが本格化してきて、模試やら補習やらがてんこ盛りだった。

 幅跳びにも力を注いだけれども、どこまで十分にやれたか分からない。

 本当は、本もたくさん読みたいのだけれども、学校の課題をこなすだけでも相当な時間とエネルギーがかかる。ぶっ倒れる・・・程までは勉強も家の手伝いもした訳じゃないけれども、若さだけで押し切れることばかりではないな、というのを切実に感じる。現に、春休みに入った今、あと一週間ちょっとで僕は誕生日を迎え、また一つ年を重ねるのだ。十代の僕にして避けることのできないこの事実。70歳、80歳の方々は一体どんな思いで毎日を生きているのだろう。

 そう思いながらも学校の課題が目の前の現実として立ちはだかっていることを無視はできない。そんな訳で、今日も市の図書館に来て、課題と悪戦苦闘していた。

 夕方、閉館時間を告げるクラシック音楽が流れて来、エレベーターで図書館建物のロビーに降りる。外はからっと晴れている。徐々に日が長くなってきているのが本当によく分かる。

 自動ドアをくぐり、自転車置き場に向かおうとしたところで、かわいらしい後ろ姿を見つけた。

「さつきちゃん」

 僕が声をかけると、さつきちゃんは振り返り、笑顔でこんにちは、と挨拶してくれた。

「さつきちゃんも図書館で勉強してたんだ」

 僕たちは‘惚れた腫れた’を排除するために、図書館でお互いの姿を探さないことを暗黙の了解としていた。勉強しに来ているのだから、当たり前の話だけれども。だから、こんな風に図書館でばったり会うのは本当に久しぶりだ。

 2人で各々の自転車を押しながら、なんとなくぶらぶらと図書館に隣接した県庁前公園の中を歩き始める。向こうに子供用の遊具を備えたスペースがある。公園内を突っ切ろうと歩いているサラリーマンや、ベンチにぼんやりとたたずんでいるお年寄りなんかがいる。

僕とさつきちゃんは暮れ惜しんでいる夕陽の中で楽しそうに笑っている親子連れに何となく視線を向ける。

 幼稚園くらいの女の子が小学校中学年くらいのお兄ちゃんに甘えている。

「お兄ちゃん、手、つないで」

 お兄ちゃんは、えー・やだよー、と言いながらも、きゅっ、と妹に手を握られて幸せそうな顔をしている。それを見て隣に並んで歩くお母さんも優しい笑顔を2人に向けている。

「お兄ちゃんか・・・羨ましいな」

 さつきちゃんが柔らかな表情で兄妹を眺めている。

「耕太郎がいるじゃない?」

「でも、お兄ちゃんか、お姉ちゃんか、上の兄弟がいるのってやっぱり羨ましい。あんな風に甘えられるし。かおるくんもお兄ちゃんがいるから羨ましいよ」

 僕はさつきちゃんの言葉とは反対に、少し暗い気持ちになる。兄ちゃんは春休みにも結局帰省しないと連絡してきた。

 幼い兄妹に目を戻すと、ブランコを見つけた妹はそこへ向かって走り始めていた。お兄ちゃんが走ってその後を追う。お母さんはゆっくり2人に着いて行く。

「一番目は男の子、二番目は女の子っていうのもなんだかかわいくていいね。かおるくん、どう思う?」

 さつきちゃんが時折見せる‘天然’の言動に、‘だから、誰と誰の子?’とどきどきしながら突っ込みたくなるけれども、怖いのでやめておくことにした。


その2


 妹がブランコに腰かける。お兄ちゃんに押して、と頼んでいるようだ。お兄ちゃんは妹が乗ったブランコを背中から押して、はずみをつけてやる。何回か繰り返す内にブランコの振りが徐々に大きくなる。さつきちゃんが立ち止ってその様子を眺め始めたので僕も一緒に見る。さつきちゃんはその二人の兄妹をとても愛おしい目で見つめている。

 けれども、僕は兄妹の様子とは関係ないところに目が行く。もしかして僕は基本的に冷たい人間なのだろうか?夕方でも結構人がいるもんだな、とか、遊具はブランコの他にシーソーや滑り台もあるな、とか。

