第1章
1-1
三人との出会いは、僕が小学六年生の頃だった。三人は中学一年生で、皆、すでに高校生だった僕の姉さんにくっ付いてきたのだ。
やんちゃな姉さんだったけど、人望はあった。色々とどうこうしているうちに、三人に懐かれ、姉さんも三人を気に入り、よく家に連れてくるようになった。姉さんが僕を猫可愛がりしていたので、三人も実際は一つしか歳の違わない僕を、ちっちゃな弟として可愛がってくれた。姉さんを含めた五人で居る時は、本当に楽しかった。
それから今まで、ずっと三人は僕の家へと、何らかの理由をもって訪ねてくる。ただ、三人が揃ってということは無くなってしまっていた。
三人から一年遅れて、僕も高校生になった春。僕は三人と同じ高校へと入学していた。三人と同じで、一番近い公立、というシンプルな理由だったけれど、三人が居ることを全く意識していないわけではなかった。揃って家に訪れないのに同じ高校に通う三人が、どんな生活をしているのかが気になっていた、というのも本音だ。
春から夏に移ろうとしている五月の終わり。春風がより暖かくなってきて、夏の気配が感じられる。しかしその前に、面倒な梅雨という時期が待っていて、心中は穏やかではない。早く終わったらいいのに、といつも思う。僕は雨が大嫌いだった。
「ハジメぇー!」
校内を歩いていると、ヤンキー女に話しかけられた。そのお相手は唯奈である。学校内でも変わらず、馬鹿みたいな格好をしている。
「学校内で大声で呼ばないでよ。不良と仲良しと思われるじゃないか」
まあ、三人が三人とも、僕が他の人と居るときはちゃんと距離を置いてくれているのは分かっている。三人とも僕には優しい。
「なんだよ、あたしら仲良いべ?」
「べって言うのはやめてって言ってるでしょ?」
「はいっ!」
良い返事。唯奈はいつも返事だけは良いのだ。
「今度さ、一緒にゲームしねぇ? 久しぶりにさ!」
そういえば、昔はよくゲームをしていた。皆が僕を子供扱いしている上で、僕との交流はテレビゲームが主流だったのだ。唯奈のしている子供っぽい笑い方は、当時でも幼く見えたのに、今でも全く変わっていなかった。
「良いけど……、唯奈、いつも逃げるように帰るじゃん」
「だからさ、あいつらの来ない日が分かってたら、その日にしようよ」
そんなにゲームがしたいのか、あるいは僕と遊びたいのか。単に家に上がりたいだけかもしれない。唯奈は暇を持て余している。
でも、三人の中で最も友人が多いのは唯奈だ。他の学校の同じような格好をしている人と仲良くしているのをたまに見かける。多分唯奈は一人で居るのが嫌いなのだろう。いつも誰かと居ることを望み、一番手頃なのが僕なのだ。
「まあいいよ、暇だし。じゃあ今日で」
「今日!? いや、良いけどさ」
今日が一番、他の二人が来なさそうな日だった。紅ちゃんは基本的に休日であり、麗は順番という意識が強いのか、最低でも二日以上空けて、休日も避けていた。
ふと、唯奈は僕の後ろのほうを見た。誰か来たのか、唯奈は、じゃ、と短めの挨拶をして去っていった。
僕がすぐに振り返ると、チラッと紅ちゃんの姿が見えた。しかし、こちらへ来るでもなく、どこかへ行ってしまった。僕はこの距離感が嫌いだ。
家に帰ってからしばらくすると、唯奈がやって来た。唯奈は外に居るとき、眉間に皺を寄せて、少し目を細めるようにしている。普通にしていると結構可愛い系の顔をしているのに、残念なことだと思う。
「ハジメぇー」
二階に居る僕と目が合うと、そう呼びかけてきた。インターホンを押せばいいのに。
