第2章
2-1
僕は学校では一人で居ることが多かった。それは入学式の時にあまり良くない目立ち方をしたことが原因の一つだけど、一人が楽だからというのもある。
当然のように、昼休みも一人で昼食を取る。極力人の居なさそうな場所を探した結果、渡り廊下近くのベンチに陣取り、そこで黙々とお弁当を食べていた。
「おーう、三木本。一人メシか? おめー、友達いねーべ」
諸悪の根源が来た。この人こそが、入学式の日に僕に絡んできたやつだった。髪を染め、ズボンを随分下まで下げて履き、いかにも不良と言った感じである。
「誰だっけ?」
「末光だよ! 入学式の時におめーの胸倉掴んだ末光!」
「ああ、その後に竹原先輩に胸倉を掴まれていた末成くん」
「末光!」
その末なんとかくんは、今更何の用があるというのか、時々僕に絡んでくる。それが見つかったら、また紅ちゃんみたいな怖い人に絡まれるだけだというのに。
入学式の時に僕の胸倉を掴んだ末なんとかくんは、それを見られた後、紅ちゃんに相当怖い思いをさせられている。そして、その一部始終の中心に居た僕は、他の人からの目を気にしてしまうことになった。つまり、彼のせいで友達が作りづらくなったのだ。
まあ、僕自身の問題でもあるのだけれど。今はこの末なんとかくんに押し付けておく。
「昼飯、一緒に食ってやんべ」
唯奈よ。べ、とか付ける人はこんなにも馬鹿みたいに見えるんだよ。唯奈に変な口調をやめてもらいたいと思ったのは、この末吉くんの影響が大きかった。いったいどこで学んでくるのだろう。そういう学校があるのか、伝える風習でもあるのか。馬鹿界では言語のような扱いで継承されているのかもしれない。
「うーん、嫌かな」
「おめー、本当に俺のことなめてんな!?」
その通り。紅ちゃんは確かに強いけれど、別に殴られてもいないのにすっかり怯え切っている末吉くんは、もはや可愛いくらいである。僕にとって、普通のクラスメイトよりもよっぽど扱いが楽な存在だった。
「本当に虎のなんちゃらのなんちゃらだなおめーは! 竹原さんが居るからって調子づきやがってよ」
虎の威を借る狐とでも言いたいのだろう。分かった自分を褒めてやりたい。
「別に、竹原先輩は関係ないよ。末吉くんはあんまり怖くないよ」
「末光だよ!」
何でよりによってこんなやつだけが僕に積極的に話しかけてくるのだろうか。空しい。それもこれも唯奈のせいだ。僕が下に見ることの出来る性質が共通していて、それが僕と彼の距離を縮めるのだ。
「用なら聞こう。用が無いなら、お互いのために関わらないようにしようよ。竹原先輩が怖いんでしょ?」
「用とかじゃねんだよ! 前の一件で俺は竹原さんに目を付けられてんだよ! だから仲良くしてあげようとしてんじゃねえか!」
つまり、紅ちゃんに怯えて、僕に媚を売ろうとしているというわけだ。思っている以上に小者である。仲良くしてあげる、などと上から言われてお願いしますと言う人間などいない。
「竹原先輩には僕から言っておくから、もう僕と関わらなくていいよ。」
「言わなくていいべ! また竹原さんが俺のとこ来るじゃねえか!」
「何? 紅ちゃん、そんなによく君のところに来るの?」
紅ちゃんは暇なのだろうか。僕にとって末松くんは、よっぽど暇じゃない限り相手をしたくない人だった。
「おめーが竹原さんに俺のことを言うたび、俺のところに竹原さんが来んだよ! 説教くらうんだよ!」
そこまで僕は末松くんのことを紅ちゃんに言っているつもりはない。それどころか、言った記憶が一切ない。被害妄想か、あるいは紅ちゃんの八つ当たりか。何にせよ僕は関係ないことだった。
「竹原先輩が君に文句を言って、君はまた僕のところに文句を言って、それを知った竹原先輩がまた君に文句を言う。凄いな、永久機関だ」
「ただの悪循環だよ!」
そういう理解は出来るようだ。僕は末松くんを少し見直した。
「竹原さんが俺に説教をするせいで、俺は皆に馬鹿にされるんだよ! 痛いものを見る目で俺のことを見るんだよ!」
だから、僕と仲良くして、それを脱却したいわけか。しかし、もうみんなに馬鹿にされないというのは無理だと思う。自分を大きく見せることに失敗して、自分より弱い人間の前でだけ強気でいることを鼻で笑われる。それが末松くんだと思うから。
「……こんなはずじゃなかったのに」