 その内に妹の背中を押すお兄ちゃんの足下に、誰かがポイ捨てしたペットボトルが転がっているのが目に入った。ああ、誰だろう。あんなところに危ないな、とぼんやり思っているとお兄ちゃんがペットボトルを踏んでしまい、バランスを崩した。

 あ・・・と思う間も無く、物凄く勢いがついてしまっていたブランコが妹の体重も乗せた加速でお兄ちゃんの所までもう戻って来ていた。

 ド! という、はっきりした音が20メートルほど離れたここまで聞こえた。

 ブランコの板が狙いすましたようにお兄ちゃんの胸に激突したのだ。お兄ちゃんはそのまま2m程吹き飛ばされて背中から地面に倒れ込んだ。お母さんが驚愕の表情で駆け寄る。僕もさつきちゃんも、あまりにもはっきりと一部始終が見えたので、呆然としてしまう。時間が止まってしまったように感じる。その時。

 突然、僕の左耳の蝉の音の中に、‘ガササッ!’というノイズが割り込む。

『行くのだ』

 そう、はっきりとノイズを更に割るような音質で、どなたかの声が聞こえた。

 僕がコンマ1秒ほどまごまごしていると次の瞬間、

『行かぬか!!』

と、僕を叱り飛ばす爆音のような大音声が破れたはずの僕の左耳の鼓膜を更にもう一度破るような勢いで体じゅうに響き渡った。僕は雷に打たれたようにすべての細胞に刺激が走り、瞬時に全身の筋肉に力をため込んだ。そして、自転車をがしゃん、と抛り倒して、倒れているお兄ちゃんの所に躊躇なくダッシュした。

 ブランコの鉄の棒も無視して突っ込み、お兄ちゃんが倒れている脇に滑り込むようにしてしゃがみこむ。お兄ちゃんの様子を確認する前に、妹とお母さんの様子をまず見る。

 倒れているお兄ちゃんの横で妹は大泣きし、お母さんは顔面蒼白で妹を抱き締めるのが精いっぱいの様子だ。このお母さんを頼りにすることはできない。僕はそう判断すると、これまでの自分の17年の人生の全ての知恵と経験が誰かの手によって総動員をかけられるのを無意識の内に悟った。必要なものを今この瞬間に全てぶち込むように。

 鷹井高校の運動部員の代表者が合同で受けたAED講習の記憶が寸分たがわず脳裏に再現される。咄嗟に思い出したのは講師のAEDメーカーの人が説明してくれた事例だ。

「高校野球の練習中、ピッチャーが胸に打球を受けて心房細動を起こし、亡くなったケースがあります。AEDがあれば助かったかもしれないのですが」

 僕は‘世間一般の音’が聞こえる右耳をお兄ちゃんの口元に近付け、呼吸を確認する。しゅー、しゅー、という感じの異音だ。あきらかに異常な緊急事態だということが分かる。次に胸倉に右手を突っ込み、心拍を確認してみる。ちょっと分かりづらいが、鼓動が感じられない。仮に動いていたとしても、正常な脈ではないだろうと判断した。おそらく、この子の胸にブランコがぶつかったことが、硬球がピッチャーの胸を直撃したのと同じ状態を引き起こしたのだろう。

僕は、それ以上のああだこうだを考えることなどできなかった。この場合、躊躇や自分自身の思考と実行の停止はまさしくこのお兄ちゃんの、即・死を意味する。僕はこの子を助けようとかどうしようとかいう意識など持つ間も無く、反射で体を動かし始める。講習のとおり両掌を組み合わせ、この子の胸をぐっ、ぐっ、と強く、リズミカルに押し始める。そして、怒鳴り声を上げる。

「誰か、手伝ってください!」

 僕は顔を上げる余裕すらない。さっき公園をぼんやりと見渡した様子では、結構人通りがあったはずだ。僕はもう一度、誰にともなく怒鳴りつける。

「早く!誰か!助けてください!!」

 けれども、周囲から何の反応もない。聞こえるのは依然、妹の泣き声だけだ。

 近寄って来れない気持ちは、分かる。小さな女の子が大泣きする中、隣で倒れた少年の胸を鬼気迫る顔で高校生がマッサージしている。一目でこの子の‘命’が懸かっている事態だと呑み込める。そんな時、もし自分が手伝いを申し出て何かミスをし、この子が死んでしまったら。なまじそんな中途半端な責任感のある人たちばかりだから、ああだこうだと‘どうでもいい’ことばかり考えてダッシュできないのかもしれない。