唯奈を家に上げてやり、そのまま居間へと寄っていった。唯奈は姉さんに手を合わせ、数秒間目を瞑る。いつもこの時間に何を考えてるのだろうか。きっとくだらないことを報告しているのだろう。でも、それは良いことだと思う。
「さっ、さっ、ゲームしよー」
唯奈はせっせとゲームの準備を始める。しまってあったゲーム機を取り出し、テレビと接続する。僕はゲーム機がそこにあったことなど知らなかったのに。
「な、何でそんなにがっついてるんだよ」
「だって、最近、ハジメの家に来ても何もしねーべ。姐さんに手を合わせて、用が無ければすぐに帰るだけだし、ハジメの用って説教するだけだし。あいつら来ない日くらい、ゆっくり遊びたい!」
確かに、最近はずっとそんな感じだった。しかし、姉さんに手を合わせることが、最大の用事なのだと僕は思っていた。
それに、説教ばかりというのは、僕としても寂しい話だった。そういえば、唯奈と話す内容は、普段唯奈がいかに駄目な生活をしているか、ということばかりだった。思えば、少しかわいそうだったかもしれない。
「さっ、さっ」
唯奈に押されるまま、僕の部屋へと入っていく。一人分としては広いこの部屋には、丸い机と座布団という和室の装備に加え、それらとアンバランスに見えるベッドが置かれていた。唯奈が座布団の上に座ると、僕はベッドに腰を下ろした。
唯奈はさらに押し入れから古いゲームソフトが入っている箱を取り出す。これらの場所は、唯奈のほうが把握しているらしい。奇妙な気分。
唯奈は箱の中をを漁り始める。僕の家にあるのは、大体が古いゲーム――ディスクではなくカセット――であり、新しいものが増えることが無く、ずっとラインナップは変わっていなかった。
「これやろ! これ!」
唯奈が提示したのは、マス目を動いて爆弾で相手を倒すという対戦ゲームだった。昔から良く遊んでいたゲームだ。
僕はそれを了承した。そういえば、所有者の僕もこのゲームをするのは久しぶりだった。僕らは、四人対戦モードで有人二人、CPU二人でゲームを開始した。
「あ……」
懐かしいゲーム画面に目を奪われ、タイミングを見誤った結果、僕は開始直後に痛恨のミスをする。その場に爆弾を置き、壁と挟まれて自爆してしまったのだ。
「はっはっは!! 馬鹿でー! ばーかばーか!」
久しぶりなんだから仕方ないだろう。ああ腹立つ。唯奈のくせに僕を馬鹿だと言うのか。人を苛立たせる名人、唯奈は子供みたいに笑う。いや、本当にまだ子供なのだろう。
「……」
「あれっ? 無言?」
そのワンゲームは唯奈の勝ちに終わった。そして次のゲームが始まると、僕は目標を唯奈ただ一人に絞った。
「あっ……ちょっとやめてよ! あたしばっか狙わないでよ!」
「唯奈しか敵が居ないから」
「ハジメ! 大人げないって!」
ゲームという子供の遊びをしている以上、大人げなど必要ない。僕は執拗に唯奈を狙う。
「あーあ。負ければ馬鹿らしいから、唯奈は馬鹿だから負けちゃったんだろうね。仕方ないね」
「もう! ハジメはもっと優しい人になろうぜ!」
「僕は優しいよ。ちゃんと唯奈を自分の手で送ってるんだから」
「どんな優しさだよ!」
そこからは唯奈は全く勝たせず、僕が勝つか、最悪、唯奈を巻き込んで自爆し、CPUに勝たせるというプレイの連続だった。体を張ってでも唯奈には勝たせない。馬鹿が負けるゲームならば、唯奈が負けるべきである。僕は根に持つタイプなのだ。
しばらくそんな感じに遊んでいると、唯奈はふてくされたように大の字で仰向きに倒れこんだ。
「……ハジメ、子供だ」
「……唯奈もね」
我に返ると、少し恥ずかしい気持ちになる。ただ、相手が唯奈だからこそこっちも子供っぽくなってしまう。昔から、唯奈は人を怒らせて子供っぽい喧嘩を引き起こしてしまう人だった。紅ちゃんや麗と、どれほどリアルファイトに発展したことか。