その言葉を聞くと、僕も少しだけ彼のことがかわいそうだと思ってきた。まあ、入学初日に、よりによって僕みたいなひ弱な人間の胸倉を掴むような小者に情けは必要ないのかもしれないけれど、紅ちゃんによって彼の弱い立場が決定したのなら、それは哀れな話だから。
「いいよ、一緒にお昼ご飯を食べよう」
「……おめー、優しいな!」
末松くんは無邪気に笑う。何か単純だ。ある意味、僕はこういう人が弱点なのかもしれない。末松くんは持っていた惣菜パンに噛り付く。美味しそうに食べるところを見ると、何だか憎めない。
「もぐ、そういえばおめー、もぐ、知ってっか?」
「噛みながら話さないで、汚いから」
僕が言うと、末松くんは無言で咀嚼し始めた。意外と聞きわけが良い。末松くんは今食べているものを飲み込むと、また話し出した。
「竹原さん、ヤクザとも繋がりがあるんだってよ? ヤクザと話してるとこを見たやつがいるらしーべ」
それは、きっと真二郎さんとか、麗関連の人だろう。繋がりがある、というのは間違いではない。麗との交流を絶っていても、真二郎さんたちは紅ちゃんのことを知っているわけだし。
「へえ」
「いや、へえって!? 怖くねえのかよ!?」
むしろ安心というか、真二郎さんたちが紅ちゃんのことを守ってくれたらありがたい話だった。僕がこういう風に考えるのも、真二郎さんたちに対して失礼なのかも知れないけれど、彼らは僕にとって、恐ろしい組織でもなんでもないのだ。
「おわ! 噂をすれば!」
末松くんは、そう言って俯いた。紅ちゃんが来たのだろうと思ってそちらを見ると、現れたのは麗だった。麗が極道の娘って、結構知られているのだろうか。それならさっきの話も、紅ちゃんと麗が繋がっている、とわかるようなものだと思うのだけれど。
麗はこちらを見て僕と少しだけ目を合わせるとまた前を向き、そのまま去っていった。
「やべー。あっちは本物だべ。こえー」
「末松くんって、本当は凄く臆病なんじゃないの?」
「あんだとこらぁ」
末松くんは僕を睨みつける。不思議なもので、本当に全く怖くない。真っ直ぐに末松くんのことを見ていると、向こうのほうから目を逸らした。
「……すえ“み”つなんだけど」
「ごめんなさい」
割と本当に末松で合っていると思っていた。僕は心から申し訳ないと思った。
何となくの流れで、末光くんとアドレスと電話番号を交換してしまった。昔なじみの三人以外で、この高校では初だった。複雑な気分だ。
「ああいう輩と付き合うのはやめなさいよ」
急に角からヌッと出てきたのは麗だった。携帯電話を見ながら歩いていた僕は、少しよろけてしまう。
「びっくりした……」
麗は呆れたような目で僕を見ている。さっきからずっと待っていたのだろうか。
「あんたって本当、唯奈みたいなのが好きなのね」
「そんなんじゃないって。それに、別に付き合いがあるわけじゃないよ。たまたまお昼を一緒に食べてただけ」
この言い方だと末光くんには悪いと思うけど、僕は麗を安心させたかったのだ。麗はわざとらしくため息をつくと、体が触れ合いそうな距離まで近づいてくる。麗からは甘い香水の匂いがする。
「この前、真二郎と会ったんだってね。私を探してたの?」
「探してたっていうか、真二郎さんが居たから、麗も居るのかなって思っただけだよ」
ふうん、と麗は何も無いところを睨んでいた。どうやら、何か言いたいことがあるらしい。
「ひょっとして、千愛莉ちゃんのこと?」
「は? 誰よ、それ」
ちょっと麗は喧嘩腰になって、僕を睨んでくる。麗のそれは、さっきの末光くんよりよっぽど迫力がある。まあ、慣れたものだけれど。
「紹介したいと思ってたんだ」
「は? なんで私がハジメに女を紹介されなきゃなんないのよ」
なんでと聞かれたら、どう答えたら良いものだろうか。紅ちゃんの子分、という千愛莉ちゃんの自称は、唯奈を見る限りでは良い答えとは言えそうにないし、友達だから紹介する、というのも不自然な話だった。
「まあいいじゃないか。いずれ会うことになるから、その時でいいよ」
「何よそれ……ふんっ」
麗は不機嫌そうにそう言うと、さっきのような距離を取った。
「麗、今度はいつ家に来るの?」
「今日行こうと思ってたけど」
そうか。なら、千愛莉ちゃんの都合さえ良ければ来てもらおう。麗は千愛莉ちゃんみたいなタイプの人には優しいのは分かっているし、日が合えばすぐに会わせたいと思っていたのだ。
「分かった。じゃあ、待ってるよ」
「え? うん……」