 馬鹿な。人間が人の生き死にをどうにかできる訳ないじゃないか。それは人間が考える範疇じゃない。この子が生きるか死ぬかなんて僕にだって分からない。ただ、『行かぬか!!』という声に突き動かされただけで、結末は僕ごときが分かる訳がない。

 そう。人間でしかない僕たちは、この子の命すら、‘どうなっても、構わない’っていう覚悟で、無意識に神様のご意向を感じ、無意識に体が動く、っていうことしかないじゃないか!早く、誰か、来てくれよ!!

「かおるくんは続けて!!わたしがやる!どうすればいい!?」

 さつきちゃんが背後に来ていた。僕は思わず心の中でさつきちゃんの声に手を合わせる。そして、振り返りもせずに指示する。

「誰かに救急車を呼んでもらって!!」

 僕もさつきちゃんも、携帯・スマホを持っていないのが情けないけれども仕方ない。できる限りの行動あるのみ。そして、さつきちゃんには躊躇がない。立ち上がるとすぐに声を上げる。

「そこで電話している方!!」

 誰に向かって言っているのか分からないが、体育会モードの声を一段とレベルアップしたような声。あの岡崎に対峙した時より声量も声の突き抜け方も遥かに超える声。

「こっちに来てください!!・・・・・早く!走って!!」

 さつきちゃんに声で射抜かれた人がダッシュしてくる様子が分かる。その人の姿が視界に入って、ぎょっとした。後ろ髪がやや長く、オールバック。プロレスラーのような体格にダークスーツを着込み、ネクタイを締めていないワイシャツ。そして、目つきが尋常じゃなく鋭い、中年の男の人。どう見てもビジネスマンではなさそうなその人に向かってさつきちゃんは体育会の要点だけ言う鋭い言葉で救急車を呼ぶように指示を始める。

「わかった!」

 その人の行動は迅速だった。さっと119番し、その人自身が自分の目で見た情報を的確に伝えていく。

「他に言うことは?」その人が更に冷静に僕に質問する。

「マッサージ開始から2分経過!」

 そうなのだ。長い長い時間が経ったように思えて、まだ2分しか経っていない。けれども、この子の一生が終わるかどうかという境目には‘もう2分も’なのだ。時間が経てば経つほど脳に障害が残る可能性は高まり、生きる可能性は低くなる。

「かおるくん、次は!?」

「AED!誰かに持って来て貰って!県の公園だから、管理棟かどこかに必ず置いてあるから!」

 さつきちゃんは次のターゲットをもう、見つけたようだ。また声を張り上げる。

「そこの、本を読んでいる方!」

 声が聞こえてないはずはないが、反応なし。たまらずさつきちゃんが怒鳴る。

「高校生3人組!!!こっちへ来て!!!」

 さつきちゃんが叱り飛ばすように言うと、3人の走って来る音が聞こえた。どこの高校の制服だろうか。おとなしそうな男子生徒三人組だ。1人がマンガ雑誌を抱えている。3人歩きながら一緒に読んでいたのだろう。

 AEDを持ってくるよう指示すると3人は一緒になって、しかも重そうなデイパックを背負ったまま探しに行こうとする。

「荷物は置いて!!バラけて探して!!走って!!」

さつきちゃんが叱るとそれぞれ三方へ走って行った。

 救急車を呼んでくれたオールバックの男の人も心配になったのか、

「私も探しに行くよ」と言ってくれる。けれども僕はこう指示する。

「あなたは救急車の誘導をお願いします!」

 分かった、とは言ってくれたけれども、男の人はまだ心配そうだ。

「大丈夫かな・・・あの子ら気が動転してたみたいだったけど」

 しかし、予想を見事に裏切り、三人組の内の1人が、‘え、もう?’というくらいあっという間に全力疾走で戻ってきた。手にはAEDを持っているが、なぜか、その腕から血がダラダラと流れている。