「あぁん! ハジメは持ち主なんだから上手くて当然じゃん! 手加減してよぉ!」
ジタバタと駄々をこねる子供みたいに体を捻る。そのせいで、短いスカートから白いパンツがチラチラと見えていて、思わず僕は目を逸らした。全く、僕のことを男と認識していないんだから。
「ぼ、僕だって久しぶりだったし。てか唯奈が下手くそなだけじゃないか」
「ハンデハンデ! ハジメは足で動かしてよ!」
「無茶言わないでよ……」
本当に、唯奈は変わっていない。だからホッとするとも言えるけれど、だからイライラするとも言える。唯奈と居ると、すぐに童心に戻ってしまうのだ。
ふいにインターホンが鳴った。唯奈はピョンと飛び起きて、ひっそりと窓から下を見下ろす。まさか紅ちゃんか麗が来たのだろうか。僕も同じように窓から下を覗き込んだ。すると、予想外の人が家の前に立っていた。
「ハジメちゃーん」
やって来たのは千愛莉ちゃんだった。千愛莉ちゃんが、紅ちゃん抜きの単独で来るのは初めてのことだった。
唯奈は安心したのか、嫌らしい顔で僕を睨んでいた。
「なにぃ? ひょっとしてハジメちゃんの彼女ぉ?」
ああ、イライラする。唯奈は人を腹立たせる表情を自由自在にコントロールしている。にたぁっと笑いながら、目を見開くその顔は、人によってはすぐに手が出てしまいそうになる顔だ。実際、唯奈はしょっちゅう誰かに引っぱたかれていた。
「違うよ。紅ちゃんの子分」
この言い方は紅ちゃんが否定しそうだけど、千愛莉ちゃん本人が言っていたのでそのまま採用することにした。子分って何をするものなのか、そして千愛莉ちゃんがそれをこなしているのか。僕は知ったこっちゃない。
「あん? 紅輝、子分取ってんの?」
紅ちゃんの子分、と聞いた途端、唯奈は眉間にしわを寄せ、少し警戒感を出した。僕は少し後悔する。いやしかし、あの緩い感じの女の子にそこまで警戒するか、普通。どう見ても人畜無害なのに。
「じゃ、とりあえず唯奈、帰って」
会ったら面倒なことになりそうだと感じたので、僕はそう提案してみた。千愛莉ちゃんが一人で来るのは何か特別に用があるのかもしれない。唯奈が居ると、千愛莉ちゃんは困るだろう。
しかし、僕がそっけなかったからか、唯奈は抵抗する。
「あん? あたしが先に居たべ」
唯奈はそう言うと、下に居る千愛莉ちゃんを睨みつけた。とうの千愛莉ちゃんは、ポカンとした顔でこちらを見上げている。とりあえず、千愛莉ちゃんの用事を聞くことにしよう。ここで唯奈を邪険にしても、唯奈の千愛莉ちゃんに対してのヘイトが溜まるだけのようだ。
「……帰らなくていいけど、千愛莉ちゃんに変なことしたら絶交だからね」
「むう」
今度は僕を睨みつけ、口をとがらせる。残念ながら、その表情は怖くないし、むしろ可愛いものだった。
「お邪魔しまーす」
千愛莉ちゃんは怖いもの知らずだった。唯奈が居ることに対し、「会ってみたかったんだー」何て軽く言い放たれた。さっきの唯奈の睨みも、千愛莉ちゃんには何ら作用していなかったのだ。
しかも、僕の家に来るのに、特に用事があったわけではないようだった。そんな気軽な感じで男の家に来るものなのだろうか。あるいは、男だと思っていないのか。……後者濃厚だった。
「おう、お前誰だ?」
部屋に入って早々、腕を組んで仁王立ちしていた唯奈は、千愛莉ちゃんを睨みつけながら言った。きっと、そのポーズでずっと待っていたのだろう。人を威嚇する、外に居るときのモード。しかし、やっぱり千愛莉ちゃんには効いていない。