麗は不審そうな顔で僕を見てから、その場を離れていった。麗が何に不機嫌になっているのかは、僕にはよく分からなかった。
麗が離れていくタイミングを見計らってか、急に後ろの方から気配を感じた。振り返ると、廊下の角から紅ちゃんが覗いていた。
「うわっ! びっくりした……」
この人たちは常に僕を監視でもしているのか、僕が一方的に発見される回数が多い。いつも不意を突かれるのだ。
学校で会う紅ちゃんは、三人の中では一番まともな身なりをしている。シャツを中に入れているし、ちゃんとネクタイもしている。ただ紅ちゃんの元々のだらしなさからか、ネクタイの締め方は下手だった。
「ハジメ」
「何? 麗が居る時に来たらいいのに」
少し呆れたように言うと、紅ちゃんは左手に何か持っているのか、それを廊下の角から引っ張りだした。出てきたのは物では無く人。それは末光くんだった。
「……こんにちは、三木本くん」
「……」
末光くんは、ウサギみたいに首の後ろ部分、制服の襟のところを持たれていた。それにしても、早い再会だ。僕は驚きのあまり、しばらく言葉が出ず、初めて珍獣を見るときのような感じで末光くんを見てしまった。
「これ、どうしたの?」
「いや、ハジメに悪さをしたのかどうかを聞こうかと」
それで僕の前に連れてきたわけか。末光くんのびびり倒して肩が上がり、手を胸の辺りで静止させている姿を見ると、僕はとてもかわいそうに思った。怯え切った小動物みたいだ。
「さっき一緒に居たから、またハジメに絡んでるのかと思って。こいつはハジメと友達になったって言うし」
「……」
末光くんは僕をうるうるした目で見ている。ペットショップでこんな目をした動物が居たら飼ってあげたくなるような、そんな目だった。
「離してあげて」
「いいのか?」
「うん。友達だから」
そう言うと、紅ちゃんの手が離され、末光くんはやっと肩を下ろすことが出来ていた。
「ハジメ、あまり友達にするのはよしたほうがいい相手だと思うぞ」
「ううん、大丈夫だから。末光くんはもう行っていいよ」
末光くんは紅ちゃんのほうをチラッと見る。しかし、紅ちゃんがそちらを見ると、すぐに目を逸らした。そして、僕のほうを見てから、紅ちゃんに頭を下げた。
「で、では! 失礼します!」
末光くんはそう言って足早に去っていく。礼儀正しい所作の後、決して廊下は走らないという姿勢を貫きながらもなかなかのスピードを出している。
「もうつかまるんじゃないぞー」
「俺は鶴か!」
恩返しにでも来てくれるのだろうか。来てくれなくて良いけれど、僕は少し末光くんのツッコミが気に入っていた。
「……紅ちゃん、色々と言いたいことがあるんだけど」
僕が少し怒気を込めて言うと、紅ちゃんは目を逸らした。僕が叱ろうとしていることを察したのだろう。
「あの……ハジメの交友関係が心配で……」
「心配してもらわないで結構。紅ちゃん、もう暴力はしないって約束だったよね?」
本当に約束は果たされているのだろうか。まあ、こんな些細なことで絶縁する気は無い。それは、僕にとっても辛いことだから。
「あ、あいつを殴ったりはしてない……」
「あれはもうほとんど暴力だよ。あんなに怯えているんだから、手で捕まえておく必要なんてないでしょ? そもそも、紅ちゃんは僕と末光くんが一緒に居るところを見ただけで、前みたいに僕の胸倉を掴んでるところを見たわけじゃない。それであれはやり過ぎだよ」
当然、殴ったりしていないのも分かっていた。元々、紅ちゃんは弱いものいじめのようなことはしないのだ。こう言うと末光くんがより哀れになってしまうけれど。
「う……」
紅ちゃんは申し訳無さそうな顔をして俯いた。紅ちゃんに悪気が無く、僕のことを考えてしてくれているのは分かっているので、ここで強く言うわけにもいかなかった。
「……とにかく、僕は大丈夫だから。もう末光くんと関わるのはやめてあげてね」
そうやんわりと言うと、紅ちゃんは心細そうな声で、わかった、と呟いた。
「あ、でも……」
と、僕は思い直して一つ訂正を加える。
「末光くんにはたまに話しかけてあげて。紅ちゃんが抑止力になっているみたいだから」
これで末光くんは大人しいままだし、紅ちゃんも校内で僕以外の人と関わりが残ったままになる。一石二鳥だ。紅ちゃんは首を少し傾けて、わかった、と呟いた。
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