 けれども、今はそんなことすらどうでもいい。

「さつきちゃん、代わって!」

 僕はさつきちゃんにマッサージを託す。さつきちゃんは本当に凄い。はい!と言った途端、何の迷いもなく、僕のやっていたのを見よう見真似でマッサージを始める。

「かおるくんのやってたくらいの深さだと、胸の骨が折れそうだけど!?」

「折れてもいい!死ぬよりいい!」

 僕とのやり取りに、分かった!と答えて遠慮なく力強くマッサージを続けてくれた。

 僕は血を流した彼からAEDを受け取り、セッティングの準備を始める。

「ごめん!」と一旦さつきちゃんをどけてお兄ちゃんのシャツを附属のハサミで切り裂いて胸をはだけ、電極を貼り付ける。セットさえしてしまえば後はAEDの音声指示に従うだけだ。AEDが心拍を確認し始める。

『ショックを与えます。離れてください』

 ガイダンスの後、お兄ちゃんの胸がびくんっ、と動く。電流が流れたようだ。つまり、一旦心臓を停止させ、心房細動を止める作業のはずだ。

『マッサージを始めてください』

 僕は再びマッサージを始める。

 早く、救急車、来てください。神様、結局、この子はどうなるんですか?

 そんなことを思った途端、マッサージをする腕が急に重くなる。いかん、いかん、と僕は再び、‘どうなっても、構わない’というモードに戻り、自動的に自分の筋肉に全力を込める。

 遠くで救急車のサイレンが聞こえてきた。オールバックの男の人が誘導に走る。

 救急車が来た途端、周囲が野次馬で騒がしくなる。あんたら、今までどこで何してたんだ!!

 怒鳴りつけたくなるけれども、自分自身、『行かぬか!!』と叱り飛ばされてなかったらこんなことしてないだろうから、この人たちを責める資格などないだろう。

 

その3


 到着して間髪入れずに救急隊員が最短・最速の対応で処置を始める。隊員の1人から求められて僕は状況説明をする。さつきちゃんが、抱えるようにしてお母さんの背中をさすり、妹の頭を撫でながら、救急車の方へ2人を連れて行く。お兄ちゃんを乗せたストレッチャーがまず救急車に運び込まれる。さつきちゃんは‘お願いします’とお母さんと妹を救急隊員に渡し、母娘2人も救急車に乗り込む。救急車が再びサイレンを鳴らし、どけ!と言わんばかりに野次馬を振り切って病院に向かう。

「もう1台、こちらに向かわせます。すみませんが、ここで待っていてください」

 血を流した彼を見て救急隊員の人が慌てて彼のために対応してくれた。

 3人組の残りの2人も、死にもの狂いでAEDを探してくれたのだろう。救急車の音を聞き、大汗をかいて戻って来ていた。

 お兄ちゃんを助けようと奮闘してくれたメンバー全員、放心状態になっている。さつきちゃんがそこにいるみんなに深々と頭を下げる。

「あの・・・さっきはみなさんに失礼な言い方をして本当にすみませんでした」

 ‘体育会・戦闘モード’から、普段のモードのさつきちゃんに戻っている。おとなしく、小柄でかわいらしい感じのさつきちゃんの姿を見て、皆ギャップに軽く驚いているようだ。

 オールバックの男の人がさつきちゃんをフォローする。

「いや・・・凄くかっこよかったよ。凛々しい、っていうか」

 さつきちゃんは恥ずかしそうに、すみません、ともう一度言い、今度は血を流した彼の前に進む。

「今更かもしれないですけど、腕を見せてください」

 さつきちゃんはそう言って彼を芝生の上に座らせ、自分のカバンからハンカチを出して、出血している箇所の少し上をきゅっ、と縛って止血を試みる。

「これ、予備のハンカチで使ってないので汚くないですから」

 血を流した彼は、女の子に手当して貰っていることそのものにドキドキしているようだ。できるだけさつきちゃんに触れないようにと身じろぎもせずにいる様子が、彼の人柄を窺わせる。オールバックの男の人が、どうして怪我したの?と彼に訊く。