「変なことしたら……」
「あの! はじめまして! 佐久間千愛莉です。紅輝さんの子分してます」
僕は唯奈を制そうとしたが、千愛莉ちゃんの自己紹介に被されてしまった。千愛莉ちゃんはペコリと頭を下げながら、にっこりと笑顔を見せた。それにしても、子分って単語は、自己紹介に適しているのだろうか。
「おう……」
さすがの唯奈も少し引いている。千愛莉ちゃんからしたら、紅ちゃんの友達ってことで、唯奈の外見の印象は随分緩和されているのだろうけれど、ここまで怖がられないというのは少し哀れに思う。
僕は二人を見比べる。身長も同じくらいか唯奈のほうが少し低いくらいか。やっぱり、色んな意味で小者の唯奈に威嚇は無理だということなのだろう。
「紅輝さんのお友達なんですよね? ということは強いんですよね? 憧れます……」
どうも、千愛莉ちゃんには大きな勘違いがあるようだった。ヤンキーがお友達になる際、皆が皆、拳で語り合ったわけではない。こんな弱そうな唯奈が、紅ちゃんとまともに喧嘩出来ると思っているのだろうか。
「いや、そう? まあね」
こらこら、大嘘をつくな。しかも、一気に緊張が解けてるじゃないか。本気の殴り合いの喧嘩なんかしたこと無いくせに。ちょっと下から持ち上げるだけでこの緩みよう。唯奈の懐柔は容易かった。
「ハジメ、可愛い子じゃん」
「良い人だね」
二人は僕のほうを見て言った。唯奈はともかく、千愛莉ちゃんは何を見てそう思ったのか定かではない。僕は二人を見て、何か引っかかるものを感じる。そうか、同じタイプだから相性が良いんだ。千愛莉ちゃんには悪いけれど、僕は二人に対して“お馬鹿キャラ”という認識を持っている。馬鹿と馬鹿という同色は、喧嘩することなく自然と交じり合う。今はまさにその交じり合っている図なのだ。二人は何の根拠もなく同調することが出来るのだ。
「ゲームしよー」
「あ、やりまーす」
一気に微笑ましい光景へと変わっていく。家に集まってゲームをする小学生、という感じの、ほのぼのとしたやり取りが生まれていた。僕は呆れて言葉が出ない。それで良いのか唯奈。
今度は、先ほどのゲームを僕の代わりに千愛莉ちゃんがプレイする。単純なゲームなので、千愛莉ちゃんはすぐに理解出来たようだ。
「千愛莉ちゃん、本当に何の用も無く来たの?」
「うん。通りかかったから、ハジメちゃん居るかなーって」
「あ」
唯奈の声を聞いて画面を見ると、千愛莉ちゃんの操作するキャラが、唯奈のキャラををブロックと爆弾で挟んでいた。意外と容赦無い。唯奈の背中には、妙な哀愁を感じる。
「普通、男子の家にそんな感覚で来ないと思うよ」
「え? ああ……」
何かな? その反応は。そしてまた唯奈のキャラが死んでいる。
「ハジメが女の子に見えるからじゃね?」
「あ?」
早々とゲーム内から退場した唯奈が、暇を持て余し、失礼なことを言ってきた。せっかく聞かないようにしていたのに。
「……ハジメちゃんって、可愛いと思うよ」
「それ、フォローというより、逆効果だからね」
可愛いを褒め言葉だと思っている千愛莉ちゃんは、悪意無く僕のことをしょっちゅう攻撃してくる。僕は何度も千愛莉ちゃんに心を切り刻まれているのだ。それが千愛莉ちゃんの空気を読めないところであるが、悪気が無いので文句も言えない。
「ほら、親しみを覚えるというか。女の子と居るときみたいに安心するというか」
「あ、それわかるべ。ハジメは“男感”がない」
唯奈まで乗っかってきた。怒りを露わにしたいところだけれど、千愛莉ちゃんが居るので僕も荒げることが出来ない。
「あ……」
そして次のゲームが始まるとまた死んでるし。唯奈、弱すぎるだろう。もし僕がゲームのキャラクターに生まれ変わっても、唯奈の手では絶対に動かされたくない。
「また勝ちましたー」
千愛莉ちゃんの三戦三勝。唯奈の完敗である。さすがに千愛莉ちゃん相手に負けると、唯奈もさっきみたいに駄々をこねることが出来ず、放心状態になっていた。
「千愛莉ちゃん、上手いね。やったことあったの?」
「今日が初めてだよ」
千愛莉ちゃんの言葉に、唯奈は殴られたような衝撃を受けていた。僕としては、さっきの仕返しということで、ざまあみろといったところだ。
「が、ガムを噛もう。頭の回転が良くなるって、テレビで言ってたべ……」
頭の回転がこのゲームにそこまで必要だろうか。そもそも唯奈の頭の回転が良くなったところで意味があるのか。自分の下手くそっぷりをそこまで認めたくないのだろうか。
「ガムー」
血迷ったみたいに、唯奈は自分の鞄の中身を床に落としていった。教科書が一切入っていないのは、全部を学校に置いてきているからだろう。すかすかの鞄から学校に不要なものが数々落ちてきている中で、僕はある物を発見した。唯奈もそれに気づいたのか、座り込んですぐさまそれを回収する。しかし、僕を無視するわけがない。
「唯奈、今隠したもの出して」
「はいっ……?」
唯奈は引きつったような笑みを浮かべながら、こちらを見ている。しかし、目は全く合わない。
「出して」
「隠してないよ。隠してないよ」
僕が唯奈に近寄っていくと、唯奈はお尻を床に着けたまま後ずさりしていく。またパンツ丸見えだけど、そんなことはどうでも良いことだった。千愛莉ちゃんは、そんな僕らをボケーッと眺めている。
「そこに隠してるもの!」
「きゃ、キャー! エッチー! チカーン!」
こんな時だけ男扱いか。それに、僕の部屋で変な声を上げないでもらいたい。力ずくで床を覆っている右手を離すと、そこには青い長方形の箱があった。タバコだ。
「……」
「……」
僕と唯奈はその状態で固まっている。僕は、怒りというよりも少し悲しい感情のせいで、初めの一声が喉の奥に引っかかった。
「……ほら、不良さんには付き物だから!」
千愛莉ちゃん、それは全くフォローになっていないよ。僕はため息をついた。
「正座」
立っている僕の前には、二人が正座して並んでいた。千愛莉ちゃんが正座する必要は全く無いのだけれど、特につっこまなかった。
「これは何?」
「……タバコ」
「吸ってるの?」
「いや、あの……友達にあげたり……」
中を見ると、四、五本は減っているようだった。百円ライターが中に一緒に入れられている。汗を流し、本気で焦っている唯奈の隣で、同じように千愛莉ちゃんは焦った表情をしていた。
「じゃあ吸ってないの?」
「……」
唯奈は無言で俯きながら、指を一本立てた。一本だけ吸った、という意味だろうか。一本、ということは、唯奈は特別タバコを好んだわけではないのだろう。僕は少しホッとした。
「ふうん、吸っちゃったんだ。タバコって何歳から吸っていいの?」
「……十八?」
「ハタチ」
絶対分かってて誤魔化そうとしただろう。そして、唯奈はまだ十八でも無いし。歳が近いほど罪が軽くなるということは無いのだ。
「何で吸おうと思ったの?」
「ちょ、ちょっと、周りが吸ってて……、私も吸おうかと……」
唯奈の、舐められないように、って馬鹿みたいな考えが生んだ衝動ということだろうか。相変わらず、背伸びしてしまうことがより自身を幼く見せている、ということに気づいていないのだろうか。徹底的に叱ってやらなければならない。
「これ持ってるのを見つかるとどうなるだろうね? あと、十七歳がこれを吸っちゃうのは法律的にどうだろうね?」