「いや・・・管理棟はすぐ見つかってAEDがあるっていうステッカーも貼ってあったんですけど、入り口がよく分からなくて・・・どうすればいいのかパニックになっちゃって、咄嗟にその辺にあった庭石を抱えて窓ガラスを割って中に入ったんです。多分、その時に切ったと思うんですけど、よく覚えてません。壊しちゃったし、不法侵入だし・・・・叱られますよね・・・」

「凄いな、君は」

 オールバックの男の人は彼を称賛する。

「叱られたりしないよ。それどころか、自分の怪我すら顧みない勇敢な行動だよ。君は本当に勇気があるんだな」

 僕もそう思う。無我夢中の行動だったのだろうけれども、その瞬間の彼にとって、自分が怪我するかもしれないことなど‘どうでもいい’ことだったのだ。ましてや窓を割って勝手に建物に入ることや、上手くいかないかもしれないことなど、もっと‘どうでもいい’ことだったのに違いない。彼もその瞬間には‘どうなっても、構わない’モードだったのかもしれない。彼にとってその時の最重要なことは、自分の勇気を全てその瞬間にぶち込むことだったのだ。

「ところで、君は、彼女の彼氏なのかな?」

 オールバックの男の人に突然訊かれて、僕は一瞬固まる。なんと答えたものやら。結局、次のように言った。

「いえ・・・彼氏じゃないです」

 オールバックの男の人は、え、そうなんだ・・・と、申し訳なさそうな顔をする。そして、まだ僕に話し続ける。

「あの男の子の命が懸かっているプレッシャーがあるはずなのに、君の一挙手一投足には迷いやためらいというものが一切無かった。まだ高校生だよね?本当に感心したよ。自分も商売柄、人の命の遣り取りに関わる場面がよくあるけど、参考にさせてもらうよ。

 そうか・・・君なら彼女とお似合い、っていうか、彼女に相応しい彼氏だと思ったんだけど・・・」

 商売柄命の遣り取りに関わる?一体何の仕事をしてるんですか?と興味は湧くけれども、怖くて訊けない。

外見に反して結構おしゃべりなオールバックの人はさつきちゃんにもまた話しかける。

「彼氏のこと、考えてみたらどうかな?逃がさないように捕まえておいた方がいいよ、本当に真剣な話」

 さつきちゃんはただただ恥ずかしそうに、言われたままを反復し、‘はい、考えてみます。そうですね、捕まえておいた方がいいですね’と、落ち着いた状態で聞いたら結構すごいことを‘天然’に返事している。

 けれども、実は僕はこのオールバックの人の言葉にかなり喜んでいる。

 お前は‘彼女に相応しい’なんて、誰かから初めて言われてとても嬉しい。もちろん、太一が以前言ったように、‘バランスが取れてないよ、ほんの少しだけどね’というのはやはりその通りだと思う。僕とさつきちゃんはどう考えても釣り合っていない。

 それでも、自分の17年間の全人生やひょっとしたら前世までの力の全勢力を神様に引き出して貰ってやっとかっとで叶ったあの瞬間だけだったとしても、僕が尊敬するさつきちゃんに‘相応しい’なんて言われて、本望だ。


その4


 ‘勇気ある彼’が救急車に乗り込むのを見届けてから「お疲れ様でした」とお互いに労い合って、メンバーは三々五々解散した。

 三人組はさつきちゃんとここで別れることを惜しんでいる様子がありありだった。特に‘勇気ある彼’は、何度も何度もさつきちゃんの方をそうとは皆に気付かれないようにチラチラ見ながら救急車に乗り込んで行った。自分も含め、男なんて似たようなしょうもないもんだな、と呆れるような、嬉しいような変な気分になった。

 野次馬も散り散りにいなくなり、気が付くともうすっかり日も暮れて街灯が点った県庁前公園には僕とさつきちゃんがぽつんと残っていた。

「かおるくん、帰ろ?」

 そう言ってさつきちゃんは自転車に乗ろうとする。僕は自分の自転車を手で支えたまま突っ立っている。

「どうしたの?」

 さつきちゃんが不思議そうに僕の顔を覗き込む。僕は正直に打ち明けた。

「ごめん。力が抜けて自転車に乗れない」


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