「あ、あたしまだ十六……」
「知ってるよ、誕生日は六月十九日。高校二年って意味で言ったの」
「正解っす……」
「もうちょっとですねー」
千愛莉ちゃんの空気を読まない一言が明るく響く。唯奈の視線は僕と千愛莉ちゃんを行き来した。
「警察のお世話になるようなことをしたら関わるのをやめよう。僕はそう言ってたよね」
「……お世話になってないじゃん! セーフ!」
「あ?」
「いえ。なんでもないっす」
唯奈は明るくして誤魔化そうとしている。千愛莉ちゃんが居るから、そうしたら許してもらえると思っているのだろう。しかし、いくら千愛莉ちゃんの前であっても、ここは僕も簡単には引けないところだ。
「体にも悪いよね。未成年者の喫煙って、大人よりも少量でニコチン中毒になるんだって。がん発生率も、未成年から吸ってる人のほうが確実に高い。まあ、大人になってから吸うのなら別にいいよ。それは個人の自由だから。でも唯奈はまだ十六歳だよね。ただ周りが吸っているから、って理由だけで、法律違反で、体にも悪いタバコを吸うって“馬鹿”なことだと思わないの? まあ唯奈は生まれてこの方ずっと“馬鹿”なのかも知れないけど、周りを悲しませる“馬鹿”にはなっちゃいけないって“馬鹿”でもわかるでしょ? 大体いつも唯奈は――」
唯奈はそわそわとしながら僕と目を合わせない。千愛莉ちゃんと目が合ったのか、千愛莉ちゃんに「助けて」なんて呟いていた。
「話はちゃんとこっちを見て聞く!」
「はいっ!」
唯奈が返事だけが良いのは、きっといろんな人に叱られなれているからだろう。僕も唯奈に対して何度説教したことか。
「いつも“馬鹿”なことして――」
「そんなに馬鹿馬鹿言われたら、もっと馬鹿になっちゃうよ……」
僕の説教は続く。唯奈からは泣き言がこぼれているけれど、知ったこっちゃない。
「で、どうするの? このタバコ」
僕は唯奈の前にストンと投げ捨てた。唯奈はビックリしたのか体を震わせた。
「と、友達にあげる」
「あ? その友達は何歳だよ?」
「え? あの……親にあげる」
「おじさんとおばさんに、タバコ吸ってたってことを堂々と言うの?」
「えっと……捨てます」
やっと捨てると言ったので、僕も表情を緩める。ああ、まだ言わなければならないことがあった。
「どうやって買ったの?」
「あの……友達が親のタスポ持ってて……。それで買いました」
まったく、親のタスポ持ってくる子も子だけど、取られてる親も親だ。下手すると、その人は親公認で吸っているのかもしれない。せっかく子供にタバコを買わせないために導入したシステムなのに、そんなことがあって良いものなのか。
「なんて世の中だ!」
「大きく出た!?」
僕は苛立ちを日本にぶつける。絶対に子供がタバコに手を出さないというシステムになってほしいと、心から願った。
「その友達との付き合いはやめなさい」
「……そ、それは嫌。良い奴だし」
ここははっきりと拒否する。譲れないところなのだろうか。唯奈の長所は人懐っこさであり、それ故、唯奈は顔が広い。その広い友人関係を、メリハリを付けながらもしっかりと保っているのは、唯奈の人柄の賜物だろう。そこに僕が強く言うことは出来ない。僕はため息をついた。
「……じゃあ、絶対唯奈はこれからタバコを吸わないって誓える?」
「誓う」
やっと目が合うと、唯奈ははっきりと肯定した。
「美味しいと思わなかったし、高いし。別にいらない」
「……」
今のは聞かなかったことにしよう。唯奈は強い意志でタバコと決別したのだ。そういうことにしておこう。
「出来ればその人のタバコも止めてあげてね。違法なんだから。そして、もし今度唯奈がタバコを持ってたら、もううちの敷居をまたがせないからね」
「うん……」
以上で、僕の説教は終了である。終わったことが分かると、唯奈は大きく息を吐いた。
「何か、ハジメちゃんって生活指導の先生みたいだね」
多分、生活指導の先生はここまで優しくないと思う。でも、唯奈には僕が言うほうが効果があるはずだと思って、僕もしているのだ。
「もうゲームしていいよ」
「うん……」
まだちょっとしょんぼりしながら、唯奈はコントローラーを手に取った。それは、本当に子供のような仕草だった。
母さんが帰ってくると、唯奈は一階へ降りて、母さんと話をしに行った。唯奈はもちろん、三人とも僕の両親とは仲が良かった。
「ハジメちゃん」
「……何?」
今は千愛莉ちゃんと部屋に二人きりだった。初めてのことだし、僕は少し緊張している。
「唯奈さんって可愛い人だね」
可愛い人。そう言われて、僕は少し嬉しかった。千愛莉ちゃんは、唯奈に対しての正しい印象を持ってくれたようだったからだ。感情豊かで、馬鹿で、人懐っこい。そんな唯奈は、年下の僕からでも可愛く見える。表向きはは近づきづらいけれど、中身はとっつきやすい。それが唯奈なのだ。
「そうかもね」
「何で紅輝さんと仲直り出来ないのかなぁ? 唯奈さんとなら、すぐに仲直り出来そうなのに」
千愛莉ちゃんは首を横に傾けながら言った。確かに唯奈みたいなタイプとなら、長く喧嘩はしないだろう。多分だけれど、唯奈は片方と仲を戻せば、もう片方がのけ者になると思っているのだと思う。上手く均衡がとれるような器用さを、唯奈は持ち合わせていないのだ。
「何でだろうね」
僕はそうはぐらかした。千愛莉ちゃんは、うーんと唸ってから、声が漏れたようなため息をついた。
「あぁー。紅輝さんね、私と居ても楽しくなさそうなんだ」
「そんなことないよ」
紅ちゃんは今まで僕ら以外とほとんど関わりを持たなかった。だから初めて紅ちゃんが千愛莉ちゃんを連れてきたとき、僕は驚いたものだ。しかもこんな人当たりが良くて明るい女の子だったものだから、紅ちゃんも変わったんだと思って嬉しかった。
「ううん。嫌われてるわけじゃないと思うんだけど、何か物足りなさそうなの。寂しそうっていうか、一緒に居てもよくボーっとしてるの」
寂しそう、ということに心当たりが無いわけではなく、むしろ紅ちゃんには常にそういう雰囲気があった。父親からの仕送りで一人暮らしをしている紅ちゃんは、普段から一人で行動することが多い。姉さんもそれを心配していて、だからこそ紅ちゃんを連れまわしていたように思う。
紅ちゃんが千愛莉ちゃんを初めて家に連れてきたとき、僕はとても嬉しかった。紅ちゃんが一人になる時間が減るんだ、と。
「やっぱり、ハジメちゃんが言うように、仲直りしなきゃだよね。唯奈さんと居ると楽しくなりそうだし、紅輝さんと唯奈さんが一緒に居るところ、私も見てみたいな」
千愛莉ちゃんは無邪気そうな笑みを浮かべた。不純物の無い言葉は、僕の中にすっと染み入った。紅ちゃんのことを本当に良く思ってくれていて、心配してくれている。
「千愛莉ちゃん」
僕が呼びかけると、千愛莉ちゃんは猫のような口をしながら、僕と目を合わせた。
「千愛莉ちゃんも、三人を仲直りさせるのに協力してくれるかな?」
「うん。そのつもりだよ」
千愛莉ちゃんはさも当たり前のようにそう言った。唯奈とすぐに仲良くなった千愛莉ちゃんは、三人を仲直りする心強い味方になってくれるかもしれない。僕はそう思った。
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